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「猫と普通の少年」

作者: haruki

少年の名前はハル。小学4年生。

ハルはごくごく普通の家に生まれ、ごくごく普通の10年間を生きてきた。しかし、ハルには思うことがあった。

今までの10年間に特に不満は無いけれど、普通に生きていることが時々つまらなく感じてしまっていたのだ。

小学校に入学したときに始めたサッカーは今も続けているが、それも特別上手いわけではない。かといって下手なわけでもない。つまり、普通なのだ。

友達もいないわけではない。学校や、サッカーを通じて出来た友達というのもいるけれど、心の深いところまで話合える友達というのがいない。やはり、友達というのも普通の友達。


全てが普通なのだ。


「きっと今日も普通の一日が始まる。」


そう思って目覚めた今日の朝から学校が終わるまでの時間はやっぱりいつもと変わらない普通だった。


学校からの帰り道、10分ほど歩くと静かな住宅街に入る。

ハルはその瞬間が好きだった。賑やかな街や車の音は遠ざかり、まるで自分が他の世界に行ってしまったかのようなそんな気分にさせてくれるからだ。

ふと、電柱の影に隠れていて気づかなかったが、一匹の猫がいた。登下校中必ず通るこの道で猫を見かけたのは初めてのことで、ハルは今日は普通の一日ではないような気がしてわくわくしていた。


「こっちにおいで、」


普段、「お母さんからは野良猫は汚れているから触ってはいけません」と言われているのだが、ハルはこの時、わくわくするあまりにお母さんの言い付けを完全に忘れてしまっていて猫に手招きしていた。

しかし、猫はいくら手招きしてもこちらには見向きもせず、電柱とじゃれるように頭を擦り付けながら、日向ぼっこをしているようだった。


「ねぇ、こっちおいでったら。」


中々こっちを向いてすらくれない猫にハルは段々イライラしてしまって大きな声を出してしまった。自分でも少し驚くくらいの声だったので、流石に猫も驚かしてしまったかと思った。

しかし、猫は驚く様子も無く、こっちを向いて


「うるさいなぁ。聞こえてるよ。」


そう言った。


「うわぁ!猫が喋った!」


ハルにとってそれは衝撃的な事だった。


*


「お、お前俺の言葉が分かるのかい?」


ハルは無言で何度も頷いた。


「こりゃあ驚いた。八年間生きてみて人間と喋れたのはこれが二度目だよ。お前さん、今まで猫と喋ったことはあるのかい?」


人間の言葉を話している猫が目の前にいるこの状況がハルには信じられなかったし、もしかしたら僕はこのまま猫の世界へと連れて行かれて、二度と普通の生活には戻れなくなってしまうんじゃないかと不安になっていた。


「おい、お前さん。俺の話を聞いているのかい?」


さっきのハルと同じように今度は猫の声が大きくなっていた。


「あ、ごめんなさい。僕、猫と喋るのは初めてなんです。猫に話しかけたのも初めてだし、こんなに近くで猫を見たもの初めてです。」


猫は行儀良く前足を揃えて、僕の方を向き、目を瞑り、長い尻尾を振りながら「んー」と考え事をしていた。そして、一分程互いに声を出すことのない静かな時間が過ぎた頃、目を瞑ったまま猫は話し始めた。


「これから、お前さんにいくつかの質問をする。いいかい?」


何を聞かれるか分からないが、答えなければ何をされるか分からない。ハルは素直に従うことにした。

「…はい。大丈夫です。」


猫はやっと目を開けて僕の方を真っ直ぐみながら質問を始める。


「猫は好きかい?」

「普通です。」

「勉強は得意かい?」

「普通です。」

「スポーツは得意かい?」

「普通です。」

「友達はいるかい?」

「普通です。」

「今まで生きてきて楽しかったかい?」

「普通です。」

「最後の質問だ。わくわくしてみたいかい?」

「はい。」


猫は何度も何度も頷きながら「そうだろう、そうだろうね。」と言った。

ハルには今の質問から何が分かったのかまったく分からなかった。


「お前さんはわくわくしてみたいんだな。その願い事、俺が叶えてやるよ。」

「え!本当ですか!?」

「あぁ、本当だ。じゃあ明日の今日と同じ時間にこの場所に来ておくれ。俺は今日、もう疲れちまったからな。どこか日当たりのいい場所で寝るとするよ。」


「はい。でも、何で僕の願い事なんて叶えてくれるんですか?」


猫は尻尾を揺らしながら答えた。


「気まぐれさ。猫は自由なんだ。それと、俺の名前はフユネコだ。『フユネ』と呼んでくれ。」


そう言うと、フユネは人間が通れないような細い道へ消えて行った。


*


その日、家に帰ってハルはその猫の話をお母さんとお父さんにしなかった。自分だけの「ヒミツ」にしておこうそう思ったからだ。「ヒミツ」という言葉はハルを不思議な気分にさせてくれた。


「きっと明日も普通じゃない一日がやって来てくれる。」


そんなわくわくした気持ちのまま、ハルはその晩眠りについた。


次の日の朝。部屋の景色や朝食。行きの通学路、国語算数理科社会なんかの授業。その全てがいつもと同じ普通だった。しかし、もうそんな普通のことでは悩んだりしない。ハルの頭の中はあの「フユネ」という猫の事でいっぱいで、他の事はどうでもよくなっていた。


授業や、帰りのホームルームが終わってすぐにフユネの元へと向かう。

相変わらず静かな住宅街。あと少し、あと少しであの電柱が見える。そう思っているうちに昨日フユネがいたあの電柱の目の前に立っていた。しかし、フユネはいない。


「…もしかして、夢だったのかな。」


ハルが悲しくそう呟くと、


「夢なわけあるもんか。」


それは間違いなくフユネの声だった。どこから声が聞こえたか分からず辺りをきょろきょろとするハル。


「上だよ。」


ハルが上を見上げるとすぐ右にある塀の上で両足を前に突き出し、お尻をこれでもかと言わんばかりに上げて「う~っ」っと伸びているフユネの姿があった。

ひょいと塀を降りて、ハルの目の前に来たフユネは尻尾と首をかしげながら


「昨日聞くのを忘れていたんだけど、お前さん名前はなんていうんだい?」


と言った。


「僕はハルって名前です。春に生まれたからハル。」


ハルがそう返すとフユネは少し笑いながらこう言った。


「そうかい、お前さんがハルか。」

「僕のことを知ってるんですか?」

「知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。」

「よく分かりません。」

「分からなくてもいいんだ。世の中のことぜーんぶ分かってたら生きていても面白くないだろう。よし、着いて来な。わくわくする猫の世界を見せてやるよ。」


ハルはフユネの言っていることが分かるようでよく分からなかった。

そんなハルを尻目に、フユネは長いしっぽをゆらゆらさせながら、ゆっくりと歩き出した。


「そういえばお前さん、路地裏は通ったことがあるかい?」

「路地裏ですか?」

「質問した人に質問で返すんじゃないよ。」

「すみません、ありません。」

「そして、謝るんじゃない。大丈夫だ、怒ったりなんかしないさ。ほら、ここを通るよ。」


目の前にはとてもじゃないけど人間が通れる幅ではない細い細い隙間のような道があった。


「すみません、僕の体だとそこは通れません。」


ハルがそう言うとフユネは笑っていた。


「あぁ、そうだったねぇ。じゃあ、これならどうだい?」


フユネはそう言うと、ハルの靴を右の前足でちょいちょいと引っ掻くような素振りで叩いた。

するとどうだろう、道路や家、壁の塀や電柱に至るまで全てがどんどん大きくなっていった。もちろん、細い隙間のような道すらも余裕で通れる程に。そして、隣にいるフユネも周りと同じように大きくなっていて、ハルと同じ目線にいた。


「すごい!街が大きくなった!」


驚きを隠せないハルの隣でまたもフユネは笑っていた。


「あっはっはっは。これは傑作だね。おい、お前さん。世界が大きく見えるだろう。それはお前さんが小さくなったからさ。ほら、丁度あそこに水溜りがあるだろう?自分の姿を覗いてごらんよ。」


フユネに言われてハルは水溜りを覗いてみる。

そこに映っていたのはハルではなかった。

耳が生えていて、顔中毛だらけで、何本か長い髭がほっぺたからぴんと伸びていて、尻尾が生えている。まるでフユネのような姿。


そう、ハルは猫になってしまった。


目の前で起こった事が信じられなかったハルは試しに右手を上げてみる。水溜りの中の猫は左の前足を上げていた。後ろを向くと水溜りの中の猫と同じように自分のお尻に尻尾がついていた。


「…フユネさん!大変だよ!僕、猫になっちゃった!」

「猫の世界をみせてやろうと言っただろう?さぁ、今日一日お前さんは猫として生きてみるんだ。ついておいで。」


いたずらをしている子供のような笑顔でそう言ったフユネは暗い路地裏へと走り出した。


「あ、待ってよ!」


ハルもフユネを追って慣れない四本足で走り出す。


これから何があるかも知らずに。


「今からどこに行くんですか?」


フユネと並んで走りながらハルが言う。


「いいんだ。着いてきたら分かるさ。」


そう言って速度を上げるフユネ。

四本足で走ることにまだ慣れてないハルは何度もこけそうになりながらフユネを見失わないように追いかける。


こうして体が猫になってしまったけれど、人間の体でいる時には気付かなかったことがいくつもある。まず、地面とこんなに近い顔は少し砂や土が跳ねただけでも顔や体にかかる。そして、鼻が利くようになったことで車のガスの匂い、ポイ捨てされたタバコの匂いが酷く臭く感じた。

他にも、尻尾やヒゲがあることの違和感や、靴を履いていない足の裏の肉球から伝わる地面の冷たさ。

その全てがハルにとっては新しいことで、猫になったことの不安よりも「今」感じているときめきやわくわくが大きかった。全てがハルにとって普通だった日常を塗り替えてくれていた。


行き止まりにきてぴたっと足を止めたフユネ。それに倣うようにハルも止まる。しかし、思ったように体動かずまたこけてしまった。


「おやおや、大丈夫かい?しっかりしな。ハル、ここが猫の世界の入り口さ。」


目の前にはただの行き止まり。


「行き止まりが猫の世界の入り口?」


ハルは思ったことを純粋に口にした。するとやれやれといった様子なフユネ。


「いいかい、ハル。物事や、目の前に見えるものを一つの方向からしか見ちゃいけない。」

「ごめんなさい、僕にはちょっと難しい話みたいです。」

「大丈夫、少しずつ、すぐに分かるさ。見てな、」


フユネはすぐ目の前に置かれていた青いゴミ箱の上に乗ったかと思ったら次は積み上げられていた瓶のプラスチックのケースの上に。そうして次はこれ、その次はあれにといった具合で気付けば行き止まりだった壁の上に立っていた。


「目の前に立ち塞がるもの全てが行き止まりなんかじゃないんだ。そこで諦めずに少し見方を変えれば道は開けるんだ。ほら最初の一歩だ、こっちへおいで。」


ハルは何も言わずに頷いた。そしてフユネがやって見せのと同じように跳んでみた。


「うわぁ!」


予想以上に高くジャンプしたハルの体はなんとかゴミ箱の上に不安定にではあるけれど着地できた。

「次は上手く跳ぶ。」そうイメージして、思い切り跳んだ。


「届けぇ!!!」


高く、もっと高くと願いながら跳んだハルの体は今度は上手く目的地に着地することが出来た。そして、フユネの元へ着いた。


「やるじゃないか。猫の入り口は通れたようだね。」

「今のが入り口なんですか?」

「入り口は見つけるものだけれども、時には自分で作り出すものさ。さぁ、次だよ。」


壁と思っていたものは登ってみるとただのビルで、人間に比べて小さな猫の視点から見るとビルも壁も塀も変わらないんだとハルは思った。


「ねぇ、フユネさん。次はどこに行くんですか?」

「そうだねぇ。色々とあるけれど…そうだ、ハル。お前さん水浴びは好きかい?」

「シャワーの事ですか?でも、お母さんが猫は水が嫌いだって言ってたことがあったんですけど、フユネさんは水が嫌いじゃないんですか?」

「あぁ、確かに猫は水が苦手さ。でも猫はきれい好きなんだ。たまには水浴びでもして体をきれいにしてやらなきゃ。ほら、ハルの顔や体ももう埃や砂まみれじゃないか。」


ハルは顔をくるっと回して体を見た。すると言われた通りこの短い時間でかなり汚れてしまったのが分かった。


「近くに俺のよく行く湖がある。ここから走って十分くらいのところさ。さぁ、息を整えたらすぐに行くよ。」


ハルは大きく息を吸って深く吐いた。そして、フユネの方を向いて「大丈夫」の合図のように頷いた。それを見て勢いよく走り出したフユネ。ビルの屋上から隣の家の屋根へ。そのあとはまた別の屋根に。さっきと同じようにフユネの後に続くハル。


ハルは自分の家の二階よりも高い所にいるのに怖くなかった。

それは猫になったからじゃない。やっぱり普通じゃない今にときめいていたからだ。


その後、人間の通らないような細い道や、木の枝の上。どこかの家の庭に、隠し通路のような暗い道を通ってやっと目的地に着いた。


「さぁ、思いっきり水浴びして体をきれいにするよ。」


湖を目の前にそう言ったフユネ。

小さな猫のハルにとってその湖は海のように広く感じた。

少しずつ体を慣らすように湖に体を浸けるフユネ。尻尾がピンと立っていて、顔が少しひきつっている。


「やっぱり水が苦手なんですか?」

「もちろんそうさ。猫だからね。でも、嫌がってばかりじゃ何も進まない。嫌いなことでもやってみて、それが終わったら達成した満足感ってやつを得られるんだ。」


ハルはフユネのその言葉に背中を押された気分になって、水にジャブン!っと思い切り飛び込んだ。毛が体にまとわりついて気持ちが悪いと思ったけれど、思った程ではない。


フユネの方を見る。

すると今まで泥や砂なんかで汚れていたフユネのきれいな毛の色があらわになった。


黒猫かと思っていたフユネはグレーに似たシルバーの毛の色をしていて、足だけが白い毛の色をしていた。よく見ると、目の色は右目がグリーンで左目がブルーだと分かった。


「どうだい?水浴びは。」

「最初は嫌だったけれどなんだか、慣れると気持ちいいです。」

「やっぱり人間なんだね。俺はどうしても慣れなくてね。」


そういったフユネは水から上がると体を全力で震わせて体についた水を飛ばしていた。


「さぁ、綺麗になったら次はお散歩だ。モタモタしてると置いてくよ。」


そう言われて急いでハルはブルブルとフユネの真似をして水を飛ばして、ゆっくりと歩くフユネの元へと駆け寄った。


「散歩ってどれくらい歩くんですか?」

「ハル、お前さんがよく知ってる場所さ。」

「僕がよく知ってる場所?」

「あぁ、そうさ。そうだね、日向を歩いて40分くらいだよ。」


フユネがあまりに得意げに話すものだから、勢いに負けてハルは何も聞けなかった。



「そうだね、少し俺の昔話をしよう。」

「フユネさんの?」

「そうだよ。まぁ、聞いてみな。」


ハルはおとなしく頷いた。


「あれはとっても晴れた春の日。その時、俺は二歳だった。公園のベンチで寝ていたら人間の家族がやってきて、一人の子供が砂場で遊んでいたんだ。なんともまぁ、かわいらしい子でね。その子はベンチで寝ている俺を見つけて突然泣き始めたんだ。とても大きな声でね。『うるさい!』と怒鳴ったんだが、当然人間になんか俺達猫の言葉なんか分かりはしない。そう思っていたんだが、その子は突然泣き止んだかと思ったら『うるさくしてごめんなさい』と言いやがった。『俺の言葉が分かるのかい?』と言ったら『分かる』って言うのさ。もう、人間と喋れるなんて日がくるなんて思ってもみなかったからね、驚いたさ。」


フユネが最初に会話をした人間の話。

ハルは黙ってその話を聞いていた。


「そから毎週日曜日に公園に遊びに来たその子と、一週間の間にあった出来事なんかを話し合うようになったのさ。互いの好きな食べ物、人間の生活と猫の生活。何でも話した。でもね、ハル。出会いがあれば別れもある。その子は最初に俺と出会ってから丁度4ヵ月目の日曜日、いきなり来なくなっちまったのさ。俺は寂しくてね。町中を探し歩いたんだ。そして、一週間後の日曜日。やっとその子の住んでいる家を見つけたんだ。」

「会えたんですか?」

「そうだねぇ、結果から言うと会えたよ。家についた瞬間、偶然その子が出てきたんだ。もう、嬉しいなんてもんじゃなかったよ。でも、様子がおかしいんだ。よく見ると後ろにその子の両親がいてね、それはもう幸せそうな雰囲気の家族に見えたし、その子もとってもにこにこしていたよ。最初にその子を見つけた時は寂しそうに一人で砂場で遊んでいたのにね。さすがに家族に悪いなと思ってその子前から立ち去ろうとしたんだ。するとその子は俺に声をかけた。でも、なんて言っているか分からないんだ。俺も言葉を出すけど、その子は俺の言葉が理解できないんだ。ハル、何でだと思う?」


ハルは少し考えたけれどまったく分からなかった。


「ごめんなさい、分かりません。」

「謝らなくてもいいんだ。」


フユネは優しい声だった。


「俺たちが話しを出来なくなった理由。それはね、その子に俺が必要なくなったからさ。逆に言うと必要だったから話せていたのさ。」

「つまり、僕も必要だったからフユネさんの言葉が分かるようになったってことですか?」

「そうかもしれないね。ハル、お前さんはわくわくや普通の生活とかけ離れたものが欲しくて俺と話すことが出来ているのかもしれないねぇ。お、目的地に着いたよ。」


そこはハルの家の前だった。


「ここが、さっき話したその子の家さ。ハル、お前さんはきっと忘れているかもしれないけれど、俺達は昔会ったことがあるんだよ。」

「ごめんなさい、全く覚えていなくて…。」


ハルは本当に覚えていなかった。そのことが悲しくて泣いてしまった。


「大丈夫さ、大事なことも時間が経てば忘れてしまうこともある。」

「でも、本当にごめんなさい。」


とても酷いことをしたのに、フユネの声はとても優しかった。


「いいんだ。こうしてまた会えた。さぁ、ハルもう時間だよ。」


そう言うと、フユネはまた猫になってしまった時と同じようにハルの靴ではなく、今度はハルの右の前足を右の前足でちょいちょいと引っ掻くように叩いた。


そうして、ハルはまた人間の姿に戻った。


「ハル、お前さんは今からまた普通の生活に戻るんだ。わくわくするような、胸がときめくような時間は終わりさ。」


その言葉を聞いて、ハルはまた悲しくなって泣いてしまった。


「なぁに、泣くことはない。さっきも言っただろう、出会いがあれば別れもある。」

「でも、僕は悲しいです。この時間が無くなってしまうのが。」


ハルは泣きながらそう言った。


「大丈夫、無くなったりはしないさ。俺はハル、お前さんのことはずっと覚えている。また、俺のことが必要になったら会えるさ。それに、今日俺がハルに教えたことはこれからの普通の生活のなかでも必ず活きてくる。だから、ハル。大丈夫だ。」


フユネの言葉の一つ一つを噛み締めるように聞きながら、ハルは今にも零れそうな涙をぐっと堪えていた。


「お前は春で、俺は冬だ。季節は冬の次は春だろう?俺と一緒にいた時間が終わっても、これからはハル、お前さんの時間が待ってるんだ。さぁ、もう行くんだ。」


フユネは後ろを向き、歩き出した。

その背中に向かってハルは叫んだ。


「フユネさん!僕らまた必ず会えますよね!」


振り向かず、フユネは尻尾をゆらゆら揺らしながら


「いつか、季節の変わり目にまた会えるさ。」


そう言った。

そのあと、フユネの姿が見えなくなるまで、ハルは手を振り続けた。


-完-

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