見えざる生きた泉
透明な人食い泉
強大で特殊な魔物が多く生息する告死の迷宮内に存在する二体の七大災厄
その一つが透明な人食い泉である
スライムから変質したと思われるそれは目に見えない透明な身体を持っている
気づいたときには飲まれて骨と化す
スライムと違い炎が効かないという特質と多くの耐性を持つそれは出会ってはいけないとされる
何も無い広大な空間に出たとき注意するべきだ
見分ける些細な違いはコケの類すら一切生えていないこと
ならそこに人食い泉がいる可能性は非常に高い
「元凶をどうにかせねばならないと判断した。おそらくこの惨状の全ては最初に死んだお前達の同類が死霊になったものが原因だと思われる。この城を隙間まで探索した結果それらしき者がいた形跡は無い」
「つまり、やはり道比木は地下の廃棄場にいる可能性が高いと言う判断になった。食料を城に運ぶように指示を出したが、到着しても鼠に食われては意味がない。一番良いのはこの城から全員出ることだと思うがそこのお姫様はたかが鼠に自分達が追い出されたような形になるのは絶対に御免らしい。つまり食料が到着する前に、元凶を打ち滅ぼしに行く、という決断を下したようだ」
台詞を取られ顔をしかめる皇女の怒りの目を気にした様子はなく、方城は集まった全員にこれから取る行動を説明した。
「予想では以前別のアンデッドが掘ったと思われる細い一本道がそうだと思われる。行き止まりだと言う話だが。壁の先に道がある可能性は高いと壁を叩いた時の反響音から判断した。だが。以前はそんなことは無かったと言う話なのでおそらくは道比木が何らかの能力で穴を掘り、土の壁で塞いだと見るのが妥当だろう。おそらくは前に会ったレギオンなどより遥かに厄介な力を持っている可能性が高い。更に言うならおそらくは城の食料をだめにした鼠、おそらくはレギオンとなったあの三人。そして道比木によって強化されたまだ遭遇していない未知の魔物がその道の先にいる可能性は非常に高い。疲れている生徒諸君にいうのは酷だがもう少しの間頑張って欲しい。出来れば行きたくないし行かせたくもない、がな」
「お前達の仲間がやらかしたことだ。そして鼠により多数の被害が出ている。更に言うならまだ鼠は生存しているのだぞ? 今お前達を遊ばせておく余裕など全く無い。出来るならお前達の誰かを解体して鼠をおびき寄せる餌にしたい所だ」
悲鳴が上がる。男子生徒は反応もせず、立ったままだった。
「ふん、哀れなものだ。呼んだ自分の責を棚に上げて別の誰かに擦り付けることしか出来んか。お前程度が姫などやっているのならこの国もたかが知れているな」
「貴様!」
初老の執事は主君を、自分を、国を侮辱されたことに我慢が出来なかったのだろう。眼鏡の少年を少年では目視できないほどの速度で顔を殴りつけ、少年は当然地に伏した。女からの悲鳴、非難の視線。それらはすぐに近くの兵士の暴力によって止められた。
「良いのか? ここで死んだら俺は間違いなく道比木など比ではないアンデッドになる自信がある。そうなればお前達など全員呪い殺してやるがな」
「出来るものならどうぞ? そうおもうのなら今すぐ舌でも切って死ねば良い。出来ないのはそんなたいそうなものになる自信がないからだろう?」
「生きて帰るのが一番の目標だからな。そして今二番目の目標はお前達の顔をゆがめることだ」
「きさ」
「やめろ。頭数が減る。全てが終わったとき、その時に判断することにしよう」
「承知しました」
「確かに先に空洞があるようだな。いつの間に? 以前調査したときは先には空洞などないという報告があったが、あの男の仕業か」
魔術で生み出した光の球を目の前に翳しながら初老の執事がまずその壁を叩いて音の反響を確かめる。壁の先に空洞があるようだと確認し口元を歪めた後姫に向かって向き直る。
「どうなさいますか?」
「もちろん穴を開けましょう、ミリアージュ!」
「は、い」
傍に控えていた魔道師の少女が小さな声で詠唱を始める。詠唱が終わるとそこには巨大な岩の球が浮いていた。
「岩石巨人の目玉」
高速でぶつかった岩の球体は壁にぶつかり、壁はたやすく粉砕された。
「なにこれ?」
続いた道の先には分かれ道があった。その数は3つ。闇で先は見えず、どこにつながっているのかは分からない。
「どうなさいますか?」
「一箇所ずつまとまって移動するしかないだろう。下手に三手に分ければこの戦力では奇襲でもあえば全滅しかねん」
「お前に聞いてなどいない」
「癪ですがその通りです。今、城の兵の数は大きくその数を減らしています。分散して全滅などしてしまえば目も当てられません。まず異界の女を一番先頭に次に男を、その次は兵士を。最後にホウジョウ、私、エドワート。私の隣にミリアージュの順に進ませましょう。エドワートは後ろの警戒をお願いします。一番信頼できるものに背中を預けたいですから」
「そこまで信頼していただけて心から喜びを覚えております。その信頼を絶対に裏切ることの無いように命を駆けて貴方をお守りいたしましょう」
「信じていますよ、エドワート」
「はい」
「で、俺はお前を背中に置くわけか。いつでも後ろから刺せそうな位置だな」
「全く信じておりませんから」
「不気味だな」
「ああ」
2時間ほど歩いただろうか。その間分かれ道に5度遭遇し、行き止まりに8回。動く死体であるスケルトンに何度か遭遇したが危なげなく生徒は撃退できていた。相手が人ではないのが攻撃への抵抗をなくさせているのかその顔に僅かに余裕が見て取れた。不安要素と言えば男子生徒がぼんやりした表情になって動きが鈍くなっていたことだが、女子との確執がひとまず収まったことも意味していた。
「行き止まりは何度もあれど道中にいるのは大したことのないスケルトン。鼠にかまれたと思しき蛇の死体があったが鼠の姿はなし。どうにもいやな予感はするな」
「気を抜くなよ。いざと言うときは私の壁になれ」
「御免被る」
「方城君! 何だか広い空間に出たよ!」
何もない広大な円形の空間に一行は出ていた。そこは広く、68人全てを受け入れてもなお余裕があった。
「ここで休息を取るか? 精神的にも肉体的にも疲れが出始めている。お前達が壁として使おうにも身体が動かなくて壁にすらならなかった、ということもありえるが」
「そんないやみを言わずともうちの兵も疲労している。食料がないというのが精神的にきているのだろう。共食いなどしたくないが最後の手段はとりたくないものだがな」
「うちの世界では人の肉を喰ったら頭に異常がきたす、と言われているがな。ああ、元々そうか」
「エドワート、怒りで空腹になっても仕方ない。抑えておけ」
「……御意」
「まあ、食料は早急に見つけないといけないだろうな。アンデッドになれば物を食べなくても何とかなるかもしれないぞ」
「お断りだ」
交わされる険悪なやり取り。空腹が余裕を奪っているのかレギオンとの戦いでの危機でもあった余裕はその顔に見受けられない。
「ねえ! 方城君! そんなのと話していないでこっちで皆と話さない!? 私達方城君と話してみたかったんだ!」
そんな険悪なやるとり一人の少女がやってきた。特徴がないのが特徴だと言わんばかりの平凡な少女だ。容姿は悪くもなくよくもなく。背も高くもなく低くもなく。ただ、この状況でも活発なのが彼女の個性と言えるだろう。
「すまない。あまり世間話をしている余裕がない。勘違いしないでくれ。そもそも必要がなければこの女と話をする気はない」
「こちらとてお前が役に立たなければ口も利かんわ。あっちにいる最も従順な男達の方が余程可愛げがあるがな」
「逆らわない手駒として良い、の間違いだろう? 男を魅了する能力か。厄介なものだ」
「男なら誰でも効くはずなのだがなお前だけは効かなかったようだ。忌々しい。その頭脳で従順でさえあればそれなりには重用してやったのに」
「絶対にお断りだ。そしてお前は頭が回っていないようだな」
「は?」
「お前だけ? もう一人、いただろう。お前の魅了が効かずに城から飛び出して逃げようとした奴が」
「……ふん」
「あ、じゃあお邪魔のようだし私、行くね」
「付き合えなくてすまない。元の世界に戻ったらクラスの奴で私のおごりで帰還祝いのパーティでもしよう」
「え……うん! 期待してる! 絶対だからね!」
「ああ」
眼鏡の少年の言葉に完全に気分を持ち直した様子の少女は鼻歌交じりに元の友人であろう女の集団に戻っていった。そして方城をもう一度見たあと男子に無表情で視線を向けて
「あれ?」
戻ってきた。
「どうした?」
「えっと……男子、何か少なくなってない?」
「は?」
言われて慌てて方城は隅の壁の方でぼんやりしていた男子生徒を見回す。数、4人。10人、いない。
「皆気をつけろ! 誰かに襲撃されているぞ!」
「どうしうことだ!?」
「知らん! 少なくともさっきまでいたはずの男子生徒10人が行方をくらませている! 何かがこの広間にいる! 警戒を怠るな!」
「きゃぁぁ!」
「どうした!?」
「下、そこの下!」
男子生徒のいた辺りの地面に何かが地表でゆれていた。
白い布。青い布。小さくなっていくそれら。
「そこから逃げろ! 透明な何かが男子のあたりにいるぞ!」
男子の動きが鈍い。何らかの攻撃を受けているのか?
「早く走れ!」
最後の男子の姿が何かに覆われて姿を消した。
「ミリアージュ!」
「は、い」
呼びかけにこたえて魔道師の少女が火球を生成、何かがいると思しき先ほどまで男子が立っていた空間に火球をぶつける。
火球はその何かがいると思しき場所でぶつかって、そして姿を消した。
「効いてない!? レギオンと同じまさか魔法吸収型!?」
「冗談じゃねえぞ!? 見えない上に魔法が効かないとかどうすんだよ!」
「姫様!」
「皆のもの!」
混乱をひとまず抑えようと声を張り上げたところで
「氷結女王の茨」
前方の空間が凍りついた。
「姿を確認、と動きをとめて、みました」
「ミリアージュ! よくやったわ!」
「ああ、素晴らしいな」
敵同然であるはずの方城ですら少女の機転に賞賛を送る。魔術は効かなかった。だが、周囲を氷が覆って動きを止められ、目に見えないそれは氷の輪郭を持って一行の前に姿を現した。
「スライム!? 大きい! いや、それよりこんな透明なスライムなんて効いたことないぞ!」
「道比木が改造したんだろ! 死んでないぞ! 動きを止めただけだ! 何かスライムに共通する弱点とかないのか! 塩で水分を吸収するとか!」
「水まで毒に汚染されていたのに塩なんて持ってきてるわけないだろ! 弱点ならとっくに試しているさ! 弱点のはずの炎は効いた様子がないがな!」
「ちょっそれって無敵ってことじゃない! どうすんのよ! この世界の住民なんだからこの世界の生き物の対処法くらい言いなさいよ!」
「うるせえ! 姫様に度々暴言を吐きやがって! お前なんか喰われちまえ!」
皇女を詰った女生徒に空腹も合わさって限界だったのだろう。兵士の一人が女生徒をスライムのほうに突き飛ばした。
「馬鹿! そんな事をしたら!」
悲鳴が上がる、飲み込まれる女生徒の身体。それよりも致命的なのは
「せっかく氷で動きを止めていたのにお前は何をしてるんだ!」
氷の拘束が一部解けた。見えざる生きた水はそこから流れ出すように
「ミリアージュ!」
『何か妙に心配になってきたな。おかしいな。こう何か会ったばかりのあのスライムの姿が何か凍った状態で唐突に頭に浮かんで離れないんだが。あいつ大丈夫か?』
足を止めた骨に大丈夫? と心配するように髑髏の眼孔に身体を伸ばす小さな水の魔物に
『ああ、何か嫌な予感が。氷とか耐性とかあいつあるよな? そういや炎も怖いけど氷とか雷とか風とか大地とか魔法全般にあいつ弱そうな気がしてきたぞ』
『不凍水! いや、何考えてるのか。まああれだ。魔法は何でも効かなければ後はどうでも良いな。ついでにやっぱりスライムといったら超速再生だな』
動きが止まった。
「え? 実は氷、効いてる?」
「今のうちに、ミリアージュ!」
「氷結女王の茨」
再度、氷が透明なスライムに絡みつき
はじけた。
「は?」
対処法なし。
「学習しているのか。恐ろしいほどの速度で厄介な存在になっている」
雷撃、土、皇女の光まで魔法の全般が効いた様子は無い。そして氷をはじくようになった以上氷で覆って姿を視認できなくなったのが一番大きい。ぶつけてはじかれる場所にかろうじて存在していると確認できた。だが。場所の確認のためだけにいちいち魔術を放っていては枯渇する。手頃な石を探そうにもなく。土を投げるにも固めの土は掘るのにも手間がかかる。進行速度が非常に遅いことだけが唯一の救いだった。
「撤退するか!?」
「冗談を言うな! ここで逃がしたらまず間違いなくろくでもないことになるのは明白だろうが! こんな化け物を生み出して、こんな洞窟を開通させられるような化け物だぞ!? ここで追いつけなければこの城は化け物の巣になってしまうわ! 絶対に無理をしてでもここで奴は滅ぼさねばならん! 万が一あれがここから離れて移動してしまえば王国との戦争の前に内部から自壊して滅びてしまうわ!」
「全くもってどうでも良いな」
「ねー」
「むしろ滅びろ」
「貴様ら! 帰れなくなっても良いのか!?」
「お前……空腹でとうとう頭が馬鹿にでもなったか。いまだにそんな妄言信じているとでも思っているのか。お前達のことだ。元の世界に返すよりは使い潰して約束など踏み倒すつもりだったのだろう? 実際廃棄場などというものもあるようだしな。というより召喚時に俺達を威圧するように兵士が囲んでいた時点で既にお前の本性など理解していたさ」
「ちっ! だが良いのか? 男を吸収したのを見るにレギオンと違ってお前らだろうと相手は見境なし。危険なのはお前達ももう変わらんぞ」
「そうだな。それは困る。だが先ほどの発言はそれとは関係ない。俺達はお前達この城の奴らが困りきっているのが心の底から楽しいと、そう思ったから素直な気持ちを呟いた。それだけの話だ。だからといってあれの味方をするわけではない」
「ふん……そうか。まあ元々害にはなっても役には立たんと思っていたところだ。ここまで不快な言葉を吐かれたなら生かしておく道理も無い。今処分しておくとしよう」
『召喚せし主人たる我の下僕よ、我らの両隣を挟み、肉の壁となれ!』
「ここで使うか!」
方城と12人の女子生徒は自分の意思ではないのだろう。だが、確実に皇女に執事、魔道師他の兵士のの両脇を固め露払い目的だろう先頭には方城が立っていた。
「短い間の付き合いだったがお前は本当に憎たらしい男だったよ」
「お前ほどではないさ。道比木に潰されてしまえ」
「御免被る、だ」
女子生徒が悲鳴を出しても死を回避することは出来なかった。
「だいぶ減りましたね」
「まあ、あの忌々しい減らず口を利かなくてすむのは良いことですよ」
「ですが、今回の召喚は正直損害しかありませんでしたな」
「すみません……私の技量が足りませんでした」
「姫様の責任ではありません! あんな下劣な輩達が姫の導きに答えてしまったのがいけないのです! お気を落とさずに」
「ありがとう。ですが、当分は召喚術は控えるべきでしょう。召喚術もかなりの元手がかかりますから、ね。後やはり魅了の術はやめておくべきだったかもしれませんね。呪いの魔道具の精神侵食と合わさって最後は完全に精神が壊れてしまっていたようですし使い物になりませんでしたもの」
「数度だけとはいえ強制命令権がある以上、魅了はやめておくべきかもしれませんね。あるいは呪いの魔道具を使わないか」
「そんなことしたら大して役には立たなくなってしまうじゃないですか。なら次からは即出立、勿体無いですけど連戦で使い潰す方向で行きましょう」
「御意」
そこは男子生徒達のいた場所だった。
地面から靄が浮かび上がる。靄は次々と発生し、曖昧な人型をいくつも作り出していく。
顔は生前と同じままの顔であり、だがそこに表情らしい物が浮かぶことはなかった。全ての感情が欠落した人形のような亡霊が14。
鎧と武器を纏ったままの亡霊はその場に立ち尽くしていたと思うと宙へと次々に浮かんで天井を突き抜けていった。
『予想通り、か』
『どうなったの? 私達?』
『運良く、いや運は良くないが生前の姿を保ったまま亡霊となる事が出来たようだ。予想は出来ていた。道比木がそうであったように。連れて行かれた山根、山口、山田がレギオンとして悪霊となったように。召喚された俺達は全員おそらく死ねば亡霊となって再度この地を踏む可能性は高いと予想していた』
『そんな……』
『そこまで悪いことでもない。どこかで必ず死ぬと仮定してその死ぬタイミングとしてはベストに近い。何しろ道比木を追うことに意識を割きすぎて空腹も会ったのか山根達があんな形でやってきたというのに俺達もそうなる可能性が高いと言う事が頭に上っていない。成仏させられず、死んだことであれの制約から解放され、亡霊のみだが自由の身となれた』
『でも……』
『皆の意思を聞きたい。このまま成仏するのを待つか』
『俺達をこうした馬鹿をどん底にまで叩き落した後生き返る道を探るか』
無自覚な災厄と復讐の亡霊、意思無き残骸がこの日生まれた。