頭蓋骨のねじれ
――旧人類たる我々が滅びる記念に寄せて。
西暦2222年2月22日、アッシュ・ファーレンハイト著「頭蓋骨のねじれ」の分類による所の我々旧人類は、本日この時をもって滅びることが決定した。
尤も、これを読まれている諸氏にとっては野生の旧人類――俗に言う“角なし人”あるいは、哺乳綱霊長目ヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト属――を目撃することはここ数十年なかったことであろう。
かろうじて、各地の動物園で保護されていたのを観たことがある程度ではないだろうか。
実際、私も――後述の通り、これは当然のことであるが――旧人類を見たことがない。
以下では何故、旧人類が滅びたのか考察していきたいと思う。
以後、記述の便宜上から、生物学上の哺乳綱霊長目ヒト科ヒト亜科ヒト族ツノビト属を“新人類”と呼称することにする。
この呼称に何らの思想上の主張および諸氏らへの差別の意図はないことをご留意されたい。
また、本記述の全ては私が口述した物をロボットが角語に翻訳している関係上、一部対応する表現がないことを予め述べておく。
第1、新人類の誕生
新人類はその起源を遡ると、ひとりの角っ娘(翻訳機注:対応表現がないため直訳する)に突き当たる。
“角ある母”あるいは“セカンド・ルーシー”と呼ばれる角っ娘である。
確認されている限りで、生まれつき角を有していたのは彼女ひとりであることは諸氏もご存知の通りである。
7歳になった“彼女”はある日、朝起きると角が生えていたという。
“彼女”にどうして角が生えてきたのかは明らかではない。
また、人体構造上、頭蓋骨の一部である筈の角が、どうして伝達機関としての機能を有しているのかのメカニズムも明らかになっていない。
この点につき、宇宙人による人体実験説、神の啓示による進化説等々、種々様々な仮説が唱えられているが、そのどれにも決定的な証拠はない。
したがって、ここでは“彼女”を本尊とする角教の経典より一節を引用することにする。
すなわち、「“彼女”はただ微笑んでそこに在った」
つまり、角っ娘とは、愛である。
閑話休題。
当初こそクリーチャーとすら呼ばれていた彼女は暫し後に――すなわち、全てが手遅れになった後に、旧人類に対していくつもの優位性を有していることがわかった。
不老不死、高い身体能力、角を伝達機関とする圧縮言語たる角語の使用等々である。
そして、その優位性の最たるものであり、新人類を新人類たらしめる最大の特徴が遺伝子の逆転写と呼ばれる視覚伝達型の遺伝子運搬――最も新しい人類による最も新しい生殖方法である。
彼女の姿を見た旧人類はその遺伝子を新人類たるものへと変化させる。
外見上は角が生えることが顕著な変化として挙げられる。
他にも不老長寿、身体能力の強化、美白、運気の上昇などの効果が確認されている。
そして、ここまで読まれた諸氏ならば既にお気づきのことと思われるが、視覚情報とは眼球のレンズに投射された光を受けてのものであり――詰まる所、写真や録画等によって複製が可能である。
また、“彼女”の逆転写情報は電子的に再現が可能であり、五感没入型の電子空間を利用すれば、肉体的には目の見えない者であっても新人類となることが可能であった。
その結果は、言うまでもないことであろう。
第2、旧人類の衰退
……この点についてこれ以上述べる必要があるのか疑問であるが、一応の見解を述べておくことにする。
“彼女”の生殖方法を考えれば、旧人類が駆逐されることは当然の帰結である。
テレビ、新聞、WEB、電子空間、“彼女”の写真あるいは映像は、その生殖方法が確認される前にありとあらゆる媒体を通じて世界各地に拡散された。
そして、神が休息に入った時と同じ7日後、全人類のおよそ4割が新人類に変――(翻訳機注:国際人類条約に抵触する表現の為、改変する。以下同じ)――新人類に進化した。
そして、突如として角の生えた各国首脳陣は角あることを至上とする思考への洗の(翻訳機注:国家機密に抵触、改変する)――各国首脳陣はやけっぱちとばかりに“角ある母”の映像情報を国家規模でばらまいていく。
このラディカルな伝達方法が新人類の母たる“彼女”の望むものであったかは疑問であるが、ともあれ、100年と経たずに全人類の8割以上が何かしらの方法で彼女の姿を見て、新人類となった。
この時点で、旧人類の絶滅は決定していたといえよう。
そして、最後の後押しをしたのがご存知、角教の存在である。
“角ある母”こそ人類の母であり、新人類への進化こそ衆生の救済であるとする角教は現在では国境を越えた全世界的宗教となっている。
角教の信徒は本尊たる“彼女”の絵姿を熱心に布教した。
彼らは特に、電子化に乗り遅れた第三国に積極的に足を運び、結果としておよそ2年前には、旧人類が比較的残存していた某大陸や人口の割に各地に桃源郷じみた旧来の集落の存在する某国に於いてもその消滅が確認された。
政府の公式発表を信じる限り、少なくとも現段階においては私以外の旧人類は存在しないものと断言できる。
もちろん今後、遺伝子のきまぐれで旧人類が再び生まれる可能性は否定しきれないが、その可能性は極めて低いであろうと私は考える。
第3、結び
ここまで読まれた諸氏の中には、私がどうして新人類になっていないのか疑問に思う方もいるかもしれない。
私の一族は“彼女”の誕生以前より、遺伝子の保存を主題として地下深くにコロニーを築いていた。
その上で、地上の新人類爆発に対し、自分たちの遺伝子を改竄し、生まれつき脳が視覚情報を拒否するように退化させた。これは電子空間に五感を没入させても同様である。
したがって、従来の視覚伝達による新人類への変――進化の恩恵を得ることは不可能である。
尤も、伝え聞くところによると、現在では外科的手術によって新人類になることも可能であるという。
しかし、最後の旧人類として生まれおちた私という存在を新人類に合流させることは、これまで旧人類たらんと古臭い誇りを以て血脈を継いできた先祖に対する冒涜ではないかと思料する次第である。
さて、長々と語ってしまったが、本記述はここで筆を置こうと思う。
あとはこの身の始末をつけるだけである。
このこめかみに突きつけた拳銃の引き金をひくことが正しいとは言えないのかもしれない。
どうか時代の潮流に加わることのできなかった老いぼれだと笑って欲しい。
ああ、心残りがあるとすれば、私は“角ある母”たるかの角っ娘の姿を見ることが叶わないことであろう。
それだけが残念でならない――。
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椅子に腰かけたまま、私は一通りの口述を終えて、口を閉じた。
同時に、傍に控えていたキッチンロボットがコーヒーを差し出してくれたのが鼻をくすぐる香ばしいにおいでわかった。
ありがたい。数十年ぶりに長々と話して喉が渇いていたところだった。
最後の晩餐がこのカフェイン飲料というのも旧人類にふさわしいだろう。
「ありがとう」
機械に告げても意味のない礼を口にして、左手で拳銃を保持したまま、空いた右手で手探りでカップを受け取る。
無意味、そう、全ては無意味だ。
今回の記述にしても今後読まれる可能性はゼロに等しい。
某国の地下500メートルに築かれたこの隔離コロニーは完成以来、誰ひとりとして訪れた者はいないのだ。
耳を澄ませば、微かな空調の流れが私に生まれてから50年近い時を過ごしてきた部屋の形を想起させる。ひとりで住むには少々広過ぎる部屋だ。
壁の色はわからないが、この百年それを気にした先祖はいないだろう。
部屋には他に、私の世話や心理的ケア、あるいは、地上から角っ娘の映像等を排除した“汚染”されていない情報を収集する各種ロボットが控えている。
彼らがいなければ私は言葉を学ぶことはおろか、原始的な生活すら覚束なかっただろう。
今日で旧人類は絶滅するが、これまでに記録された全ては彼らが後の世に伝えていくことになっている。
と、そこまで思考を巡らせたところで、ふと私の耳は聞き慣れない音を聞いた。
こつん、こつんと床に響く音。
思わずカップを取り落としてしまった。
私の想像が正しければ、これは足音と呼ばれるものではないだろうか。
「――こ、こんにちは」
ならば、この如何なる楽器よりも美しい音色は肉声と呼ばれるものか。
空調の生み出す空気の流れが、私の目の前に誰かがいることを告げる。
身長は低い。声の出所から判断して、旧表記で言う所の150センチもないのではないだろうか。
「ごめんなさい。声帯を使用するのが久しぶりなので、聞き苦しくないですか?」
「どうしてここが……?」
思わず、質問とは無関係な問いを発してしまった。
いかん。最後の旧人類がコミュ障だと思われては先祖に顔向けできない。
そうして、慌てて言い繕おうとする私に対し、くすり、と鈴の音が鳴るような声で“彼女”は微笑んだ。
「不思議ですか?」
「…………いいえ。貴女ならもしや、と心のどこかで思っていました」
「そこまで言われるとこそばゆいですね。これでも頑張って探したんですよ?」
何故私を、という問いは発することができなかった。
“彼女”が私の右手を取って、おずおずと自らの身に寄せたからだ。
数瞬して、随分と鈍くなった掌の感覚に、未知の何かが触れたのを知覚する。
思わず、私は全神経を掌に集中させた。
吸いつくような滑らかな手触り、微かな起伏、芸術的な曲線。
指先から伝わる柔らかくも硬い感触が神経パルスとなって脳裡にその形を想起させる。
知らず、私は涙を流していた。
後生大事に持っていた拳銃が手から滑り落ちて硬質な音を立てる。
視覚情報を拒絶しても、それはまるで天より降り注ぐ光の如く、私の意識の中で形を成した。
――そうか、これが角か。
瞬間、この生まれついての暗黒の世界に光が差したような心地がした。
どうして私は今まで旧人類でいることに固執していたのだろう。今ではそれが恥とすら思えてくる。
こんな簡単なことでよかったのだ
ギチギチと音を立てて頭蓋がねじれていく感触を味わいながら、私は“彼女”の懐に抱かれて宇宙の真理を理解した。
――嗚呼、ハレルヤ。角っ娘に幸いあれ。全てはここにあったのだ。
Fin