幼稚園時代1
田舎での生活。最初に辛かったのは、祖母が母に嫌がらせの電話をかけているのを聞いてしまうこと。
『血の雨降らせてやる!』
今でも耳に焼き付いている。
田舎に来る前は、母方祖母の家と近く、私はほとんど母方祖母のところにいた。
母や母方祖母の写っている写真を見て涙が出そうになっている私に、(父方)祖母は
『バカ母にバカ婆!バカ母バカ婆に会いたくて泣くのか!』
と叱責した。
私には何を言っても良いと思っているようだった。
この祖母と、気の強い姉は徐々に衝突してゆく。
一方、集団生活はどうだったかというと、幼稚園の年少の時の担任が酷かった。
今思えば、いつも大正生まれの祖父が送り迎えをしていて、父も母もそばにいない私をなめていたんだろう。
母の日が近付く頃、お母さんの似顔絵を描きましょうとなり、どうしていいか戸惑っていると
『おばあちゃんの似顔絵を描こうか』
と言われた。
ここまでは普通の成り行きだが、父の日の時には、父の顔を描き始めた私に
『あ、お父さんは描けるんだね』
と言い放った。
お昼のお弁当の時に、皆でいただきます、と手を合わせたあと、持参の箸箱を開けたら箸が入っていなかった。入れ忘れたのだ。それを隣に座っていたユキちゃんが面白がって
『私ちゃん、箸箱はあるのに箸忘れたんだー(笑)』
と、何の悪意も無く言った。
すると担任は
『自分で言いに来ない子にはお箸貸しませんからね!』
と何故かきつく言った。
箸を忘れた子は通常割り箸を貰って弁当を食べるが、先のとおりダメです!と言い切られてしまったので仕方なく手で食べていた。ユキちゃんも「なんかごめん…」という感じで気まずそうにしていた。すると担任は
『私さんは手で食べることにしたんですね?!』
と、また難癖をつけてくるのだ。
これは、恐らく私が
『自分で言いに行かなくてすみませんでした。お弁当を食べたいので割り箸をください』
と頭を下げに来いということを言いたかったのだろう。幼児だったのでそれを察することなく、結局最後まで手で食べたのだが、もしこの時頭を下げていたら今以上に嫌な記憶として残っていただろう。
普通の、両親がいる家庭の子にこんなことをしたら猛抗議が来るだろう。やはりなめられていたとしか思えない。