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夕焼けの再会

作者: 小楢


 ボタンを掛け違えたのは、わたしだったのか、それとも。




 ――どうして蝉が鳴いているんだろう。

 ――そりゃあ、夏だから。


 ふと、そんな会話を思い出した。それはきっと今、わたしの頭上で蝉が大合唱を繰り広げているからだろうし、わたしが故郷の街を歩いているからだろう。

 春に大学生になって、住み慣れた家を離れた。ひと月で帰りたい、と思うようになった。自分でも知らず知らずのうちに、どうやらあの街を故郷だと意識していたらしかった。夏休みまでは帰らない、と無駄な意地を張った。誰に対してなのか、よくわからなかった。


 ――帰るときには、連絡するから。


 そんなことを言って、この街を出て行ったはずなのに、結局のところ億劫で連絡なんてしていない。なんとなく友達には会いたい、と思っていても連絡できなかった。どうしてこんなにも片意地を張っているのか、わからなかった。たぶん私のそんなところも友達は見透かしているのだろう。向こうから連絡をくれて、会う約束をした。大好きなのに、どうして自分から声をかけられないのか。それはもう何年も前から、自分の中で繰り返しては答えが見つからずに底に沈めた永遠の謎だ。


 ――怖がりだなあ。


 夕焼けを見ながら、自転車のペダルを強く踏み込む。実家に置き去りにした愛車の感覚は懐かしくて、意識しているよりもスピードを出してしまう。


 それはきっと、わたしが考えるまいとしているから。

 思い出すまい、そう閉まっているものがこの街にはたくさんあるから。


 すべてを振り払うように上を見上げると、夕空が流れていく。びゅんびゅんと流れていくなかに、一番星を見つけた。

 ああ、綺麗。


 静かに笑って姿勢をもとに戻すと、眼前に迫るのは電柱だった。迫るというか、わたしが迫っていた。必死にブレーキをかけ、そしてハンドルをきる。電柱にぶち当たるのを回避し、足をつく。まだ胸が暴れている。身の安全を確認した後で、次に周囲に目を走らせる。幸運にも人影はなく、この痴態は見られずに済んだ。ああ、よかったとここでようやく溜息をつく。緊張がほぐれる。


 ――何してんの。


 こんな時にも、蘇る声にいらいらが募った。

 もう、何年も前の話なのに。


 ――ねえってば。


 ぱん、と肩を叩かれて。鼓膜が揺れて。振り向く前に、これは幻ではないのだということに気がついた。振り向きながら、ああどうしよう、と考えて。相手の顔を見て、そんなことどうでもよくなった。


「相変わらず、馬鹿なこと、してるわけ」

「うるさいなあ」

「久しぶりに会うのに、それはない」

「いつぶりだっけ」

「覚えてないの」

「うん」

「ひっどい」

 覚えている。最後にきちんと話をしたのは、中学校の卒業式。

「何も言わないで、行っちゃうんだから」

「知ってると思っていたから」

「その頃はクラス違ったもん」

「普通、知ってるだろ。野球で東京の有名私立に修行に行ってくるってさあ!」

「あんたがそんなすごい選手なんて思わなかったから」

 甲子園のマウンドに立つあなたは、わたしが知らないあなただった。

 名前だけが同じ。わたしの知らない表情で、見たことのないユニフォームを着ていた。

「高校の頃にさあ、お正月とか、帰ってきてた?」

「そりゃあ、うん」

「でも不思議と会わなかったねえ」

「うーん……会わないようにしてたかも」

「それってひどくない?」

「会ったら、自分が揺らぐ気がしてさあ」

「でも今、会っちゃったよ?」

 笑いながら言うと、そうだね、と笑った。

 本当はもう会えるような人ではないのだ。会うことなんてないし、話すことなんてない。そう感じていた。昔から大柄だったけれど、あの頃よりずっと背も伸びていて、あなたを遠く感じる。幼稚園の頃は確か、わたしの方が背は高かったはず。いつ抜かされてしまったのかも、よくわからない。今では、あなたの肩ほどしかない。

「まさかこんなところで会うなんてなあ」

「そりゃあこっちのセリフ」

「大学でも野球、しているんでしょう?」

 かろうじて大学生になっているということは、友人から聞いていた。

「うん。野球しかしてないかも」

「昔もそうだった」

 もうあの頃には戻れない。いくら足掻いても、一緒にいた時間へは跳べないのだ。もう昔、と呼べてしまうことがなんとなく寂しかった。

「髪、短くなったんだ」

「うん。高校に入学するときに、ばっさりと」

「変な感じ。長いお前しか、知らないから」

「そうだろうね。高校生になって、切っちゃった。何か、きり替えたかったんだろうね」

 自転車をおしながら、あなたの隣を歩く。わたしとあなたの間には、自転車が一台。中学生の頃に、一緒に帰るときにもこんな距離感だった。自転車はなかったけれど、見えない自転車が一台そこにはあった。

「あ、家に帰るところ? なら送っていく」

 ありがとうは言えなくて、代わりに小さく頷いた。

「大学生?」

「うん。大阪にいるの」

「じゃあここにはいないんだ」

「まあね」

 あの頃と同じことを考えている。

 このまま世界を一周して、家に帰りたい。まだまだ歩いていたい。あなたの隣で歩いていたい。二人きりで夕空の下を、ゆっくりと帰りたい。

「……お前だって、すぐわかった」

「何それ」

「猛スピードでママチャリが走り抜けていって、乗っている奴は空を見上げたまま、足を動かしていて。お前、昔、夜道をチャリで走っていて、星空見上げながらこいでいたら転んだだろ。それ思い出して、あ、お前だって」

「何で覚えてるの」

「覚えてる覚えてる。全部、覚えてる」

 隣で並んで歩くのは、すごく好きだった。

 顔を見なくていい。見られなくていい。

「やっぱり頑張り続ける原動力ってさあ、昔の思い出だったりするわけ」

「そうなんだ」

「幼稚園の頃にさあ、甲子園行くってお前に宣言したじゃん。そういう言ってしまった大きな言葉って、結構力になるんだよ」

「……本当に叶えちゃった。すごいなあって思ってた」

「まあ、あれは半分、お前のおかげだよ」

 わたしは何もしていない。あなたの隣になんていなかった。

 ただテレビの中にいる、あなたを見ることしかできなかった。

 あなたが強くなりきれないのは、きっとその優しさがいけないのだ。優しさなんて捨てて、周囲のことなんて考えずに生きていけばいいのに。もっと自分のことだけを考えればいいのに。あなたにはもっと輝ける場所だって、あるだろうに。

 道は永遠に続くはずもない。

「家、この辺でしょ」

「うん、あそこの角を曲がったところ」

「送っていく」

「いいよ、遠回りでしょ」

「久しぶりにこの街、ちょっとぶらぶらしたいしさ」

 真っ赤に染まった空が、だんだんと暗くなる。わたしの心も、だんだんと重くなる。

 今ここでメールアドレスでも聞けばいい。教えてくれないはずがないのに。どこかで素直になりきれないわたしが、意地を張る。

 中学生の頃から何も変わっていない自分が、大嫌いだ。

「……ここでいい」

「まだだろ、家」

「いいって」

「俺が送りたい」

「意味わかんない」

「我儘通させてよ。喧嘩とかしたくない」

 何も変われていないんだ。

 あの頃のぐちゃぐちゃなわたしのまま。

 自分の気持ちに素直になりきれていなくて。あなたのことを一番わかっている妙なプライドがあって。それなのにあなたに告白した女子の噂に泣いて。誰とも付き合わないあなたにほっとしたり、怒ってみたり。誰かと付き合っていたら、きっと諦めきれたのに、ずっと思いに踏ん切りをつけることができなかった。だからといって告白はできなくて。本当に好きなのか、と逃げにまわってみたり。曖昧なことばかり考えていた。今も変わらない。どうせならしっかりしたわたしを見せたかった。なんで今なんだ。もっと時間が経過していたなら変わっていたのに。そのはずだ。もっとしっかりしたわたしを、見せることができたはずなのに。

「安心したなあ」

「……何が」

「変わっているのが髪の長さだけで。全然、月日のブランクなんか感じなくて」

「変わりたいよ」

「変わらなくていいよ」

 ふと、横を見てしまった。

 いつになく真剣なあなたの瞳と出会った。

「変わらなくていい。変わろう変わろうとしたら、本当の自分を見失うから。自然と変わるのはいいけど、変えてしまったら駄目なんだ」

「……野球馬鹿が偉そうに言うな馬鹿」

「ごめん」

 涙がこぼれそうになったのを隠そうとして前を向く。

 もう、家は見えている。

「たぶんだけどさ」

 あなたのこの声を聞けるのも、もう少しだ。

「たぶんというか、絶対」

 好きだったんではなく、たぶん今も好きなのだと気がついて泣きそうになった。

 どうしてこんな野球馬鹿のことを好きなんだ。

「俺、お前のこと好きだったんだよね」

 自転車のハンドルを握っていた手の力が緩んで、自転車があなたの方に傾いた。それを片手でそっと受け止める。

「驚くだろ? 言わないつもりだった。高校も遠くで、言えないと思ったよ。頑張れる自信がなくて、言えなかった。でも、今、あの頃に戻った気がしてさ。自分でも言うつもりはなかったけど、言ってしまった」

 言い訳が早口になるのは、変わらない。

 ああ、あなたも根本は変わらないのか。

 あの頃と一緒なのか。

「……びっくりした」

 何か言葉を口にできたわたしにも、驚いている。

「……わたしと、おんなじだったんだ」

 言えばよかったのか。けれど言ってしまったら、きっとわたしたちは終わりだった。遠く離れた関係が続いたとも思えない。こんなふうに会うこともなかった。そう思うと、言わなくてよかったと思うのだ。

 わたしが好きだったあなた。

 今もあなたのことが好きなわたし。

 ああ、もう、なんだか、心がいっぱいだ。決して、同じなんかではない。

「送ってくれて、ありがとう」

 自転車を奪って、駆けだそうとするわたしをあなたは片手で止める。

「ごめん、さっきの嘘」

 ぎゅっとあなたの手に包まれた右手を見て、なんとなく答えはもう見えた。


 ボタンを掛け違えたなんて、ただの思い込みだった。

 掛け違えても、かけなおせばいい。それだけの話。

 


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