ライオンどころか
フランはボールを手にすると自陣に戻った。祝福の声を掛ける仲間達に「ありがとうございます。はい、はい……」と事務的に答える。
「熱い女だな。あんな恥ずかしいセリフ、なかなか言えない」
ソリッドは薄く笑って水を飲む。
ヴェンティラトゥールは唸った。
ガーン。えー、あーゆーの自分も言ってみたいんだけどな。と密かに致命的なダメージを受ける。
「やられたらやり返す。それだけのことだ」
オー・ド・ヴィは監督を見遣る。特に指示はない。いつものように笑顔でいなさいとの仰せだ。
声を張り上げる。その逞しい右腕にはキャプテンマークが巻かれている。
「フランベルジュはライオンだ。一人じゃ歯が立たない。時代劇の殺陣のように一人一人順番に行くからやられる。集団で一斉にかかろう。フランベルジュ以外はもうボロ雑巾だ。フランベルジュさえ潰せばいい。さあ。楽しんでいこう!」
笛が吹かれるとフランは猛然とプレスに出た。しかし独りでボールを追っかけ回しても無理がある。振り返ると、誰もプレスに来てくれる者はいなかった。みんな足が止まっている。
「フリーだよ!」
「前向ける!」
観客の声に従いボール保持から攻撃に転じると、間隙を縫ってCBオー・ド・ヴィがドリブルを仕掛けた。伏兵にヴァッフェは混乱。CBスタッフがチェックにいく。オー・ド・ヴィはボールを跨いでから一気にゴール方向に突き進んだ。スタッフが足を伸ばす。オー・ド・ヴィはその足に蹴躓いて倒れた。
「PK!」
誰かが叫ぶ。しかしスタッフは当たるか当たらないかのところで足を引っ込めていた。主審は倒れるほどではないと判断し、首を横に振る。オー・ド・ヴィは両手を上げて憤慨した。
やりやがったな! なんてこすっからいプレーだ。
俺は叫んだ。
「レイピア! 準備しとけ」
「待たせすぎですわよ」
レイピアがビブスを脱ぐと、また私設応援団が風のようにやってきてバグパイプを吹いたりどこから持ってきたのやら男衆が大きなハープを運んできてどかりと下ろすと一切爪弾かずに振り回し怪我人が出るわ観客に迷惑を掛けるわで大騒ぎ。
レイピアが「もう! あれほど来ないでって言ったのに!」とか言ってキレている。
フランが下がって左サイドでボールを受けた。
一度奪われると取り返すのが大変だ。大事にしないと。
顔を上げると、フランの前にエレメントの守備陣形が待ち構えていた。
これを独力で突破するのは難しい。
ならば。
フランは守備陣形の隙をうかがう。目の前には四人。じりじりと接近する。不意にフランは体を躍らせた。左足を振るう。逆サイドにサイドチェンジ。褐色の肌が映えるショーテルがボールを受ける。
このエチオピア人のスタミナは無尽蔵かと思えるほどで、また走力も兼備していた。フラン対策に人員が割かれ、右サイドは警備が手薄。モーニングスターとのワンツーで一人を躱し、アタッキングサードに到達。サイドバックと対峙する。顔を上げるとバイタルエリアを疾走するフランと目が合った。躊躇なくアーリークロス。横浜が東京を圧倒してショーテルがオーバーラップする機会すらなかったので今日初めてのクロスだった。
これを弾き出そうとヴェンティラトゥールが、走り出す。
ショーテルのクロスは独特だ。山なりのボールで急激に曲がり落ちる。だからそれを身を持って知っている東京の選手の方が圧倒的に有利だ。
ヴェンティラトゥールはそのボールの高さから、ファーサイドにポジションを取った。フランはそちらに行くと見せかけて急にニアに進路を変えた。
な?
ヴェンティラトゥールはフランに対応しようとするが、敵味方が織りなす密集に行く手を阻まれた。フランが跳躍する。フランを追いかけてきた者はいたのだがフランの走力に敵わず振り切られる。後ろから駆けてきたフランを阻害する者は誰もいなかった。何かに支えられてるのかと思うほど体は浮き上がり。ボールを頭で叩きつける。ソリッドの眼前でボールはバウンド。この手のシュートはボールが急に視野から離れ、急に接近する非常に反応しづらいものだが、ソリッドの動体視力は並ではなく、左手を伸ばして弾く。しかし弾く方向まで制御することは叶わなかった。着地したフランは右足を一閃。悠然とゴールに蹴り込んだ。
これで一点差だ。
オー・ド・ヴィは監督を見た。監督は「リトリートで」とジェスチャーする。
たった一人のために。
ソリッドが立ち上がる。ボールを拾い上げるフランに、つい口が出る。「化け物め」
フランは反応しなかった。
ソリッドに背を向け、ボールを抱え自陣に向かって小走りしながら、にっこり、笑った。




