青くて、熱い
凡そ、楽器とは縁遠い生活を送ってきた。
子供の頃はリコーダーのドレミすら満足に吹けず、部活体験で触ったトランペットは音すら出す事が出来なかった記憶がある。
別段、それで恥をかいたとか嫌な思いをした事も無かった。
同時に興味を惹かれた事も無かった訳で、以来、今に至るまで自分で楽器を弾くなんて考えを持つ事も無かった。
そんな私が映画館で何気なく見、心を鷲掴みにされ、何度も足を運んだ音楽映画が最近になって現れた。
BLUE GIANT。
今回は本作についての感想を記そうと想う。
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私がBLUE GIANTの映画を見る前、この作品について知っていた事は『音が聞こえる漫画』として高評価を受けていたという事くらいの物だった。
その情報を知った際に少しは興味を持ったものの、やはり音楽という物に大して関心が無かったからか、食指が延びるというまでには至らなかったのを覚えている。
朧げに描写が凄く上手いんだろうな程度の事を考えたのが記憶には残っており、そこからも分かる通り、本映画に対する興味も漫画と同等に薄い物であった。
自分が映画を見ようと思ったのは単なる偶然で、なんとなく映画館に来た時に直近のがこれだったというだけに過ぎない。
そんなぽやぽやとした気持ちで本映画を観た後、私の身体を突き抜けたのは衝撃と、消費し切れない程の熱さだった。
なんだこれは。音楽とは斯様にも人の心を震わし、感動させる物だったのかと驚いたのを今も覚えている。
話を戻そう。
本作は最初、雪降り荒ぶ天候の中でサックスを吹く主人公のシーンから始まる。
誰がどう見ても過酷な環境、そして聴衆など誰も居ない中で演奏する姿は一見すると奇妙に見えて仕方がなかった。
それでも血を流しながら吹き続ける姿を見るにつけ、この主人公は本当に音楽が大好きなんだなという事が映像から見て取れ、次第に観客は魅入られていく。
その背後を歩いていく猫が画面に映ると、主人公が猫に「仲間の所に行くのか」と呟き、そのまま無言のまま雪道を往く猫が映って終わる。
それを見て主人公は「きっと仲間に会える」と独り言ち、練習へと戻るのであった。
そのシーンを以て、この映画の行末を暗示しているのが心憎い演出だと言えるだろう。
その後、彼は田舎から東京へと飛び出し、自身の夢を掴む為に一人上京する事となる。
彼はここで二人の重要な人物と出会う事となる。
自らの才能と比肩しうるピアノと、情熱を持つ初心者のドラムとだ。
そして主人公は此処でバンドを組む事となり、物語は此処で二つの側面を持つ様になる。
成り上がりと、成長物語だ。
圧倒的な才能を持つ者達による、思考すら支配していく様な熱い演奏と共に流れていく、メンバー各員によるそれぞれの成長の描写。
両者の魅力的な描写には、それぞれの特筆すべき登場人物達がいる。
演奏面では主人公の演奏が白眉であろう。
感情すら伝わってくるような熱情的な演奏は見る者全てを圧倒させ、液体の様に揺れ動く演奏の映像と共に視聴する事で、まるで見るドラッグを摂取している様な感覚に襲われる。
もしかして実際に聞くジャズとはこの様な物なのだろうか、そんな事を想起させつつ、次の魅力的な要素、成長物語の主人公的存在たるドラム、彼の物語に目を奪われる。
ピアノとサックス、彼等の超絶的な技巧の裏で描写される、ドラムの凡人たる演奏、そして隔絶たる差に絶望する悲しき描写。
彼の絶望は人生に於いて凡人たる我々には痛いほど分かる代物であるし、だからこそその後の奮起、努力に感動が生まれるのである。
実際、私は彼のこの再起の物語に一番心を奪われた。
しかし、この物語にはこれ以外にもストーリーラインが存在する。
天才たる人物の挫折、そして、その再起の物語だ。
本作ではピアノとサックスの二枚看板がバンドを盛り上げており、映画内外の観客を魅了していく訳だが、その途上で主人公が相棒に対してこんな言葉を言う。
曰くお前は技術で演奏しているだけで、感情で弾いていないと。それではダメなんじゃないのかと。
それに対してピアノ役の相棒はそれは仕方ないと言葉を濁すも、憧れの舞台、憧れの人から同じ欠点を見抜かれ、土壇場へと追い込まれる。
凡人がそういう窮地に追い込まれる事は人生に於いてもよくある事だが、天才という努力を苦としない者達がぶち当たる壁とは如何に恐ろしい物かを本作は描写していく。
尋常ではない練習に次ぐ練習、今までの自分を否定するかの様に一心不乱に取り組んでも、それでも新しい何かを発見する事は出来なかった。ならば、どうすれば良いのだろう?
答えは一つ、自分で見つけ出すしか無い。
エンタメという心を震わせる業界に於いて、確たる答えなどという物は存在しない。
それをピアノの彼は自分のこれからの人生と、これまでの人生を賭して演奏に臨み、私達に感動と共に教えてくれた。
それまでの彼からは感じ得なかった熱く、楽しい感情が伝わる楽曲が流れていく内、我々の中にも彼の人生が宿ったかの様である。
さて。スランプを脱した彼がバンドに加わった事で、三人は尚更に成長を遂げ、遂には自身達の夢の舞台へと手を掛ける事となる。
この際にさりげなく描写される成長描写も心憎い事ながら、これまでずっと主人公達を見守り続けていた人物、彼女の過去が描写された後の感情の動きは、観客の心情ともリンクした本作でも有数の名シーンであろう。
とにもかくにも観客の心情を揺れ動かす本作、BLUE GIANTだが、それが最高潮に至るのは最終盤。
彼等バンドの正真正銘、最後のライブのシーンだ。
とある事情により欠員が出てしまうバンドメンバー。
音の一つが無くなった状態で、彼等はどうやって演奏を続けるのか。その結果は。最後に待つ観客の反応は如何に。
本作の集大成となるラストライブは、音響などの意味で是非劇場で見て欲しい所だが、惜しむらくは公開から時間が掛かりすぎており、上映している映画館が少ない事だろうか。
今後、見る人の為にネタバレにならない様、この辺りの部分は敢えて記さないでおくが、このシーンは熱意、熱量、熱波、熱情、熱気が全部籠った、熱い、何よりも熱い代物であったことだけは此処に記しておく。
さて、此処までを書いてきた所で最後に一言。
本作はこれまで未体験の青春を、それまでに感じた事の無い熱意をこれでもかと感じる、青く熱い作品であったのは、間違いない。