余勢を駆って
「指導者はサッカーだけを教えればいいというわけではありません。一個の人間として、どの世界でもやっていけるような徳性や倫理観も与える必要があります」
俺は唖然とした。
そんなの俺の仕事じゃねえ。学校の教師や親の役割だろ。俺にしつけをやれってか。
「指導者と生徒は仲良しではいけません。一線を引くべきです。時には厳しく叱ることが必要です。友達に指導を受けてもまともに聞いてもらえるとは限りません。あなたと生徒は立場が違うのだと理解させてください」
……。
難題だ。
どうすりゃいいんだよ!
あいつら俺にタメ口ききやがるぜ?
筆記試験等を終えて、一月二十九日。最終日。
ピッチに男子小学生達が大量に現れた。
よりどりみどりじゃないか!
俺はこう見えてオールラウンダー。ショタからお年寄りまでどの年代でもイケる。つい昨日も気がついたら徘徊老人の手を引いていて、危うく人の道を外れそうになったばかりだ。どうしたことか俺の唾液がべたりとお年寄りの首筋に付いていた。
もしポリスのご厄介になったら大変だ。降魔剣がホモに転向し今度は男に暴行した、と報道されたら今度こそ社会的に抹殺される。
俺は更生しなければならない。
昔のように、普通に女に恋がしたい!
「よおし、ボールキープしてみろ」
男の子にボールを渡す。
「ほら、もっと姿勢を低くするんだ。重心を下げないと当たり負けするぞ」
俺は男の子の尻に手を添えた。体格が違いすぎる。足を伸ばせば簡単にボールが取れるだろう。
気が遠くなる。息が苦しい。
「へいへい。倒しちゃうぞ~」
男の子は必死で踏ん張ってボールを守る。尻が俺の太ももを押し返そうとする。俺は俺の足が長すぎることを呪った。
男子を教えて、正直そのテクニックやプレースピード、戦術レベルの高さに驚かされた。年齢にしては洗練されている。
男子を教えるのって、いいな。
だが、俺の選手達をこの男子みたいな戦術レベルにできていないのは俺の責任だ。
二月になり、講習会のレポートを書いて提出。俺は習ったことを普段の練習に導入していった。
二週間ほど経って合格証が届いた。
実技はまだまだだが、スムーズに指導ができていたこと、熱意が感じられたこと、合否のポイントが書き添えてあった。
忘れもしない、二月十九日。
俺は、2ちゃんねるの芸スポ速報+を開いた。そして。
『ボッKINGこと降魔剣、サッカーC級コーチを受験していた!?』
というスレが目に入った。
告げ口した犯人は大体当たりが付いた。一緒に受講していた連中の誰かだ。
明くる日『どうやら合格したらしい』とか『東京で受講したようだから剣は東京に住んでいる?』みたいな書き込みが見られるようになった。
情報は錯綜し、ネットを駆け巡った。
俺は仕事に向かった。
「おはようっす」
「エロス君」おっさんAが立ち上がり、俺の前にやってきた。目を大きく見開いて。告白かな?
「まあね、どういう理由か知らないけれど、もちろんまさかエロスが本名だとは思ってなかったよ。降魔剣君」
俺はサングラスを外した。毎日通う事務室は、初めて見る景色に見えた。
「JFAに問い合わせたら、最近、初めてC級コーチを取得したばかりという話じゃないか。つまり資格を持ってない剣君が今まで指導していたことになる」
おっさんBも加勢に来た。
「我々ね、こっぴどく叱られましたよ。どうして確認しなかったのか、杜撰にもほどがあるってって。我々も性急過ぎた。いきなり金メダル見せつけられて浮かれてしまったきらいはある。でもまさかテニスのメダルだとは思わなかったんだもの」
まあ、そもそもサッカーはメダル取ってなかったしな。
「とりあえず、今日は普通に指導をお願いします。後のことは今から考えますから」
その日の練習は、妙なお客様が多数いらっしゃった。一眼レフがバシャバシャ言ってけたたましく光る。
「パンダになるつもりはありますか?」
事務室に戻ると、おっさんBがこう尋ねた。
「ゴリラにならなってもいい」
「記者の皆さんにも丁寧な対応をお願いします」
奴らは俺の恥部を金に換える。品の悪い記者ほど、執念深く、どこまでも追いかけてくる。俺はマスコミの連中を撒いて家に戻ると、東京都サッカー協会のホームページを開きB級コーチ講習会の受講を申請した。




