確信
外は薄暗く気温も下がり始めていた。
私は階段を小走りに降りて、下駄箱へ向かう。グラウンドでは運動部が部活が終わって片付けをしているが、未来の他に帰る生徒はいなかった。
職員用出入口から川口先生が出てくる。ジャケットを羽織り、ビジネスバッグを片手に持ち、私に手招きをしている。
誰かに見られている気がしてキョロキョロと辺りを確認するが、みんなグラウンドの方へ集まっており、手招きは自分に向けてのものだと確認をする。未来は緊張しながら先生の方へ向かう。
「裏に車止めてあるから」
先生は一言だけいうと、歩き出した。返事をする間もなく後ろをついて行く。
黒い5人乗りの車が見えた。「どうぞ」と、先生が助手席のドアを開けてくれる。
「お、お願いします…」
男の人に車で送ってもらうことなんて、お父さん以外ない。緊張しながら車に乗り込む。先生も続いて運転席に乗ってきた。
距離が近い。密室ではないけれど、先生と一緒に車の中にいるという非日常的な状況に2人だけの空間を意識しすぎてしまう。
「家はどのへん?」「えっと、○○本屋の近くです」「わかった」
車のエンジンをかけると、グラウンドでまだ片付けをしている生徒を横目に見ながら走り出した。
どうしよう。先生と2人っきりなんて初めてだし沈黙が気まずい…何か話しかけた方がいいのかな?
頭の中でグルグルと考えを巡らせながら、チラッと先生の方を見ると
「数学、分かるようになってきてるな」
突然話しかけられ緊張はピークに達する。
「はいっ。先生が丁寧に教えてくれるから。授業だと質問とかしづらくて」
「そうか。少しずつでも分かるようになると、テストも結果だせるようになるから」
「はい。がんばります」
嬉しかった。昔から数学が大嫌いで逃げてきてばかりだったが、ちゃんと努力すれば結果出せるってことが分かったし、放課後の特別授業で先生が応援してくれることが1番のパワーになっていた。
「未来」
唐突に名前を呼ばれ、目を丸くし先生の顔を見る。先生は真っ直ぐ前を向いて運転をしていた。
「お前のこと、未来って呼んでもいいか」
信じられない。先生が私の事呼び捨てにした?胸がバクバクして黙って頷くことしかできなかった。
「本屋、見えてきたな」
「あっ、あそこです」
私は慌てて降りる準備をする。
「待って。今止めるから」
先生は落ち着いた声でそう言うと、本屋の前に車を止めてハザードを付けた。
「はい。到着」
「ありがとうございました」
さっき名前を呼ばれたから、恥ずかしくてまともに先生の顔が見れずそそくさと車を降りようとドアを開ける。その瞬間ぐいっと右手を掴まれ、その方向を振り向く。
「気をつけてな。未来」
背中越しに街灯の光が先生を照らし、黒縁のメガネから優しい瞳がこちらを見つめている。前髪がすこしかかって、どこか切なげにも見える。
ポン、と温かくて大きい手が私の頭を撫でる。
この瞬間、私は先生を好きだって確信してしまった。
「おやすみなさい」
と言い、車を降りた。先生の車が走り去るまで私はその場から動けずに立ち尽くしていた。
外の風はやがて冷たくなり始めた。頬は熱く、全然寒さを感じることはなかった。今夜は月明かりがとてもきれいだった。