拝啓、もういないあなたへ
人間はどこに向かって生きているのか、そんな疑問を抱いたことが人生で何度あったことか。
毎日同じ日々を繰り返し、今日が終われば明日が来てこの一週間が終われば来週が来て今月が終わって来月が来て、またそれが終わって、を繰り返して何に向かっているのか、何をしたくて生きているのかわからなくなるが、ある話を私は信じている。
人は神様から一通の手紙を持って生まれてくる。だが、その内容は神様しか知らない。自分でその手紙に書いてある使命を考えて果たすのだと聞かされたことがある。
私はまだその話を信じている。
だから今日もその使命は一体なんだったのか、模索しながら生きている。
だけど、見つかるのか私にはわからない。
そんな疑問を抱きながら今日もまた、学校へ向かう。
いつものように電車に乗るといつものように私の親友である望美が乗っていた。
「おはよう」
「おっはー」
「朝から元気だね」
「そりゃねぇ。つまんない授業が続くよりこの一週間くらいの授業のが楽だし」
「それは言えてる」
私の学校は中高一貫で、受験もないためこの三月という季節は特別授業が多く、昨日までは日本の文化をどのように外人に伝えるかグループで考えたり、常識問題に挑戦したりしたものだ。半日授業の日も多くて、部活に没頭できていたりするので楽しく過ごしている。だが、しかし、この学校を去ってしまう人がいるのも確かなのである。学力に余裕があって、うちの学校よりも頭のいい学校に行く人やなんとなく不登校になって違う学校に行ってしまう人、様々いる。
「うちのクラスからは何人くらいいなくなるんだっけ」
「三人じゃない」
「寂しいね。みんなこんな学校やだってバイバイして行くんだもん」
そうなのだ。みんな口を揃えてこんな校則厳しいとこ嫌だと言うのだ。
「うちさ、ここの学校卒業するとき、泣くと思うんだよね」
「わかるわかる」
「なんか嫌なこと多いけどみんなで愚痴りながら色々やったの楽しかったもん」
「まぁ卒業するの三年後だけどね」
三年後、か。
少し俯く私にすぐに気付いたらしい望美は、どうしたの、と聞いてきた。
おっと危ない、バレるとこだった。
中学生も終わる私たちは、三年間を振り返りながら登校した。
そして、また、今日という日が始まっていったのだ。
どうやら今日の授業はグループ活動らしい。
「近くの人と五人グループ作って」
先生の一声で一斉にみんな机をくっつけて雑談を始めた。
「机つけただけでなんでそんなに話し声が聞こえるんだ」
朝一発目の授業から怒られた私たちは、気分がだだ下がりだった。
とにかく自分の願望を書け、と言われ、白い模造紙が各グループに配られ、真ん中に「願望」と丸で括ってある。そこから線を引いてみんなでひたすら願望を書いた。
いきなり願望だなんて先生は何を考えているのだろうと、願望よりもそちらの疑問の方が私の頭を埋め尽くしていた。
「なんか急に願望って言われるとさ、難しいよな。今、お腹空いてるから肉、とか書いちゃいそうだもん」
「いいんだぞ、それでも」
「え?いいの?」
後ろから先生が現れた。
「とにかく今は願望を書け」
「やったぁ」
と嬉しそうに男子は食べたいものやらゲームやらひたすら書いていた。女子はというともう少し具体的なようだった。
「三キロ痩せたいな」
「私は、国語の成績上げたい」
「真面目だね」
どこか冷めている私は、みんなの願望を見つめているだけだった。ただ見つめているだけなのに先生は怒りもしないし、声も掛けて来ない。そこで少しだけ、先生という職業のすごさを感じた瞬間だった。たった少しだけだが。友達は模造紙を見つめているだけの私に違和感しか覚えなかったらしい。
「美香は、何書くの?」
「あーどうしよう。私もお腹空いたからメロン食べたいって書いちゃおうかな」
なんて適当なことを書いた。
「子どもじゃないんだから」
と言われて苦笑いで返していると、最近、席が近くになった男子が話しかけてきた。
「案外、橘って子どもっぽいのな。俺、もっと大人びて冷静なやつだと思ってた。見直した」
「そんなことで見直されても嬉しくない」
「ほらな」
「そこ、イチャイチャしないの」
急に茶化してきたので、つい睨んでしまった。
「は?」
真面目に私が怒ったので望美は反省したらしい。
「ご、ごめんって」
とりあえず話が流されたことで私は助かったことは確かなので、望美には感謝しかなかった。そこにいた男子の急激な鋭い視線を感じた。この男子には、自分がいかにも適当にメロンと書いたのがバレているようだった。
そんな時、先生から終わりの合図があった。そのタイミングで更に先生を尊敬をさされてしまう。悔しいものだ。
「はい、そこまで。今からそのグループでどうしたらその願望が叶えられるのか考えてみろ」
なるほど。だから、先生はゲームでも食べ物でもいい、と言ったのか。でも、私にある疑問が浮かんだ。それを同じグループのやつが躊躇せず、質問した。
「先生、私たちはまだ中学生ですし、うちの学校は高校生になってもバイトも出来ません。そうしたら、お金もなかなか手に入りませんし手に入れる方法なんて限られていると思いますが、その点に着いてはいかがでしょうか」
「それも含めて考えろ、ということだ。今、私がここで言ったら今日の授業の意味がなくなる」
「はい。わかりました」
再び教室がざわめき始めた。再び話し合いが始まった。
「それじゃあお金使わなさそうなやつから考えていこうぜ。解決策をこの紙に書くんだとよ」
紙を渡された男子を皮切りに話が始まった。
「じゃあ痩せる方法と成績上げる方法考えようよ」
「まず、お菓子をやめてみたらどうだ?それからランニング」
「いいね。それ書こう。どんどん次行かないと時間なくなっちゃうもんね」
そう言ってどんどん話は進んで行った。そして、お金がないと解決できないものについての話し合いが始まる。
「正直、肉は家に帰って親に頼めば出してくれるよな」
「でも、メロンは出て来ないんじゃないか」
さっきの男子がメロンの話題について突っ込んできた。私に何か発言させるという意図が丸見えだった。
「時期でもない上にまぁまぁな値段するぞ」
違う男子がその話題を広げて解決しようとし始めたので私は黙ることにした。
そんな話をしているとまた、先生が後ろからアドバイスをくれた。
「でも、外国産のメロンは年中売ってるし、お小遣いとかもあるだろ。それが今、ないならどうするか考えてみたらどうだ」
「お小遣いがあれば、そのお金で買うけど、お小遣い削ってまで食べるのか?メロン」
「どうなんだ?橘」
どうしてもこいつは私に発言させたいらしい。
「うーん、そこまではしないかも」
「買って、って親に頼んでダメだったら、おばあちゃんとかに頼めばいいんじゃない?」
ここで話している私たちに妥当な意見が出た。
「そうだね、そうしよう」
解決しきれていないようなその答えを先生は口出しせずに見守っていた。
しばらく経って、席に戻るように指示があった。
「どうだ。自分たちの回答に何回、親が出てきた?」
その先生の言葉を聞いてみんな黙り込んでしまった。
「その親御さんたちは、どうやってその頼まれて肉やらおもちゃやらを買ってると思う?誰か言ってみろ」
いくら中三の私たちでもそれぐらいは分かる。そんなみんなの少し重い空気の中、私はまたどこか冷めている心で聞いていた。親、か。
親には従順に生きてきたつもりだ。だから、こんなに親の言うこと聞いてるんだからお金くれたっていいじゃない、なんて口に出したらいけないことを思ってしまう私がいた。
そんな空気と私の冷めた心を断ち切ったのは、学級委員だった。
「働いてお金をもらってます」
「そうだな。お前たちも早いやつであと三年から七、八年したら社会人と呼ばれる。つまり親御さんたちと同じように稼ぎ始めるわけだ。お金をどう使うのも自由になるわけだ。何に使っているか自分でも想像してみろ。少しずつ自分の将来が見えてきただろ?そこでこの題材で書いてもらおうと思う。書けた人から授業を終わりにする」
その題材を見たとき私は、この先生は正気なのか、と疑ってしまった。
「さぁ書いて」
そして、前から紙が配られ、静寂が訪れた。
誰が書くもんか、とシャーペンを置いた。
そうするとすぐに、望美が話しかけてきた。
「美香、何書く?やっぱ小説?本当の願望書けないからメロンなんて言ったんでしょ?」
「聞こえるからやめて」
「ごめん」
真面目な顔で言ったのがかなり効いたのか少ししょんぼりしている。私は、後ろで聞き耳を立てているさっきの男子が気になっていたのだ。
題材は十五年後への私に対する手紙だった。
十五年後、皆三十歳になる。
結婚しているやつもいるだろう。
仕事に夢中になっているやつもいるだろう。
子どもを産んで、頑張って働いているやつもいるだろう。
もしかしたらニートやフリーターもいるかもしれない。
「いいよなぁ頭のいいやつは」
「そこ、うるさい」
すぐ、先生から注意をされていた。
確かに今から頭のいい子はもう未来設計図がばっちりと組み立てられていて、楽そうではある。
私はというと、将来、夢、願望、なんてものは去年海に捨ててきた。
初めて書籍化した大切な一冊をだった。
『拝啓、あなたへ』という本だ。
所謂ラブコメにするつもりが、最後はヒロインが死んでしまうという何とも皮肉な物語である。その話は、ある女の子がクラスメイトの男子に恋をして、やっとの想いで恋を叶えることに成功したのにも関わらず、余命を宣告されてそのまま死んでしまうというものだった。
その切なさが響いたらしく初めて公募というものに出して、田楽文庫で大賞を取って、書籍化までして、自分の手元に届いた時には本当に本当に嬉しくて、涙が止まらなかった。そして、本屋に並んでいるのを確認したその日、その本を私は海に投げ捨てた。
嬉しくて堪らないその大切な本がもういらなくなった。
自分の本なんて、いらない。糞食らえだ。
そんな怒りを抱いて、もう一度シャーペンを握りしめた。
「で、どうするの?」
ヒソヒソと望美が話しかけてきた。
「うん。考えとくよ」
なんて冷たくあしらってしまった。
クラスのみんなのシャーペンの音が試験のときと同様にカチカチ、サラサラと音が聞こえ始めた。
きっと真剣に将来のことを考え始めたのだろう。
私は考えに考えた。
そして、この意味のない手紙を必死に書いた。
いいだろう。担任は知っているんだ。知ってて、この意味のない手紙を書かせてるんだ。書いてやるよ。
全身全霊で。
少しずつ書き終わったクラスメイトが席から立って雑談を始めていた。雑談の内容はなんとなく予想出来ていたがとりあえずは自分の紙に集中していた。
自分も書き終わってクラスを見渡すと、予想通りに何書いた合戦が始まっていた。その合戦に参加しないようにすぐさま尿意もないのにお手洗いへと向かった。するとあいつに見つかってしまったのだ。
「女子ってトイレが近くて大変なのな。さっきの休憩時間もトイレ行ってたもんな」
同じようにクラスから出てきて追いかけてきた。
「そ、そうよ。大変なのよ」
なんとか誤魔化して逃げたかった私は急いで逃げようとすると彼は走って私の前に仁王立ちした。
「もし、みんなに詮索されたくないなら俺にだけでも教えてくれよ」
「何をかしら」
逃げられるのなら逃げられるところまで逃げたい。
「メロンが欲しい理由をだよ」
彼はそんなことが知りたいわけじゃないことくらい表情を見ればわかったが、彼の質問の本意を無視して彼の質問に素直に答えた。
「メロンって美味しいじゃない。でも、季節じゃないと甘くて美味しい日本産のメロンはなかなか食べられない。その貴重さが美味しさの足しになるのよ。だからメロンが好きなの。でも、今はメロンの時期じゃない。だからメロンが欲しいの」
これでもかというくらいに早口で彼に言った。
「じゃあ一緒に茨城に行こう」
彼の突然の提案に、出す言葉がなかった。
「な、何言ってるのよ」
「茨城は年中メロンが食べれるらしいって聞いたことがあるぞ」
「私たちまだ中学生なのよ?いく方法なんてないわ」
「俺が高校生になったらバイクの免許を取ってすぐに連れてってやる」
「急に何言い出すのよ」
「じゃあそういうことだから」
彼はそう言って教室に戻った。
私の頬のほてりはおさまることを知らないように熱を持ったまま私も教室へと戻った。
それなのにその日以来、彼が私に話しかけてくることはなかった。
それにイラついてもいた。あんなことを言うだけ言って、何も話しかけてこない。私の頭は會澤でいっぱいになっていた。
しかし、親友である望美は相変わらずのテンションで私へ話しかけてくる。
「後、一週間で春休みか。ねぇねぇ好きな人出来た?」
「出来ないって」
そんな意味のないもの。出来たって苦しいだけ。
「へぇ。會澤とたまに話してるし好きなんだと思ってた」
「メロンが好きな理由聞いてくる、そんな変なやつ好きになるわけないでしょう」
「好きな人出来たらすぐに言うんだよ?応援してあげるから」
「望美もね」
先生に頼みごとをされていた私は、職員室へと向かう途中會澤と担任が話しているのが見えたのでなぜか咄嗟に隠れてしまった。
「本当に挨拶もしないまま行くつもりなのか?」
「はい。これと言った友人も出来ませんでしたし」
「部活が一緒だった奴らはいるだろう」
「本当にいいんです」
その会話を聞いて、自分がこいつに、恋、していたことを自覚させられたのであった。
いつも視界に入っていた人が急にいなくなると知った時、人は色んな感情を抱く。寂しさはもちろん悲しみを抱くこともある。
なぜか私は、恋という感情を抱いてしまった。いや違う。恋をしていたことに気付かされる言葉では言い表せないほどの恥ずかしさがあった。それと共に一緒にメロンを食べに行こうなんて軽く言ってのけた會澤への怒りすら抱いていた。
話を終えた會澤を追いかけてすぐに怒って問い詰めてやるつもりだった。なのにこいつの顔を見た瞬間に、切なくなってしまった。
こいつの顔を見れるのは後、何回なのだろうと悲しくなった私は予定よりも小さな声で會澤へ問い詰めた。
「茨城連れてってくれるんじゃ、ない、の」
なぜか私は泣きながら會澤にしがみついていた。
「別におんなじ学校じゃなくても連れていくことは出来る」
「連絡先も知らないのに?」
「そっか、そうだったな。教えてやるからそんな泣くなよ」
「絶対だからね、絶対連れて行ってよね」
「わかったよ」
そんな果たされるわけもない約束を二人で交わした。
その約束が果たされないのを彼が知っているなんて私は、全く知らなかった。
だから、なんで彼がそんな約束をしたのか私は知る由もない。
急に私は、彼との少ない思い出を思い出していた。
彼が私に初めて話しかけてくれたのは、今年クラス替えがあってすぐのことだった。
「そんなおどおどしてどうしたんだよ」
三年連続同じクラスだったのにその一言が私たちの初めての会話となった。
「春休みの課題、忘れちゃって」
「あーそれなら俺も忘れた。だから、おどおどすんな」
正直何の慰めにもならなかったが、話しかけてくれただけで少し心が軽くなったような気がした。まぁ当然のごとく二人で怒られ、担任の手伝いをやらされたが漫画のようにそこで意気投合なんてことはなく、それ以降話すことなんてこの一年間で記憶にないくらいだったのに。それでもたまに視線を感じる時はあった。だけど、会話なんてなかった。だから、驚くのも当然だった。何も知らない私のことを知ったかのような口ぶりをするんだから。
でも、本当に驚くのは思い返せば君のことをいつも見ていたことだ。君の視線に気付くのは私も見てたからなんだってこと。
私はずっと話したかったんだと思う。
席が後ろになって嬉しかった感情も私は知っている。私のことよく見ててくれてたのもすごく嬉しかった。
君に「好き」という感情を抱くことが出来て、それに気付くことが出来て幸せだ。
それなのに、それなのに、世の中にこんな不幸なことがあるんだと思い知らされた。
少し泣きそうになって寄り道しながら職員室に向かったため遅くなってしまったが、先生は怒らず待っていてくれた。
「橘、出来てるんだろうな」
「え、これを運ぶのを頼まれたので、出来たも何も」
「あんな素敵な手紙を書いてくれたんだからもう出来上がってるんだろ」
してやられた、という気分になった。
「いや、書けてませんけど」
「今すぐ書いてこい」
「え、いや、そんな簡単に書けるものじゃないんですが」
「じゃあみんなにバラしてもいいか?お前が會澤と駆け落ちするってこと」
その言葉に職員室中がざわついた。
え、駆け落ち、なんて笑いを聞こえる。
この教師はなんてことを言うんだ、と思いながら駆け落ちという言葉に反応して頬を赤らめてしまった自分が恥ずかしくて先生の視線から逸らすように入り口の方を見ると會澤がいてもう目のやり場に困っていると先生が大声を出して笑い始めたのだった。
「本当に面白いな、橘は。こんな奴だって知ったらもっとみんな寄ってくると思うぞ」
「いいんですよ、今更」
そう小さな声で告げると先生の顔から急激に笑みが消えた。
「そんな諦めたことを言うのはやめろ。人ってのは最後の最後まで好きなものを食べたり友達と話すのを楽しんだりするべきなんだよ。やっぱり書けよ。明日までに。この紙返すから、この裏にでも書いてこい」
「いや、だから」
言いかけた途中で先生は席を立ち、お手洗い行ってくる、と逃げてしまった。
逃げて行った先生を急いで追いかけた。
「あの、先生」
「やっぱり気になるんです」
「何がだ」
「なんで手紙なんて書かせたのかなって」
「考えて欲しかったんだ」
「何をですか」
「自分の未来のこと」
自分の、未来か。そんなの考えたって。
なんとなく会話を聞いていたらしい會澤は職員室を出てきてすぐに追いかけてきた。
「見せてよ、その紙」
「なんで會澤に見せなきゃいけないのよ。て言うか盗み聞きって趣味悪いんですけど」
「茨城に行く仲だろ」
「は?意味わかんない」
「ごめん。怒んなよ。俺、知ってるんだ。お前が、もう」
會澤が何を言おうとしたのか瞬時に察した私は、彼の口をすぐに手で塞いだ。
「あんた、今、何を言おうとしたわけ」
「今ここで言っちゃいけないこと、なんだろ」
「脅してるの?」
「さぁ。まぁとりあえず事実は確認出来た。その未来宛ての手紙は見せてくれなくていい」
「カマかけてたわけ?」
「いや、先生とお前の会話よく聞いてたらわかるよ、なんとなく」
「迂闊に職員室で話すんじゃなかった」
本当に隠して過ごすつもりだった私にとってバレてしまった状況は最悪とも言えるのに後悔をしながらもなぜか安心してもう目には涙が溜まっていた。
「ちょっと外出るか」
「うん」
そういう普段見せない優しさを向けられると目に溜まっている涙を抑えることができなくなるのだ。
涙を隠しながら向かった誰もいない中庭で私は、話せずにいた。しかし、私はこいつに聞きたいことがあった。
「聞きたいことある」
「何?」
「なんで茨城行こうなんて言ったの?」
「お前との思い出を作りたかったんだよ。誕生日俺、四月だし、そしたらすぐにバイクの免許でも取れば間に合うかなって」
「旅行先で倒れたら?」
「世界の中心で愛を叫ぼうかな」
「そんなドラマチックな展開になっちゃうの?」
「それなら私も悔いはないかな」
二人で微笑んでいると望美が呆れた顔でやってきた。
「あぁこんなところにいた。探したんだよ。二人とも。デート中悪いんですけど、もう授業始まってるんですよ」
突然、望美が茶化しながら現れた。
「じゃあ俺、先に行ってるから」
何かを察した彼はすっと教室へと戻って行った。
当然のごとくにんまりとした笑顔を浮かべた望美が彼が見えなくなったのを確認しながら茶化してきた。
「デートって言葉を否定しなかったってことは、もう二人は出来ちゃってるわけですか、さっき散々否定しておいて」
「いや、別にそんなんじゃないよ」
「じゃあ何よ。二人の世界って感じだったけど?」
望美の表情は急に曇った。
「静かなところで話したかっただけ」
適当に誤魔化していると望美は怒り始めた。
「私は、美香の親友だと思ってたよ。だから、誰かを好きになる気持ちも辛いことも隠して欲しくない。でも、美香は私のこと適当にあしらっとけばいい友達としてしか見てなかったんだね。がっかりだよ」
「そういうわけじゃ」
望美が泣きそうな顔をしているのを見て、一つだけ、本当のことを話すことにした。
「ごめんね。実はずっと気になってた。會澤のこと。でも、それに気付いたのがさっき。そんでもって會澤は転校するらしい。だから、好きだなんて甘い言葉を交わしたりなんてしてないよ。それは本当」
「いいの?ちゃんと好きって言わなくて」
「うん、きっと伝わってると思うから」
「美香がそう言うなら信じる。でもさ、なんでそんな泣きそうな顔してんの」
そう言いながら泣いていたのは望美の方だった。
「なんで望美が泣くの?」
「だって好きな人と離れ離れになっちゃうんだよ?私だったら耐えられない。辛いなら思い切り泣きなよ。私が全部受け止めるからさ」
そう言って望美が大きく手を広げて泣きながら待っていた。
こんなに必死に泣きながら私を受け止めてくれる親友にまだ隠し事をしてるなんてバレたらきっとまた怒られるんだろうな。だけど、ごめんね。私が出来ることは一つしかないんだ。許してね。
「教室戻ろっか」
そう言って私たちは教室に戻ったのだが、望美は穏やかな声で語り始めた。
「私さ、美香の小説初めて読んだ時のことだけは忘れられないんだよね。同い年でこんな小説書ける人がいるのかってすごい感動してそれから何度か読ませてもらって書籍化作家が自分の親友だなんてもう、自慢したくてしたくて、色んな人に勧めたんだよ」
「そうだったんだ。知らなかった。ありがとう」
「だから、美香。これからも小説書いてよ」
「うん」
「なんか、もう書かない気がしてさ、美香が」
「なんで?」
「うーん、親友の勘?」
図星というやつだった。まさか自分の投げ捨てたような気持ちが見抜かれてるなんて思いもしなかった。
私のことよくわかってる、と冷静に関心しつつも、なんて答えてももう書けない気持ちがバレる気がして返答に困っていた。
「すごいね。書けたら書くよ」
そう言うと望美は、ふふ、と声をあげた笑ったのだった。
「何よ」
「いつも書けたら書くって言ってるからきっとまた書いてくれるんだろうなって」
その話も合っているあたりさすがだなと思ってしまった。
「そう言われたら書かないって意地張っちゃうな」
「まぁそう言わずに書きなよ」
そんなことを言ってたら教室に着いていた。
そして、帰りの時間になり私は、適当な口実をつけて帰りに一人で職員室へ向かった。
なんか今日は泣いてばかりだな。
「先生、やっぱり明日までには書けません。病院でゆっくり書きます。必ず書き終えるので、その小説と共にこの未来への私への手紙を望美に渡してください。きっと泣いて怒ると思いますが、その時は先生なんとかしてください」
「おいおい、随分投げやりなんだな」
「これが私に出来る精一杯の愛情です」
「あいつにも言ってないんだな」
「毎日、泣いて過ごされても辛いので」
「そっか、渡すよ。橘の思いを受け取りました」
「ありがとうございます」
きっとこんな手紙を横で書いてたなんて知ったら望美はやっぱり怒るのかな。
悔しがるかな。
泣いて泣いてショックで崩れ落ちるかな。
立ち直れるかな。
心配だけど、きっと望美なら大丈夫。
頑張れ、望美。
『望美へ この手紙をあなたに託します。どうか、どうか、泣かないで。望美が親友で本当に幸せでした。
拝啓、わたしへ
もしかしたら、手紙の内容わかったかもしれませんね。
本、たくさん売れましたね。初めて手に取った時、信じられなくて親にも見せても中々信じてもらえなくて大変でしたね。
私の大好きな切ない恋愛小説を自分の手で書くことが出来て、それが本にまでなって、それが本屋さんに並んで。いつかドラマになってくれたりするのかな。
あの小説がこんな皮肉になるなんて思いもしなかったけれどそういう運命なんだと思います。
だから、そんな本もあれが最初で最後になるなんて私はとても悲しいですが仕方がないですね。
なので、この小説を最後の最後にあなたに捧げます。
ぜひ読んでください。天国で』
桜も散り始め、會澤との謎の茨城旅行も愛も叫ばず終わり、入院の日を迎えた。
もう手の施しようもない私はここで最期を迎えることになる。
だから、私はそれまで未来の私、そして望美のために小説を書いておく。
好きな人と結ばれたこんな小説を。