第25話「ずれた歯車」
石造りの冷たい地下室に、甲高い金属の衝突音が響き渡った。
三人の教団側(ヴェイン伯爵)の私兵たちの両手には、肉を抉ることに特化した波打つ形状の禍々しい短剣が握られていた。
「侵入者の鼠どもだ!! 生け捕りにしろ、儀式のキメラの贄の餌に使うぞ!」
「やれるもんなら、やってみろよ狂犬どもが!」
レイドが先頭で斬りかかってきた男の踏み込みに対し、一切退かずに銀の長剣を下段から跳ね上げる。
男が短剣でガードしようとした寸前、レイドは手首を強引に返して軌道を反転させ、重い柄頭で男の顎の先端を下から強烈に打ち抜いた。
ガァンッ! という鈍い音と共に、私兵の男が白目を剥いて崩れ落ちる。
「セレナ!」
「——シッ!」
レイドが身を屈めて射線を空けた頭上を、セレナの手から放たれた二本の白銀の剛矢が通過した。
シュガッ!
残る二人がレイドの背後に回り込んだ瞬間、暗闇の中で寸分の狂いもなく、彼らの右腕の肩口に二本の矢がそれぞれ突き刺さった。
「ギャアアアッ!?」
「急所を外して殺してはいないわ。でも、関節に私の魔力を流し込んだからその右腕は使い物にならないわよ」
セレナが弓を下ろし、床でのたうつ男たちを冷たく見下ろした。
「上出来だ。さっきの音で一階の連中も目を覚ます。地下で包囲される前に一気に脱出するぞ」
レイドは懐の『教団の密書』の感触を片手で確かめ、セレナと共に階段を猛スピードで駆け上がった。
すでに屋敷のあちこちから、「賊だ!」という怒号と警鐘が鳴り響き始めていた。
完全に蜂の巣をつついたような厳戒態勢。
だが、エルフの森で隠密を鍛え上げられたセレナの気配遮断と、一周目の記憶で屋敷の警備の死角を完璧に暗記しているレイドの最短ルート選択が勝っていた。
二人は影のようにすり抜け、調理場の裏口から外へ出て、五メートルの石壁を風の魔法の跳躍で誰にも見つからずに飛び越えた。
◇
「……ふう。本当にエルフの寿命が一年くらい縮みそうだったわ」
王都の裏路地に逃げ込み、セレナが壁に寄りかかって安堵の息をついた。
「でも、これで証拠の密書は手に入った。明日これを騎士団本部に持ち込めば……あの伯爵は完全に終わりよ」
「ああ。俺たちを狙ったあのあからさまな遺跡調査も、依頼主が消えれば白紙撤回になる。遺跡にどんな罠が仕掛けられていようが関係なくなる」
レイドは夜空に浮かぶ月を見上げた。
——歴史を回避した。
ガルドを死の罠に向かわせる前に、大元の原因である「依頼」を根本から絶ち切ってやった。知識を使った完全な『先手』の勝利だ。
五年間の重く冷たい呪いが、一つ砕け散った音がした。
「宿に戻ろう。留守番させてる二人が、全財産分食べ尽くしてなきゃいいがな」
「あの大男の胃袋の底なし加減なら余裕で十皿はいってるわね。破産する前に急ぎましょう」
二人は足早に大通りの雑踏を抜け、ギルドの宿舎へと向かった。
しかし。
最上階の広大な大部屋に戻った時。
そこには灯りもついておらず、ガルドたちのいびきも寝息も、何の音もしなかった。
完全に静まり返っていた。
「……おかしいわね。まだ一階の食堂でバカ騒ぎでもしてるのかしら?」
セレナが部屋の明かりを入れる。
その瞬間。レイドの視線は、部屋の中央のテーブルの上に置かれた一枚のメモ書きに釘付けになった。
リーネの几帳面な文字で、殴り書きのようにこう書かれていた。
『——レイドへ。あなたがいなくなった後、すぐにギルドから緊急の呼び出しがあったの。依頼の遺跡の周辺で魔物の暴走の兆候が出たから、予定を前倒しして今夜すぐ急行して抑えてくれって指示よ。
あなたとセレナさんを探したけど見つからなかったから、とりあえず私とガルドの二人だけで、ギルドの馬車に乗って遺跡へ向かいます。戻ったらすぐ合流してね。バカな単独行動はほどほどにしなさいよ。リーネ』
「……な、に」
レイドの手から、短いメモ書きが床に滑り落ちた。
全身の血の気が一瞬にして抜け落ち、心臓が凍りついたように硬直した。
「レイド? どうしたのよ、顔色が死人みたいに——っ!」
異変に気づいたセレナが床のメモを読み、驚愕に目を丸くした。
「出発の前倒し……? そ、そんな、明日の朝一での出発だったはずでしょう!? こんな深夜に緊急で二人だけを向かわせるなんて不自然すぎるわ!」
レイドの脳内で先ほどまでの「勝利の優越感」が一瞬にして粉砕され、悪意のパズルが一気に最悪の形となって組み上がった。
——伯爵だ。
あの狡猾な狸親父は、俺たちが罠を警戒していると初めから読破し、俺とセレナが結託して屋敷に潜入した隙を突き、最初から計画を強引に『早めた』のだ。
俺とセレナが宿を空けたピンポイントの隙に、残された二人だけを、先に死の罠が待っている遺跡の最下層へと送り込んだ。
『俺が一人で隠密ぶって勝手に動いて宿を空けたせいで、最悪の前倒しを引き起こした』
未来の知識頼みで小賢しく動けば動くほど、世界は「ガルドの死の運命」をより凶悪な形に変えて襲いかかってくる。
「くそっ……! ああああっ!! くそがぁぁぁぁっ!!」
レイドが発狂したように吠え、頭を力任せに掻きむしり、過呼吸のように呼吸が乱れた。
まただ。俺の傲慢な判断ミスのせいで、またあの地獄のような絶望から始まるというのか!?
パァンッ!!
乾いた高い音が、大部屋の中に激しく響き渡った。
レイドの右頬が急速に熱を持って腫れ上がり、痛みに視界が大きく揺れた。
「……セレ、ナ?」
虚ろな目で見ると、セレナが平手打ちを放った右手を下ろし、燃えるような瞳でかつてないほどの怒りを込めてレイドを睨みつけていた。
「いい加減にしなさいよ、このバカリーダー!! あなたはどこの過去の妄想を見ているのよ! 自分の不甲斐なさに逃げ込まないで、しっかり『今』だけを見なさい!!」
凛とした、エルフの戦士の叱咤の声だった。
「二人はまだ死んでいないわ! あの頑丈な大ゴリラと天才魔術師が簡単にやられるわけがないでしょう! あからさまな罠だと分かったなら、今すぐ全力で遺跡まで二人を助けに行けばいいだけのことじゃない!!」
「……でも、俺のせいで……俺が、また……っ」
「グダグダと女々しい後悔は終わった後で私が徹夜で聞いてあげるわ! でも今は違う! あなたのその『絶対の勘』と私の弓で、二人を死地の底から強引に助けに走るのよ!! 分かったわね!!?」
セレナの力強すぎる言葉に。レイドは弾かれたように顔を上げ、肺の底まで空気を吸い込んだ。
冷たい夜風が、頭の中のドロドロとした焦燥感を完全に吹き飛ばしていく。
——そうだ。まだ何も終わっていない。
ガルドもリーネも生きている。今から全速力で追いつけば、最悪のシナリオの前にまだ間に合う。
「……分かった。すまん。頭が冷えた……ありがとう、セレナ」
「どういたしまして。目が覚めたなら行くわよ。ギルドから一番速い軍馬を出させるわ。王都の城門はあなたの裏の技術でこじ開けなさい」
二人は部屋の扉を蹴り開けるように飛び出し、全力で駆け出した。
今度こそ、絶対に、お前たちの命に間に合わせてみせる。




