表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

別れゆく雲

作者: 正明
掲載日:2022/09/02

---来年の正月には、家族揃ってよい正月をしよう。

それにこの家にも長く、やっかいになって居られないので、それまで父ちゃんが

働いてくる。

そしてまた東京で家族の者が、楽しく暮らせるように、アパートなども見つけ、

生活ができるようにしてくる。---


そういって、佐々田仙作が家族の者を残して、家を出て行ったのが、

去年の十月もまだ早い初旬のころだったので、心配をしていた台風も

この時期になると、本土上陸もややに少なくなっており、

雲の流れも穏かになっていた。

季節的に、秋にはまだ早いのか、残りの暑さがあるとはいえ、

やはり朝夕ともなると、涼しさを肌に感じ、心よいさわやかさを

覚えるころなのでした。

「月々、少しでもよいから、生活費を送って呉れ。」と、くれぐれも頼んで

あったのだが、それが、中秋の十月は過ぎ、晩秋の十一月も去り、

師走である十二月の、月日もまたたく間に過去のものとなってしまったが、

仙作からは、何の便りも、何の通信も、何の音沙汰もなく、

お金の仕送りなどはまったくなかった。

そして、「来年の正月には、家族揃ってよい正月をしよう。」といった正月も、

何をするということもなく、過ぎ去ってしまって、

光陰の早さを身に感じ驚くのである。

その間よねは、二人の子供をかかえ、毎日毎日の暮らしの中で、

どんなにか仙作の便りを、お金などの仕送りを、帰りを、

待ちあぐんだことか知れない。

財産でもあれば、貯蓄でもあれば、そんな心配をしたり、

苦労もしなかったことなのだが、

生計を営む貯えも、そんなときにと思って、少し位は、とってあったのだが、

仙作一家のものが、去年六月に、東京から山形の妻の実家である、

この家に引っ越して来て、ブラブラしている間に、大部分を使い果たして、

無一文同然の状態になってしまった。

それかといって仙作には、定まった仕事があったわけではなく、

よねと二人で、農家の手伝いをして食いつないでいたのであるが、

秋の終わりごろになると、仙作にも仕事がなくなったので、

妻の実家に、居候のような状態で長く生活をしているわけにもゆかず、

また東京へ行って働こうと考えて出かけて行ったのである。

それでもよねは、きんじょの農家の人に頼んで、取入れのあと始末やら、

農作業のような手伝いをさせて貰い、よねと子供二人の食い分ぐらいは

どうにかできて、食いつなぎもできたのであるが、冬になっては農家の手伝いも

あまりないので、毎日の生活は苦しく子供らにも、おやつも、おもちゃ一つも

買ってやれず、親元にいて食べることにも、やはり気兼ねをする、

よねではあったが、

よねの両親や兄夫婦は「心配せんでもええ、のんきにくらせ、そのうち、

仙作さんからも、便りがあるじゃろうから、、、」と、愛情をもっていわれても、

やはり毎日が心配と気苦労を重ね、

不運な今の境遇を思うとき、身も心も押しつぶされるようでもあった。

それに今年の四月には、長男の賢治が、小学校の一年生に入学しなければ

ならないので、定まった住所がなければならない。

去年東京の板橋に住んでいるとき、その手続きはしてあって、

入学はできるように手続きその他はすんでいたのであるが、板橋付近で

生活するあてもなく、ただ迷ってしまうのである。

両親や兄夫婦は、「もう友達もできて、慣れているんじゃで、

田舎の学校へあげればええ、、」と、いって呉れるのではあるが、

やさしく云ってくれることばに、甘えてばかりおられないので、

---どうしようか?---と、苦しむことが度重なり、頭をかすめて、

当惑するのである。


 子供のことには、どこの両親も悩み、苦労をするのが常であるが、

よねも苦労以上の苦労を重ね、悲しみ以上の悲しみを味わなければならなかった。

親兄弟の援助や親類を頼みたいとも思ってみたが、仙作方の親類縁者の人には、

そんな話や、協力を得るということは、絶対にしないようにしようと考え、

つとめて子供の

ためにも、相当の苦労や苦難はがまんしようと考えるのである。

 そこで、よねはとにかく夫の仙作を探し出すことが先決であると

考えたのである。

と、いうのも、仙作に会って話をし、将来をどうするのか、

相談しなければならない、

妻子が嫌で別れるのなら、別れるようにしなければならない。

一緒に暮らせるのなら一緒に暮せるようにしよう。と、

その別離和合の点を、はっきりしてもらわなければ、よねとしてもどうにも

ならないと思い深く考え悩むのであるが、また思い出しては悲しくもあり、

考えては腹が立つのである。

やっぱり家を飛び出されて、何の便りもなく、何の音信もなく、

妻子に対する何の仕送りもないということは、大きな不安でもあり、

深い悩みでもあり深い心配でもある。

 時には人によって、抜け駆けの功名のように感がて、家族には余り所在を

知らさず、働いて金を貯めて、英雄気取りで帰って来るというような、

幼稚な考えを持っている人でないではない。

仙作もそんな幼稚な考えでいてくれればまだよいのだが、家族がいやになって

しまい、家出をしたり、浮気をして家に寄りつかない人も無いではない。

もう家族が嫌になってしまい、家出をするとは浅ましいことの一つではある。

世間ではこういうことを蒸発といって

だまって家を飛び出すことが流行りもののようになっているようであるが、

こんなことが流行りものになって家族のものや、身内の人に心配をかけ、

苦しみを与えないようにして貰いたいものだと、誰にともなく不満を

ぶつけたくもなるのであるが、いくらくやんでもどうにもならないので、

よねは、両親や、兄夫婦に

「東京へ行って、心当たりのところを歩いて見て、仙作を探してくる、…」

ということを話し、相談をしたのであるが、

両親は「もうしばらく待って見たらどうだ?」とも

「そのうち便りがあるだろう。」とも、云って呉れたのであるが、

そうもしていられないような

気持ちが胸一ぱいこみあげてくるようでもあり、つらい思いが身に迫って

くるのである。

「どうしても、東京へ行って探して来たい。」と、重ねて話をすると、

「もし行くのなら、子供達はあずかっているから置いて行ったらどうだ---、」

などといって呉れたのであるが、子供は親に付きもの、

やはり子供はいっしょに連れて行こう。

もしうまくゆけば、仙作に会えることもあるだろうと思い、身の廻りの品を、

ボストンバックにまとめて、長男の賢治と長女のみはるを連れて、

よねが山形の実家をでて、上京したのが、

寒波もきびしい二月も半ばであった。

汽車の中で、山形の母が作って呉れたおにぎりの弁当を子供らにも與え、

よねも食べて長い時間で、ようやく上野駅へ着いたとき、山形では

雪模様の空であったが、雨も雪もなく晴れていた。

上野駅に着いたときは、もう日も暮れていたので、

―サテ、あそこに行こう、ここでこうしよう― などという決まったあては

なかった、

車中で行く先、たどりつく先を考えて見たのであるが、それもまとまらず、

上野駅へ着いて見ると、いろいろなことが頭に浮かんで錯綜し、

当惑してしまうのである。

よねが山形の家を出るとき、両親から、

「東京へ行ったら、高輪にいる二番目の実兄のところへすぐに行け。」と、

教えられたのであるが、それよりも、なんとか仙作の居場所を知りたい。

すぐにでもたずねて行きたい。という心の焦りがあったのだが、

東京はやはり人も多く、広いのでどう探してよいやら見当がつかず、

露頭に迷ってしまうのである。

 ―高輪の兄のところへ行こうか?―、

去年の六月、前に働いていた、―板橋に行こうか?―、

それとも仙作が、蒲田方面に友達がいるという話を聞いたことがあったので、

もしかしたら、その辺で働いているのではないかと思い、

―蒲田方面を探してみようか?―

とも考えてみたのであるが、よね一人ならばどうにでもなるし、あちこちと

歩いて探すこともできるのではあるが、子供連れでは夜通し道連れに

歩くわけにもゆかず、考えあぐんでしばらくは、駅のベンチで休み、

子供たちにも、売店のジュースや、パンを買って與え、

その間も考えるのである。

 そこで板橋の方へ行こうかと思ったのも、去年の六月まで、仙作ら一族の

ものが生活をして、大した不自由もなく生活くらしを続けていたのであるが、

仙作が、ふとしたまちがいを起したことから、思わぬ不幸となり、苦難に堕ちる

結果となってしまったのである。

仙作は、酒はあまり飲まないのだが、競馬や、競輪、パチンコなどが好きで、

時折りこうやって、仕事を忘れることなどもあって、会社から注意を

受けたことも二三回あったようであるが、それでも少しの間はやめていても、

ほとぼりがさめるとまたもとへともどるのである、

そんな遊びがやつにこうして、金がなくなると、会社の品物をだまって

持出しては売り払い、遊ぶ金にして使い果たしてしまうことがあって、

そのことが会社にわかり、会社でも警察沙汰にはしないということで、

会社をやめなければならず仕方がないが羽目がおちいったのである。

 ―身から出たサビだ、あきらめてくれ!―と、

一家のものが、夜逃げ同然にその場をしのんで、よねの実家へ引き上げて

行ったのであった。

そんなことで板橋方面には知り合いもあったし、長男の賢治も今年は

板橋区内の小学校に入学の手続が終って、入学もできることになっている

のであり、子供らの知っている友達もいることなので、板橋の前に居た

近くの方で、小さなアパートでも借りて、

働きながら仙作を探そうと思ったのだが、と、思ってみても、考えて見ても、

先立つものはやはりお金で、アパートを借りるどころではない。

その日その日さえ食ってゆくことにも、こと欠く今日

このごろであってみれば、そんな余裕もなく、身辺にゆとりさえなく、

もはやのっぴきならぬ事態に追い込まれてしまったのである。

 それにしても、仙作は前に居た板橋の会社へは、義理向けができないので、

その方面にはまさか行っていないだろうし、行きもしないだろう。

ずっと以前には、大田区方面に居住していたことがあり、仙作の友達も

いるということを話をしていたし、仕事のことを頼んでみようかなどとも

話をしていたこともあったので、もしかするとその方面に居て仕事を

しているのではないかということも考えられるし、それに仙作も自動車の

運転免許証は取得しているので、自動車の運転なら採用条件もよく、すぐに

就転口があるということで、城南方面で運送会社か、タクシー会社などに

運転手として働いているのではないかと思ってもみた。

 もし、在京の城南方面に行ったとすれば、ずっと以前に仙作が働いて

呉れと、いわれたことがあるということがあつた。

多分その方面に行っているのではないかと推測し、その方面も探してみよう

かしらと、思ったのであるが、上野駅へ着いたときは、

もうすっかり日も暮れて夜になっていたので、城南の方面を探すのは、

明日にしよう。そこでとにかく、

とりあえず、今夜一晩、高輪の実兄の家で泊めて貰おうと思い、

上野駅で山手線の電車に乗り換え、品川駅で降りたのが、午後七時半を

過ぎていた。子供らがまた「お腹すいたー。」というので、

「さっき、上野で食べたばかりでしょう。」と、きげんをとるのであるが、

なかなか聞き入れようとはしない。

「いやだ!、いやだ!」と、いうのを、「がまんしなさい、おじさんの家へ

行くまでは---。」と、言い聞かせながら歩こうとするのだが、

なかなか云うことを聞かず、あちらの店の前、こちらの店の前で、

あれを買え、これが欲しいと品物をねだるのをなだめすかしつつ歩いたが、

よね自身も悲しくなってくるのである。そして道道、考えるのである。

このまま兄の家へ行って援助を求めるということができそうにもない。

 ーこんばん一晩泊めて呉れーーと、頼んでも、兄の嫁の手前もあるので、

「よく来た、早く上がれ、元気でいるのか?」などとは、とても云って

くれそうもない。

また口べたで、無愛想で、割合むっつりした兄なので、心の中でも、

表向きでも喜んでくれないことは事実である。とすると、どうしようかと迷い、

途方に暮れてしまうのである。

それに子供たちは、ぐずぐずというし、することなすことが思いにまかせず、

こうなっては気丈なよねも、いっそ死んでしまおうかなどと、瞬間的に、

とてつもない考えが頭の中をかすめ、ノイローゼ、が頭のてっぺんから

足の先までかき乱してゆくようでもあった。

そんなことで兄の家を訪ねることは心苦しかった。それでも子供らの

ためと思い、いったんは兄に家を訪れることを諦めていたのであるが、

やはりあきらめていた心をふるい起こして、兄の家の前まで来てみたので

あるが、家の中からは、だんらんの声がもれ、楽しそうな家庭へ、わたしの

ようなものがころげこんでは、家庭の破壊にでもなりかねはしないと、大げさな

とりこし苦労をするのである。

また、家庭に暗いかげを投げ込んではいけないとも思い、いろいろな取り越し

苦労が、深い悩みとなってよねの全身に圧力が加わってくるのである。

 楽しそうな家庭の状況に比べ、今のよねの身の上が余りにもみじめなので、

兄の家に入ることに躊躇した。

 よねが、板橋に世帯をもっていた時は、子供たちと幾度か兄の家へは訪ねて

来ているので、子供らもよく知っていたので、玄関前まで来ると、子供がすぐに

入ろうとしたので、「ちょっと待ちなさいね。」といって、入ろうとするのを、

やめさせて、五、六歩、玄関前からあとずさりしたが、子供らは「入ろうよ。」

「どうして入らないの?」「おじちゃんの家へ入ろうよ」と、

いうのを、「ちょっと待ってね。」と云って、「そうね、何かおみやげ

買ってきましょうよ」と、云い聞かせ、またもと来た道を引き返したの

であるが、その間にも、前へ、後ろへ、右へ、左へ走り去って

行く自動車の運転台を見て、もしや仙作が、運転手として働いていて、

どれかの自動車に乗ってはいないだろうかと、

見回すのであるが、やはり仙作の姿も、影も形も見当たらなかった。

 しばらくは、あちら、こちらとさまよってはみたが、よい考えも浮かばず、

道端の電信柱に貼ってある、パートタイムの募集の広告も、ベトナム交戦、

平和なんとかなどと書いたビラも目に入らず、ただぼんやりと、

夢遊病者のように、ぐずつく子供たちの手を引いてさまよっていたが、

もうどうにもならないと思いながらも、どんなに困っても、二人の子供は

立派に育てあげ成長させよう、

石にかじりついてでも、食べるものもろくに食べられずとも、

子供を捨てることなどはどんなことがあっても出来ないしそんなことは絶対に

しないと考え、歯をくいしばるのであった。

 去年の六月まで東京にいて、東京の生活はなれているのだし、東京の様子も

充分に知っているし、その裏表もよくのみ込んでいるので、東京での生活には、

幾分自信があるので、そうヘマなことはしないだろうと思ってもみるのだが、

ービルまたビルー、ー家また家ー、ー車また車ー、と錯綜するその中での、

自分自身が余りにもみじめな存在になってしまっていた。

 上見てくらすより、下見て暮らせ。ということがあるが、いままでもにも

下の生活を営んできたので、最低の生活を偲ことには、充分耐えられると、

よねは心に思うのではあるがもはや、これ以上の下はないような気がして、

ふと悲しみの涙が頬をつたわるのである。

 よね自身としては、気丈な女とは思っていたのだが、やはり苦難に立たせれ、

突然な不幸が襲って来た場合、頼りとする人もなければ、やはり取乱す結果を

生じるようでもあった。

 そして、どうにもならぬ憤怒の中から、こみあげてくるものは涙であった。

すべては宿命なんだ、運命なんだ、天命なんだ、と、あきらめとすてばち的な

気持ちと腹立たしさと、もどかしさとで焦る気持ちをさびしくも、悲しくも、

哀れだとも、みじめだとも思いながら、見上げる空には、下弦の月に雲が

流れていた。

 その寒月の冴えが、いっそうときびしく、よねの身におおいかぶさって

くるようでもあった。

 あの雲の切れ目の下付近は、遠きふるさとの空かもしれない、この上空は

東京の空である。もしやこの雲の下に、月の下に、星の下に、太陽の下に、

仙作が一生懸命に、血みどろになって、よねや、賢治やみはるのために

働いていて呉れているのかも知れない。

しばらく空を見ていると、月を隠してゆく雲、月をさけてゆく雲、

月に進んでくる雲、そして月の近くで別れゆく雲、その月の近くで、

いっしょになって流れゆく雲、二つ三つと、別れ、別れにゆく雲、

その別れた雲は、遠くに行っても、だんだんその距離をへだてて、

ゆくのである。

 よねは、その雲を見つめ、行く末を案じながら、この雲のように夫婦雲、

親子雲が別れ別れになってゆく。その行く末の広大なれば、いかんせん、

その雲の流れの如く、雲をつかむような現実の前に、空虚な、うつろで

大空の雲の成り行きを見ている、夢心地でもあった。

 ふと我に返ると、少し離れた玩具屋の前から、二人の子供が母をしきりに

呼んでいる様子であった。

「おかあちゃん、これ買っていい?」「おかあちゃん、これが欲しい買ってよ」

「お母さん、ちょっとこっちにおいでよ。」とやかましく呼んでいた。

 よねが子供のそばに来てみると、買え、というものは、いまのよねにとって、

たとえおもちゃとはいえ、そんなに安いものではないように思えた。

たとへ百円のおもちゃにしてみても、財布の中を思い出すと、いま食べたいと

思う食事のことすらも、とうてい意のままにまかせる金額ではないことが

辛く、身に突き刺さってくる思いがして、一層そのみじめさに、身震い

さえ覚えるのであった。

 これ以上、夜通し三人が歩いても、幸運に突当るというわけではなし、

運が開けてくるというのではなし、どうにもならないと思いながら、

あてのない夜の街を歩き続けてもこの広い東京では、奇跡でもない限り、

仙作を探し当てることは困難ではあるかも知れないが、人生には偶然という

こと、奇跡ということもないではない。あるにはあるが、よねの場合、

そんなことは、いまはさほど望めそうにもない。やがて子供達も

おなかもすくだろう、眠くもなるだろう、また夜が更けるに従って寒さも

きびしくなるだろう。疲れてもくるだろう。そう思いながら、はやりたつ

複雑な気持ちを押さえながらも、子供らをなだめるよりも、怒りたくもなり、

叩きたくもなる。そんな鬼のような心をお沈め、機嫌をとりながら歩くので

あった。

「ほら余りぐずぐず云うと、怪獣がくるよ、お化けが出るよ。」などと、

口から出まかせを云って子供らをだましたり、すかしたり、おどかしたりして

歩き続けるのであるが、それというのも、何か世間の人の同情を得たい、

誰か親切な人にことばの一つもかけて貰いたい、取りつく島が欲しいと願う

のである。

そして運がよければ、もし仙作の運転をしているかも知れない、そんな自動車が

通るかも知れない、と、想像をたくましく」しながらはかない切ない望みで

行き交う自動車の運転台に心をとめ目を見張るのであったが、それとても

おぼつかない、はかない梅の一端であり、やはり偶然、奇跡は起こらなかった

のである。子供らも、もう歩くのが嫌になったのか、「お家へ帰ろうよ。」

「おばあちゃんのうちへ帰ろうよ。」などと、きげんをそこねだしたので、

「もう少ししたら、おじさんの家へ行って泊めて貰おうね。」と云って、

なだめすかしつつ歩くのだが、ーサテ、兄の家へ行って泊めて貰おうか、

どうしたものか、などと考えあぐんだが、もはや良い考えは浮ばずとまどって

わらにもすがりたい気持ちになるのである。どうせ兄の家へ行ったって、

長逗留ができるわけでもなし、嫌な思いをしたり、恥をさらしたりするような

ものだから、いつも、駅のベンチにでも、公園のベンチにでも、野宿をしよう

かなど、つまらない考えしか頭に浮かんでこない。この寒空に公園のベンチ

などでとても夜通しいるわけにもゆかずといって、別に行く当てがあるわけで

なし、宿に泊まるという持ち合わせがあるでなし、しかしこんなことで、

へこたれたり、悲しんだり、苦しんだり、くよくよすることはない。

もっと度胸や根性を持たなければならないと、よね自身に言い聞かせるので

ある。

 しかし、二人の子供をかかえ、お腹にいる赤ん坊のことを考えると、

あすの日が不安で、あさっての日が恐くなる思いであった。そして将来へ

向って、全てが暗い気持ちでふさがってゆくのである。


 よねは、仙作と結婚するまでは、東京のある電気会社で働いていたのである。

そして、会社の重役の方からすすめられ、両親も良縁だからといって、すすめ

られるままに結婚してから、よねは子供が生まれるまでは働こうと思い、その

会社で働き共稼ぎをしていたのである。子供が生まれてからも、内職のような

ことをして働きものであった。

 そんなわけで、よねとしても都内には女の友達もたくさんおり、訊ねてゆけ

ば、一日や二日は何とか泊めてくれるだろうし、「よく来たね」といって、

世話もしてくれるだろうとは思ったが、これ以上に人の情愛にばかりついて

いるわけにもゆかないので、人には頼らないで、何とか自分自身で、その場、

そのとき、その折々を切り抜け解決し、勝負してゆこう、万が一にも友達に

援助を受け、お金を借りたり、そのままずるずるべったりになって、その場、

その時、その日々を切り抜けても、いまのような境遇で、将来へ向うとすれば

いずれはゆきずまって、のっぴきならぬはめに陥ってしまわなければならない

ことになってはいけないと、心にいいきかせながらも、あすへの道を切り開く

ためにも苦難を手本にして努力しよう、自分で自らのゆく道、社会の道を

開拓してゆこう、貧しくとも、どんな苦難の道に入ろうとも、すべてのものを

克服して、子供らのために生き甲斐を託して、子供は立派に育てあげてみせる

何としても育てなければならないと心に云い聞かせるのである。

それが、よねに與えられた使命でもあるし、女としての天命でもあると思った。

子供らの成長のためには、何とかして、今日維持し、明日を生き、明後日へ

向って築きあげてゆくためにも、困難や苦難は大したことではない、このく

らいのことは、日本人自身がみんなで、少しぐらいは味あわなくてはならないし、

また味わっていることだし、日常のことであると思っている。

 いろいろなことで困ったとき、よねの母が口癖のように、

ー難儀なことじゃのう、女というもんは、嫁して家なし。と、いうもんなぁ。ー

と、よく云っていたことを思いだし、こうゆうことが、なるほど難儀なことで、

ー嫁して家なしーということを思い出した。

 夜の街から、どこからともなく、聞こえてきた歌声、ボロの服を身にまとって

いても、真心があればよい、悪いことをしなければよい、破廉恥なことをしなけ

ればよい。心がきれいであればよい、世間のために反社会的なことをしなければ

よいと、そう思った。そう考えた。またそうしなければならないと思い、そうし

たいとも思った。しかし世の中にはよねのような美しい心の持主のような人は

いないと両親や兄弟や身内のものにいわれるようになりたいとも、そんな美しい

心の人だともいわれた。


 仙作は板橋の会社に勤めていたころ、真面目で、会社の信用もあって、会社で

警備を兼ね、寮の管理も任せていて、一家の信頼も厚く、家族も何の不安もなく、

不自由もなく暮らしていたのであるが、世間でよく云う悪交がいた、付き合う

人に悪い人がいた。魔がさしたなどということもあって、会社の品物に手をつけ

てしまったばかりに解雇されるはめになってしまったのである。

 個人のものであれば、会社としてもまた別な考えができるのであるが、会社の

ものに対しては、無責任なことであれば、僅かなことでも責任をとって貰うこと

を余儀なくされたのである。そんなことがあって、家財道具も会社の寮に置いた

まま、そそくさと、よねの実家である山形へ帰って行ったのであるが、やはり妻

の実家ともなると、仙作としても、長居をすることはつらく、農繫期のときだけ

義理の両親のすすめもあって、近所の農家の手伝いをして、近所からも喜ばれて

いたのであるが、秋も深まって農家の仕事も少なくなって、農家の人たちも出稼

に東京、大阪、名古屋方面へと行くということであったので、仙作としてもやは

り、働きに出てゆかなければならないと思って、家族の者に「来年の正月までに

は、働いてお金を持ってくる。」といって、東京へ出て行って働くということで

当てもなく山形をあとにして、汽車に乗ったのである。

 ー若い人は、お天道さんと、米のめしはついて廻る。ー

仙作もまだ三十六歳まだ若い人の部類に属する、東京にでれば労働力が不足だと

いうこともあるので何とかなる。体も丈夫だし、まじめで働く気さえあれば、

特別に技術がなくとも、高度な、特技は必要なけれども、仙作は働き気があるの

か、無いのか、半ば捨て鉢的で、やけくそ気味もあり、やり場のない気持ちで

どうせ成るようにしかならないんだと、心に思い、上野へ着いてから、

どうしようと考えを新たにするのであるが、山形の田舎から暫くぶりに都会に

出てみると、見るもの聞くものが刺激が強くなって、何もかも、心の上辺の

ものになってしまっていた。

「サテ、これから東京で働くんだ。働き出せば、休むこともできないだろう。

どうせ休みついで、遊びついでだから、どこか競馬か、競輪を開催しているとこ

ろはないか」と思って、駅の売店へ行き、いつも買う、スポーツ新聞を買って

読んでみると、大井の競馬が開催中なので、すぐにその足で、山手線の国電に

乗り、品川駅で乗り換え、立会川駅で下車して、急いで競馬場へ行ったのである。

そのときは、昼を過ぎていたので何レースか終わっていた。

 それぞれの予想に従って。持ち合わせの金をはたいて、馬券を買ったが儲けには

ならなかった。昔からのことわざにあるようにもあるように、「女心と秋の空」

夕方から空模様は悪くなり、いまにも振り出しそうな天気になって、ポツリポツリ

と、振り出して来たので、そのまま駅の方へ歩いていて考え、幾分後悔するので

ある。

そうだ、やっぱり昼間のうちに、友達のうちか、働くところでも探しておけば

よかった、と思いながらも詮方なくブラブラと歩きながら安宿を探そう。

それから仕事を探そうかと思い、あちことと探したのであるが、このごろでは、

安宿というのは余りない、あっても名ばかりですでに全客者がいてその人たちの

専属になっているので泊まれるという宿はないし、もはや見当もつかないので、

そのまま、夜通し歩き続け、駅のベンチや公園のベンチで時を過ごし夜の明ける

のを待つよりほかに仕方がなかった。あちらこちらと歩いていると、仙作が働け

そうな、運転手募集や、工場作業員の募集の貼紙はたくさん目についた。

しかし何だか、それらのところへ行って就転したいとも、就転をしようとも

考えがまとまらなかった。すぐにでも金をこしらえて、故郷にいる妻子のもとへ

僅かでも送ってやらねばという気持ちがあるにはあったのであるが、いかんせん、

その原動力となる仙作自身の考えがまとまらず、その思索も達成するに至らず、

いたずらに時の空ろに労を費やしてゆくのである。そしてただぼんやりと、

駅に来て、行く当てもないのだが、上野駅までの切符を買って、電車に乗り

戻りをしたのである。沿線は夜のとばりがおりて、あちらこちらにネオンが輝き、

イルミネーションの動きが活発であった。これらの下で働く人、電車の中で見る

人、人、人、は働いて帰るのであろう。見ているとみな楽しそうでもあり、希望

があるように見えてうらやましくも感じられた。こんなことになったのも、仙作

自身が悪いのだ。真面目にさえ働いておればよかったのだと頭の中を矢のように

かすめて通るのである。そして国電の上野駅へ着いてホームへ降りたとき、

うしろから肩を叩かれたので、ふと振返ると仙作が山形から上京するとき、列車

の座席の前に座っていた人であった。なんでもその人は、地下鉄工事関係の仕事

を現在していて所要のため東北方面へ行ってきた帰りとかいうことであった。

土木関係の仕事は多いので、地下鉄や高速道路等々と建設は多忙をきわめている

という話であった。そして、「あんたはいま仕事は?」と、きかれた。車内でも

話をしていたときは「ある会社に勤めていてちょっと田舎へ行って来たのです。」

と、そのときはつくろっていたのであるが、再び顔を合わせて見ると、そうも

いっておられないので、本心、私はいま浪人ぐらしで、行く当てがないというい

うことや、土木関係の仕事のことを話をした。

 仙作としても、いままで、取り付く島がなかったので、どんな仕事でもよい、

働き口と、三度の食事に、寝泊りするところがあれば、それでもよいと思い、

探したいと云う気持ちだった。

「もしなんなら、うちの会社へ来て働いてはどうかね。」と、わたりに舟と、

「それでは、お願いします。」と、いっしょに。作業することになったのである。

 飯場で寝泊りをして、別に大した費用がかかったわけではないが、貰った金を

競輪や競馬などに貢ぐことが重なって、お金を家族や親元へ送る、などというこ

とは出来ず、そのままずるずると月日が経って、金も全く貯まらず、いっそ

大阪へ行く汽車に乗ったが、ちょうど、よねや子供達が上野駅に着いたときで

あった。大阪へ行くと決めていても特に大阪によい働き口があるわけでもなく、

よい金儲けの口があるいうわけではなかった。

ただ一時しのぎで、飯場で働いていても仕方ない。できることなら定まった仕事

で将来への生計の途が立つようにもしたかったのであるが、けれどもなかなか

思うにまかせず、うまくことが運ぶというわけではなかった。


 「来年の正月は、よい正月にしよう。それまで働いて金を持って帰って来る。」

仙作がそう云って家を出て行ったのである。その言葉を思い出しては夫にだまされ

たという気持ちがわいて、腹立たしさがこみあげてくるのである。

そしてどうしたものかと心の中でなげくのである。何としてでも、今日のことは、

今日中にやっておかなければならないと、考え悩むのである。

しかし、子供二人を連れていてはどうにもならず、ただ気があせるのみであった。

「いっそこのまま死んでしまおうか?」と、いけないと思うことが、その空想が

すぐに極端にうかんでくるので、そんな心のみだれを情けなく感ずるのである。

でも、世の中で、世間で、社会で人々は生活を営み、よねたちよりも、もっと

境遇の悪い人もあろうことを思い考え、人生どんなつまずきがあろうとも、

取乱したり、情けない考えをおこしたり、、つまらない行動をおこしてはならない

と、心に充分云い聞かせてはいるのであるが、それにしても、有と、無の境地では

違った結果が生じてくることは、いなめないのである。つまり有るものが有れば、

少しぐらいのことは我慢もできよう、働き、稼ぐ人が、家出をしたって、かほど

まで心配はしないだろう。しかしいまは、無一文という情けない状態におかれ、

収入の道は全く無く、絶望視されていまったいまとなっては、もはやどうにもなら

ないのである。世間体なども考える余裕もなく、冷たい人生の片隅に追いやられた

身が、なげかわしく、辛く、痛く、自分自身でも哀れをかこうては、情けなさを

感じるのである。

 

 どうするというあてもなく、街を歩いていると、やはりよねのように子供連れ

の親子が歩いて楽しいそうに語りながら過ぎ去って行く姿をうらやましくも感じ

たのであった。そしてそのような姿の親子連れがことのほか余計に目につくので

ある。それが何の不安も、何の不幸もない幸福な自然の姿であって美しい情景で

あった。然しい(しか)、よねの親子の姿に引く比べて見ると、余りにかけ

はなれた存在のようで、よねはつらかった。やはり何とかしなければ、そして

今後への対策を立てなければといろいろ考えながらも、ただ時は無情に立つばか

り、焦るばかりである。


 よねは先程子供たちに「ぐずぐず云うと、お巡りさんに云いつけるよ。」と、

ありきたりのことばを云ったことを思い出し、先程通って来た道を引き返えすと

赤色灯のついた、木造の交番があって若いお巡りさんがいた。そのまま行き過ぎて

暫くいったところで、ふと考えたのである。

 ーこんなときに、警察の人にでも、話をして、相談にのって貰おうか?ーと

考え、ばんやりと、立ったまま時が過ぎた。そしていま来た道をを引き返して、

交番の中を見ると、ちょうど五十歳前後ののお巡りさんがいたので、恥を忍んで、

今の身の上のことについて話をし、今後のことを相談してみようかと思って、

勇を鼓舞し鼓舞(こぶ)して、交番へ入っては行ったのである。

お巡りさんは「お掛けなさい。」といって椅子をすすめて呉れた。そして、親切に

事情を聞いて呉れた。

「そうですか、今晩お泊りになるところがなければお困りですね、それでもお兄

さんも近くにいるとことであれば、今夜は、お兄さんの家に泊めて貰いなさい。」

と、云って呉れた。

「なるべくそうしたいのですが、、、」とよねは、答えたのであった。

それから、そのお巡りさんは、本署の係の方にも電話をかけて、

ーご主人が家出をして、母と子が探しに来ているが、将来行く当てもなく困って

いるー。 ということを手短に電話で話し、支持を受けたようであった。

そして、「明日本署の、家事相談係に行き、母子寮へ入るようにしなさい。そして

夫の捜索願を出しなさい。」と、そのお巡りさんは、とても親切に教えて呉れた。

よねは、「そうですか、母子寮があって生活をできるのですか?」とはじめて

そのことに勇気がわいてきた、やっぱりお巡りさんに訪ねてよかったと思い、

ーそうだ母子寮へ入れて貰えば働きながら子供も育てられる。そうしたい。

そうさせて貰いたい。ーと、心で祈るのであった。

そしてそのお巡りさんは板橋の前の会社へも電話をしてくれた。

「家財道具はそのまま預かってありますが、ご家族の方を寮へ戻って貰うわけにも

会社として出来ないし荷物を早く引き払って欲しい。」と、云われたようであった。

子供の入学手続きもすんでいて、板橋の方で、雑役でも掃除でも、飯炊きといった

仕事に使って貰えないかということも、頼んでみたのであるが、その会社では

もはやどうにもならないらしいということを、お巡りさんに伝えたようである。

 そして仙作の場合、普通には、警察沙汰にして責任をとって貰っているのですが、

今回の場合は、家族もあり、小さい子供さんもあったので、特に警察沙汰にはしな

かったということも、教えて貰えた。お巡りさんも仕方ないでしょう?と同情を

して呉れた。

 ーいっそ板橋にある家財道具を売り払いたいですが、どうしたもんでしょう?

ー」と話をしたら、お巡りさんは「いずれ一家が集まるときがあるでしょう。

そのときまで置いておきなさったらどうで。」と、云って呉れた。

「売るのはいつでもできる。買うことはなかなかむつかしいのだと、よねもそう

思い、一応売払うことはやめたのである。

「ーそれでは今後の生活としては、母子寮へ入れて貰って生活されるようにしては

どうですか?それに連絡をとっておきましたから、明日、本署の家事相談係の方へ

行きなさい。」とこまごまと教えて呉れた。そして母子寮へも、入れるようだ。

うまくゆけば板橋方面の母子寮へも入れて呉れるでしょう。とも話をして呉れた。

よねは母子寮でも入れて呉れれば子供は育てられる、仙作のことなどはもう半ば

あきらめていて元気が出てくるようでもあった。よねは警察にあるという家庭相談

のことも、母子寮のことも、福祉センターのことなども知らなかったので、

お巡りさんの言葉に、勇気は百倍し、感謝の気持ちで一ぱいになった。

そしてお巡りさんは、「今夜は、とりあえずお兄さんの家で泊めて貰いなさい。

私が一緒に行ってとお兄さんに頼んであげますから。」と、いって呉れたのを、

「いやいやいいんですよ」といったんは断ったが、

「心配はしなくていいですよ。もしあなた方に途中で一家心中でもされては困ります

から、アハッ、ハッ それは冗談ですが、、。」と笑った。でもよねはお巡りさんが

一緒に行ってくれるということで、幾分安心感をいだき、ホッとした気持ちで将来へ

の見通しもついたような気もして、ややに気も軽くなったのである。

「でもお巡りさんと、兄の家へ行って一夜の宿を乞うなんて世間にこんなことがある

だろうか?」と口にもらしたら、お巡りさんは、「いろいろなことがありますよ。

もしてや兄弟は他人のはじまりというでしょう。」などと云って笑った。

お巡りさんと兄の家へ着いたとき、玄関には実兄の木村大造がでて来た。そして

お巡りさんが「明日のことは、よくお話ししてありますから今晩ひと晩面倒を見て

あげて下さい。ご本人は、よほど思いつめておられる節も見えますし、

万一間違いでもあると困りますので」と話をして、お巡りさんは

「では、お願いします。」と、そしてよねには元気で頑張って下さい。と云って

帰って行ったのである。

そのときはもはや夜も十時を過ぎていて、、しだいに寒さが加わって来ていた。

兄夫婦、家族もよね一家のことは、連絡もあり頼りもあり、仙作のことも、

家出のこともみなよく知っていたのであるから、特にこれといって兄夫婦に話を

聞いて貰うこともばく、故郷のことを二三話をして、兄嫁の出して呉れた、

お茶漬けを、子供たちと食べて床についた。床についてまぶたに浮かんでくる

のは、さきほど夜空に見た別れゆく雲であった。その雲は一緒になってはまた

別れ、またいずくに消えてゆくのであった。






 





 











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ