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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

切り分けられた望み

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 空を自由に飛びたい、水の中をすいすい泳ぎたい……。

 自分がなじめない環境へのあこがれは、いつの時代もあるものだ。

 たとえ達成できないものと思っても、知らないことを知り、できないことができるようになることに、快さを覚えない人はそうそういないだろう。

 その追及は飛行機を生み、潜水艦を生み、人はその赴くことのできる半径を、確実に広げてきている。


 でも、自分のことに熱中すると、周りへの目がおろそかになりがちなのも、また事実。

 ひょっとすると、この地面に立つということを願ってやまない存在が、手を伸ばしていくケースもあるかもしれない。

 僕の聞いた話なんだけど、耳へ入れてみないか?



 その陥没をかわせたのは、まったくの偶然だったとおじさんは話してくれた。

 みんなとのボール遊びにはまっていた、小さいころのこと。

 いつも使っている空き地のひとつで、みんながぼつぼつと解散していった折だったらしい。

 家が近いこともあり、おじさんは最後まで空き地にとどまって、サッカーボールをリフティングしていたんだ。

 目標は1000回。

 何かしら、集中できるものを探して、即座にそれを実行するというのは、当時のおじさんがはまっていたことらしい。

 とにかく勉強が嫌いだったようでね。それをやらないためには、勉強以外で可及的速やかに取り組まねばいけないことをねじ込み、勉強の優先順位をどんどん下げていくのが得策。

 リフティング1000回も、そうして逃げるための大義名分のひとつだったのだけど。



 800回を過ぎたあたりだっただろうか。

 ももをあげてボールを受けたとき、思いがけずミートの瞬間がずれて、ボールがあさっての方向へ飛んでしまったんだ。

 なぜ? と理由を追求するより、反射的にボールを追いかけにいって、助かった。

 おじさんが離れてほどなく、リフティングしていたあたりの地面が、いっぺんに落ち込んでしまったんだ。


 ただの陥没でないことは、おじさんにもひと目でわかった。

 その穴は見事な三角形。包丁を入れられたホールケーキの一切れを、おじさんはイメージさせられたとか。その穴は底が見えないほど深く、落ちたら最後、自力でとても這いあがれそうにはなかったそうなんだ。

 九死に一生を得たおじさんは、夢中で逃げ帰って、ことの次第を家族へ話す。

 翌日にはすでに、穴のまわりにロープが渡され、穴そのものには重しを乗せられたビニールシートがかぶせられ、その姿はうかがい知れない。

 つくづく危ないところだった……と胸をなでおろすおじさんだけど、被害はこの一カ所にとどまらなかった。


 おじさんの住まう近辺で、同じように地面が落ち込んでしまうことがたびたび起こったんだ。

 河原から駐車場、交通量の多くないところとはいえ、道路のど真ん中へ至るまで、同じような陥没箇所が突然現れたとか。

 そこに飲み込まれた人や物も、あるとかないとか。

 あの一件以来、おじさんは地面の落ち込むその瞬間をとらえたわけじゃない。被害にあったものたちの話が、どこまで本当か分からない。

 それでも、シートに隠される前の現場へ通りかかったことは何度かあり、そこで自分が出くわしたものと変わらない、三角形の裂け目を目の当たりに。


 ――これは絶対、同じやつの仕業だぞ…。


 すでにポイントは10を超えるようになっていて、おじさんはこの奇妙なことをしでかす輩が何を企んでいるのか。いつ姿を見せてくるのか、びくびくしていたらしい。

 もし、本当にあの陥没に飲み込まれた人がいるなら、自分はそれを逃れ出てしまった身だ。

 どこからかぎつけられ、どのような目に遭わせられるかと考えると、家の外では始終、冷や汗をかきっぱなしだったらしい。



 結局、報告されたポイントは20前後に及んでから、ようやくおとなしくなった気配を見せる。

 季節は夏ごろを迎え、半袖短パンが子供たちの制服になりつつあった、暑い日のこと。

 夏休みに入ったおじさんは、さっそく友達からの遊びの誘いに乗って、出かけたおりにあの空き地の前を通りかかったんだ。

 例の陥没があって以来、子供たちからも敬遠され続けていたその場所の穴は、すっかり埋められて、シートやロープも姿を消している。

 ほぼ元通りになったと思われるその空き地で、水遊びをしている音が響いてきた。

 見ると、ほぼすっ裸な、おじさんより年下とおぼしき子供たちが、足元の水を互いにかけあって、はしゃいでいるところだった。

 空気入れてふくらませるビニールプールとかを、自前で持ち込んでいるのかなと、一瞥したおじさんは思ったものの、すぐ違うと分かった。


 彼らはプールじゃなく、大きな水たまりに浸かっていたんだ。

 そこはかとなく茶色いしぶきは、彼らが足を入れている、えぐられた地面のふちまでなみなみとたたえられた水のもの。

 7,8人の子供がそれぞれに間隔を保てるほど、その水たまりには余裕があった。記憶が確かならば、そこはかつて自分が落ちかけた、あの陥没のあった地面じゃなかったか……。


 驚いたのは、それだけじゃない。

 水たまりからわずかに離れたところの地面が、まわりの土とはまた様子が違っている。

 草まじる泥の姿から、がれきのごとく砕かれたコンクリートの破片たちまで。伝統的なものから、近年に至るまでの「足元」たちが平べったく敷き詰められて、じゅうたんを思わせる伸びとまとまりを見せていたんだ。

 はしゃぐ子供たちのうち、ひとりがふと神妙な面持ちになると、水たまりから上がる。

 腰に一枚布を巻くのみ。それすらもズタボロで、買ったり、つくろったりしたものというより、拾ったものといったほうがしっくりくるような、くたびれようだったとか。

 かの子供は、その雑多なもので敷き詰められた地面へおそるおそる足を伸ばして……転んだ。


 最初の一歩をまともに踏めず、じたばたする子供。

 ケガしたかと疑いそうなぶざまっぷりでも、周囲の他の子供は我関せずといわんばかり。

 視線のひとつもくれてやらず、自分たちの水かけ遊びに熱中している。友達、知人のたぐいじゃないのか、とおじさんもうすら寒いものを感じたらしい。

 転んだ子供は、よたよたと立ち上がる。けれどそのしぐさもなかなか足の裏を地面へ着けず、膝立ちの状態から「うん、うん」と声が出そうなくらい、背筋を伸ばしながら勢いをつけていたんだとか。


 立とう、とはしているのだろう。

 けれども、足の裏を地面につけるという、ごく自然にやっていく動作を、この子はなかなかできないでいる。

 ケガの線は薄そうだ。表情に痛がるような色が見えず、足のあたりをいたわるような気配もない。

 できないのではなく、知らない。その知らないのを、どうにか真似して、やろうとしている。そんな懸命さが、おじさんにはにじんで見えたらしい。

 それから這いずるようにして立ちかけ、また崩れ落ちるのを、足を止めてしまったおじさんは、何度もまなこに焼き付ける。

 ある意味、赤ん坊のようだ。この世に生を受けて、慣れない動作に体当たりでのぞんで、ひたすら繰り返していく。

 生まれて間もない弟、僕のお父さんを間近で見ていたこともあって、似たような雰囲気を、おじさんは子供から感じ取っていたらしい。


 と、不意におじさんの背後で、犬の吠え声が。

 突然のことで飛び上がってしまうも、振り返ったときには首輪のない犬が、無我夢中といった感じで、首をしゃにむに振り回しながら走っていくところだったらしい。

 当時、まだ野良犬はちらほら見かけることがあった。それでも、ここまでへんてこな走りをするやつは、これまで見たことがなかったらしい。

 でも、おじさんが真にビビったのは、そこからだった。


 ふう、とため息交じりに、空き地へ向き直ったときに、無数の視線が自分の身体をまっすぐに射抜いていたんだ。

 猫がじっと、こちらの様子をうかがうときを思わせる。まばたきすることなく、水たまりの中にいる面子も、土の上で何度も転んだ子も、一心にこちらをにらんできている。


 ――ここにいちゃまずい。


 居心地の悪さ以上のやばさが、おじさんの背を押す。

 見つめ返すのはよくないと、猫のときに聞いたセオリーのまま、そっぽを向いたおじさんは、本来の集合場所へ向けて駆けだした。

 全速力だった。


 何分ほど走っただろう。

 道草を食ったとはいえ、時間には少しゆとりが残り、集合場所はもう間近といったところ。

 遠目に、まだ友達の姿は見えない。安心ではあるが、思いもよらぬ酷使に、足を中心とした体が休みを訴えてきて、おじさんはついそれを受理してしまう。

 求められるがまま肩で息をし、酸素を取り入れていく、その無防備な時間をついて。


 ごぼりと、右手で水音が立った。

 地上において、そのような音が立つはずない……! などと考えていたときにはもう、右ほおを強烈な力ではたかれていた。

 手をつくことで、本当にかろうじて倒れきるのは防げたという、みっともない姿勢。

 充満する痛みにぐらつく視界の中、おじさんは自分の真横を、先ほどの転びまくっていた子が通り過ぎていくのを見たらしい。

 上半身こそそのままだけど、手拭いより先の足は二本に分かれず一本化。

 魚が持つような大きなひれとなり、それをくゆらせながら、さっと目の前の路地の一本へ隠れていってしまったんだ。

 おじさんの頬には、ひれのあとが赤々と残ってね。友達には心配されるし、家に帰っても引かないしで、さんざんだったそうだ。

 お父さんが物心ついたときに、うっすらと残った痕を見せてもらったとも話していたから、消えるのに何年もかかったみたい。


 あれは人魚、なのだろうかと、おじさんはその時のことを思い出す。

 我々が水の中へあこがれを持つことがあるように、水の中にいる彼らもまた、地上のことを想う。

 あれから時が経ち、人はより海の深くへ潜るすべを得ている。

 ならば彼らも、この地上へ違和感なく潜り込み、溶け込むすべを手にしておかしくないんじゃないかなあ、とのことさ。


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