中國奇怪人形伝
「中國奇怪人形伝」
我、海神 禮ガ此レヲ著ス。此ノ書、門外不出ナリ。海神家ノ者以外ガ閲覧スル事勿レ。
以降、旧字・古典文法・片仮名等で読みにくく読者に不快な思いをさせぬため、海神家の子孫が現代語訳し、読みやすくしたものである。又、本の保存状態が悪く、破けている箇所、読みにくく解読不可の部分は、一部省くか個人の解釈で書いている場合があることを先に注記しておく。
私は海神家第15代目当主、海神 禮である。この本は私が作った「中国の不思議な人形」について、詳しく書いたものである。人形に対する扱い方や、そもそも何故この人形を作るにあたったか等が書いてある。
1.人形の誕生
私の趣味は古代中国の古文書の収集であり、これまで多くの古文書を見てきた。どれも素晴らしいもので、収集意欲を日に日に増していた。その中でも特に関心があったのが「呪術」の分野であった。古代中国の呪術といえば「蠱毒」が有名である。犬を使用した呪術である犬神、猫を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。代表的な術式として『医学綱目』巻25の記載では「蛇、蜈蚣、蚰蜒、蛙等の百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となる為これを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状は様々であるが、一定期間の内にその人は大抵死ぬ。」と記載されている。日本では、厭魅と並んで「蠱毒厭魅」として恐れられ、養老律令の中の「賊盗律」に記載がある様に、厳しく禁止されていた。実際に処罰された例としては、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪によって流罪となった事(神護景雲2年条)、772年に井上内親王が蠱毒の罪によって廃された事(宝亀3年条)等が『続日本紀』に記されている。平安時代以降も、度々詔を出して禁止されている。
人形に関して言えば、「芻霊」がある。日本で言う藁人形である。死者の埋葬の際に副葬品として用いられる他、呪術的な要素としても用いられる。日本で言えば丑の刻参りである。中国の戴聖が編纂した礼記にこの様な文章がある。
孔子謂ふ、明器を為る者、喪の道を知れり、物を備へて用ふ可からざるなり、と。
哀しい哉、死者にして生者の器を用ふるや、殉を用ひるに殆からざらん乎哉。
其の明器と曰ふは、之れ神明なり。
塗車、芻霊は、古より之れ有り、明器の道なり。
孔子、芻霊を為る者を善しと謂ひ、俑を為る者を不仁と謂ふ。
人を用ふるに殆からざらん乎哉。
この文章の「孔子、芻霊を為る者を善しと謂ひ、俑ようを為る者を不仁と謂ふ。」とは、「孔子は芻霊を作りし者を善しと言い、俑を作りし者を不仁と言う。木や土の人形は面目有り、節目有りて人に近し。」ということで、私はこれを見た時から人形を作れば幸福を齎したり相手を呪ったりできるのではないかと思い込む様になり、人形を作るに至った。
日本の藁人形は作法として、五寸釘を使い、丑三つ時に相手と同調関係を得ているもの(毛髪等)を埋め込み、藁人形に釘を打ち込むのだが、相手を呪うことが全ての目的ではない為、五寸釘は用いず、私の毛髪と皮膚の一部、歯(犬歯)、血液を用いて人形を作った。
2.人形の作り
人形は麻を主に用いた。長さは約1尺。顔の中に歯を埋め込み、毛髪は人形の頭に植え付け、体の中には皮膚と血液の入った小瓶を埋め込み、黒い布をインパネスコート風に仕立てて人形に着せた。
3.人形の扱い方に関する記述
人形は必ず海神家に幸福を齎す。若し仮に恨みある人間を呪いたいと考えた時分は、人形を抱き抱えて寝て、恨みある人間が夢に出るのを待つ事。恐らく人形が夢を見させてくれるであろう。相手がどの様な苦しみに見舞われるか夢に必ず出てくる。そして、必ずその通りになる。所謂、予知夢を見せてくれる。
但し、恨みある人間がいない場合は、抱き抱えて寝る事勿れ。必ず人形の台座に安置する事。又、レンズを通して人形を見る事勿れ。
以上の事項を遵守する事によって、海神家に永遠の幸福が齎される。
4.その他
この本は海神家の代々当主によって継承されるものとする。
海神家第15代当主 海神 禮 蔵書