かずちゃんと私
かずちゃん
私には2つ上の幼馴染がいた。名前はかず子、かずちゃん。
おっとりした女の子で、手足がお人形みたいに長くて、いつもひらひらのワンピースを着ていた。
かずちゃんは文章を書くのが好きで、よくお気に入りのノートにポエムを書いていた。カラフルなペンで書かれたそれを私はよく読んでとねだった。
かずちゃんは膝に手帳を広げて、いつも通りおっとりと微笑みながら、優しい声でポエムを音読してくれた。私はかずちゃんの肩に頭を預けて、かずちゃん家で飼っている猫の可愛いところ、友達と雪だるまを作って汗だくになったこと、家族と海で拾った貝殻の色の美しさを聞いた。
声を出すたび微かに振動するかずちゃんの体を感じながら、私はいつもうっとりしていた。
「あんたはかずちゃんといるとおとなしいわね」
母はよくそう言った。
私は男兄弟の末っ子として育ち、毎日兄と喧嘩して大騒ぎしていた。幼稚園の卒園式でワンピースを着て「似合わねー」と二番目の兄に言われてからは、なんとなくスカートやピンクは避けるようになり、伸ばしていた髪も切って、どんどん男の子っぽくなっていった。運動神経も良かったし、活発だったから、別に嫌ではなかった。喧嘩も強くて、男子からは「おとこ女」と呼ばれていた。
「かずちゃんのこと大好きなんだから」と言われて、私は顔がかーっと熱くなって、ただ黙ることしかできなかった。
かずちゃんの家で私がどんな風に振る舞っているかは、かずちゃんとかずちゃんのママ以外には知られたくなかった。
かずちゃんは違う学校に行っていたし習い事もしていたから放課後は時間が合わなくて、土曜日の午後、かずちゃんのピアノが終わったタイミングでお家にお邪魔することが多かった。
レースのクロスがかかったテーブルで、楽譜を抱えたかずちゃんとおやつを食べて(かずちゃんのママはいつも手作りのおかしとティーポットから淹れた紅茶を用意してくれていた)、かずちゃんの部屋に戻った。天蓋付きのベッドに二人で腰掛けて、たまにかずちゃん家の飼い猫マロンも一緒に、かずちゃんの詩を読んだり、絵本を読んだりした。かずちゃんの家はおとぎ話の中に出てくるお家みたいで、かずちゃんはそのお姫様だった。私はマロンみたいにかずちゃんに甘えて、かずちゃんのおとぎ話の中の一員になった気分を味わった。
ある時、うちの家族全員でお出かけすることになった。忘れ物をした母を玄関で待っている時、私はまた二番目の兄と喧嘩になった。一番上の兄と父は宥めてくれたが、うちは兄弟三人と父もみんな声が大きいから、相当うるさくて目立つ集団になっていたと思う。
私がついに兄を蹴ろうとしたのを一番上の兄が抑えた時、「こんにちは」と声がした。
振り返るとかずちゃんとかずちゃんのママがいた。
どこかへ出かける途中だったのだろう、二人は似た形の白いワンピースを着ていた。かずちゃんのママは日傘をさしていて、かずちゃんは小さな手に大人用のハンカチを握っていた。Tシャツ姿で格闘する自分たちとの差に、私たち一家は一瞬静まり返った。
「お世話になっています。今日はみなさんでお出かけですか?」
かずちゃんのママに言われて、父ははっと気を取り直して「そうなんです!ちょっと食事でも!」と言った。その声の大きさを私は恥ずかしく感じた。
そのまま二人は一言二言話したが、かずちゃんは人見知りしてママの後ろに隠れていた。「挨拶して」と促されたかずちゃんはその小さな頭をちょこんと下げて、また引っ込んだ。
もう、とかずちゃんママは呆れて笑いながら、それじゃおいとまします、楽しんでください、と父に言い、またお家に来てねと私に手を振った。私はそれにぎこちなく頷くことしかできなかった。
かずちゃんたちが去っていってから母がやっと家から出てくるまで、私たちはすっかり喧嘩の勢いも削がれて呆然としていた。駅に向かって歩き出した頃、二番目の兄がぼそりと口を開いた。
「お前、まだあの子と遊んでんの?」
この兄はかずちゃんと同い年だったけど、あまり話しているところは見なかった。私が肯定すると、兄は冷たい目で見下して言った。
「お前がどうやっても、あんな風になるのは無理だからな」
言われたことを理解した瞬間、私は体全部がカーッと熱くなった。
そんなこと分かってる、そんな気持ちでかずちゃんと仲良くしてたんじゃない!と反論したい気持ちと、かずちゃんとは住む世界が違うことを見せつけられ、図星をつかれた恥ずかしさと怒りでいっぱいいっぱいになった。
やりどころのない気持ちが収まらなくて、返事の代わりに黙って兄の足を蹴った。兄は「いってーな」と言ったものの、いつものようにやり返しはせずに歩いていった。
私は頭を熱くしたまま、ぐるぐると、かずちゃんなんて、かずちゃんなんて、と考えていた。かずちゃんなんて、いっつもヒラヒラばっかり着ててバカみたい。ポエムなんて書いてて恥ずかしい。うちのクラスにあんなことしてる子いない、おかしい子なんだ…。
かずちゃんを下げてなんとか自分を落ち着かせようとしたけれど、そんな自分が一番みじめで恥ずかしかった。一向に熱は下がらないまま、少しだけ涙が滲んだ。
「へー、そんなことあったんだ。全然覚えてないなあ」
かずちゃんは手帳の代わりにタブレット端末を持ち、あの頃と同じく長い手足を組んで優雅に座っていた。大人になったかずちゃんはひらひらのワンピースを脱いで、代わりにシンプルだけど仕立てのいいパンツとブラウスを身につけていた。
「でも、よしちゃんのお父さんのことは覚えてるなあ。その時に会ったのかな?」
「どうだろ、その後にも何回か会ってるかも。ほら、かずちゃんの成人式の時にさ…」
かずちゃんが淹れてくれたコーヒを飲みながら昔話をするのは、ここ最近かずちゃんと会った時の定番だった。今日はかずちゃんの新しい小説が発売されると決まって連絡を取り、いつも通りとめどない話をしているところだった。
「かずちゃんと仲良くするのって、楽しいんだけど、恥ずかしかったんだよね。私が仲良くしていいのかな、みたいな」
「ええ〜。そんな大した人間じゃないって知ってるでしょ? ピアノも服も母の趣味だもん」
「まあ今なら分かるけど、子どもの頃ってキャラとかすごく気にしちゃうものだからさ。今はもはや血が繋がってない姉だと思ってるから」
「私もそう思ってる。妹よ〜」
かずちゃんはおどけたけれど、私は本気でそう思っていた。私がメイクをしたいと言った時も、大学で部活をやりすぎて体調を崩した時も、転職の相談も、かずちゃんは一回も笑わずに話を聞いてくれた。かずちゃんなら人の悩みをバカにしないと分かっていたから相談できたし、そんな存在がいることがいつも支えになった。大人になったかずちゃんはおとぎ話のお姫様みたいではないけれど、私にとってはいつまでも大切な人だ。
「でも私はよしちゃんがうちに来てくれて本当に嬉しかった。よしちゃんがいなきゃ今みたいにはなってないよ」
かずちゃんは伏目がちに微笑んだ。
「よしちゃんがいつも私の話を聞いてくれるから、文章書くの好きになったし……。なにより、私が詩を読んでる時のよしちゃんが可愛くってさ! あの時間が長く続いてほしいから、なるべく長い文章にしようと毎日頑張って」
「ええ!」
知らなかった、と言うと、かずちゃんはニヤリと笑って「隠してたからね」と言った。
かずちゃんと出会って20年経つけれど、まだまだかずちゃんとは話し足りない。かずちゃんはやっぱり私の、私だけの国の王女様だった。




