物語を書くということ
僕の作品を読んだことがある方、また、このエッセイで初めて僕を知った方、縁してくれて、ありがとうございます。
現在、執筆している(格好良いな、この言い回し)、逃げるしかないだろう、が折り返し地点を通過したので、あとがき、ならぬ、なかがき(こんな言葉はない)を、書くことにしました。いま、感じている、僕の気持ちを残してみたかったので。
このような小説投稿サイトに訪れる皆さまは、読むことが大好きで、という方が多いと思います。僕も小学生の頃に、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに触発されて、その後も色々な本を読んできました。
本を読むというのは、本との対話みたいなところがあると思うのですが、若い頃の僕は、物語の面白さはさることながら、何らかの真理を求めるように、読んでいました。ああ、そうなのか。そんな考え方もあるのか。でも、その考えはゆるせないとか。心の中で、見えない作者と問答をしていたような気がします。
大学生になると、自分の中の何かを吐き出すように、よく日記を書いていました。誰にも見せないので、自慰行為と一緒です。それでも、書いて吐き出せば、自分の中の何かが結晶のように形としてまとまるので、とても気持ちが良かった。
読むことが好きな方は、誰もが思い描くと思うのですが、「小説を書いてみたい」と、僕も若い頃から思っていました。だけど、創作って難しいですよね。なんとか書き始めても、中途半端のまま終わってしまう。断片のような文章がパソコンの中に溜まっていき、そのパソコンも買い換えるときに、それらの文章と一緒に消えてしまいました。
五十歳という節目で、思い立ちました。コロナという環境的な要因もあったのですが、何か変わりたい。僕の爪痕を残したい。そんな衝動が湧いてきました。面白くなくても、滅茶苦茶でも、最後まで書き切ろう。それだけを目標に、「そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう!」を書き上げました。日記形式ということもあり、書きやすかったことも幸いしたのですが、最後まで書き上げたという結果は、僕に自信を付けました。
続けて、「本読みクラブ」という、僕の体験をベースにした、小説を書き始めました。この作品も、最後まで、何とか書き上げたのですが、実は、後味の悪い結果になってしまいました。エヴァンゲリオンのTVシリーズの結末と比較するのは、恐れ多いのですが、最後で破綻しました。表現したいことが、書ききれなかったのです。面白いよ!って、応援していただける声があっただけに、これは、かなり悩みました。物語を丁寧に閉じることの重要性を、痛烈に感じました。
また、今まで、自慰行為のように文章を書いていたのが、この僕を見つけて、僕の文章を読んでいただける誰かがいる。僕の拙い文章でも、反応してもらえる誰かがいる。このことを感じたとき、男女の営みに似ているなと思いました。まー、昨今は、多様性の時代ですから、男女と括るのも、違うかもしれませんが、要は、まぐわうということです。
現在、書き進めている「逃げるしかないだろう」は、ノベルアップ+の恋愛小説コンテストに投稿しようと思い、書き始めました。どんなジャンルでも書いてみたい欲求があるのですが、恋愛というジャンルは、僕にとってかなり苦手な分野です。若い頃を思い出すと、恋愛は苦い思い出ばかりです。皆さんに感じてもらうには、経験値もテクニックも、まだまだ足りませんが、大きな心で包んでいだければ、幸いです。これからも、宜しくお願いします。




