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神隠し(終)

「この世界は滅びるべきだ…」


文男はパソコンに向かってそう呟きながら、キーボードを叩いた。


「やっと、その時が来た。私以外の人類が全て滅びる日が…しかし、安心しろ。私がこの地球を立て直してやるから。」


文男はそう打ち終わると、ブログの送信ボタンをクリックした。

そして、その言葉がアップされたのを確認し、にやりと笑った。

…しかし、何も起こる様子がない。文男は「あれ?」と呟いて自分の部屋を見渡した。


「おかしいな…ちゃんと悪魔と契約したのに…」


文男は立ち上がり、窓のカーテンを開いた。

月が煌々と輝いていた。


「平和じゃーん!…って、何で??」


文男がそう呟くと、月の中央から長い体をくねらせて飛んでくる何かを見つけた。

文男はそれを見て、嬉しそうに声を上げた。


「来たあーーーーーー!」


その何かはドラゴンだった。しかしドラゴンは体をくねらせながら、まっすぐ文男に向かって来た。


「えっ!?ばかっ違う!俺以外の人類を滅ぼすんだってば!」


しかしドラゴンは窓を突き抜け、大きく口を開けて文男に襲いかかった。


……


「神隠し…か」


浅野はそう呟くと、新聞を閉じた。


「5人目だそうですね。」


その浅野の横で「清廉な歌声を持つ魂」と悪魔たちに恐れられている北条きたじょう圭一が、膝で丸くなっているキジ猫形の天使「キャトル」の体を撫でながら言った。

浅野がふと、キャトルと圭一を見て言った。


「…猫だからいいけどさー。キャトルが今、少女形だったら危ない親子だよねー。…娘の体を撫で回す父親…」


浅野のその言葉に、キャトルは片目だけを開いて前足を伸ばし、浅野の手をガリッと引っかいた。


「いってぇーーーーっ!」


浅野が新聞を落として、引っかかれた手を押さえた。


「キャトル」


圭一が笑いながら言った。


「気にしないでいいから。」


圭一がそう言うと、キャトルは目を閉じてフンと鼻をならした。

キャトルは圭一の子どもとして生まれるはずだったのだが、それが叶わなかったので猫として生まれてきたのだった。


「お父さん!ちゃんと娘の教育して下さいっ!」


浅野はそう言いながら引っかかれた手をさすり、傷が消えたのを確かめた。


「あー…痛かった。人間ならひと月は傷が残るぞ…」


浅野はそうブツブツ言いながら、向かいのソファーに移動した。

圭一が苦笑するように笑ったが、新聞を拾い上げながら真顔に戻って言った。


「ただ、神隠しに遭った人達というのは、皆、極端な思想の人ばかりだそうですよ…。例えば昨夜の人は、自分以外の人類は滅びる…とブログに書いた後で姿を消したそうですし、その前の人は、昨夜の人と同じような文章を残していたそうです。僕も何か気になって、それを画面メモに残してたんですが…」


圭一はそう言って携帯電話を開き、ある画面を表示すると浅野に見せた。浅野がそれを見ながら、呟くように読んだ。


「巨大なドラゴンがその長い体で空を覆い尽くし、ドラゴンが吐く地獄の炎で、地球は焼き尽くされるだろう…」


圭一は、眉をしかめている浅野に言った。


「どう思います?ドラゴンは神の使いじゃないんですか?地球を焼き尽くしたりしますか。」

「解釈の違いだが、神の使いは「ドラゴン」とは言わない。「竜」…「神竜」と呼ばれるな。この文章の「ドラゴン」とは悪魔を差すんだ。だけど悪魔あっちにしたら、地球を焼き尽くしたって自分の得になるわけじゃないからなぁ。」


浅野のその言葉に、圭一は少し安心したように言った。


「じゃぁ、ドラゴンに地球を滅ぼされるなんてことはないんですね。」

「ないと思うよー。」


浅野は組んだ手を頭の後ろに回して伸びをしながら言った。

圭一はリビングの壁時計を見、キャトルを抱いたまま立ち上がって言った。


「あっ浅野さん!もうプロダクションに行きましょう!ザリアベルさんがそろそろ来られる時間です。」

「おっと、そうだったな。」


浅野もそう言いながら、ゆっくり立ち上がった。


……


「おじさん、どうしてそんな顔なの?」


悪魔の中でも、大悪魔アークデビルという高い地位にいるザリアベルだが、この人間界の子どもにすれば、ただの「おじさん」(本当はお兄さん)なのだ。

ザリアベルは気にする風もなく、その小さな子どもにしゃがんで言った。


「イベントだ。」

「…?イベント?」


小さな女児が首を傾げて言った。ザリアベルが説明しようとした時、母親らしい女性が血相を変えて駆け寄り、ザリアベルに何故か「すいません」と謝って、女児の手を取り走り去ってしまった。


「ママ、イベントってなーにー?」


女児の声が遠ざかって行く。

ザリアベルは苦笑しながら立ち上がった。


『…ザリアベルさん…人間形になれないんですか?クロイツさんだった頃のお姿とかに…』


圭一の言葉が、ザリアベルの頭の中に蘇った。


「なれるものならな…」


ザリアベルはそう呟いて、また苦笑した。


……


圭一の養父であり「相澤プロダクション」の副社長である「北条きたじょう明良あきら」は、少し困惑したような表情で、ザリアベルと握手を交わしていた。


「息子がお世話になってます。」


明良はそう言い「どうぞ」とザリアベルに座るように手を差し出した。ザリアベルは黙って座った。

ザリアベルの横には、天使「アルシェ」の人間形「浅野俊介」が、明良の隣には、圭一が座り、少しおどおどしたような様子を見せている。明良がザリアベルに尋ねた。


「ノイツ・クロイツさんとおっしゃるんですね。ドイツ…の方ですか?」

「その近くの小国です。」

「そうですか。日本語、お上手ですね。」


ザリアベルはこくりとうなずいただけで、何も言わない。明良が続けた。


「…今回のイリュージョンショーで「悪魔」役で出て下さるとか…。圭一から聞いて驚きましたが、普段から、そういう格好をされているのですか?」

「はい。素顔を見せてはならない仕事をしておりますので。」

「素顔を見せてはならない…というのは、プロレスラーか何か…?」

「…そのようなものです。」


浅野と圭一は、ザリアベルが明良に話を合わせてくれていることにほっとしていた。

明良は気づいていないが、本当の悪魔であるザリアベルに結構失礼なことを言っているので、浅野達はザリアベルが途中で怒りださないかとはらはらしていた。

明良はザリアベルに微笑んで言った。


「何かと息子が無茶を言うかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。悪役で申し訳ないですが、ショーでクロイツさんが活躍されるのを楽しみにしています。」


ザリアベルが、その明良に面食らったような表情をした。そして「Dankeダンケ…」(ありがとう)とうつむき加減に言った。


明良は微笑んで立ち上がった。そしてザリアベルに頭を下げた。

圭一と浅野が一緒に立ち上がり、明良に頭を下げた。ザリアベルも立ち上がって、丁寧に頭を下げている。その軍人らしい頭の下げ方に、浅野はくすっと笑った。

明良が部屋を出たところで、圭一に手招きした。


「はい!」


圭一が明良に駆け寄ると、明良が言った。


「後で打ち合わせの報告をしに来てくれ。それからクロイツさんに、食堂かバーでちゃんとおもてなしするんだぞ。」

「はい!わかりました!」

「ん。」


明良は満足そうにうなずき、ドアを出て行った。


「うはぁーーっ!!」


浅野が椅子に座りこんで、思わずそんな声を上げた。


「緊張したー!!」


その浅野の言葉に、ザリアベルは椅子に座りながら、


「お前がどうして緊張するんだ。」


と浅野に言った。


「いやぁ…なんとなく…。」


浅野がそう言いながら、額に浮かんだ汗を手で拭った。圭一が椅子に座りながら笑っている。


「僕も緊張しました。」

「お父上は…」


ザリアベルが、圭一に向いて言った。


「?はい?」

「…いろいろとご苦労された人だな。」


圭一が驚いた表情をした。浅野は微笑んでいる。


「…はい…。」


圭一がそう言うと、ザリアベルは何か黙り込んでしまった。

浅野と圭一は、不思議そうに顔を見合わせた。


……


ザリアベルは、肩身がせまそうな様子で食堂のテーブルについていた。食堂に入ってくるタレントや研究生達が不思議そうに見るからである。

隣には浅野がいるのだが、浅野は気にしない様子で、圭一が3人分の日替定食を頼んでいるのを見ている。


「あ!行く行く!」


浅野がいきなりそう言い、立ち上がった。圭一が手招きしたのだ。

ザリアベルは独りにされ、また気まずそうにうつむいた。


「ここいいですか?」


いきなりザリアベルの向かいの席に、スパゲティの皿の乗った盆を持った青年が立って言った。

ザリアベルは顔をあげ、ただ黙ってその青年を見つめた。

青年は微笑んだまま見つめ返している。ある意味いい度胸をしている。

すると圭一が盆を持って戻ってきて、その青年に話しかけた。


「秋本さん!今日いらしてたんですか!」

「ああ。久しぶり圭一君。ここいいのかな。」

「もちろん!はいザリアベルさん、どうぞ。」


圭一は、その青年の横に座り、ザリアベルの前に定食が乗った盆を置いた。

この食堂名物の「チキンソテーのトマトソースがけ」だった。


「ザリアベルさんのお好きな、バケットはないんですよ。普通のロールパンですいません。」


圭一の言葉に、ザリアベルは「構わない」と呟いた。浅野が2つの盆を圭一と自分の前に置いて、ザリアベルの隣に座った。


「ザリアベルさんって、おっしゃるんだ。僕はバイオリニストの秋本です。よろしく。」


向かいに座った青年がザリアベルにそう言い、手を差し出した。ザリアベルは一瞬こぶしを差し出したが、すぐに手を開き秋本の手を握った。

秋本はその一瞬を見逃していなかったが、何も言わなかった。圭一が言った。


「本名はノイツ・クロイツさんっておっしゃるんです。浅野さんのショーに悪魔役で出ていただくんですけど、その悪魔の名前が「ザリアベル」なんです。」

「へぇ…。クロイツさんは普段のお仕事は?」

「……」


ザリアベルは黙っている。圭一と浅野も困ってすぐには何も言えなかった。


「悪魔だ。」

「!?」


浅野と圭一が驚いた表情をしたが、秋本は「やっぱり」と言って、納得したようにうなずいた。

これにはザリアベルも驚いた。圭一も驚いている。浅野だけがにこにこと秋本を見ている。

浅野は羽が生えている姿を秋本に見られた事がある。秋本はその時、ファンタジー小説が好きで、そういう世界があることを信じていると浅野に言ったのである。


「本物だとは思ってたんですけどね。お会いできて光栄です。」


秋本はそう言って、また手を差し出した。ザリアベルは面食らったような顔をして、その手を握った。


……


「地獄ってないんだ…」


秋本が、食後のコーヒーを飲みながら感心したように言った。ザリアベルは、紅茶をひと口飲んでから言った。


「あるにはあるが、悪いことをすれば堕ちるというものではない。俺たちが引きずって行くことはあってもな。」

「向こうでは仏教とかキリスト教とか…世界が分かれているんですか?」

「そんなもんない。仏教もキリスト教も、元は人間だった者が信仰されているだけだ。神は別にある。」

「なるほどー…」


圭一と浅野は、秋本とザリアベルが話しているのを、黙って聞いていた。

秋本は意外に熱心だった。ザリアベルの話も真面目に捉えている。

秋本は、ふと顔をしかめて腕を組み、椅子にもたれた。


「そもそも、クロイツさんはどうして悪魔になっちゃったんですか?」


圭一と浅野はその秋本の質問にぎくりとした。

圭一が慌てて、秋本に言った。


「秋本さん!…今日、お仕事じゃなかったんですか?」

「ん?別に?遊びに来ただけ。」

「…そう…ですか…」


圭一は、困ったようにうつむいた。だがザリアベルは気にしないように、紅茶をひと口飲んでから言った。


「私は軍人だったものでね。多くの罪のない人々を殺した。…だからだ。」

「でも、それって…」


秋本がまた身を乗り出して言った。


「国の命令でやむなくしたわけでしょう?クロイツさんの罪ではないとは思いますが…。」

「国に逆らって軍人にならなかった者もいる。…そうしようと思えばできたのに俺はしなかった。」

「うーーん…。でもそれで悪魔にされるってのは、可哀想というか気の毒というか…。」


その秋本の言葉に、圭一も浅野も同じ思いを持っていた。ザリアベルはふと目を伏せて言った。


「昔、俺はおかしなところがあってな…。人を殺すことに違和感を感じなかった…。」


秋本達はそんなザリアベルの顔を見て、黙り込んだ。


「ごちそうさま。」


ザリアベルがそう言い、立ち上がった。

圭一と浅野も、思わず一緒に立ち上がった。

秋本がにこにことしながら立ち上がり、ザリアベルに手を差し出した。


「今日は、貴重なお話を聞けて楽しかったですよ。またいろいろと教えて下さい。」


ザリアベルはうなずいて、こぶしを差し出した。圭一と浅野は驚いた表情でザリアベルを見た。

秋本はにこりと微笑んで、その拳に自分の拳を軽くぶつけた。…秋本はそれがザリアベル式の挨拶だという事を理解したのだ。


Sehenゼーエンwirヴィアunsウンスwiederヴィーダー.」(またな)


そのザリアベルの言葉に秋本は微笑んで「ええ…またお会いしましょう。」と答えた。

圭一と浅野が驚いて、秋本を見た。


「秋本さん、ドイツ語わかるんだ!」

「いや、わかんないよ。」

「えっ!?でも今…」

「何か気持ちが通じたんだ。クロイツさんがそうしてくれたのかもね。」


秋本はそう笑いながら言ってザリアベルを見た。ザリアベルは、ただ秋本を見返していた。


……


翌日-


明良は、カーナビから圭一の歌を流しながら、車を運転していた。

雨が強い。

ワイパーを全速にしていても、次から次へと大粒の雨がフロントガラスにぶつかり、視界が悪かった。


「台風はまだのはずだが…」


明良はそう呟きながら、先の信号が赤になったのを見て、ゆっくりとブレーキを踏んだ。

明良は圭一のアルバムが終わったことを感じて、カーナビを操作しようと手を伸ばした。その時、ふとバックミラーを見て、目を見開いた。

異様に白い顔の男が後部座席にいる。スーツ姿ではあるが、人間でないような大きな目と口に明良は振り返った。


「そなたは死なねばならん。」


白い顔の男が明良に言った。明良は「え?」と言った。


「『清廉な歌声を持つ魂』を目覚めさせた罪で、そなたは死なねばならん。」

「!?…清廉な歌声…?…圭一の事ですか?」

「そうだ。」


男がそう言って身を乗り出した。明良が首を締めつけられたような息苦しさを感じた時、カーナビから突然、圭一の歌声が流れた。


「!!!!」


白い顔の男は動きを止め、異様な大きな目を見開かせた。そして「くそ…」と言って、そのまま姿を消した。明良は急に呼吸が楽になり、首に手を当てて息を弾ませた。

…信号は青になっていた。後ろの車が、いらいらしたようにクラクションを鳴らした…。


……


「父さん、お帰りなさい!」


明良が副社長室に入ると、ソファーに座っていた圭一がそう言って立ち上がった。


「あ、ああ。ただいま。」


明良は何かほっとした顔をして言った。だが、圭一がふと眉をしかめて明良に言った。


「父さん?…顔色が悪いですよ…。どうしたんですか?」

「そうか?…大丈夫だよ。あまりに雨が強くてね、運転に疲れてしまって…」

「ああ、確かに…。台風みたいな雨でしたからね。」


圭一が窓から外を見ながら言った。今は大分小ぶりになっている。


「コーヒー飲みますか?」

「ああ、頼むよ。」

「はい!」


圭一はそう言い、部屋の奥へと入って行った。

明良はソファーに座り、ネクタイを緩めながら「清廉な歌声を持つ魂…」と呟いた。


「?何ですか?父さん。」

「え?…ああ、いや…なんでもない。」


明良はネクタイを外して言った。そして大きくため息をつくと、天井を見上げた。


「!?父さんっ!?」


コーヒーカップを盆に乗せてきた圭一が、叫ぶように言った。明良は圭一に向いて言った。


「ん?どうした?圭一…」

「…首にあざが…」

「!?」


明良は、はっとして自分の首に手を当てた。


「かなり赤くなっています!お医者様を呼ばなきゃ!」

「圭一、もう大丈夫なんだ…そんな大げさにしなくてもいい。」

「よくないですよ!まるで紐で縛られたような痕じゃないですか!」

「!?」


明良は立ち上がり、掛けてある鏡で自分の首を映してみた。


「!!」


圭一の言うとおりだった。太い紐でしばられたような痕が自分の首に赤黒く残っている。


「父さん!何があったんです!?…言って下さい!」


明良はとまどったように目を泳がせると、ソファーに座りこんだ。


「父さん!」


圭一が明良の横に座った。明良は目を泳がせたまま言った。


「…信じてもらえるかどうか…」

「信じます!信じますから、言って下さい!」

「…圭一。」


明良が圭一の目を見て言った。圭一は目を見開いたまま、明良を見ている。


「…お前…命を狙われているんじゃないか?」

「…え?…」


圭一がぎくりとした表情をした。明良が圭一の腕を取って言った。


「…「清廉な歌声を持つ魂」…お前はそう呼ばれているのか?」

「!?…父さん…まさか…悪魔に会ったのですか!?」

「悪魔だと?」


明良はそう言うと「…そうか…悪魔と言えば…」と呟き、圭一から目を反らした。

あの異様な白い顔はそうかもしれないと思ったのだ。明良は圭一に向いて言った。


「お前…悪魔に命を狙われているのか?」

「!!…それは…」


今度は圭一が目を反らした。明良がその圭一の肩を取り、自分に向けて言った。。


「その悪魔は…「清廉な歌声を持つ魂」を目覚めさせた罪で、私を殺すと言っていた。」

「!?…」

「私が死ぬことで、お前が助かるのならば構わないが、そうはいかないだろう。」

「…父さん…」

「お前を守る方法は何かないのか?…私はお前の歌で助かった。…だが、お前自身はどうやって…」


明良がそう言ったとたん、急に顔をしかめ、頭を押さえた。


「!?父さんっ!?」


圭一は驚いて、倒れ込んできた明良の体を支えた。


「父さんっ!?父さんっ!?」


『圭一君、すまない。』


そのザリアベルの声と共に、2つの影がソファーの傍に現れた。

圭一は明良の体を抱きしめたまま、その影を見た。影はやがて悪魔と天使の姿になった。


「!?…ザリアベルさん…アルシェ…!」

「副社長の記憶を今消したんだ。」


アルシェが言った。圭一が目を見開いた。


「俺たちが気づかないうちに…お父上を危険な目に遭わせてしまったようだな…」


ザリアベルが沈鬱な表情で言った。


「どうします?ザリアベル…。まさか、明良副社長にまで危険が及ぶなんて…」


アルシェの言葉に、ザリアベルは唇を噛んだまま黙っている。…が、しばらくして、アルシェを見て言った。


「ちょっと魔界に降りて調べてみる。…時間がかかるかもしれないから、それまでお前とリュミエルで副社長と圭一君を守れ。」

「…はい。」


アルシェがうなずいた。ザリアベルは2人に背を向け、姿を消した。


……


「つまんない…」


少女形の天使「キャトル」は、浅野のマンションのリビングでふてくされながら、ソファーに座っていた。


「私だけ、お留守番だなんて…。私もパパのところ行きたいなー…」


キャトルはザリアベルが戻ってくるのを待つように、浅野に言われていた。

圭一と父親の明良は、アルシェとリュミエルが守っている。


その時、キャトルは何かに気付いて、ソファーから立ちあがった。


「ザリアベル?」


だが、キャトルは出現した男を見て、顔を強張らせた。

白い顔に、異様な大きな目と大きな口を持った悪魔だった。


「ザリアベルは戻ってこない。」

「…どういうこと?」


キャトルは顔を強張らせたまま言った。悪魔が言った。


「魔界に結界を張ったからな。ザリアベルでも壊せない結界を…」

「…副社長を襲ったのは…そのためなの?」

「その通りだ。…本当は、ついでに殺してしまいたかったがな…。」


キャトルは怒りに唇を噛んだ。悪魔はにやりとして言った。


「後は、アルシェとリュミエルを「清廉な歌声を持つ魂」から離れさせること…。それはお前を…」


キャトルは予感して目を見開き、手を振った。ムチが出現した。


……


プロダクションの副社長室で、圭一と明良はイリュージョンショーの打ち合わせをしていた。

その2人の横には、天使「アルシェ」と「リュミエル」が座り、2人を守っている。

圭一には、その2人の姿が見えるが、明良には見えていない。


「…うん。今回は笑いが絶えないような、楽しいショーになりそうだな。」


明良が見ていた構成表をテーブルに置いて言った。圭一がほっとしたように言った。


「ええ。特に、子ども達が楽しめるようなショーにしたいと思っています。」

「ん。それはいい。」


圭一は微笑んだが、その顔が突然ひきつった。

アルシェとリュミエルが、表情を固くして立ち上がったのが見えたのである。


「?…どうした?圭一?」


明良が圭一のその様子を見て言った。

その時、白い顔の悪魔が明良の背に現れた。手には傷だらけになった子猫のキャトルを掴んでいる。


「キャトル!」


圭一が立ち上がって思わず叫んだ。明良が振り返った。


「!?キャトル!」


明良の目にも白い顔の悪魔とキャトルが見えた。


「副社長!」


アルシェがとっさに明良の腕を掴み、部屋の外へ瞬間移動しようとした。だが2人は見えない壁に阻まれて体を弾かれ、その場に倒れた。


「父さんっ!」


圭一が倒れた明良の傍に駆け寄った。


「…あれは…あの時の悪魔か…」


明良が圭一に体を起こされながら言った。圭一が目を見開いた。あの時アルシェが記憶を消したはずなのに、明良はちゃんと覚えている。

副社長室が突然、白く輝き始めた。


「!?」


圭一と明良が辺りを見渡すと、霧に包まれたような場所に変わった。


「魔界じゃないな…。どこか異界に連れ込まれたか!」


アルシェはそう呟くと、はっと上空を見上げた。

ドラゴンが体をくねらせながら、飛んでいる。

圭一と明良も、空を見上げて目を見開いた。アルシェは弓矢を出現させ、ドラゴンに矢を向けた。

リュミエルが圭一達の前に立ち塞がった。


「私から離れないで!」


リュミエルの言葉に圭一がうなずいて、リュミエルを見て驚いている明良の腕を取った。

明良が圭一に言った。


「…お前は…やっぱり命を狙われていたのだな。」

「…大丈夫です。…僕の天使達が守ってくれます。」


圭一の言葉に、明良がうなずいた。


「清廉な歌声を持つ魂もこれまでだ。」


白い顔の悪魔がキャトルをリュミエルに投げて言った。

リュミエルはキャトルを抱きとめ、悪魔を睨みつけた。


「キャトルを…よくも…」

「…ドラゴンを置いていく。…早く清廉な魂を食べたいんだそうだよ。…せいぜいがんばるんだな。」


白い顔の悪魔はそう言うと、姿を消した。

ドラゴンは上空を飛びまわっている。圭一を襲う機会をうかがっているようにも見える。


アルシェが、ドラゴンに向けて何度も矢を撃っていた。

だが、その矢はドラゴンの堅いうろこに弾かれて落ちるだけである。


「…体の中へ撃つしかないか…」


アルシェが呟くように言った。リュミエルは圭一にキャトルを預けて、ドラゴンを見上げた。


「キャトル…」


圭一が抱いたキャトルの体を、明良が心配そうに撫でた。圭一は「僕のせいで…」と涙ぐみながら呟いた。


アルシェは飛び立つと、自分に向いて開いたドラゴンの口の中へ、光の矢を放った。

ドラゴンが苦しみ始め、体をくねらせた。うまくささったようだ。

アルシェは2投目を構えた。だが、暴れ出したドラゴンの口の中に矢を定める事ができず、一旦矢を下ろした。


「くそ…あれだけでは、こいつを消滅できないぞ…」


アルシェがそう呟いた時、リュミエルが意を決したように飛び立った。


「!?リュミエル!?」


アルシェはドラゴンの周りを何かを探すようにして飛ぶリュミエルを見た。

圭一の腕を守るように掴んでいる明良も、リュミエルを見ている。

圭一が何かに気付いたように、はっとして声を上げた。


「リュミエルやめてっ!」


同時にリュミエルは、突然ドラゴンの口の中へ飛び込んだ。


「!リュミエル!」


アルシェが叫び、矢を構えた。

ドラゴンは咆哮しながら体をくねらせ、苦しんでいる。


(くそっ…今、矢を撃つわけには…)


今、矢をドラゴンの口の中へ撃つと、リュミエルも一緒に消滅させてしまうかもしれない。アルシェは「…よし…俺も…」と呟いて弓と矢を消すと、苦しむドラゴンの口の中へ飛び込んで行った。


「アルシェ!…やめてーっ!」


圭一の叫ぶ声が響いた。明良は振り払おうとしている圭一の体を必死に抑えた。

その時、ドラゴンが輝いた。

そして体にひびが入り、間から光が漏れた。ドラゴンは断末魔のような叫びを放つと光と共に、体を爆発させた。

同時にアルシェとリュミエルの体が現れ、地面に落ちた。


「アルシェ!リュミエル!!」


圭一が明良を振り払い、倒れたアルシェとリュミエルに駆け寄った。

その時、残っていたドラゴンの首が圭一に向いた。


「圭一!」


明良は思わず、ドラゴンに背を向けて圭一の体を抱きしめた。その背をドラゴンの口から放たれた光の刃が食い込んだ。


「!!」

「父さんっ!!」


圭一はキャトルを抱きしめたまま、崩れ落ちる明良の体を必死に抱きとめた。

ドラゴンの首はまた口を開いた。圭一を狙っている。

圭一は、キャトルをそっと明良の傍に降ろし、ドラゴンの首に向いて立ち上がった。

そして両手を広げて構え、歌い始めた。


「Amazing grace… How sweet the sound…」


圭一の「アメイジンググレイス」を歌う声が霧の中に響き渡った。

それを聞いたドラゴンは口を開けたまま、動きを止めた。だが必死に首を動かそうとしながら咆哮した。

圭一は涙声になりそうになるのをこらえながら、必死に声を張り上げて歌っている。


その時、突然ザリアベルが圭一の前に姿を現した。そして、苦しみながらドラゴンの首が放った光の刃を片手で弾いた。


「ザリアベルさん!」


圭一が歌うのをやめ、涙を指で拭いながらザリアベルの背に言った。


「…遅くなってすまない…。すぐに終わらせる。」


ザリアベルは、顔だけを圭一に向けてそう言うと、燃えるような紅い目をドラゴンに向けた。 ザリアベルとドラゴンはしばらく睨みあうように対峙した。


『あの結界を破ってきたのか…この裏切り者め…』


ドラゴンの声が響いた。ザリアベルは黙っている。


『ザリアベル…いつまでも天使と組むような事をしていたら、いずれお前は大悪魔アークデビルの地位を失うことになるぞ。…そろそろ悪魔らしくなったらどうだ?』

「…地位など…俺から頼んだ覚えはないっ!!」


ザリアベルはそう叫ぶと、広げた両てのひらを拳に変えた。すると稲妻がザリアベルの体から放たれ、ザリアベルの体を包んだ。

ドラゴンが光の刃をザリアベルに放ったが、その稲妻にはじかれた。

ザリアベルは両手をドラゴンに向けた。それと同時に稲妻が、ドラゴンの首に絡まった。

ドラゴンの首は稲妻とともに、のたうちまわるように空を飛びまわった。


ザリアベルは右手を横に振った。すると黄金の剣がその手に出現した。そして、ザリアベルがかがんだと同時に翼が出現した。

圭一は、そのザリアベルの黒々とした翼を初めて見て、目を見開いている。

ザリアベルは飛び立つと、暴れるドラゴンに向かい黄金の剣を振り上げた。そして静かに狙いを定め、ドラゴンの脳天に突き刺した。


Aussterbenアオスシュテルベン(消滅)!!」


そのザリアベルの叫びとともに、ドラゴンの首は音もなく光のチリとなって砕けた。


……


「父さん…父さん…」


圭一が泣きながら、息をしていない明良の体を揺すっている。

ザリアベルは、その明良の傍にしゃがみ「Vaterファータ」と呟いた。そして唇を噛んで体を震わせ、すっと立ち上がった途端、姿を消した。


「ザリアベルさん!?…父さんを…アルシェ達を助けてっ!」


圭一の声が虚しく響いたように感じた時、鋭い光が辺りを包んだ。


「!!!」


あまりの眩しさに圭一は目を閉じていたが、やがてゆっくりと開いた。

すると圭一の目の前に木の杖で肩を叩いている、大きな羽を背負った白髪の青年がいた。


「あー…びっくりした。」


大きな羽を持った白髪の青年はそう言いながら、今度は反対側の肩を杖で叩いた。


「お父上はもう大丈夫だから。ほら。」

「!?」


その青年の言葉に、圭一は倒れている明良を見た。

明良は気を失ったままではあるが、背の傷は全くなくなっていた。

圭一は明良の口元に手をかざした。息をしている。


「!…父さん…!…父さん…良かった…」


圭一は明良の背に伏せて泣きながら言った。その時、圭一の腕にいたキャトルがくいっと顔を上げた。


「キャトルっ!」


圭一は、地面に降り立ったキャトルを抱き上げた。


「…良かった…ごめんよ…独りにして…」


キャトルは圭一の腕の中で「にゃあ」と嬉しそうに鳴いた。


「キャトルちゃーん!」


青年がそう言いながら手を差し出すと、キャトルは圭一の腕から青年の手に飛び移った。そして青年の腕を伝い、肩に乗った。


「キャトルちゃん、よく頑張ったねー!」


青年が、頬ずりをするキャトルに言った。キャトルが嬉しそうに「にゃあ」と鳴いた。

青年は、まだ倒れて目を覚まさないアルシェとリュミエルに振り返ると、2人の体を交互に杖で突いた。


「こりゃっ!アルシェ!リュミエル!起きんかっ!!」


アルシェとリュミエルは、突かれてやっと目を覚まし、はっと青年を見上げた。


大天使アークエンジェル様!」


アルシェとリュミエルは慌てて飛び起き、その場に正座をしてひれ伏した。


「こりゃこりゃ。わしは黄門様か。…悪い気はしないがの。」


青年はそう言って、杖をトンと床に突いた。


「まーたザリアベルが目の前に現れたから、びっくりしてさ。君たちは、どれだけあの人に迷惑をかけてるんだ?」

「申し訳ありません!!」

「こんなことじゃお前たちをなかなか昇格させてやれんぞ。昇格できなきゃ、力も増やせないということだからの。もうちっとがんばりなさいよ!」

「はい!」


アルシェとリュミエルは、またひれ伏した。

その時、ザリアベルが姿を現した。大天使はザリアベルに振り返って言った。


「おおザリアベル。圭一君のお父上はもう大丈夫じゃ。うちの部下が無能ですまんの。」

「いえ。…私も力が足りず、圭一君のVaterファータをこんな目に…」


ザリアベルが目を伏せながら言った。


「あの…」


アルシェが、顔を上げて言った。


「ファータ…って、どういう意味ですか?」

「ドイツ語で「お父上」という意味じゃ、ばかたれ!」


ザリアベルではなく大天使がそう叱りつけた。ザリアベルが苦笑している。


(うちの大天使様って、ザリアベルより口悪い~)


アルシェはそう思いながら、またひれ伏した。大天使は杖をトンと突いて言った。


「お前も、先進国の言葉くらいは話せるようになれ。少なくとも、世界中を周っている「イリュージョニスト」だろうがっ!」

「はい!」

「そうだ、ザリアベル…。」


大天使は思い出したように、ザリアベルに向いて言った。


「あなたもイリュージョンショーに出るんだっての。」

「え?…いや…それはやめようかと思っているんですが…」


ザリアベルがそう俯き加減に言った。大天使もだが、圭一とアルシェも驚いて顔を上げた。

圭一が「ザリアベルさん!…どうして…」と呟くように言った。

ザリアベルは圭一に向いて答えた。


「俺がショーにでたら、Vaterファータのように、観客に迷惑をかけるかもしれないからな。」

「!…ザリアベルさん…」


圭一はうなだれた。アルシェもため息をつきながら俯いた。リュミエルは神妙な表情で一点を見つめたまま動かない。


「確かにそうだの。」


大天使が、杖で肩を叩きながら言った。


「じゃぁ、わしが結界を張ってやろう。」

「!?」


ザリアベルが目を見開いて、大天使を見た。圭一達も驚いた目で、ニコニコとしている大天使を見ている。


「大天使様!…大天使様が下界のためにそんなことして、智天使ケルビム様たちから怒られませんか?」

「怒らないんじゃないのー?皆、お前のショーを楽しみにしてるって言ってたし。」

「えっ!?」

「案外、天使達ってのは地位が高かろうが低かろうが、娯楽好きなのよ。…今までのお前のショーだって、どれだけ駄目出しされてるか。…今まで言わなかったけどね。」


アルシェは顔を赤くして、うつむいた。ザリアベルがまた苦笑した。


「それから、圭一君。」


大天使が杖を床について言った。


「はい!」


圭一は立ち上がった。


「君もがんばって歌の精進に努めなさい。君の歌は、今のところ悪魔達の動きを封じ込めることしかできないが、これからもっと鍛錬すれば、命を癒せる力を持つこともできるようになる。」

「!!」


圭一は目を見張った。


「本当ですか?」

「ああ、本当じゃ。鍛錬あるのみじゃ。がんばりなさい。」

「はい!」


圭一はそう答えて、頭を下げた。


「じゃ、わしはそろそろ帰ろうかの。」


大天使はそう言い、頭を下げるザリアベルに手を上げた。

キャトルが、大天使の肩から圭一の差し出した手に飛び乗った。


「じゃ、キャトルちゃんもバイバイねー!」


大天使がそう言うと、キャトルが「にゃあ」と鳴いた。

大天使は背を向けて姿を消した。

それと同時に、霧のかかっていた世界が副社長室に戻った。


……


明良はソファーで目を覚ました。


「父さん!」


息子の顔がぼんやりと見え、やがてはっきりとした。


「圭一!」


明良は飛び起き、圭一の腕を取った。


「…無事か?…ドラゴンは!?」


圭一は驚いて目を見開いた。アルシェが記憶を消したはずなのに、明良は覚えている。

明良は辺りを見渡して言った。


「キャトルは?…それから…天使達はどうなった!?」

「父さん!…大丈夫ですか?」


圭一が涙ぐみながら言った。


「何もありませんよ。キャトルもほら…」


圭一がそう言うと、キャトルが「にゃあ!」と元気に鳴いて、明良の膝に飛び乗った。


「キャトル…!」


明良はキャトルを抱きしめた。


「良かった…キャトル。」


明良はそう言ってから、キャトルを下ろした。そして「…何もない…か…。」と呟いた。

するとキャトルが「ぐるる…」と怒ったような唸り声を上げた。


「あっ!!」


圭一が気づいて言った。


「キャトル、ごめんごめん!ごはんまだだったね!」

「!…そうか!…お腹が空いたのか。ごめんよ、キャトル。」


明良はそう謝りながら、キャトルの顎を撫でた。キャトルは気持ち良さそうに目を閉じ、喉を鳴らした。

圭一が慌てて部屋を出て行った。キャトルのえさは専務室にあるのだ。


「…何もない…というのは、いいことだな。」


明良はキャトルの顎を撫でながらそう呟いた。キャトルが同意するように「にゃあ」と鳴いた。


……


翌日-


「ドラゴンが、神隠しの犯人だったとはなぁ…」


浅野が新聞を読みながら言った。

神隠しにあったとされた5人の男は、ドラゴンが消滅したと同時に元の場所へ戻されていたのだ。

だが5人とも記憶があやふやで、訳のわからない事を呟いている…と新聞は報じていた。

圭一が浅野の前にコーヒーカップを置いて言った。


「どうしてドラゴンは、その5人をさらったんでしょうね…」

「たぶん、邪悪な力を強くしたかったんだろうな。」

「なるほど…。人類を滅ぼすとか、極端な思想を持っていた人ばかりでしたからね。」

「そういうこと。」


浅野は新聞を畳んだ。

その時、ザリアベルがソファーに座った状態で姿を現した。手には台本を開いて持っている。


「ザリアベルさん!おはようございます!」


圭一が言ったが、ザリアベルは何かぶつぶつと呟いている。


「…恥ずかしい…」

「え?」


浅野が耳に手を当てて、ザリアベルに聞いた。


「恥ずかしい?」

「恥ずかしい…。なんだ?この、出だしのセリフは…」


ザリアベルが差し出した台本を、浅野は受け取りながら読んだ。


「「私の名はザリアベル…魔界の中でも恐れられている大悪魔だ。」…これのどこが恥ずかしいんですか?」

「どうしてもこれを言わねばならないのか?」

「言わねばなりません!」


浅野が笑いながらそう言い、台本をザリアベルに返した。ザリアベルは受け取りながら、台本を見つめため息をついている。

圭一が苦笑するように笑いながら、紅茶を入れにキッチンへ入った。

ザリアベルがため息交じりに言った。


「なんとか言わない方法はないのか?」

「えー…?」


浅野は腕を組んで考える風を見せた。


「言わない方法ですか…じゃぁ、圭一君に言わせますか?」

「圭一君に?」

「ええ。例えば、ザリアベルが出現した時に「わー悪魔のザリアベルだー逃げろー」みたいな。」

「…なんだ、そのコントみたいな芝居は。」

「だめですか…」

「真面目に考えろっ!」

「考えてますよっ!!」


その時、圭一が紅茶の入ったカップをザリアベルの前に置いた。


「はい。ザリアベルさん、どうぞ。」

「…ありがとう。」


ザリアベルは台本を閉じてテーブルに置くと、カップを手に取り、紅茶を一口飲んだ。


「…ああ、うまい。」


そのザリアベルの呟きに、向かいに座った圭一がほっとしたような表情をして言った。


「ザリアベルさんが悪魔だということを、まず観客にわからせなければならないですから…。」

「この顔を見たら、悪魔だとわかるだろう?」


ザリアベルの言葉に、浅野が思わず吹き出した。圭一は浅野を睨みつけながら「そんな…」と言った。


「少なくとも、名前は言わなきゃ。」

「…ザリアベルデース」


圭一が驚いて目を見開いた。

ザリアベルが浅野を睨みつけた。浅野は「すんません」と頭を掻きながら謝った。

ザリアベルが何かを言おうとして口を開いた時に浅野が横でそう言ったので、ザリアベルが言ったように聞こえたのだ。

圭一が腹を抱えて笑いだした。


「びっくりしたーっ!ザリアベルさんが言ったかと思ったー!」


圭一はそう言って笑っていたが、ふと突然笑いを止めて言った。


「あっそうだ!こうしましょうよ!」

「うん!そうしよう!圭一君!」

「まだ何も言ってませんっ!!」


ふざける浅野を、ザリアベルがまた睨みつけた。浅野はザリアベルに「すんません」と謝った。圭一が笑いながら言った。


「先にザリアベルさんの声を録音しちゃうんですよ。で、エコーをかけて流すんです。ザリアベルさんはステージでは口を閉じたままでも構いません。その方が悪魔らしくないですか?」

「ほうっ!なるほどっ!」


浅野が同意を示したが、ザリアベルは不服そうにうつむいている。


「…録音にしても、そのセリフは言わなきゃならないんだな。」

「どうか、それだけはお願いします。」


圭一がそう言って、両手を合わせてザリアベルに拝むと、ザリアベルは「…わかった」と答えた。


「…圭一君にそこまで言われるなら…」

「えー?俺が言ってもだめだったのにー?」

「お前では説得力がない。」

「しどい~!」


浅野は両手で顔を塞いで泣く振りをした。

圭一が笑った。ザリアベルも苦笑しながら浅野を見ている。


…イリュージョンショーまで、あと1ヶ月。

うまくいくのかどうか…ザリアベルでなくても不安である…。


(終)

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