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「1年半ぶりでしょうか、最後に会ってから」
卓上に置いてあった電気ポットのお湯で、ヨーク最高司令官自ら紅茶を入れて客人に振る舞う。その所作も実に艶やかで、屈強な軍人たちを束ねて指揮を執る勇猛果敢なイメージなど、露ほども感じられない。
「手錠を外してやってくれ」
ヴォイドは出されたお茶には手を付けず、いつも以上の抑揚に欠ける言い回し。こちら側には再会の喜びなど微塵も見当たらないことくらい、端から見てもよく分かる。
「罪状が晴れるまでは、それはできません」
アルトゥールの視線は、それでもヴォイドを直視して離れない。司令官の興味は侵入者にではなく、とっくに美しい客人ただ一人に注がれている。
スグルはというと、後手に手錠をかけられたまま、次の命令を待つ兵士の横で男たちの退屈なやり取りを退屈に聞き流している。
「今どこで何をしているのです?」
「奇形種退治をしながら各地を転々としている。そいつも俺たちのチームには欠かせないエンジニアだ」
助けるための方便なのか、ヴォイドはいつもと違って肯定的な言葉でスグルを擁護していた。仲間────彼がそう言った時、スグルはまさかそれが自分のことなのだろうかと耳を疑ったくらいだ。
「このような子どもがエンジニアですか? そんなに人手不足なのでしたら、私がパドルスクの市長に掛け合ってもう少しマシな人材を確保しますよ」
「その必要はない。こいつで十分間に合っている」
アルトゥールは侮蔑のこもった視線を小さなエンジニアに投げかけたが、それもほんの少しの間で、またすぐ麗しい銀髪に向き直った。
「ですが残念なことに、あなたは今日そのエンジニアを失ってしまうことになるようです。明日にでも軍法会議にかけられて、この子は少なくとも懲役10年以上の刑が確定するでしょう」
「そこをなんとかしてほしい。地下牢に蟻がいると言っていたな。それを片付けるから、こいつのことはそれに免じて許してほしい」
「蟻の駆除くらい自分たちでやれますよ。それよりもキヌア、あなたにできることは別にある気がするのですが......」
白い軍服がヴォイドに一歩近づいた。
”キヌア”────アルトゥールがヴォイドをそう呼んだのを、スグルは聞き逃さなかった。
「お分かりでしょう? あなたの仲間を無罪放免にできる手段を。これがもしエマシュの司令官だったら、容赦なくその場で切り捨てられていたでしょう。ドルンの司令官ならもっと酷ですよ。半年は首輪で繋がれて奉仕させられるでしょうね。あのどうしようもない変態嗜好を満たすために」
「────」
ヴォイドの清澄な碧眼が、じっとアルトゥールを見据えていた。何を求められているのか、既に理解しているのかもしれなかった。
「この子は私だから助かるようなものです。あなたの返答次第でね」
白い手が、滑らかな褐色の頰を撫でる。
撫でられた方は直立したまま動かない。その微動だにしない、世界遺産とでも言うべきヘレニズム彫刻のような顔に向かって、甘い声がささやきかける。
「私を満足させてください。それが条件です」
ヴォイドの瞼が微かに動いた。張り詰めた空気を割って、その隠された内心の苦渋がチラリと露呈した瞬間であった。
「どうします? あくまでもあなたの判断にお任せしますが」
「……分かった。条件を飲むから、釈放してやってくれ」
そこからは────なぜ話し合いの場を司令室から自室に移したのか、初めからこうすることが目的であったかのように、アルトゥールはヴォイドをベッドに誘って行為を始めてしまった。
「目を閉じてろ」
服を脱ぎながら、ヴォイドが言った。
スグルの視界にすべてが入る位置に、豪奢なベッドがあった。アルトゥールが強引にヴォイドの唇を奪ったのを見て、スグルは目を閉じた。
「相変わらず綺麗な身体ですね。惚れ惚れします」
「お前のやり口も変わらないな。人の嗜好をとやかく言えた筋じゃないだろう」
「そのサディスティックな減らず口も好きでしたよ。あっ......そこ、気持ちいい......」
ベッドがギシリと軋みを立てる。衣擦れの音は次第に止み、もはや全裸で抱き合っている2人の状況は、時々交わされる会話や息遣いから、視界を閉ざした者にも否応無しに伝わってきた。
20分ほどで事は済んだが、その間アルトゥールの扇情的な喘ぎと卑猥なささやきをずっと聞かされていたスグルはウンザリした気分で目を開けた。
「お待ち遠さまでした。容疑は晴れましたよ」
スグルの目の前に、白い軍服を着た司令官が立っていた。
「手錠を外しておやりなさい」
と機嫌良く命じたものの、部下の放心しきった眼差しと下級軍服のズボンに付着した汚らわしいシミを目に留めると、たちまち険しい顔つきになった。兵士はまごつきながらやっとの事で手錠を外す。それを忌々しげに睨みつけ、何を思ったか、腰のサーベルを鞘から抜いた。
「ヨークの兵士ともあろう者が、はしたない。死んで己の愚劣さを恥じなさい」
取っ手に黄金とルビーを散りばめた鋭剣が、目に見えない速さで直線を描いた。
痛みを感じさせたかどうかすら分からない刹那の刃が、若い兵士の喉を切り裂き即死させた。
「非情だな」
ヴォイドの乾いた一言に、
「そうでしょうか。これから地下の蟻に喰わせて巣を突き止める作業に貢献してもらいます。これでも私の大切な手駒ですから、最後まで立派に職務を果たしてくれることを願うばかりですよ」
穏やかな物言いで残酷な言葉を発したアルトゥールは、別れ際にもう一度ヴォイドの唇を吸ってから、名残惜しそうにドアを開けた。




