第24話「仕組まれた罠」
夕闇が落ち、王都アロリアの街中が魔法街灯の光に包まれ始める頃。
レイドは、ギルド総本部の裏手に手配された高級宿舎の自室で、昼間にヴェイン伯爵から渡された資料に冷ややかな目で目を通していた。
——『アロリア南西部の山脈地帯にて発見された未踏の巨大遺跡。最下層にて高位の魔力反応が観測されている。これを早急に調査・排除せよ』。
(ふざけやがって。どいつもこいつも、息を吐くように嘘ばかりだ)
レイドは鼻で笑い、くだらない作り話の羊皮紙を机に放り投げた。
未踏の遺跡でもなんでもない。あそこはヴェイン伯爵が秘密裏に魔術師を送り込み、『封印の解除』を進めていた場所だ。最深部の「高位の魔力反応」の正体は、無数の魔獣の死体を繋ぎ合わせた教団の『暴食のキメラ』の拍動だ。
一周目の「あの日」では、この甘い名誉に乗せられて最下層へ進み、目覚めたばかりの飢餓状態のキメラと対峙することになった。
古代のキメラを完全に目覚めさせるための『新鮮な魔力の贄』として。強い魔力と生命力を持つ都合の良い俺たちが、あの伯爵に選ばれたのだ。
コンコン。
窓ガラスを叩く、控えめなノックの音。
返事をする前に窓の鍵が音もなく外れ、闇夜の風と共に人影が滑り込んできた。
「さっき言ってた野暮用って、一人で闇討ちに向かうこと?」
月光を背負って入ってきたのは、漆黒のフード付きマントを羽織ったセレナだった。手には愛用の剛弓が握られている。
「……何で窓から入ってくるんだ。ガルドとリーネはどうした」
「高級食堂で巨大ステーキとフルーツタルトを幸せそうに食べてるわよ。で?」
セレナがベッドの端に腰掛け、脚を組んだ。
研ぎ澄まされた金色の瞳は「誤魔化しは通じないわよ」と語りかけてきている。
「あなたはこんな時間に、抜け駆けしてどんな『野暮用』を済ませにいくつもりだったの?」
レイドは観念して、重い溜息を吐き出した。
「……ヴェイン伯爵の大屋敷に、単独で忍び込む」
「は?」
「明日の遺跡調査は罠だ。俺たちを魔獣の餌にする死地に飛び込む気はない。だから朝までに伯爵の屋敷の地下に潜入し、あいつが『虚無の教団』と繋がっている証拠を盗み出す。それを騎士団本部に突きつけて告発すれば、伯爵は拘束され依頼自体が白紙になる」
セレナは狂った作戦の全貌を聞いて心底呆れたように額を押さえた。
「あなた……頭がおかしいの? 王都に来た初夜に一番権力を持っている大貴族の屋敷に、冒険者が単独で不法侵入する? 見つかったら即死罪で首が飛ぶわよ!」
「だから俺一人で隠密に行くつもりだったんだ。お前たちを大罪の危険に巻き込むわけにはいかない」
「……」
セレナは無言でレイドの固い決意を見つめ返し、小さくため息をついて立ち上がった。
「私も行くわ」
「……たった今、俺のことを頭がおかしい大馬鹿だと言っただろ」
「ええ大馬鹿よ。でも、エルフの精霊警戒網をすり抜けてきた私の隠密技術は人間の泥棒の比じゃないわ。最高のエルフが見張りと逃走ルート確保をやった方が、作戦の成功率は跳ね上がるわよ」
セレナの瞳の奥に、絶対に意志を曲げない力強い光が灯っている。
この目をしている時の彼女が絶対に引かないということを、レイドは一周目の記憶から理解していた。
「……不測の事態で足手まといになったら、見捨てて置いていくからな」
「こちらのセリフよ。遅れて足を引っ張らないでね、不器用なリーダー」
◇
深夜の王都第一区郭。
ヴェイン伯爵の邸宅は、貴族街の中心において一際凶悪な威圧感を誇っていた。
高くそびえる冷たい石壁と、重武装の私兵たちの定期的な巡回警備。
屋敷の裏手の樫の木の上。闇に姿を溶け込ませた二人は、警備の動線を冷徹な目で観察していた。
「……夜の私兵の数が多すぎるわね。ただの護衛にしては過剰だし、足運びの練度が軍の正規兵並みよ」
セレナが小声で呟く。
「ああ。あれは教団本部から派遣された『戦闘員』だ。裏では暗殺もこなす狂信者連中だ」
「……なんでこの街に来たばかりなのに組織図の末端まで知ってるのよ」
「長年の、勘だと言ったろ」
「また都合のいい『勘』ね。今は信じてあげる」
セレナは弓を構え直した。
「次の交代の警備が中庭の角を曲がる数秒の隙間に、魔法の補助で壁を越えて二階のバルコニーに直接飛び移る。空中での猶予は三秒以内よ。いける?」
「余裕だ。飛び移ったら、鍵の解除は俺が五秒でやる」
二人の呼吸が完全に一致する。
「——ここよ、今!!」
音もなく二人は枝を蹴った。
石壁の頂点をつま先で蹴り上がり、二階のバルコニーへと獲物を狙う豹のように流麗に着地する。エルフの風の加護により一切の物音を立てなかった。
着地と同時にレイドがガラス窓に短剣を差し込み、金具を外す。五秒かからず窓が開き、二人は屋敷の廊下へと影のように滑り込んだ。
「目当ての『裏の証拠』はこの広い屋敷のいったいどこにあるの?」
「……地下だ。一階の伯爵個人の書斎に、教団の秘密の祭壇へ続く隠し扉があるはずだ」
一周目の終盤、教団の拠点を制圧した際に得た、王都に潜む協力者のリストと拠点構造図。
記憶の地図だけを頼りに、レイドは月明かりすら差さない廊下を迷いなく進む。
書斎の扉の前。二重の鍵を物理的に外し、中に入ると、壁一面の本棚の一番右端の古書を引き抜いた。
カチリ、と重いロックが外れる音が響き、本棚の壁そのものがスライドして、地下へと続く石造りの階段が現れた。
「……本当に設計図が最初から頭の中に入っているみたいに迷いがないわ」
「感想は全部終わった後にしてくれ。行くぞ」
カビと古い血の匂いが漂う階段を降りた先には、魔石の青い光に照らされた広大な地下室が広がっていた。
部屋の中央に鎮座しているのは、怪しげな溶液で満たされた巨大な円筒形のガラスケース。
その中には——どろどろに溶け崩れかけている巨大な黒い球体の『半身』が浮かんでいた。
「あれは……噓でしょ……っ」
セレナが青ざめ、息を呑んだ。
「間違いない。『虚ろなる苗床』の残骸のコア部分だ。辺境樹海で壊したものと全く同じ……。あれを魔獣の培養のためにここの地下で使ってたってわけか」
レイドは部屋の奥の執務机に向かった。
引き出しから溢れんばかりの羊皮紙のファイルと、黒い五芒星の封蝋が押された何通もの未開封の手紙が無防備に放置されていた。
「手紙の差出人は『虚無の教団・第四の導師』。……ビンゴだ。伯爵は教団と完全に軍事的に繋がってる。これで完全な一発アウトだ」
レイドがその手紙の束を懐にしまい込んだ、まさにその瞬間。
「——誰だッ! そこで何をしている!!」
地下室に降りてくる階段の入り口から、空気を裂くような男の声が響いた。
抜き放たれた血生臭い曲刀を手にした三人の教団兵上がりの私兵が、殺気をみなぎらせて睨みつけている。
(見つかった……! 隠し扉が開いたことで、時限式の魔力センサーが働いたか!)
「セレナ、証拠の回収は完了した! こいつらを生かしておいたら確実に上に援軍を呼ばれる! 一瞬で突破するぞ!」
「ええっ! 私の弓に合わせなさい!」
レイドが長剣の鞘を払い、セレナが至近距離で二本の矢を剛弓に番え。
二人は教団の私兵たちに向かって、猛烈な速度で突進を開始した。
静かな王都の夜の地下室に、激しい金属の衝突音と断末魔が無慈悲に響き渡った。




