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最良の人生、最高の選択、最大の山場


人生、こんな筈じゃなかった。そう思う事はあるだろうか?


私は似た様な事を考える時がある。学生時代、何か部活に入っていれば違う自分だったり、経験を得ていたのだろうかとか、そんな意味の無い事を考えたりもする。


仕事にしたって失敗した時、あの時に感じた不安やらをもっと信じていればと自分を殴りつけたくなる事も結構有る。


時間を巻き戻せたら。違う性格になれたら。それは、どんな結果を齎すのだろう。どんな自分に、なれるのだろう。


そんな考えを体現したかの様な映画が、今劇場で流されている。とびっきりに強烈で、とびっきりに奇天烈や作品が。


『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』


今回、感想を書きたいのは此方の作品である。


 ------------------------


さて、感想を書くだなんて偉っそうな事言っといてなんだが、すぐ謝らなければならない事がある。


これの感想とか出来る気しない。解説なんぞ不可能である。


オメー自分で言っといて反故とか上等じゃねえか、殴られても文句言えねえぞと読者の方からの声が聞こえてきそうたが、その振り上げた拳を下げ、落ち着いて聞いて欲しい。


本作品の魅力は何と言ってもそのぶっ飛んだ映像、今まで見た事ない様な映像の雨霰と言っても過言ではない。


その奇天烈振りを軽く文章に表すとこうなる。


『古代の生存競争で元来の人類が敗北し、両指がソーセージになってしまったソーセー人が、互いの指のソーセージを食べる事で愛を示し、そのままマヨネーズ塗れになり、とてもおこさまには見せられないソーセージパーティが始まる』


こちら、劇中で結構重要な要素を含んだシーンである。


……辞めてほしい、お前狂ってんのかと私に言うのは。


自分でも改めて見て『何言ってんだコイツ』状態になっているのだから、私はまだ真っ当な状態だと思う。そう思う。


私の正気の話は一先ず置いておいて、なんでそんな奇妙奇天烈なシーンがあるのかについて説明しよう。


と言っても、これは予告などでやたらと言われているから知っている方も多いかも知れない。所謂マルチバースという奴である。


マルチバースとは、多重世界。世界線と言い直しても良いかも知れない、意味としては過去の自分が選択しなかった方の世界と言った方が良いのだろうか。


こういうのは道を右に行く、左に行くで世界が分かたれる設定なので、それこそ無限に存在する訳で、主にヒーローの異なる姿を見せたりする時に使われたりする。例えば、大事な人を守れず、闇落ちした主人公の様にである。


話を元に戻そう。


本作ではそのマルチバース、これを体験するのが普通の家庭であるのが大きな特徴の一つと言える。


人生が上手く行かずカリカリとしている母親、どうにもうだつが上がらない父親、自分の事を理解してくれない事で衝突を繰り返す娘。


そんなどこにでも居そうな人々、それが主人公だ。


地味だと思うだろうか。私もそう思う。しかし、だからこそ本作の主人公として、彼女等こそが最善な人選であろう。


何故なら本作のテーマの一つ、人生を変えたいという普遍な思いを抱いているのは多数の一般人、この世界で華やかなる舞台には立っていない人々だからだ。


本作では多重世界の自分の能力を、とある行動をすると自分の物とする事が出来るという設定が有る。


この時のとある行動、劇中の言葉を借りて説明するならば『とびっきり変な事』を言う。


リップクリームを食べる、敵対者に真摯に愛を伝える、突然と鳥の物真似をする、そして見た人ならば誰もが忘れられないであろう、とある箇所に物を突っ込む行為など。


その行動は見る人の度肝を抜き、なんだこりゃと目を、頭を白黒させていくのは必定。人によっては理解を拒むような、なに意味不明な事してんだと思ったりもするだろう。


その意見を否定するつもりは無いのだが、しかし、私はこの行動を見た後にこんな事を考えたりもした。


現実世界でも何かを変えるというのは、案外こう言う事、果敢に挑む勇気を出す事なのかも知れないと。


と言うのもだ、人生に於いて何か変化を齎すというのは非常に難しく、それでいて実際にしてみたら存外簡単な事ばかりというのが私の経験上、何度かあったからだ。


一人で外食に行ったり、映画館に行ったりは、最初の時は怯えるばかりで二の足を踏んでいたが、いざ実践してみると存外なんでもなかったりした。


今思うと何故あんなにも恐怖感情を抱いていたのかと理解に苦しむ所はあるが、なんにせよ私は勇気を出したからこそ、自分の人生を変化させる事が出来たのだと思う。


そう、勇気。


劇中でマルチバースから能力を引き出す際、登場人物達がひっきりなしに行う変な行動は、この勇気を映像化した物ではないのだろうか。


側から見れば滑稽で、意味不明な光景に思えるかも知れない。しかし当人にとっては人生を左右する決断であり、行動なのだ。その勇気無くして人生は変えられないと、本映画は奇妙な映像を通して私達に訴えかけている気がする。


まあ、それはそれとして見てて面白いからやってやろうぜ感は大いに有るだろうが。実際、見てて面白かったし。


個人的に印象に残る所(そんなんばっかだけどこの映画)といえばTVのチャンネルを変えるみたいに世界を渡り歩くスタイリッシュな演出、そこから始まる異常過ぎる攻撃方法。


皆して奇妙な行動を取る地獄の様な風景に、看板回しをアクションに組み込んだ格好良い功夫アクション。見る人見たら怒るだろコレって武器で戦う戦闘場面。


とある事情で異彩を放ちまくりの二人組と迫真バトル、後は小指に力を込めて(込めるというより籠めるといった方が良いだろう)吹っ飛ばし、他にも色々と見場所は多い。


そう言った部分を書き出すと切りが無いので、取り敢えず話を次へと進ませよう。


中盤では本作のラスボス、異世界での娘の話がされていく。


彼女は自らの母親が行った実験により脳組織を破壊され、次元間を渡り歩く異常な能力を持つ事となり、その能力を用いて自由気ままに色んな世界で暴れ回っていた。


しかし、どんなに能力を行使しても己の中の虚しさ、怒り、悲しみといった感情が晴れる事が無い。


それでも様々な世界を廻っていく内、彼女はこんな事を思う様になる。自分の居場所は何処にもないんじゃないか、と。


自己の存在理由について、これは普遍的な悩みだ。


特に本作で出てくる敵、ジョブ・トゥパキは少女の年齢。


自らのアイデンティティに悩むのも当然と言える。


そんな彼女の悩み、これを本作では漆黒のベーグルという代物で表している。これは近付けば世界も人間も崩壊するという、非常に危険な代物である。


ジョブ・トゥパキは世界を巡る内、このベーグルに救いを求めるようになり、この中に共に入る同胞を求めて異世界を彷徨うようになっていく。


この描写から考えられる物……それは紛う事なく死である。


彼女は自分の居場所なんて何処にも存在しない、生きていたって仕方がないと絶望し、共に自殺してくれる人を探すのを目的としていたのだ。


となると漆黒のベーグルにも、一つ考察が出来そうになる。


ベーグルとは真ん中に穴の空いた、日常で食すパンの一種だ。これを穿った見方をすると、日常に希望を持てないのだから漆黒の色をしていると考える事は出来ないだろうか?


黒黒とした生地の真ん中、光り輝いて見える穴を『死』としたならば、彼女がこのベーグルに固執する理由も分かる物。


しかし所詮、穴は穴。何かを齎す訳でも、与える訳でも無い。単なる空虚な存在に過ぎない。転じて『自殺』とはそんな物にしか過ぎないと、監督は警鐘を鳴らしているのやも。


誇大妄想が過ぎる考えだが、いずれにしてもこのベーグルに巻き込まれたとて良き結果は訪れない事、それは劇中で幾度か示されているし、強ち的外れとも言えないだろう。多分。きっと。恐らくは。


さて、そうして敵方の絶望を中盤を通して描写した後は、物語の解決へと至る終盤が訪れる。


本作では激しいバトルが立て続けに行われており、終盤に於いてはもっともっと激しい戦闘が行われる……かに思われるが、別にそうでも無い。


終盤にて描かれる物。それは優しさ、調和と呼ばれる非常に穏やかな概念である。絵面的にも展開的にも激しいのが続いた後、突然とゆっくりな話になるので些か驚く。


それまで振り回されるばかりだった家族、その中でも蚊帳の外気味だった父親が終盤では次第に目立ち始める。


と言っても、戦闘をする訳では無い。


彼がするのは相手と話し合い、寄り添い、付き合う事で、それによって離散しそうな家族の絆、どうしようもない事態の収拾を行うのだ。


それら全ては紙一重、首の皮一枚繋がる程度のギリギリでしか無いが、夫の言葉、そして行動によって主人公は或る気付きを得る事となる。


敵対者と戦うだけが、全てでは無い。


意見をぶつけるだけが、人間じゃない。


人を受け入れ、許し理解する道も、人生には存在する事を。


その考えの力を、尊さを知った彼女はその力を以て、自分が壊してきた様々な異世界を変えていく。


優しさ。


たったそれだけで、修復不可能かに見えた世界はどんどん姿を変え、美しい物へと姿を変えていく。それは、彼女が今居る現実世界とて同じ事。


彼女はこれまでの自分を脱ぎ捨て、己の弱さと相手の弱さを認め、晒し合う勇気を得、自分の人生を変えていく。


勇気とは、何も戦場に赴くだけが全てでは無い。


他人を認め交流をする、己が弱さを知るのもまた、一つの勇気である。そして、その勇気が人生を変えるのに必要な事だと言うのは上記で記した通りだ。


……しかし、全てが全て勇気で賄える訳でも無いのも事実。


本作でも最終盤ではラスボス、つまり娘であるジョブ・トゥパキが己への嫌悪感、人生への絶望から死を選ぼうとする。


そんな時、彼女を繋ぎ止めるのは一体なんであろうか?


私は劇中でその答えを見た時、凡百な感想ながら或る言葉を思い浮かべた。


『愛』である。


どんなに衝突を繰り返しても。


何処まで行っても理解し合えなくても。


何時まで経っても戦うしか無いのだとしても。


人が人を救うのに必要なのは無償の愛なのだと、私はクライマックスを見てそう感じた。そう信じたのだ。


さて……文章も長くなってきたので、此処で結びといこう。


本作は非常にエキセントリックな作品ではあれど、根底にあるメッセージそのものは普遍的な物である。


今ある自分の人生の肯定。


家族や他人に対しての愛。


そして、未来を切り開く為の勇気。


一つ一つを掻い摘んで見ると、それら全ては素晴らしいメッセージである。


本作の巷の感想を眺めているとよく分からない、と言う物と同時に、分からないなりに何故か感動したとの言葉もちらほらと見受けられた。


それはこの作品に込められた物、それが五感を通じて知識では無く、感情で理解出来た結果なのではないかと私は思う。

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