魔道士クエスの珈琲ライフ
……ふぅ。やっぱり、ここの深煎りは最高だ」
木漏れ日が差し込む『喫茶・銀の匙』。クエス・ノーランは、使い込まれた陶器のカップを口に運び、深く息を吐き出した。鼻腔をくすぐる香ばしい豆の香りに、肩の力が抜けていく。
「クエスさん、また朝からそんな顔して。平和ですねぇ」
呆れたような、それでいて親しみのある声をかけたのは、看板娘のリーザだ。彼女が置いたプレートには、こんがり焼けた厚切りトーストと、地鶏の卵で作った目玉焼きが乗っている。
「平和が一番だよ、リーザちゃん。三食しっかり食べられて、美味いコーヒーが飲める。これ以上の幸せがこの世にあるかい?」
「それはそうですけど……。ギルドの方じゃ、また『勇者候補』の選別が始まったって大騒ぎですよ? クエスさんだって、その気になれば魔王討伐の遠征軍に選ばれるくらいの魔力はあるんでしょ?」
クエスはトーストをサクッと囓り、大真面目な顔で首を振った。
「無理無理、絶対無理。魔王討伐なんて、命がいくつあっても足りないよ。いいかい、僕のモットーは三つ。『無理しない』『ケガしない』。そして……」
「『ソロはしない』、でしょ? 耳にタコができるくらい聞きました」
「そう、正解。一人は怖いからね。何かあった時に守ってくれる仲間がいないと外には出ない。でも、その仲間と命を懸けるのも疲れちゃうから、結局こうして街でカフェ巡りをするのが一番なんだ」
クエスは、窓の外を忙しそうに走り回る若手冒険者たちを眺めた。彼らは皆、ギラギラした目で手柄を求めている。
「あんな風に、泥にまみれて魔獣を追いかけるのは僕の性分じゃない。僕はただ、美味しい朝食を食べて、昼には新しい豆を求めて隣町のカフェまで馬車に揺られ、夜には温かいスープで一日を締めくくりたいだけなんだ」
「贅沢なスローライフですね。でも、それじゃ依頼料が入らないじゃないですか」
「だから、週に一度だけ『薬草の調合』の依頼を受ける。これは安全だし、ギルドの地下室で座ってできる。ケガもしない、無理もしない。完璧なライフプランだよ」
そこへ、店の扉がカランカランと音を立てて開いた。入ってきたのは、大剣を背負った銀髪の女戦士、カリーナだ。
「おい、クエス! 探し回ったぞ。今日の『街道警護』、お前の結界魔法が必要だ。報酬は弾むぞ、来い!」
クエスは露骨に顔をしかめ、コーヒーカップの影に隠れるように身を縮めた。
「カリーナ……声が大きいよ。あと、断るって言ったはずだ。今日はこれから、裏通りのカフェで新作のタルトを試食する約束が自分自身とあるんだ」
「自分自身と約束するな! いいか、今回は腕利きの前衛を三人揃えた。お前は後ろで座ってバリアを張っているだけでいい。お前の言う『ソロはしない』の条件に合致しているだろう?」
「……前衛が三人? 本当に強い人たち?」
「ああ、私が保証する」
クエスはうーんと唸り、残りのコーヒーを飲み干した。
「……ケガ、させないって約束する?」
「かすり傷一つ負わせんよ」
「無理な行軍は?」
「疲れたらすぐ休憩だ。お前のために高級な茶葉も用意させた」
クエスは深くため息をつき、渋々立ち上がった。
「……わかったよ。三食の食事代と、次に行くカフェの軍資金のために働くとしよう。でも、ちょっとでも危なくなったら僕はすぐに結界に閉じこもるからね」
「ああ、それでいい。行くぞ!」
強引に腕を引かれ、クエスは店を後にする。リーザが笑いながら見送った。
「いってらっしゃい、クエスさん! 夕飯までには帰ってきてくださいね!」
「……帰るよ! 帰ってきて、今度はここのスコーンを食べるんだから!」
魔王討伐? 世界の救済?
そんな大きな荷物は、それを望む誰かに任せればいい。
クエス・ノーランの望みは、あくまで「明日も美味しいコーヒーが飲めること」。
太陽の光を浴びながら、彼は心の中で今日の夕食の献立を考え始めた。もちろん、無理のない範囲で。




