温泉 1
『月隠れの湯』——ゲッコウタウン店。
そこは、未来のハイパー銭湯だった。
(※ハイパー銭湯=スーパー銭湯の進化系らしい)
名前はアホっぽいが、要するにクラシカルなスーパー銭湯である。
この未来には、意外と風情も残ってるんだ。
「イラッシャイマセ~」
店員たちは卑屈な笑みを浮かべ、マニュアル通りに頭を下げている。
責任者以外、ほとんどが人間だった。
未来では、人間が働かなくてもいい社会になっている――
……はずだったのに。
「見ろよこの現実ッ! AIにこき使われてんじゃねぇか!」
俺はひとり、受付前で吠えた。
(何があった、未来……)
それが明かされるのは、もう少しだけ先の話。
――まあ、でも正直ありがたい。
人工の冬とはいえ、冷えた体には温泉がしみる季節だ。
俺も、風呂は嫌いじゃない。
レトロな券売機に指を伸ばし、チケットをぽちり。
その瞬間――
「……なにをしている、ロースロイド」
「んあ?」
ポンコツAI執事・ベックが、どや顔でこちらを見下ろしていた。
「奴隷が温泉に入る必要はない。お前の仕事はこっちだ」
そう言って、彼は風呂掃除中のスタッフを指さした。
……そのスタッフたちが、ヒソヒソと何か話している。
<あれ……ユク様のとこの新入り?>
<うっわー……可哀想。てかアホっぽい>
「聞こえてんぞおおおお!!!」
「悪いな、キョウジ」
そのとき、温泉セットを抱えたユクが現れた。
「ユク!!」
「敬語を使え、ロースロイド」
ズギュン、と足を踏まれる。
「う……ユク様……」
くそっ……絶対こっちのが年上だってのに。
「今日は“ドッグトレーニング”の一環だ。働き方を覚えてもらう」
「今、“ドッグ”って言ったよな!?」
「制服を用意した。好きなのを選んでくれ。
……個人的には、これが一番キョウジに似合うと思うけど」
差し出された三つの衣装。
ひとつはカフェバイト風のエプロン。
もうひとつは武士が着てそうなガチ袴。
そして最後の――謎の丸まった布。
(ん……?)
広げてみると、そこには――
群青の地獄が現れた。
――スクール水着である。
しかも胸元には、でかでかと「キョウジ」の刺繍入り。
「着れるかぁぁぁッッッ!!!!」
俺はその日一番の勢いで、それを床に叩きつけた。
「……キョウジ……」
ユクが、ふいに視線を落とした。
伏せた睫毛が長く影を落とし、端正すぎる横顔が静かに沈黙する。
そして、頬をすっと――一筋、涙が伝った。
「……私、一生懸命……選んだのに……」
その声は、かすかに震えていた。
彼女の小さな手が、まだ差し出されたリードを握ったまま、わずかに震えている。
「き、きさまぁ!ユク様のご厚意を……っ、なんたる非礼!」
ベックがキレ気味に詰め寄る。
(いや待て、なんだこの空気……!? 泣く!? え、うそ!?)
ユクの思わぬ反応に、あきらかに動揺するキョウジ。
「……俺、悪いのか?なあ、俺が悪いのか?!」
なんでだ……俺は間違ってないのに……
だがその瞳に浮かぶ涙が、俺の背中を押した。
そして、俺は――"それに着替えた"。
「……やっぱり、似合ってるじゃないか。キョウジ」
ユクは、涙で滲んだ瞳のまま、
それでもどこか誇らしげに、俺をまっすぐ見つめていた。
「ふむ。さすがユク様のお見立てですな」
鏡を見た。
そこには、スクール水着を着た――
変態が立っていた。
「未来……地獄かよぉぉぉ!!!」
びりびりびりっっ!!!!
俺は、水着を破り捨てた。
「……じゃあ、次はこれかな?」
ユクは、もう泣いていなかった。
その端正な顔に、悲しみの名残などどこにもない。
代わりに浮かんでいたのは――ごくごく自然な、笑みだった。
彼女の手には、ふわりと舞うように、次なる“奴隷衣装”が握られていた。
「…………うさ耳エプロン……だと……ッ?!」
一体、あの涙はなんだったのか。
だが俺にその答えを求める余裕など、もうなかった。
――そして、誰も得しない地獄温泉回が、開幕してしまった。