緊急招集
幽霊だ。
俺は確信した。
もちろん俺には霊感みたいなものが備わっている。
真っ暗なグラウンドで、ボールが弾む音が響く。俺の体に眠るゴーストハンターの血が疼く。息急き切って現場に向かう。俺は舌打ちをした。
「なんだフランか」俺はため息をつく。「この胸のときめきをどうすればいい?」
不労人間が撤収し、人影絶えたピッチでフランが一人、コーンを並べてドリブルの練習をしていた。
「なん……」フランが何か言いかけて、一瞬、口をつぐむ。
ときめき?
では、わたくしじゃなくて、誰だったら良かったのだろう。
「負荷が足りないので練習していたのです」
試合が終わって二時間ほど経過していた。俺もすっかり帰る気マンマンだったのだが。それから、こいつはずっと練習していたのだろう。
「もう十分だろ。引き上げろ」
「いえ、まだ足りません」
サッカーのことに関してはフランは俺に従順だった。指示を違えたことなんてない。
月光にライトアップされるフランはわずかにうつむいている。
当てつけか。
俺がお前を起用しなかったから。抗議のつもりか。
俺が気付かず帰ったらどうしていたんだか。
「こんなに真っ暗じゃ練習も捗らないだろう」
「いえ、だからいいんです」
そしてドリブルを開始した。足に伝わる感触でボールの状態を汲み取り、遅滞なくコーンの間を抜けていく。
フランは制止も聞かず走り続けた。
オーバーワークだ。
何を言っても止めやしないのでエロスはフランに掴みかかった。女には触っちゃいけないところがあるから少々難儀した。フランは振りほどこうとするがエロスの豪腕に抗えず組みしかれてしまう。
二人の荒い息がタンデムする。
「何やってんだあいつら……」
スタッフは目を丸くした。遠目だが判る。
コーチがフランを押し倒している。
いつの間にそんな関係になっていたのかと思ったがどうも様子がおかしい。
フランは抵抗している。
由々《ゆゆ》しき事態だ。
えっと……コーチが24歳。フランは体はすっかりできあがってるけど中二の14歳。10歳差。
たぶん、犯罪。
夏休み、昼間に観たメロドラマみたいだ。コーチが両刀使いだったとは。
ああ。
見つかったらまずい。
ふらつく足に力を入れる。スタッフは歩き出した。
見なかったことに、しよう。
電話が鳴っている。
なんとか目を開け、スマホを探り当て耳に当てた。
「はい」
「ああ、エロスさん、朝早くに申し訳ありません。昨日、ヴァッフェのAチームに怪我人が出ましてね。今朝まで様子を見ることにしたのですが、どうも駄目みたいで。Bチームからフランベルジュを呼ぶことにしました」
「なるほど」
「一度エロスさんもAチームの監督と話しておいた方がいいと思います。それで突然で悪いのですが今日、何か御予定は?」
「いや、大丈夫」
「では、10分後にまたお電話でご案内致しますね」
見慣れたスタジアム。だが様子は違う。違和感を禁じ得ない。
「すごい入りだ」
「今日は特別です。うちの社員総出で」
おっさんAは俺に先導して歩いた。
ヴァッフェのBチーム……俺が率いるU-18の観客はせいぜい百人程度だ。そのほとんどが選手の係累や友達関係。
しかしこれは……千、いや二千人は軽く超えている。
観客席でリーダーらしき男がメガホン片手に客を煽り、タータンチェックのフラッグがそちこちで乱舞。
「イングランドプレミアリーグのアーセナルをご存じですか?」
「もちろん」
「うちの監督は、そこでアシスタントコーチをしていたんですよ」
「ほう。そんな奴をよく連れてこれたな」
「社長の肝いりでした。三顧の礼という奴です。ずいぶん骨を折りましたよ」
二人はベンチに向かった。まるまると太った柔和そうな西洋人がもしゃもしゃとおにぎりを食べている。
「君も一つ食べなさい」
「いや、遠慮する」
「こちらがうちの監督、パパットライスさんです」
「よろしく」
「ああ」
粘りけのある握手だった。
「ライスさん、またそんなに食べては体に障ります」
おっさんAの英語はまずまずだな。
「いや、いつ果つるとも知れぬからこそ食べておかねば。ジャポニカ米がこんなに旨いとは」
ライスはタッパーにぎっしり詰められたおにぎりをわしづかみにして次々に飲み干していった。
「エロス君。フランベルジュはwonder girlだと聞いている。さっき練習を見たが確かに技術は図抜けていた。最近、あまり試合で使っていないようだが何か理由でも?」
「その件については話したくない」
「そうか。まあ、君にも意図があるのだろう」
正直、厳しく追及されなくて助かった。
横断幕にはやけに悲壮感あふれる文言が並んでいた。その内容から察するに、どうやら今日は入れ替え戦第二試合のようだ。勝てば1部リーグに昇格するらしい。俺はおっさんAに耳打ちした。
「アウェーではどうだった?」
「スコアレスドローでした」
一応、有利だ。
何気なくベンチを見ると、フランが借りてきたライオンのように悠然と椅子に腰掛けていた。
力を込めた太鼓の音が祈りをはらんで人々を殴りつける。
やがて両チームの選手が入場。長い笛が響いた。




