表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

中編

久々に妻と一緒の食卓についた。

正面に妻が座っている。

以前は当たり前だったこと。

けれど久々すぎて少し落ちつかない。


目の前には、湯気の立つ味噌汁、卵焼き、焼き魚、ごはん、漬け物。

きちんとした和食。


「いただきます」


妻が綺麗な仕草で手を合わせた。


「いただきます」


俺もつられて手を合わせる。

そういえば俺は、妻のこんな仕草も好きだった。


一定のペースで箸を口元に運ぶ妻を見ながら卵焼きに手を伸ばした。

咀嚼しながら思い出す。

結婚したての頃、妻の卵焼きは甘かったこと。けれど俺が一言言ったら、それ以降はずっとしょっぱい卵焼きを作ってくれていること。


「…ありがとう」


妻が目を上げた。


「俺は…卵焼きは塩味が好きなんだ」


妻が頷いた。


「そう言っていたわね」


「ずっと…こんなに美味い卵焼きを作ってくれてありがとう…」


気づいたら涙があふれていた。

泣きながら礼を言うと、妻が動揺した。


「っ…そんな…たかが卵焼きで……」


そういうことじゃない。

卵焼きだけじゃない。

妻は、ずっと俺の好みに合わせてくれていた。俺はそれを、当たり前の顔をして受け取ってきた。

ついさっきまで、礼も言わずに。

それが情けない。


「言おうと…思っていたんだ…ずっと。君の料理が好きだと」


「そう…」


妻の表情が、ほんの少し優しくなった。


「君に…感謝していると…そう言おうとずっと……」


泣き続ける俺に、妻が小さく笑った。


「早く食べないと冷めてしまうわ」


久しぶりに見る、妻の笑顔だった。




◇ ◇ ◇



朝食の片付けを終えた妻を誘って、リビングのソファに腰を落ち着けた。


「君のことを話してくれ」


妻が眉を寄せた。


「いきなり言われても…」


「何でもいいんだ。最近のことでも、昔のことでも。どんなことだって」


そう言うと妻は軽く目を伏せた。


「そうね……」



そして俺は知った。

妻は花が好きなこと。

よく公園を散歩していること。

そこで猫と会うのを楽しみにしていること。

スーパーへの通り道にある家の、よく吠える犬が嫌いなこと。


「つまらないでしょう?」


妻は肩をすくめたけれど、俺は首を振った。


何だ。もっと早く聞けばよかった。

そうしたら、たまには花を買って帰るくらいの真似、できたかもしれないのに。

「猫を飼おうか」の一言くらい言えたかもしれないのに。

そうしたら妻の気も少しは紛れたかもしれないのに。


けれど今は


「いや、今度花見にでも行こうか」


そんな守れもしない約束をするのが精一杯で。

そんな不実な俺の約束に、嬉しそうな顔をする妻が愛しくて。

思わずそっと抱きしめた。



◇ ◇ ◇



「今度はあなたのことを話して」


そう言われて思わず渋い顔になった。


「つまらないぞ。俺の話なんて」


「私だってつまらない話をしたのだから、あなたも話して」


そうこられると断る訳にもいかない。

目を閉じて考える。少しでも面白味のある話はなかったか…。

ああ、そうだ。


「この前ーー」


夜遅くに帰宅した時、道に不慣れなタクシーだったようで、家の近くまでは来たもののこの辺りは一通も多く立往生してしまった。

仕方なくそこで降りて、家まで歩いて帰ることにしたんだが、その時


「やたらと吠える犬がいてな。中型犬程度なんだが敵意むき出しで。唸るは吠えるは、夜も遅いというのに家の人間は何も言わないし、あれには参った」


さっき妻の話を聞いて思い出した。


「もしかして、真っ白くて赤い首輪の?」


「…首輪の色は覚えていないが、白い犬だったな」


「多分その犬です。私がいつも吠えられているの」


自然と深く頷いた。


「なるほど、あれはかなわんな」


「そうなんです」


久々にまともに話す妻との盛り上がる話題が、厄介な犬の話とかどうなんだと思わないでもないが、何も話題がないよりずっといい。

妻との仲を深める為に、しばらくこき下ろさせてもらった。




「お茶にしましょうか。喉が渇いたでしょう?」


妻が笑った。

俺に向けて。


「…ああ」


動揺を隠して頷く。

ああ、妻が俺に笑ってくれた…。




妻が出してくれたのは、緑茶と美味そうな和菓子だった。


「…贅沢でしょうか?」


チラリと上目遣いに尋ねられ、意味を図りかねて少し考える。


ああ、いつもは一人で食べているから…。


そう思い至って首を振った。


「妻に好きな菓子も食わせてやれないほど、稼ぎが少なくもケチでもないつもりだ。好きに買ってくれ」


それにこれからは、時々は俺も一緒にーー


本当はそう続けたかったけれど飲み込んだ。

守れないとわかっている約束を重ねるのは、流石に心苦しかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ