第19話「死闘の果て」
「おらアアアアアアアアァァァッ!! 受け取りやがれバケモンがァァッ!!」
レイドが命を削る極限の回避とゼロ距離への踏み込みの中で作り出した、たった一瞬の『男が大鎌を空振りして硬直した無防備な隙』。
その致命的な隙に向かって、真っ先に咆哮とともに飛び込んだのは、ガルドだった。
神速の重い踏み込みから放たれた、ガルドの全身の体重と異常な腕力の全てが乗った鋼鉄の大盾によるシールドバッシュが。防御手段を失った無防備な男の左脇腹を、岩を砕くような音を立てて強烈に粉砕する。
「——ガハッ!?」
仮面の下から苦痛の息を漏らし、肋骨を数本砕かれながらも、男は大幹部としての異常な執念と反応速度で、空いた左手に致死量の黒い魔力球体を高速で練り上げ、ガルドの顔面ゼロ距離で自爆紛いに放とうとした。
「させないッ!!」
だが、その男の手の動きの意図を完全に読んでいたリーネの、無詠唱による最大出力の真空刃が、容赦無く男の左手首の魔力回路を正確に深く抉り取る。
ブツッ、と魔力の経路を切断されたことで、練り上げられていた強大な魔力球体が男の左手の上で暴発し、男自身の左腕を肘のあたりまで黒焦げに焼き尽くした。
「ぐああぁぁッ!?」
防御も魔力の反撃も完全に封じられ、体勢を大きく崩して無防備に天を仰いだ男の、そのコンマミリのわずかな隙間を縫って。
弓の弦がちぎれんばかりに極限まで魔力を込めて引き絞られていた、セレナの放った必殺の神聖矢が、漆黒の夜空を切り裂いて一直線に飛来する。
男の法衣が自動で展開した強固な防御結界を、まるで濡れた薄紙を突き破るかのように容易く貫通し、光の矢は男の『大鎌を握る右肩の関節』へと深々と、そして正確無比に突き刺さった。
「オ……アォォォォォォォォッ!!」
男の仮面の口から、これまでの一切の余裕と傲慢さを消し飛んだ、この日初めての明確な苦痛の絶叫が漏れ出す。
光の矢の浄化の激痛によって右腕の握力を完全に失い、男の握っていた巨大な血色の大鎌が、ガランッと情けない乾いた音を立てて石畳の地面へとこぼれ落ちた。
「たかが……我ら神の使命を帯びた五柱の幹部たるこの我が! ただの脆弱な人間と耳長風情の奇襲ごときに……ッ!」
右肩から大量の黒い血を流し、怒り狂った男は、焼け焦げた左手で法衣の内側に隠し持っていた予備の毒の短剣へともがくように強引に手を伸ばそうとする。
だが、彼がこの後の未来の残りの人生で足掻くための時間は、もはやそこまでだった。
「——遅い。全てが、俺の仲間より遅すぎるんだよ」
いつの間にか。
完全に大鎌を取り落とし、身動きの取れなくなった無防備な男の懐の、さらに内側の完全なゼロ距離に。
誰よりも低く、極限まで右足のバネを圧縮して深く沈み込んだ体勢のレイドが、銀の長剣を大上段に振りかぶって、完璧な殺意と共に潜り込んでいたのだ。
この孤独だった五年間のループの中で。誰もいない一人きりの冷たい夜の野営地で、もう二度と会えない仲間たちの顔を思い出し、ただ無力な血の涙を流しながら、何度も何度も……何千回も、狂ったように空に向かって振り下ろし続け、ひたすらにシミュレーションしてきた、俺の復讐の軌跡のすべての一閃。
あのあの日、自分の力不足と傲慢な策士気取りのせいで、理不尽な暴力に散っていった仲間たちへの、重すぎる後悔の全てを。
今を生き、俺の命を信じて背中を預けてくれた、この最高の三人の仲間たちがこの瞬間に繋いで作ってくれたこの『極上の奇跡の隙』に。
今の俺が持つ魂の剣撃の、全てを乗せて叩き斬る。
「——これで、本当に終わりだ。過去の理不尽な亡霊ども!!」
レイドの全身の筋肉の繊維の全てが爆発的に弾け飛び、雄叫びとともに渾身の斬り上げが空へと放たれた。
ズッバァァァァァァァァァァァンッ!!
鋭い銀色の軌跡の閃光が、大幹部である男の強固な肉体を、右の腰骨のあたりから左の肩口まで、対角線上に完全に一刀両断に深く斬り裂き、切り飛ばした。
男の着ていた高位の黒い法衣がボロボロに裂け飛び、顔面に張り付いていた不気味な白い仮面が、パリンと真っ二つに割れて地面に落ちる。
切断された巨大な傷口からは、赤い人間の血の代わりに、まるで世界の呪いそのものが凝縮したかのようなドス黒い瘴気が、凄まじい勢いで滝の如く盛大に噴き出した。
「ば、かな……大いなる計画を完遂するはずの……この我が。こんな、名もなき下等な人間ごときに……」
男の肉体が、足元からパラパラとボロボロの黒い砂のような塵となって無様に崩れ始める。
割れて地面に落ちた仮面の奥から現れた、その氷のように冷たい無表情な素顔の瞳が、最後にレイドの顔を激しい怨嗟と共にジロリと睨みつけた。
「……忘れるな、時間を歪めた小虫よ。『予定』が今回のように大きく狂い、歪んだ以上。我ら大いなる同胞は、この未来においてこれより一切の手段と犠牲を選ばぬ。……いずれお前も、強引に延命させたこのエルフの里も、全ては絶対の予定調和である虚無の焦土へと還る運命だ……」
呪詛のような怨念の言葉を空気に残し。
教団の最高位の大幹部であった男の身体は、完全に黒い塵となって夜風に吹かれ、虚空へと跡形もなく霧散した。
残されたのは。男が持っていた、持ち主を失って真っ二つにへし折れた巨大な血色の大鎌の残骸と。
激しい死闘の直後とは思えないほどの、耳が痛くなるような静かで涼しい夜の森の静寂だけだった。
「…………っ、はぁっ、はぁっ」
あの一瞬の極限の回避とゼロ距離の踏み込みによる限界の代償で、レイドの全身の筋肉の疲労と神経の昂りは完全に焼き切れ、握った剣の刃をだらんと地面に下げたまま、一歩もその場から動くことができなかった。
自分の心臓の音だけがうるさく鳴り響く中、限界まで荒い息を吐き続けていると、背後からドタドタと重い足音がものすごい勢いで近づいてきた。
——ガシィィィィィッ!!
直後、ガルドの太く強靭な丸太のような両腕が、レイドの背中側から、レイドの肋骨がミシリと軋むほどの凄まじい力でおもいっきり抱きしめたのだ。
「馬鹿野郎が……ッ! 心臓が口から飛び出して止まるかと思ったじゃねぇか……ッ!!」
普段はどんな巨大なモンスターの咆哮にも決して怯まない豪傑の大男が、レイドの肩口に顔を埋め、ボロボロと子どもみたいに泣き出しそうな裏返った声で、激しく震えていた。
「お、おいガルド、頼むから力抜け。死闘の後のお前のハグで、俺の背骨がマジで折れる……ッ」
「うるせぇ!! お前が刃に当たらずに、五体満足で生きてっからいいんだよ!! もしお前の首にカスってたらどうするつもりだったんだ! 二度と俺たち置いてあんな無茶な一人きりの囮やるんじゃねぇぞ!!」
そこへ、杖を片手に持ったリーネがツンツンと怒った顔で歩み寄り、ガルドの太い腕をペシペシと何度も叩いてレイドを解放させた。
だが、その彼女の大きな瞳にも、溢れんばかりの安堵の涙がいっぱいに浮かんでおり、声はひどく上ずっていた。
「本当に、私の寿命だけが十年以上縮んだわよ。……バカレイド。死んだら許さなかったんだからね」
「……すまん。でも、お前たちなら必ず俺のあの無茶な意図を完全に汲み取って、俺が隙を作った最高のタイミングでドンピシャで火力を合わせてくれると……心の底から信じてたさ」
レイドが照れ隠しで苦笑すると、リーネは「私たちは幼馴染みでパーティーを組んでるんだから、そんなの当たり前でしょ。馬鹿にしないでよね」と、プイッと顔を赤くしてそっぽを向いた。
そこへ、弓を背負ったセレナが、静かな足取りで三人へと近づいてきた。
彼女の美しい横顔には、自分の故郷である里を守り切れたことへの深い安堵と、この人間たちの途方もない絆に対する深い驚きが入り交じっていた。
「……本当に、あなたたちは私が今まで出会った中で、一番規格外のどうしようもない人間たちね。あれほどの理不尽な神話クラスのバケモノ相手に、たった四人の近接連携だけで完全勝利するなんて、エルフの常識と歴史じゃ絶対に考えられないわ。……それに、レイド。あなたのその狂った執念という人間の異常さにも、本気で恐れ入ったわ」
「俺はただ、一人で無様に逃げ回ってただけだ。俺の最後のあの剣が通る形を完全に作ってくれたのは、間違いなくあなたたち三人がいたおかげだ」
「ふふっ。それを人間たちは『他者への絶対の信頼』と呼ぶんでしょう? ……本当にあなたたちは、私がこの目で見てきた中で、最高に最強で、とてもいいパーティーね」
セレナが、張り詰めた糸が切れたように、月の光の下で心からの柔らかく美しい笑みをこぼした。
その三人の笑顔を見た瞬間。
レイドの胸の奥深くで、あの五年間の地獄を一人で生き抜くために分厚く凍りついていた何かの「孤独の呪い」が、この仲間たちの温もりによって、完全に音を立てて溶け去っていくのをハッキリと感じた。
「——ああ。俺にとっては、こいつらは世界最高のパーティーさ」
レイドの確信に満ちた言葉に、ガルドとリーネが照れくさそうに顔を見合わせて笑い声を上げた。
大樹海ティルナノグの一番奥深く。未来の予定調和である強大な絶望の運命を、過去の記憶ではなく自分たち自身の手と力で完全に打ち砕いた最高の四人の明るい笑い声が、夜明けの澄んだ青い空気の中に、どこまでも高く遠く響き渡っていった。




