第1話 何事もない一日
チュンチュンと小鳥が鳴いているある日の朝のこと……。
ジリリリリ……。
何も生活音がしないマンションの一室で目覚まし時計がけたましく孤独に鳴り響き、かけ布団がむっくりと動く。
「うーん……。まだ、あと、もう少し……」
声からすると女性だ。
彼女は右手で目覚まし時計をポチッと止め、そのままの体勢で再び夢の中に入っていった。
彼女は学生らしく、クローゼットから出された制服はきれいに干されており、すぐに出かけられるように準備してあるようだ。
*
あれから約三十分後……。
再びかけ布団がむくりと動く。
「さっき、目覚まし時計、なったよね!?」
部屋には彼女しかいない。
話しかけても誰も答えてくれない。
彼女はバサッと布団をめくり、身体を起こした。
ぼさぼさになった黒髪のロングヘアーを手ぐしで適当にとかし、虚ろな目で目覚まし時計を見ると、七時三十分を指している。
「七時にセットしたのに、七時三十分になってる! あと十五分遅かったら間違いなく遅刻じゃん!」
ようやく彼女は気づいた。
早く準備しないと遅刻してしまうということを……。
*
彼女は慌ただしく支度を始める。
パジャマから学校の制服に着替え、キッチンにある食パンをトースターに入れ、洗面所で顔を洗い、センター分けになっている前髪を左に流すようにセットする。
「今日は時間がないから、後ろで縛ろう……」
彼女はヘアゴムを手に取り、後頭部のあたりの低い位置で一つに縛る。
チンっ! とトースターのベルが鳴った。
「急がなきゃ……」
一人の女子高校生が焼いた食パンにマーガリンをつけたものをパクつきながら、ドアの鍵を閉め、エレベーターを待つ。
しかし、それはなかなか彼女が住んでいる五階まで降りてこない。
彼女はそれを待っている間に食パンを食べ終えてしまった。
「もう! 階段で行く!」
彼女はイライラした様子で階段をバタバタと下りる。
あまりにも勢いよく下りてしまったため、途中の踊り場で休みながら下り進めて行った。
「なんで、今日に限って寝坊したり、エレベーターに乗れなかったりもう散々……」
彼女はそうぼやきながら、一階の管理人室を通り過ぎようとした時だった。
「おはよう! あれ? ゆかりちゃん、どうした?」
「おはよう」
管理人の夫婦が彼女に話しかけてくる。
「あ、おはようございます! 私、ほっぺに何かついてますか?」
ゆかりと呼ばれた少女は両手で自分の頬を触ってみるが、手にはなにもついていない。
「「あははは……」」
彼らは彼女の行動を見て、大爆笑する。
「いや、何もついてないよ。今日は髪の毛、どうしたんだ? いつもは下ろしてて左目を隠してるのに珍しく縛って目を隠してるから」
「たまには縛ろうかなと思っていまして……」
「あなた! 大野さんが遅刻したらどうするの?」
「あっ、ごめんな。ゆかりちゃん、気をつけて行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
彼女は自転車置き場へ行き、学校へ向かうのであった。
こうして、ギリギリで教室に着き、何も変わらない一日が始まった。
その日の夕方、彼女の住むマンションから少し離れたスーパーの近くのある電柱にダンボールに入った一匹の黒い犬がいたことに彼女は気づいていなかっただろう……。
書き下ろしエピソード
2015/06/04 本投稿
2015/08/10 改稿
2016/06/18 改稿