第16話「崩れる大前提」
「おおおおおらァッ!! 邪魔だド三流共ォォッ!!」
ガルドの放つ渾身のシールドチャージ。地を削り、空気を震わせるその圧倒的な質量攻撃。
だが、一直線に突っ込んできたガルドに対し、三十体の黒い影たちは重力という存在の概念を完全に無視したかのように、フワリと羽毛のように跳躍してその超威力を美しく躱した。
そして流れるような無駄のない動きでガルドの完全な死角である背後に回り込み、両太ももの裏、膝の重要な靭帯だけを的確に短剣で斬りつけた。
「ぐおっ……!?」
傷口自体はごくごく浅かったが、そこから黒い猛毒の靄がまるで生き物のように直接筋肉の組織に流れ込み、普段なら骨が折れても痛みを感じないはずの屈強なガルドの太い顔が、強烈な苦痛に悲惨に歪み、片膝をドスンと勢いよく泥に突いてしまう。
「ガルドから離れなさいッ! 『千の真空』!!」
リーネが一瞬の機転を利かせ、一発あたりの威力を大幅に落とした代わりに「数千発の不可視の真空刃」を全方位に向けて嵐の如くまき散らす。
いかに対魔術用の特効短剣を持っていようと、物理的な圧倒的『数の暴力』を一本の短剣で完全に捌ききることはできない。無数の風刃が黒い外套を細かく切り裂き、その完璧に制御されていた影たちの突撃の姿勢を不意に大きく崩してみせた。
その体勢が崩れたコンマ数秒の間髪を一切入れず。
上空の枝に待機していたセレナが、三本の白銀の剛矢を同時に番えて放つ。
シュドォォォォンッ!
風切り音すら残さずに飛来した矢は、体制を崩した三体の『右足の甲の隙間』だけを、硬い石畳ごと深く貫いて完全に縫い留めた。
「——そこだッ!!」
三体の機動力が完全にゼロになった、その奇跡的な瞬間。
レイドが地面を這うような低空で滑り込むように肉薄し、遠心力の全てを乗せた大回転の横薙ぎを一閃。
ズパァァァァァァァァァンッ!!
足元を縫い留められていた三体の胴体が、鎧ごとスパッと真っ二つに薙ぎ払われ、気味の悪い黒煙のノイズを残して虚空へと無音で消失した。
「よし、まず三体——」
レイドが口内の血の味をペッと吐き出した刹那。
頭上の闇の空から、今までの三十体とは比較にならないほどの『最大級に凝縮された殺気』が四人の頭上に降り注いだ。
聖樹のさらに高い見えない枝から、別働隊として潜んでいた『追加の六体の影』が、黒い隕石のように重力に任せて急降下してきたのだ。
「上空から強襲ッ!! レイド、リーネ、そこから一歩も動くなッ!!」
ガルドが咄嗟に毒で激しく痛む足で強引に踏ん張り、大木のような両腕で巨大な大盾を水平に掲げ『巨大な鋼鉄の傘』を作った。
ガガガガガガァァァァァァァンッッ!!!
六本の凶刃と、高高度からの落下エネルギーの全てが、同時にガルドの大盾に激突する。
六人同時の強烈なドロップキックに等しい致死量の衝撃に、ガルドの太い足の筋肉の繊維がピキピキと千切れかけ、膝の関節が耐えきれずに嫌な悲鳴を上げた。
だが、教団の真の恐るべき狙いは、ガルドによる上空からの圧殺などではなかった。
ガルドが上からの異常な攻撃を『強引に防ぎ切って足が完全に止まった』という絶望的な一瞬の隙を突いて、地上の残りの十数体が一糸乱れぬ完璧な動きを見せたのだ。
彼らはガルドの傘の下に身を寄せている四人を完全に隙間なく包囲し、一斉に毒の短剣を石畳の地面に深く突き立てた。
『——第二種・閉鎖呪術結界、起動』
ブワァァァァァァァッ!!
深く突き刺した十数本の短剣から、薄紫色の不気味な『ドーム状の巨大な呪術結界』が急速に立ち上がり、四人の周囲を完全に覆い尽くして密室に閉じ込めた。
「レイド、これただの壁じゃないわ! 内側のあらゆる魔力と生命力を強制的に吸い上げて腐敗させる、悪魔の呪術の結界よ!」
リーネが外に向かって最大の風刃を放つが、結界のドームの壁に触れた瞬間に、まるで水滴が泥に吸収されるようにジュワッと消滅してしまう。
「私の上空からの矢も、結界の表面で全部無力化されて弾き返されているわ!」
結界の外へ弾き出されたセレナの悲痛な叫び声が、分厚い結界越しにわずかに聞こえる。
中からの攻撃は全て吸収され、外からの援護も完全に弾く、絶対防御の檻。
だが——一番外にいる影たちからの短剣の突き刺しや、毒の飛沫だけは結界の壁を一方的に透過して降り注ぎ続けるという、物理の理を完全に無視した最悪の仕様空間だった。
頭上からの六体の全体重による絶え間ない圧殺。
地上からの、一方的に透過してくる防げない凶刃と毒の雨。
リーネの魔法とセレナの弓の完全な機能停止。
(こんな出鱈目な完全特化の理不尽な戦術、五年間の記憶のデータベースのどこを探しても情報が存在しない……!)
大盾を下敷きにして、血を吐きながらも耐え続けるガルドの横で、レイドは絶望的に奥歯を噛み締めて血を滲ませた。
自分が運命のシナリオを傲慢に無視して、歴史を大きく変えた代償。世界そのものが、巨大な悪意をもって俺という「バグ」を完全に修正し、息の根を止めに来ているとしか思えなかった。
前世のあの日と同じように、俺の力不足のせいで。またここで理不尽な暴力により、大切な仲間たちが無惨に死んでいくのをただ見ているしかないのか。
『——終わりだ。歴史を修正するための最初の礎となれ』
無機質な彼らの宣言と共に、結界全体が強烈な恐ろしい圧縮音を立て始め、内側の四人をまとめてミンチにするために『強制的な収縮』を開始した。
このままでは、三十秒も経たずにレイドたちは肉の粉にされる。
「レォォォォォォォォイドォォォォォッ!! 何固まってんのよ起きろォォォォォッ!! 指揮官なんでしょ!!」
リーネの泣き叫ぶような、祈りと怒りに満ちた悲鳴が、諦めかけたレイドの落ちる意識を現実に引き戻した。
横を見れば、そこには『今の仲間たち』が、絶対に諦めることなく希望に満ちて抗っている姿があった。
リーネは自身の魔力が完全に枯渇しかけ、鼻血を流してもなお結界に抗う術を探し続け。ガルドは全身の太い血管をちぎって血を流しながらも「まだまだァ!」と吼え、大盾を一ミリも下げずに執念で支え続けている。
そして結界の外のセレナは、自分の身が安全な場所に逃げることなど一切なく、結界の一番強度が薄いウィークポイントを鋭く睨みつけ、レイドからの反撃の合図の弓を構えてギリギリまで待っている。
レイドは自身の心の奥底にある弱音を叩き潰すように、自身の左の頬を右の拳で全力で毆りつけた。
パァァァァァァァァンッ!!という破裂音が響く。
「痛ッ!? なに突然自分の顔を本気で殴ってんのよ!?」
「ただの特効薬だよ! 指揮官の俺がウジウジしてたら、お前らが無駄死にするからな!」
赤く腫れ上がったレイドの顔には、もう一切の絶望もない。ただ目前の理不尽な強敵を本気で食い殺すための、狂気に満ちた獰猛な笑みが浮かび上がっていた。
「リーネ!! 結界が内側の魔力を吸収してエネルギーにする仕様なら、それを逆に手を取れ! 今お前に残ってる魔力全部と、結界の『腐った呪力』を最大出力で激突させて、意図的に『大爆発の魔力暴走』を陣の内部の壁際で起こせ!!」
「はあぁっ!? 失敗したら私たちも木端微塵に吹っ飛ぶわよ!? ……でもやってやるわよ!!『閃光』『爆雷』『灼熱』全属性の魔法、私の身の危険の制限解除で混合全弾発射ァァァァッ!!」
リーネが自身の命を削るようにリミッターを完全に外し、危険でひどく不安定な赤と青が混ざった魔力を強引に練り上げた。
「外にいるセレナ!! リーネが中からの自爆攻撃で、結界の分厚い壁に一瞬だけ小さな亀裂を走らせる! コンマ一秒の瞬間にのみできる針の穴を通して、外側の影たちの『魔力の供給源である短剣の根本』を貫通矢で直接撃ち抜け!」
「了解よ!! 一点の見えない隙間さえあれば十分、私のエルフの最高の目を信じなさいレイド!」
「ガルド!! 壁に穴が空いた瞬間、大盾の弾き返す反動を利用して、俺を外の影たちのど真ん中へ向かって力一杯放り投げろ!!」
「オウッ!! お前が的になりゃいいんだな!? 最高の人間空中ブランコで大空飛ばして見せてやるぜェェェッ!!」
レイドは、自分の頭の中にある『過去の記憶』という名の安全な引き出しに、二度と開けないように永遠の鍵をかけた。
未知の圧倒的な脅威を打破できるのは、記憶でも未来の知識でもチート能力でもない。
今この場で、互いの命を完全に懸けて燃やし合う、四人の仲間たちとの無謀で美しい『即興の連携』こそが。
この閉ざされた死の運命を絶対に突破するための、たった一つの『完全なる絶対の正解』なのだと確信した。




