第7話「支部長の眼」
「レイドさん、ギルド支部長がお呼びです。至急、二階の執務室へとのことですが……」
冒険者ギルドのカウンターで受付嬢エマから聞かされた瞬間、レイドの背筋が冷水を浴びせられたように伸びた。
アーロン・グレイブス。
この辺境のギルドをまとめる白髪の支部長であり、かつては王都で最強と謳われた正真正銘の『S級冒険者』。
そして何より——世界が終わる日の最終決戦、絶望的な魔物の大軍勢から難民と俺たちを逃がすため、単騎で敵陣に突撃し、笑顔で立ち往生した偉大なる恩人。
いつか必ず接触しなければと思っていた人物からの呼び出しが、昨日予測不能の暗殺者を退けたことで想定より早く来てしまった。
「し、支部長からの呼び出しって……おいレイド、お前裏で何やらかしたんだ!? この前の大乱闘の時に便所の壁でも壊したのか!?」
「ちょっとレイド、本当に犯罪の容疑者じゃないわよね? アーロン支部長の怒りの雷が落ちたら、あんたの首なんて三回転くらい捻じ切られるわよ!」
ガルドが後ずさりし、リーネが本気で心配して袖を引く。
そんな的外れな心配に、レイドは内心の緊張を隠して微笑み、「便所の壁は壊してないから安心しろ」と告げて、二階の最奥の部屋へと向かった。
◇
ノックをして入室した執務室は、強烈な威圧感に満ちていた。
数え切れないほどの巨大な魔物の頭骨や武具が飾られ、血と鉄の匂いが染み付いている。
「おい。いつまで突っ立ってんだ小僧。さっさとそこへ座れ」
執務机にドカリと座り、葉巻をくゆらせる男——アーロンの凄みのある声に、レイドは促された椅子へ腰を下ろした。
机の上には、昨夜レイドが提出した『生態調査依頼』の報告書が広げられていた。
「三日間で広大な樹海を無傷で踏破し、全ての薬草を採取した上に、俺の斥候すら気づかなかった森の奥の『変異魔力の発生源(黒い球体)』を発見して自力で浄化しただと? 登録三日のD級新人としては、空恐ろしい異常な効率の良さだな」
「運と勘が良かっただけです」
「薄っぺらい嘘をつくな」
アーロンの歴戦の鋭い眼光が、葉巻の煙越しにレイドを射抜いた。
「完璧な安全ルートの選択。フォレストウルフを十秒で無傷で仕留めた一撃。そしてこの緻密すぎる分析レポート。……お前のその一切迷いのない戦闘指揮と情報収集能力は、歴戦の指揮官か狂った戦闘の天才のそれだ」
アーロンが机から身を乗り出し、顔を近づけて凄んだ。
「お前のその黒い目は、希望に満ちた新人のものじゃない。修羅場を何百回と潜り抜け、仲間の死と絶望的な死神の鎌の軌道を見切ってきた『本物の戦士』の目をしている」
深い沈黙が落ちた。
……ごまかしきれない。さすがはS級の頂点に立った男だ。違和感から俺の五年分の「経験値」の異常性を完全に嗅ぎ取っている。
だが「未来から死に戻ってきた」と正直に言えば、狂人扱いされるのがオチだろう。
「……支部長。俺が怪しいスパイじゃないことだけは、いくら調べてもらっても構いません」
レイドはアーロンの眼光から目を逸らさず、真っ直ぐ見返した。
「ですが、俺の経験や力量がどうであれ、この国で最も権力を持つあなたを見込んで、絶対に報告しておかなければならない『重大な危機』があります。——東の森の奥深くに隠されたエルフの里、『ティルナノグ』が危ない」
その言葉に、アーロンの顔から余裕がなくなり、太い眉が大きく跳ね上がった。
「報告書に記載した『猛毒の溜まり場』の実態です。あれは大地の精霊脈を内部から汚染する『呪詛の塊(球体)』でした。そして、長年住むエルフたちですら気づかないほどの高度な隠蔽魔法が施されていました。……俺の予測では、里周辺にもあのような破壊装置がすでに『複数』、計画的に仕掛けられている可能性が極めて高い」
なぜそんな重要事項を報告書に書かなかったのかと問うアーロンに、レイドは冷徹に答えた。
「公式記録に残せば、このギルド内に潜り込んでいる『あいつらの内通者』に情報が漏れるからです。あの強力な呪詛装置を複数設置できる相手は、国家を転覆させられるほどの強大な悪意です。だからあえて『毒気』と意図的にぼかしました」
「……なるほど。お前個人の狂った実力も素性も隠したまま、表向きはただの方角の勘の良い冒険者として、完全に地下に潜って厄介な火種を叩き潰したいか」
アーロンは葉巻の煙を吐き出し、満面の獰猛な笑みを浮かべた。
「面白い。実にお前らしい、傲慢な判断だ小僧。……実はな。俺がまだ王都の最前線で暴れ回っていた二十年前。遠く北方の魔族領国境で、今回お前が報告書で意図的に臭わせたのと同じ、『命を吸う黒い球体』を見つけて破壊したことがあるんだ。だからこそ、お前をすぐに呼んだ」
その言葉に、レイドの目の奥が驚愕で見開かれた。
……二十年前だと?
教団は、俺が死に戻るさらに二十年以上も昔から。何十年という途方もない時間をかけて、世界中の森の深奥部にあの世界の終焉の種子を仕込み続けていたというのか。
「支部長。折り入って、俺に直接の権限を与えてもらうためのお願いがあります」
レイドは椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「俺たち三人に……『C級昇格試験』を、できるだけ早く受けさせてください。国境を越える移動と、エルフの里の内部への調査介入の門前払いを防ぐ大義名分として、どうしてもC級の『銀色のカード』の身分が必要なんです」
「はばはばはっ! 登録三日の新人がC級の特例受験だと? 普通なら頭をカチ割って門前払いだぞ!」
腹を抱えて豪快に笑いながら、アーロンは机から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「だが、お前なら絶対にやると踏んで用意してある。三日後、郊外の中級古代遺跡『嘆きの地下水脈』の地下五階層までの突破、及び最深部のボス討伐だ。もちろん、お前たち三人だけの単独パーティーでの走破が条件だ」
「受けます。必ず三日で突破してみせます」
即答するレイドの顔を見て、アーロンは書類に承認のサインを力強く書き込んだ。
「一つだけ忠告しておくぞ、レイド。お前はその覚悟の決まりすぎた目のせいで、他人を騙すための嘘が致命的に下手くそだ。何か巨大なものを一人で背負って生き急いでるバカの顔だ。……だがまあ、そういう馬鹿正直に仲間を守ろうとする奴のことは、俺は信用してやる」
——今度は。絶対に、この不器用で偉大な恩人の命も、俺が守り抜く。
レイドは深い信頼の言葉を胸に刻み、深く一礼して執務室のドアを閉めた。
◇
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!? 三日後にC級試験だぁぁっ!?!?」
ロビーで待機していた二人に報告した瞬間、ガルドの凄まじい絶叫が反響した。
「狂ってんのかお前! もしくは支部長に暴言でも吐いて左遷されたのか!? 俺らまだ本物の魔物と戦い始めたばかりのヒヨッコだぞ!?」
「ちょ、ちょっとレイド。冗談よね? 試験の内容はどこなの?」
「『嘆きの地下水脈』での地下五階層走破だ」
「あそこは視界最悪の水流トラップだらけで、現役C級ですら死人を出す超難関ダンジョンじゃない! 無謀の極みよ!」
リーネの至極真っ当な抗議に、レイドは安心させるための笑顔を作った。
「心配ない。知ってるんだ。正しいルートも、トラップのスイッチの場所も、出てくるボスの弱点も、全部な」
「だから! なんで入ったこともないヤバいダンジョンの構造を完璧に知ってんだよ!!」
「……ダンジョン攻略本をたくさん読んでいるからだ」
「だから嘘が下手すぎるにも程があるんだよ!! 嘘に覇気がねぇ!!」
ガルドの激しいツッコミをなだめながら、リーネは巨大なため息をつき、腹を括ったように姿勢を正した。
「……つまり。この三日間で、水流環境下での戦闘シミュレーションを全部完璧に終わらせるのね?」
「ああ。今の俺たちなら絶対にやれる」
「分かったわ。もうヤケクソよ。死ぬ気でやるわよ。……ガルド、昼飯ののんびりしてる暇はないわよ。すぐに裏の訓練場に行って、足場の悪い泥水の中での踏ん張りの特訓を、夕方までスパルタで叩き込むからね!」
「お、俺のかわいいハンバーグの昼飯は!? なあリーネ! 人権を無視すんなーっ!!」
リーネに耳を引っ張られ、半泣きで訓練場へと引きずられていくガルド。
その背中を見送りながら、レイドは確固たる希望に満ちて笑った。
三日後。C級になって銀色のカードを手に入れれば、疑いを持たれずにエルフの里に介入できる。
(セレナ。今度こそ、お前の故郷が灰になる前に……俺が必ず迎えに行く)




