神速の毒鼠
災厄の屍鼠
体躯は小柄で非力ながら魔力によって強化された驚異的な脚力で走り回る死した鼠
歯には致死性の毒を宿し噛まれれば瞬く間に常人なら命を落とし、還らぬ人となる
世界三大迷宮の一つ、告死の迷宮に二体存在するその七災厄の一つである
食べ物の前に現れるとされ、告死の迷宮では長時間の食事は絶対にとってはならない、というのが決まりだ
「まず、レギオンによる被害を言いましょう。98人。全て女性でその中には貴族の女性、あるいはまだ幼い子供もいたそうです。女性のみを狙った甚だ不快な魔物だったと言えるでしょう。これも貴方達の不手際の結果と言えるので反省をして頂けるとありがたいですね」
騒動が落ち着きを見せた後、転移者全てを集めた皇女は開口一番彼らを詰る言葉をまずは出した。
「は? ふざけんなよ! 一日14時間もきつい訓練させられてその上であんな化け物と戦えって!? あたしらはここに来る前は戦った経験なんて無いって言ってんだろ!?」
「姫様になめた口聞くなって何べん言わすんだよカスが! 俺らがもっと頑張らないと駄目だっただけだろ!?」
「は!?」
「取り合えず、言いたい事があるが良いか?」
ここ数日当たり前の光景と化した男と女の罵詈雑言の応酬。その中で落ち着いた口調で放たれたその言葉は浮いていた。そのため皇女にその言葉は届き。
「皆さん、静かに。どうぞ? どちらさまでしたか」
訓練による疲労、レギオンとの遭遇による疲労、今まで就眠が出来なかったことによる疲労。それらを感じさせることの無い確かな足取りで前に進み出たのは俗に言う七三分けと言われる髪型をした顔立ちの整った眼鏡をかけた生徒だった。
「方城だ。まずは聞きたいがまず何故、あれによる被害が我々の責任か。それを聞きたい。最初に話したとおり我々はそもそもここに連れてこられる前は戦闘の経験など一切無いと前置きしたはずだ。つまり現状戦力として数えるには厳しいことは理解していたはず。だから訓練と言う形で戦えるように我々を鍛え始めたと私は理解してたわけだが」
「ええ、その通りです。一部の方を除いて戦闘の経験が無いと言う方ばかりでしたので経験を積んでいただこうと思いました。正しいですよ」
「ならばレギオンによる被害は戦闘の経験無い我々に責任を擦り付ける意味は無いな。なにしろ現状においてレギオンとの戦いで我々がまともな戦果を残せたとも思えん。むしろ無傷で我々が倒せたのは奇跡に近いさ。いや、正体を考えればむしろ必然だったのかもしれないが。だから今回の件でむしろ責められるべきはレギオンの出現時適切な対応を取れなかったこの国の兵士であり。ひいてはそれを率いる貴方であるべきだ。まさか自分たちは適切な対応をしたと言うつもりか」
貴様! という殺気の篭った声を上げ、周囲の動きを制限するように生徒達を囲んでいた帝国の兵士から敵意を持った視線を受けてなお、少年はそれを気にした様子は無かった。
「いや、そもそも全ての元凶はそちらにあるといえるのだからそちらが全て悪い。そう認めるべきだと俺は思うがな」
「エドワート」
「いい加減。その薄ら寒い態度はやめろ。武器倉庫に行くときに連行された三人。彼らがどういう扱いを受けたのかあれを見て分からないほど頭が悪いとでも思ったか」
は? 何だ? 眼鏡の少年のその言葉に疑問を浮かべる大半の生徒。女子の一部が浮かべる納得の後の青ざめた顔。皇女はそれを見て、隠す意味もないと判断したのか温和な表情から無表情へとその容貌を変えた。
「その通り。たかが異界の者が私たちに恥知らずな態度をとったのだ。ゆえに相応の報いを受けさせた。それだけの話だが? 願いはかなえてやったではないか? 可愛い女の子と一晩過ごしてやる、とな。恩知らずなあの屑三匹は仇で返したがな」
「よく言う。そしてその醜悪な本性を表したと言うことはそこで腑抜けになった馬鹿共以外の我々に反抗されてもどうにかなるということなのだろうな」
「少しは知恵が回るようだな。召喚者が被召喚者に牙を剥かれる例など当然あったわ。対策などとってあるに決まっている。召喚者である私、ひいては帝国の民に傷をつければ激痛が、殺したりしたならすぐに死ぬように魂に鎖をつけおいたわ。つまり反抗などお前達には出来ん。せっかく形だけでも敬語を遣ってやっていたというのにそれを望まんとはおかしな奴だ」
「薄ら寒い態度よりは遥かにましだ。だが、そんなことはどうでもいい。一つ聞く。魔術とやらでお前は俺達の呼んだと言ったな。ならば呼ぶに当たって力が強いもの、知恵の回るもの、財力のあるもの、など何らかの条件に則って召喚したはずだ。我々は何の条件を満たしてこの世界に呼ばれた?」
「戦力になる、それ以外に無いだろう。そういう意味ではあのレギオンは満たしていたな。何しろ魔術は吸収する、おそらく女から力を吸収する、通常のレギオンとは明らかに格が違っていた。あれは元が異界の物だからだということだろう。お前達にも何らかの素養があるはず」
「それだ。小さな疑問だが解消しておかないと気がすまないたちでな。聞いておかないと落ち着かん」
「何だ?」
「あの逃げ出そうとして火球で焼いたあの男の死体はどうした?」
「は? もちろん専用の廃棄場に……まさか!」
「あの男もアンデッドになっている可能性は非常に高いだろう」
「ゲドリック! 今すぐ兵を廃棄場に向かわせろ! そしてお前達もすぐに廃棄場に向かうぞ!」
拒絶の声が女から上がり、だがそれが受け入れられることは無かった。
「ここが廃棄場だ。死体の廃棄専用だな。半年に一度清掃のために下に下りるがそれ以外で降りたことは無い。万が一アンデッド化したときのために今開いているそこの穴の蓋の部分に浄化の陣を、周辺には短い周期で兵を巡回させていて警戒はしていた。それを通り抜けてやってきたのだからそういう意味でも異質なレギオンだったといえるな」
「先にお前の兵士が下に降りているのか」
「今のお前達よりは遥かに使えるからな。何ならお前が降りてもかまわんぞ?」
「見られては困るものを処理している、が正しいだろう? 何を我々に配慮したかのように言っているのか」
「ふん……お前はまだマシそうだな。だが後を考えると今処分した方が良さそうでもあるが」
「まだ死にたくないからな。ここでお前に何かをしようとはするほど愚かな事はないとは思っているが?」
険悪な雰囲気のやり取りだった。取り繕っていた仮面を外した皇女は道具を見るような無機質な目で生徒達を眺め、女は恐怖と嫌悪を。男はそれすらも気にした様子は無く、主君にぞんざいな口を利く方城をにらんでいた。
「姫様!」
そこへ息を切らせて兵士が走りこんできた。
「どうした?」
「厨房の料理人全てが! 厨房の食材が全て毒によって全滅しました!」
「は!?」
自分を砕いた料理人を一齧り。
近くの食べ物一齧り。
料理を運ぶ給仕を一齧り。
料理を食べる誰かを一齧り。
鼠は齧る。
食べ物の傍にいるそれは皆敵だ、と憎悪に染まって一齧り。
「状況を言え!」
「はっ! まず、厨房の前で配膳に行こうとしていたのか台車の傍にいた給仕が顔を緑に染めて死んでいるのを発見! 異常だと判断した見回りの兵士が同僚の兵士を連れてきたあと厨房に突入。全ての料理人が同様に死亡しているのを発見。食材も全て毒による汚染で全滅しているのを確認しました!」
「何だと! どうしてそんな馬鹿な! 城の警備は強化していたはずだぞ!?」
「そ、それが…死体、食材全てが何かに齧られた様子があり、おそらくは猛毒の歯を持った小動物が料理人や給仕、食材を齧り死に至らしめたと思われます」
「は? そんな危険な生物など今まで……まさか」
「まあ何らかの能力だろうな。おそらくは行方の知らないあの根暗な生徒のアンデッドの能力だろう。ただの生物を凶悪な生物に改造でも出来るのかも知れんな」
「くそっ! お前達は我らに害しかもたらしていないではないか!」
「勝手に呼んでおいて言うに事欠いてそれか。ふむ、肉体的に傷をつけなければ別に良いのだな。こんなとき、良い言葉があるのだよ。ざまあみろ、とな」
危険と言う意味では生徒たちにも同様に危険は降りかかっているはずなのに顔をゆがめた皇女に溜飲が下がったのか、この状況下で方城の言葉に顔を歪ませた皇女を女生徒は嘲笑を浮かべて見ていた。我慢が出来なくなった兵士の一人がその女生徒達の顔面を殴る。殴られた女は皆冷めた目で殴った兵士を見つめるのみだった。
「とにかく! まずはその小動物とやらを見つけねばならん。数だけはいるのだ。お前達、必ずみつけろ! そしてホウジョウといったな! お前は目を離すと何をしでかすか分からん! 私の傍から離れるな! 男は単独で、女は兵士と共に二人一組で捜索だ! 分かったな」
捜索のために皇女と執事、魔道師の少女と方城以外の人間が散ったあと廃棄場の開いた穴から手が伸びてきた。下に捜索に行ったと言う兵士だ。
「姫様! 後に放り込んだ三人は発見。ですが最初に放り込んだはずの焼死体は発見されませんでした!」
「やはりか。死霊になっているというのは間違いないだろう。だが、どこに行った? ここは廃棄の場でしかないからただの四方形の出口はこの上方の蓋のみ。アンデッドといっても死体が無いのだからおそらくは死体を動かす実体を持った死霊のはず。逃げる場所など」
「以前からある同じようにアンデッドに成ったと思しき物が掘った穴はあります。ですが途中で力尽きたの先は行き止まりで外に出ることなど出来ないはずです。後更に気になる事が」
「今度は何だ? アンデッドが大量に沸いていたりでもしたのか」
「いえ。下に今まで投げ込んだはずの死体が一つもありません。廃棄場の地下には一番最後に放り込んだ三人の異界人の死体しか廃棄場に残っていませんでした」
「何だと!?」
「相当性質の悪いアンデッドになったようだな。お前達の軽はずみな行為がこの惨状を引き起こしたといっても良いんじゃないか?」
「は?」
「ホウジョウとやら、姫に対してそれ以上」
「生前のあの男を知っている。あの男は間違いなくその性格、クラスでの嫌われよう。容姿。生前よりもアンデッドとなった方が間違いなく適性は高い」
「どうでも良いから顔など見ていなかったが確かにお前のように整った顔はしていなかったな」
「お前に言われても嬉しくもない。飼い殺しにしておけばよかったものを。お前達は厄介な化け物を自分から解放してしまったのだ」
実際に焼き殺した魔道師の少女の身体が震えた。
「くそっ! ろくでもない奴らだな。もうさっさと今回は処分しちまった方が良いんじゃねえか? 役には立たないわ殺したら死霊になって城の女に牙を剥くわ」
帝国兵士の二人組みの一人。ジョルとジョッシュは捜索を開始した頃から今回召喚した生徒達をさんざんに貶していた。
「うかつに殺せないってことじゃないか。ほんとに今回は面倒な物がきたもんだ。さっさと王国に送り込んだ方が良いんじゃないか? 死霊として暴れてくれるんじゃないかな」
「姫様そうして下さればいいんだが」
「そうするだろうな。だってあいつらが着てからもう二回目だぜ大きな被害が出たのは、ここにおいておく意味が無い」
「あーくそっ! 怒りで腹がすいてきやがった。酒でも呑んでないとやってられねえ」
「おいおい、勤務中に酒はまずいだろ」
「大丈夫だよ。酔わない程度に少し飲むだけさ、後はつまみにこのチーズをっとぁあ!?」
「ど、どうし、げぇ」
生前は好物だったけど。だけど今はそれより大事な一齧り。
「おそらくは出現法則が読めました」
「まあ報告から見て間違いないだろう。被害は皆食料が傍にある場所に限定されている。それは近くに齧られて毒にやられた食べ物が必ずあることから間違いは無い。つまり食べ物のある場所に行かない。これだけでおそらく力の無い使用人などが被害にあう確率は抑えられるはずだ」
「お前は……いや、今は良い。この男の言うとおりです。おそらく城中の食べ物を毒で使い物にならなくさせるのが目的でしょう。人はついでに殺されているだけかと」
「くそっ! 食料攻めか。忌々しい策を取ってくれる」
「だがこれ以上に効果的な策も無いがな」
「随分冷静だな。一番割を食うのは立場が最下層なお前達だというのにな?」
「元々ろくに食わせてもらっていないからな。大して変わりは無いと思うが?」
「ふん。で、何か考えは?」
「お前だって思いついてはいるのだろうに。無事な食料を見つけ出し、やってくるのを待ち構える。相手はおそらく使役された動物だ。あまり複雑な思考を持って行動するとは思えん」
「だろうな」
「中庭だろう。無事な食料を中庭の中心に向かって放り投げる。やってきたところを火球で焼く。捕獲装置があればそれが良いんだろうが。その類は?」
「見つけたら即焼却。そもそもそんな仮にも皇帝陛下が住まうこの城をそんな不衛生な環境になどしておくか」
「そうか……齧り後からおそらく鼠の類だと思われるが」
「とにかく無事な食料を見つけねば成るまい」
「なし、です」
「は?」
「城内の全ての食料。完全に使い物にならなくなった事が確認されました」
「そうか……」
「完全にしてやられたな。何だその頭は大したことないじゃないか」
「お前もな」
鼠は満足した。城でまともな食べ物はもう無い。
自分を殺したあの生き物が餌としているものはもう無いのだ。
住処に戻ろう。地下の今の自分の住処へ。そして歯を突き立てるのだ。あの自分を捕食しようとした忌々しい蛇に。
鼠は満足して姿を消した。