CUBEを作るという事
もう、どうしたって無理な物って言うのはこの世にある。
1997年。カナダの監督が創り上げた、低予算の傑作。
それがタイトルに書かれている作品、CUBEである。
たった一部屋を色を変え、出る場所を変え、カメラワークを変えて別の部屋に思わせる、経費削減かつ巧みな手法。
何も分からないままに話が進み、幾度か現れるトラップと登場人物達の機転により判明する『箱』の世界。
その上で謎は謎のままとしておく美徳を最後まで貫徹しており、登場人物達の変遷・覚悟・決意を持ってストーリーを進行させ、最後に希望を持たせて終わりとなる。
各界から高評価を受けた本作について記す、事は実は無い。
今回紹介したいのはそのCUBEのリメイク作品。
『CUBE』(日本版)についてである。
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CUBEの日本版が出る。
それを聞いた時、人は何を思ったのだろうか。
私はこの報を聞いた際にはCUBEを見ておらず、特に何かを考えていた訳では無かったと思う。
その後、機会があってリメイク元を見た訳だが、面白いと感じたと同時に、或る疑問が浮かんだ。
『よりにもよって、これをリメイクするのか』と。
考えてもみて欲しい。
私が上記に挙げた本家CUBEの魅力と言うのはとどのつまり、一発ネタだから許されるし、魅力ある物である。
何も分からないからこそ、何も知られていないからこそ、この作品のスリルは最後まで持続しているのだから、それが丸分かりとなった現況ではハラハラドキドキなんて、よっぽど上手くやらなければ成功する訳が無い。
というか、それが出来るなら別の作品作った方が手っ取り早いと言っても良いだろう。それ位、無理難題なのである。
しかし、日本の制作会社がこの難題に対して、手を挙げ、剰え実際に作品として世に出した。これを勇気と見るか、蛮勇と見るかは人それぞれであろう。
まあ……個人的には蛮勇だったかなと、少し勇み足が過ぎたかなと見終わった時には思いはしたが。
話を戻そう。日本版CUBEの話である。
本作は正式名称『CUBE 一度入ったら、最後』というタイトルらしい。今、調べて漸くサブタイを知った。
この変なサブタイトル文化について個人的に思う所は無きにしもあらずなのだが、そこは一旦置いておこう。
本作は最初、リメイク元宜しく一人の男が箱の中を彷徨う所から始まる。
一つ一つ扉を開け、部屋を渡っていく男は一つの部屋で立ち止まり、周囲を見渡す。
何だろう、そう観客が思っていると、突然と無機質な機械音が響き渡る。同時にどちゃりと生々しい音が。
見れば男の胴体から四角く肉片が零れ落ちている。そう、まるで自身の今いる、箱の様な肉片がだ。
…CUBEというタイトルを象徴するシーンな訳だが、原作と比べると、少しパンチが弱く見えてしまう。
元のシーンでは男はサイコロ状の肉塊と化すという、グロテスクかつ極めて衝撃的、無情さが際立つ代物となっている。
それに比べて日本版ではグロテスクな要素を極力排除したかのような代物となっており、その分、インパクトが少なくなってしまって、どうにも緊張感が薄い。
これに関しては元が物凄く上手くやっているというのもあるのだが、リメイクとしてCUBEの名を冠する以上、比較しない訳にもいかないだろう。
緊張感の薄い展開は本編が始まってなお続いており、主役が目覚めた所からして何とも微妙な出来になっている。
まず主人公達が異常な空間にいるという気がまるでしない。
なんというか何処か呑気な態度を崩しておらず、緩く自己紹介をしたかと思えば、すぐさま意気投合するもんだから緊張感の欠片すらも見えない。
そんな調子で人が一人増える度、自己紹介をしながらガヤガヤと話し合うもんだから隔絶された空間にいる、異世界にいるという感じが薄くなってしまっている。
どこか日常感すら出てしまっていると言うのは、あまり宜しくないのではなかろうか。
スリラー映画なんていう物は如何に非日常に連れ込むかを競うジャンルだと個人的には思っているので、異常な世界に連れ込まれているのに何処かほのぼのとしている本作は、その点では結構微妙な出来な気もする。
話を戻そう。扉を開け、部屋を進んでいると、一行は同じく道に迷っている人間と出会う。
その人物がまあ見るからに『私は問題を起こしますよー』って感じで描写されており、実際、彼が登場してから空気は次第に険悪な物になっていく。
空気が悪くなる要因は横柄な態度を取ったり、男がしきりに『ガキは邪魔だ』的な話ばかりするからなのだが、この点で気になる点が存在する。
どうも最初から男がキレっぱなしで、感情移入の阻害になってしまっている気がするのだ。
リメイク元での同様なキャラクターは当初紳士的な態度を崩さずにいたのだが、延々と扉を開けていく事に疲労し、目の前で人が死亡する所を見てしまったが故、徐々に余裕を無くしてしまい、弱者を平然と見捨てるようになってしまう。
それに比べると本作の同ポジションの人物は最初から怒りっぱなしで、人格が変化していく恐怖が描かれていないというか、どうにも個性付けが極端過ぎる気がする。あまりにも演技っぽ過ぎると言うべきだろうか。
単純にそれが個性となっているのならば良いのだが、こいつは悪役だから、こいつら犠牲者だからと、役割を補強する感じでの演技だからか、どうにも作り物臭が凄くなっている。
観客と登場人物達の心境が一致しなければ、恐怖体験という物は生まれない。そういう意味では男以外の登場人物にも感情移入し辛い出来となっている。
先ず、主人公と思しき人間は自分の弟が目の前で自殺してしまっているという過去を持っている。この時点で可哀想、と思う人は居ても「これ、私の事だ…」と思う人はそうはいないだろう。
他の登場人物にしても妙に芝居がかった台詞を言う子供や、妙に芝居がかった演技を見せる気弱な青年、妙に芝居…もう良いだろう、とにかく皆が皆、自然って感じがしないのだ。
本作の不満点と言えば、変な言葉遣いも気になる所だ。
中盤にて件の子供嫌いな男、彼がなんだか良い感じの事を言ってる様なシーンが存在するのだが、此処での発言……『私は悪いことをした事、これを誇りに思っている』が個人的に気になってしまった。
悪いこと。悪行でも悪事でも無く、悪いことという言い方。
なんだか妙に矮小化された印象を受けるのは私だけだろうか。この様な変な台詞回しは他の所でも散見される。
最もその要素が強い部分はやはり『コンビニでアルバイトして…』から始まる敵役の心情吐露であろう。
再三と言う事になるがCUBEと言うのは異常な空間である。
にも関わらず現実を思い出す、悪く言えばしみったれた話をされても困ってしまう。
映画という非現実から現実に引き戻す、そんな悪影響だって出てしまうだろう。百害あって一利無しとすら言えるかも知れない。
さて。そんなこんなで色々言ってきた日本版CUBEの評価なのだが…個人的にはそこまで悪い物でもない気がする。
えらく色々と言ってんのによく言うなコイツと思われるかも知れないが、実際の所、それなりに本作を楽しんだのだ。
そもそもの話、CUBEのリメイクの時点で無理があるのが分かっているので、最初から期待値……というか優しい気持ちで見れた部分が大きいのやも知れない。
元々が一発ネタの極致みたいな代物である。
日本版以外にも続編や外伝みたいな物がCUBEでは発表されているが、そのいずれもが成功しているとは言い難い興行収入となっているのも、題材の難しさを表してると言えよう。
続編となる2では箱の異常性を高めた結果、スリラー要素が薄れてSF感が強まっており、前日譚となるZEROでは敢えてぼかしていた謎の部分を明らかにしてしまった結果、世界観の矮小化に繋がってしまっていた。
先駆者ですら手を焼いている代物である、増してリメイクという、どう足掻いたって元作品と比べられるやり方を選んだ時点で、出来についてとやかく言うのも野暮……と言うのもアレだが、どうなるかは想像がつくと言う物。
そこら辺を鑑みながら見ていくと、オリジナルとは違う事をやって人の目を惹こうと主人公のトラウマ克服をストーリーの主軸としたり、原作で早々に死ぬ役割の人を長く生き残らせたりと頑張って工夫しているのはよく分かる。
それが上手くいっているかどうかとしては、正直上手くいっていないとしか言えないのだが、それでもリメイクとして自分達なりに作ろうとしている姿勢は個人的に好感が持てた。
今時CUBEのリメイクをするなんて客が呼び込めないのは分かりきってた事だろう、それ故に俳優やカップル層を呼び込もうとグロ要素を控えめにしたり、感動要素を付け加えたりしているのは微笑ましくある。
そんな訳で私個人の評価としては100点満点で言えば40点くらい、でもCUBEのリメイクなんて無理難題に挑んだ事を加味すれば『普通』くらい、と言った所だろうか。