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ホモに恋するFOOTBALL - triumph or beauty -  作者: 幼卒DQN
妖精の羽が抜け落ちる前に
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本田圭佑論

「名古屋からオランダVVVに移り、脚光を浴びた選手だ。日本人離れしたフィジカルとキック力を持っていた。無回転FK(フリーキック)が得意で五輪予選台湾戦、CLセビージャ戦、W杯デンマーク戦では魔法のようなシュートを決めている。欠点は初速が遅いことだ。うろ覚えだが昔、numberに村上龍が寄稿した文にこんなものがある。


『サッカーには三つの速度がある。一つは反射速度。瞬間的なボールへの反応速度だ。二つ目は加速力。トップスピードに到達するまでの速さだ。三つ目はトップスピード。その選手の最も速い状態の速さだ』


 FIFAやウイイレみたいなTVゲームでも同様の能力値がみられる。本田は二つ目が遅い。速筋が弱いのだろう。ゆえに緩急をつけたドリブルなんかができない。スピードがないとよく言われるがトップスピードに乗ってしまえばそこまで遅くもない。だが、スピードとフィジカルでゴリ押しするしかないからドリブラーになるのは難しいだろう。


 生まれついてのポゼッション志向で、理論派。感覚でサッカーをしない。『顔を上げる時間がないけどこの辺にクロスを蹴っておこう』とか『後ろに誰か来ているかもしれないからボールを落としてしておこう』とかいうなんとなく(・・・・・)のプレーはほぼ見られない。自分の目で見て収集した情報を元にプレーを選択する。有効的なプレーが見つからない場合、いちいち思考してしまうためプレーが遅くなる。そこが感覚でプレーする香川真司と正反対だ。


 また、シャイでなかなか人と馴れ合わない。胸襟きょうきんを開かない。集団的競技であるサッカーにおいてこのことはおおきなデメリットだ」


 俺はスマホでwikiを確認しながら話し続ける。

「本田が日本代表として初めて脚光を浴びたのが2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦だ。トップ下で本田は強靱なフィジカルを活かし、低い位置でのポストプレイをこなした。普通ポストプレイは前線で行うものだ。本田は、バイタルエリアでポストプレーをした。日本人でこんな芸当ができる選手を他に見たことがない。相手に当たられても受け止めて撥ね返して、パスを繋ぐ。


 しかし岡田監督は本田を重用することはなかった。もっと早く本田の能力に気づいていれば、本田はロシアに行くことはなかったはずだ。

 2010年1月、本田はCSKA(チェスカ)モスクワに移籍する。CLに出るためだ。当時、本田は日本代表のレギュラーではなかった。南アフリカW杯まで五ヶ月。本田はアピールの必要があった。CLでセビージャ撃破の立役者になり、目論見もくろみ通り、岡田監督の評価を上げた。そして南アフリカW杯、4試合中3試合でMOM(マンオブザマッチ)の活躍、名を上げた。


 だが、どうやらここが本田の最高潮になりそうだ。CSKAモスクワからステップアップしようとしたが、CSKAは本田を手放そうとせず、契約期間満了まで四年間、抑留することになった。CSKAは監獄にたとえられた。


 2011-12シーズン、右膝半月板を負傷。一度復帰するも、医療ミスでまた故障が再発した。本田はもうロシアの医療チームを信用せず、スペインで手術。この故障で、本田は大きく身体能力を減じた。もう無回転FKで人々を沸かせることもないだろう。


 日本サッカー界にとって痛すぎる損失だった。悔やまれるのは2010年に移籍を決断してしまったことだ。2009年時点で本田の能力に岡田監督が気づいていたら……残念でならない。もう少し後ならVVVとの残り契約年数が減り、もっといいオファーも選択でき、怪我をしたとしてもより良い医療を受けられただろう。


 わらにもすがる思いだったのだろう。焦った本田はレーシックに手を出した。

 ダイジョーブ博士で失敗したようなものだ。結果、バセドウ病に罹ったとみられる。悪循環だ。目に見えて体力が落ちた。2014年、ようやくACミランに到着したが、早々にミランはアッレグリ監督を解任してしまう。


 ミランはその後、セードルフ、インザーギ、ミハイロビッチ、ブロッキ、モンテッラと矢継やつばやに監督を変え、監督交代による違約金をたんまり支払うことになった。結局ずっと中位に甘んじている。アッレグリが悪かったのではなかった。ミランに在籍する選手の質が落ちていたのだ。現在、アッレグリはユベントスの監督の座につき堂々たる成績を残している。ガッリアーニCEOは後悔しているに違いない。


 本田にとっても不幸だった。本田は日本人らしくチキタカ(細かいパスワーク)って立つ選手だ。アッレグリは本田をトップ下として起用していた。しかしアッレグリが解任されてから、本田の主戦場は右サイドになった。選手の連動性も減った。もうミランで輝くことはないだろう。


 おそらく来年の七月に自由移籍するだろうが、どうやら本田も自分が活きるのはチキタカしかないことに気づいているようだ。先日、本田の代理人がバルセロナに逆オファーしたという記事があった。まあ、ダメもとだろう。本田にはバルセロナでやっていく力はないだろうが、リーガ(スペイン)ならどれだけやれるかはみてみたい。セルタからはオファーがあったようだから取ってくれる所はあると思う」

「リーガには清武弘嗣が移籍しました。今後は活躍できるでしょうか」

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