バスケとサッカー
「面白いじゃないですか。降魔剣」
トライアルが終わり、指導員達はドレッシングルームで着替えつつ選考で何か留意すべき点はなかったか指導実践を精査し、洗っていた。
「まあ、確かに。テニスでも頭脳的だと評判だったし。サッカーの指導をさせても光るものがある」
「あの子達、剣が呼んだんですかね」
「違うんじゃないかな。苦々しい顔をしていたし。演出には見えなかった。彼女たちが自主的にやったことだろう。まあ、慕われているんだろうな。今回の合否にはまったく関わらないが」
「ああ、受験者が降魔剣であることもまったく関係ない」
「いや、今回ね、落としてくれって、言われてるんですよ」
「落とすためにトライアル受けさせるのか」
「記者が来ていたな。話題作りだな」
「なんか面白いこと言ってましたよね」
「攻撃は不規則に、幻想的に。
守備は規則的に、事務的に。
守備に意外性は不要だ」
「抽象的過ぎる。子供に理解できるのか?」
「どういう意味だ?」
「アメリカはサッカー不毛の地だった。昔、サッカーは川の丸太渡りよりつまらないスポーツと言われた。尤も、大口をあけ移民を飲み込んで大きくなったアメリカの、彼ら……主にスペイン語圏の移民のサポートによりMLSの規模は現在、続伸する一方だ。
アメリカではFootballはAmerican Footballを意味する。で、我々がやってる方はアメリカ英語ではSoccer。Soccerって言葉は古語でイギリス英語ではFootballだ。アメフトとサッカーを区別するにはまあ、都合がいいのだろう。戦後、日本はアメリカ文化を称揚しBaseballが流行し、FootballではなくやはりSoccerという呼称を引き継いだ。発音まで異なっていてイギリス英語ではソッカーだ」
「そっかー」
クリスがぽつりつぶやく。その目はもさもさの髪に埋もれてどんな表情をしているかひどく判りにくい。
クリスは人間と言うよりむしろ蓑虫に近い。
背は短く、髪はすこぶる長く全身を覆いボサボサで得体の知れないものがたくさん引っかかっている。よく本人や他人にちょっとした小物入れとして使われている。水が嫌いで率直に言って臭う。今みたいに電車の中だと剣ですら他人に迷惑を掛けていないかヒヤヒヤする。
本人曰くシャワーを浴びると気が落ちる、らしい。フランがいた頃は泣き叫ぶクリスを首根っこを捕まえ力尽くで引きずり無理矢理洗っていた。シャワールームから飛び出した彼女が廊下にうずくまって自分の髪を丹念に舐めて水気を取っていたのを剣は思い出す。
「サッカーは得点が入りにくい。特にバスケと比べると雲泥の差だ。バスケは得点が入る度に抱き合ったり踊ったり叫んだりはしない。
バスケは激しい打ち合いになるようルールを定めている。NBAではボールを取ってから24秒以内にシュートを打たないと相手ボールになる。そしてシュートしたボールが落下し始めたら触れてはいけないというルールまである。リングの上でボールを弾くGKが存在しないようにするルールだな。
さて、本題。
勝っているときはいい。こちらがリスクを負わずとも向こうからボールを取りに来てくれる。だが、どうしても点が欲しいとき、パス回しをしていては駄目だ。
バスケのリングにはGKはいないし、さっき説明したとおり、できない。故にバスケは点が入りやすい。だからパスを回して十分な体勢で攻撃するチャンスが来るまで待つ傾向にある。サッカーのように一か八かのパスは少ない。スペースにパスを出してそれが誰にも触れられずにラインを割る、なんてシチュはそんなに多く見られない。
一方、サッカーでゴールするのは簡単ではない。同じやり方では駄目だ。
だからリスキーなプレイを選択する。もう一人抜いたら決定機。そこにパスが通れば決定機。そんな状況だったら迷うことはない。出し抜けに全力で振り抜くロングシュート。可能性があるなら試みていい。R・バッジョは『思いついたプレーの中で、いつも一番難しいものを選択することにしている』と言っている。創造性の高い選手のプレーはしばしばDFの想像を超える。難しいプレーほどDFの予測を超え、慌てふためき、不測の事態を呼ぶだろう。
例えばアシストを狙うクロスは、シュートの速度で放っても構わない。時にサッカーは偶然の力を借りてゴールを決めていい。ぽっかり空いたスペースに味方が走り込んでくれることを期待してパスを出したり、全力でクロスを打ち、敵がうまく処理できないことを期待してもいい。遅いボールはDFにも止められやすい。ゴール前でこぼれ球になれば大チャンスだ。
ロクにサッカー知らない民放やNHKのアナウンサーの実況なんて本当ひどいもんだ。クロスってのはふんわりと味方がシュートしやすいものだって先入観があるんだろう。速いボールは全部シュート認定しやがる」
いったん、言葉を切り、紅茶を口に含んだ。怒りを抑える。
「考え方はいろいろ、だ。
1点リードした時、もう1点取って勝負を決める、という考え方がある。ボールをキープして時間稼ぎをして終わらせる、という考え方もある。観客を喜ばせるプレーをしたい監督もいるだろうし、慎重に慎重を期す監督もいるだろう。
でも負けているのに横パスの連続じゃあいけない。時間だけを消費する確率が高まる。
いいかお前ら。点を取るチャンスだったら。
いくら失敗してもいい。どんな失敗してもいい。
サッカーに於けるゴールとはちょっとした奇蹟だ。奇蹟を起こすためなら、リスクを冒すべきだ。バスケみたいにリスクの少ないプレーをしていては得点は難しい。ゲーム性が違うんだ。
思い切ったことをやれ。失敗を恐れるな」
「じゃあザック時代の日本代表は悪いサッカーだったと」
俺がザックが好きなのを知っているからだ。モーニングスターの言葉にはトゲがある。
「違う。あれはああいうコンセプトだった。日本人はボールを奪ってからぐいっとドリブルでボールを前に運ぶ能力が低い。この能力がないとカウンターを成立させるのが難しい。
そこでザックはとことんボール支配率を上げる方向に舵を切った。自分たちがボールを保持していれば失点することはない。ポゼッションをストロングポイントにした。日本人には教育に因る集団性とテクニックがある。
相手を走らせ、精神的にも疲労困憊にさせれば勝機はあると考えたんだ」




