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魔女見習いシリーズ

魔女見習いのイダ カボチャの蝋燭

作者: 青咲りん


    1


 目が覚めると、涼しい風が窓から吹き込んでいた。

 風に煽られた白いカーテンはふわふわとはためいていて、柔らかな朝の光を部屋にもたらしていた。

 その光が柱になって、部屋の埃をダイヤモンドダストのようにキラキラと輝かせていて、とても幻想的だった。

 ……その中に佇む一枚の家族写真も、天使の梯子に晒されて、とても感傷的になる。


「……もう、朝か」


 銀色のロングヘアーの前髪から覗く蒼い瞳が、眠りから覚めたばかりだからなのか、すこし微睡んでいるようにうるうると揺れていた。

 白い長袖のワイシャツ以外には小学校の制服である黒のプリーツスカートと同色の黒タイツ以外身につけていないその小さな体が、床の上で上体をもそりと持ち上げる。

 どうやら寝落ちしていたらしい事を悟ると、床に投げ捨てられていたデジタル時計を見て──正確には、そこに表示されていた日付を見て、欠伸を一つ、着ていた服を脱ぎ捨てた。


 二千十年十月廿三日。土曜日

 来週はハロウィンだ。


    2


「おはようございます、師匠」

 一階のダイニングに降りると、リビングで一人の黒髪の、そしてグラマラスな女性がパイプを咥えながらテレビをつけていた。煙の匂いから、ふかしているのは煙草ではなくペパーミントだということがわかった。

(また二日酔いかな)

 ペパーミントは彼女が二日酔いで気分が悪い時に良く吸っていたので、そんな事を思う。こんな時は、カモミールティーを出すのが、イダの仕事だった。

「おはよう、イダ。朝食はまだかしら?」

「はい、ただいま」

 電気ケトルに水を注いで電源を入れる。

 食糧棚から乾燥させたカモミールを引っ張り出して適量をパックに摘み、カップの中に置いた。

 ケトルの方を見ると、まだ沸くまで時間がありそうだったので、卵と牛乳と砂糖を引っ張り出してきてフレンチトーストを作る準備を始めた。

「うん、手際が良くなったわね」

 ソファに腰掛けたままだった彼女が、背もたれから頭を弓形に反らして乗り出しながら言う。彼女のミドルヘアーの黒髪が重力に従って垂れて、広い額が露わになる。

「ありがとうございます」

「そして相変わらず無愛想。

 その歳で両親が事故で亡くなったのは辛いと思うけれど、来週の日曜日くらいは笑って過ごしなさいな。もうすぐハロウィン、死者の魂が此岸にやって来る日よ。

 私の国で言う盆ね。知ってる、盆?」

 自分を元気付けようとしてくれているのだろう、やたらと不器用なやり方ではあるが、その事がすこし嬉しかった彼女は、ソースを混ぜる手を少しリズミカルにしながら首肯した。

「馬に見立てたキュウリに乗ってやって来て、牛に見立てたナスに乗って帰っていくんですよね。

 あの世とこの世が繋がって、祖霊との交流がし易くなる時期」

「そう。つまりあなたにとって、三十一日は特別な日になるわ。

 準備は怠らないようにね」

「はい」

 ケトルがピーピーと音を立てる。

 イダはカップにお湯を注ぐと、乾燥させたカモミールが良く馴染むのを待ってスプーンでかき混ぜ、女性の方へと持って行った。

「ありがとう」

 彼女は短く礼を言うと、パイプを置いてカップに口をつけた。


    3


 もう、一年が経つ。

 カレンダーのバツ印を横目にフレンチトーストを二人で頬張りながら、イダはその長い銀の睫毛で瞳を伏せた。

 彼女は、オランダのアムステルダムで生まれたごく普通の女の子だった。

 虐められることもなく、誰かと仲良く話すこともなく、ずっと図書室の席に座って本を読み耽る日々。そんな静かな日常こそが彼女にとっての当たり前の日々だった。

 そんなある日のことだった。いつものように本を読んでいると、ある教員が携帯電話を片手に息を切らして飛んできた。

『ミス・アメルスフォート、ちょっと良いかしら』

 深刻そうな顔をした教員に首を傾げながら、図書室を後にする。そうして職員室の角で話されたのは、突然の両親の事故。

 まさに晴天の霹靂だった事に泣くことも忘れ、そして直ぐに迅雷のように廊下を走り出した。向かう先は、彼女の話していた、両親が運ばれたと言う病院。

 場所は、イエローバスの窓から、いつもの道から少し離れたところに見えていたので、直ぐにわかった。

 ……しかしいかんせん、当時九歳の小柄な少女の足では時間がかかった。体力が切れて肺が痛くなって、脇腹も鈍く痛んだが、それでも走って、走って、病院まで駆け抜けて──。

 その先は、よく思い出せなかった。

 気がついた時には、父母の親友だったと自称するこの女性の胸に抱かれて、わんわんと泣いていたことだけは記憶していた。

 それから、彼女の提案で日本に移住する事になった。身寄りの無くした小さな子供を、彼女が引き受けた体である。

 それからは慌ただしく日々が過ぎた。

 移住の準備をしていた間のことはよく覚えていない。飛行機の窓から見えた幻想的な雲海だけが、その蒼い瞳にしっかりと焼き付いていただけだった。


    4


 不意に、リンゴーンと重いチャイムが玄関から響き渡って来た。あまりこっちでは聞かない音だからか、扉の外でビクッと慌てるような気配が伝わってくる。

 その音とともに時計の方へと目をやった師匠と呼ばれていた女性──織田は、『もうそんな時間か』と呟いてカップを置き、玄関に向かった。

 おそらく配達の人なのだろう、と当たりをつける。イダにはまだ日本語がわからなかったので、こういった仕事は全て彼女が自ら担当した。

「さて、朝食も終えたし、早速当日の儀式に向けて、寝殿造りを始めようかしらね。

 ……その前に一つ問題よ。イダ、魔女や魔術師が言う神殿とは何のことかわかるかしら?」

 問われて、彼女が自分にとって何の師匠なのかを再度自覚した。

 あの霞んだ記憶の中で唯一覚えている、少女がここへ移住した理由。


 ──また、あの二人に会いたい。会って、言えなかった“サヨナラ”を、ちゃんとこの口で言いたい。


 その願いを叶えるべく、織田と交わした契約。

 彼女が自分にその方法を教えるかわりに、魔女の弟子として、ともに日本に来ること。


「魔法を使うための専用の作業部屋のことです」

 昨日、ずっと読んでいた教本の内容を自分なりに咀嚼して、言葉として口から吐き出した。

「その通り。つまり、この世界と魔法を扱う世界を区切る役割を持つのが神殿なの。

 そして神殿の中で魔法を使うには、適した力の器を用意する必要があり、その器で満たすことで、初めてその場所は神殿となる」

 力の器。つまり、天使や悪魔などを象徴するアイテムである。

 例えば四大天使でミカエルならば惑星は太陽、金属は黄金。

 ガブリエルならば惑星は月、つまり金属で言えば銀。

 こういった太陽や月、黄金や銀などといったものが、力の器と呼ばれる。ちなみにこの器は物に限らず、ミカエルやガブリエルと言った天使の名前にも用いられる。

 ……では、その力とは何か。

 それは、天使の持つ権能である。たとえばミカエルはキリスト教では死の天使として、人間の魂を天秤に掛け、罪の重さを測る。

 このことからミカエルは正義を司るという性質を有し、司法関連の魔法によく用いられる。

 またガブリエルはあの『受胎告知』にも描かれるように、神の言葉を伝える天使だ。このことから、手紙や電話など、情報をこちらから遠方へとやり取りする際に用いられる。

 魔法の世界では神や天使は存在しない。彼らは単なる記号であり、その意味内容だけを汲み取って、自らの願いの成就のために用いるのだ。

「では、次の問い。

 ハロウィンで死者の霊を招き、対談するにはどんな神殿を用意する必要があるかしら」

 それは、彼女がずっと準備していたことだった。

 魔法に於いては、その祭事すら力の器として用いる。

 ハロウィンは死者の霊を招く祭事。ジャック・オー・ランタンを飾り、お化けに変装して彼らに混ざり、地上での休暇を楽しむのだ。

 故に、そのために必要な神殿は──

「ジャック・オー・ランタンを飾って火を灯して、ハロウィンの準備をします。

 そして対談用の部屋を別に設けて、そこにはガブリエルの召喚陣を描きます。必要なものは、お化けカボチャと蝋燭、そして百合の花です」

 百合の花はガブリエルのアトリビュート。そこにいる存在がそうであることを提起する為の証明証。

 ジャック・オー・ランタンに百合の花を添えることでガブリエルへと変え、魔法世界の上で神である術者の言葉を死者の霊へと伝えるのだ。

 そして伝えた言葉を霊たちは、飾られた幾つものジャック・オー・ランタンを通してこちらへと返すのである。

「よくできたわ。この一年で、よくここまで成長したものね」

 ニコリ、優しく微笑んで、織田はイダの銀色の髪を撫でるのだった。


    5


「さて、やることが分かっているなら、早く建造するわよ」

 頭から手を離すと、織田はポケットから小さな黒い箱を取り出し──蓋を開けて、あからさまにその箱の容積には収まらないだろうサイズの段ボール箱を数箱取り出してきた。

 まるでドラ●もんの四次元ポケットのようである。

 この箱の名前は影袋。影のもつ力の器としての能力を具現化して道具としたもので──一般に魔具と称されるものの一つである。

 魔具というのは、魔法を行使する為の補助具の事だ。魔女や魔術師は瞑想によって変性意識状態となることで、幻覚を世界と結束させ、一時的に幻を具現化させる。

 簡単に言えば、夢の世界と現実の世界の周波数を一時的に混線させることで異能の力を体現させるのである。

 魔具とは、それを手助けする道具なのである。

 メンタリズムの世界ではアンカーリングというものがあるが、原理としては似たようなものだ。

 一年も彼女と過ごしていれば、魔具を見る機会も沢山あって慣れていたイダは、特にそれに驚く事なく取り出された段ボールを開封した。

 入っていたのは、オレンジ色のカボチャ。お化けカボチャという品種のものである。中でもアトランティックジャイアントと呼ばれる品種は、大きいものは直径百八十センチにもなるらしいが、残念ながら箱に入っているものは直径三十センチから四十センチほどの小ぶりなカボチャだった。

 それが、一箱に二つ三つという風に入って、数箱。数えてみれば全部で廿八個。

「やり方、わかるかしら?」

 思っていたより結構な量があるなぁ、と少し呆然としていた少女に、織田が尋ねた。

 聞かれて、しばらくカボチャを観察する。

 果肉はとても硬そうで、そのまま杭で彫るのは大変そうだと感じた。

(……茹でれば、柔らかくなるかな?)

 一年間彼女の下で師事しながら家事もこなし、毎日の食事も作ってきたイダ。

 その中で普通のカボチャも調理する事も、二度三度あった。

 生のカボチャは硬い。

 茹でるか、一度電子レンジで温めてから切るのが常だった彼女は、知らぬ間に顎先に立てていた人差し指を離して、織田に視線を合わせた。

「まず、聖水で茹でて聖別します。柔らかいうちに杭で彫って、中に蝋燭を立てます」

 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。と、次の瞬間だった。

「ぷっ、あははははっ!せ、聖水で、茹でる!?

 斬新ねぇ〜。なるほど……。

 聖水で茹でるかぁ、その発想はなかったわ」

 失笑が部屋の中に木霊して、彼女の楽しそうな笑い声がイダの耳朶を打つ。あまりに笑うものだから、何かを間違えたのでは?と少し不安になって眉を顰めた。

 勿論、自分だって聖水をこのように使うだなんて聞いた事もなかった。それは多分、いやきっと、まだ自分が彼女の下で師事して約一年程しか経っていないからではないか。なら、別にそういうことがあってもいいのでは?と思っていた。

 けれど、どうやら織田の反応を見る限りでは、そんな事はないようだった。

「うん、いいと思うわ」

 言って、両肩に手を置いてニコリと笑う。

「やっぱり、貴女を弟子にしてよかった。素人じゃなきゃ、こんな発想なかなかないわよ」

「むぅ……それって、褒めてるんですか?」

 なんだか貶されているような気がして、少しだけ頬を膨らませる。

「勿論だよ。

 ……ちなみに、どうして聖水で聖別しようと思ったのかしら?聖別にはいろんな方法があるわ。例えば火にかけたり、土に埋めたり、祈ったり、撫でたり。太陽光に晒したり、月光を使うというものもあるけれど」

 聞かれて、イダは即答した。

 昨日、ちゃんと夜遅くまで復習していたから覚えていたのだ。

「ガブリエルが司る属性が水だからです。

 だから、水を使って聖別するのが一番だと思いました」

「おぉう、なるほど。なるほどね。

 でも、それだけだと不正解よ。どうしてかわかる?」

 尋ねられて、顔を俯かせる。

 開いていたまぶたを半分閉じて、再び人差し指を顎先に立てる。

「……時刻と、鍋の材質も考慮しないといけないから、ですか?」

「そうね。じゃあいつ、どんな鍋を使うのがいいかしら」

「月光の下で、青色に塗った銀製の鍋を使います」

「その心は?」

「ガブリエルの支配惑星が月だからです。月と同じ部屋にある器は、金属は銀、色は青ですから、青色の銀の鍋を用いて、支配惑星である月が空にある時間帯に聖別を行います」

「よくできました。ちゃんと勉強してて偉いわ。

 ……でも、そうなると鍋を直接火にかけるのは難しいと思わないかしら?」

 尋ねられて、小首を傾げる。

 イダにはその理由がわからなかったのだ。

「どうしてですか?」

「銀の融点よ。銀は比較的低い温度で溶けるわ。長い時間火に当てていては鍋が溶けてしまうし、酸化して別の物質になるもの」

「湯煎すればいいじゃないですか」

「……」

 即答されて、一瞬たじろぐ織田。

 まさかそんな言葉が、小学四年生の口から出てくるとは思っていなかったからだ。

「チョコレートを溶かす時だって、鍋にそのまま入れては焦げてしまいます。ですから湯煎します。同じように銀の鍋も湯煎すれば、鍋が焦げる事はありません。そうですよね?」

 言われて、その通りだと感じた。彼女の才能が、一瞬だけ羨ましくなって、首筋のあたりで何かがモヤっとした感触を覚えた。

 ……いや、それ以前に彼女の知能の高さは、十歳らしからぬしっかりとしたものの言い方からも察することができた。

(……これが、天才というものなのかしら)

 固定観念がないというのは、一種の才能だと感じた瞬間だった。


    6


 それから、二人によるハロウィンの準備が始まった。

 神殿に使う部屋の掃除から始まり、祭壇を納屋から引っ張り出してきて配置したり、ガブリエルの召喚陣を床に直接チョークで描いたり。

 他にも、毎晩決まった時間にお化けカボチャを聖水で茹でてジャック・オー・ランタンを作ったりもした。

「イダ、そこヘブライ語のスペル間違えてるわ。あとここの円が一個多い。それに、ここチョークの色を間違えてるわよ」

 召喚陣を描くのは、彼女にとって一番の難関だった。綺麗に円を描くことや直線を引くことなどは、コンパスや定規、分度器などを使って正確に描くことはできたが、しかしそれ以外に円の中に描き込むシンボルや文字、使用するチョークの色などを所々間違えたりもした。

「ほら、そっちの線を先に描いたら、次の線を描くときに踏んじゃうでしょ」

 陣を描く順番も、厳しく監督されつつ、なんとか複雑な陣を描くイダ。その額からは汗がこぼれ落ちそうになるが、余計なものが混ざれば陣が起動しなくなる。一つの異物で、ちょっとした角度の違いで、全く意味が異なってしまうからだ。

 熟練すれば必要なくなる作業であるとはいえ、幼いうちから基礎をしっかり学び、身につけておかなければできるものもできなくなる。

 織田は心を鬼にして指導に当たるのだった。


 神殿が完成したのは、ハロウィン前日、夕方頃。

 イダは儀式に及ぶ前に、きちんと自身を聖別し、儀式に適した状態にするために浴室へと向かった。

「……」

 心臓が、早鐘のように耳元で鼓動するのが聞こえる。

 漸く両親と話をすることができるのだと思うと、嬉しくなって──しかし、その両親ももうこの世に戻ってくることはない死者なのだと思うと、とても寂しく感じて、知らぬうちに目尻に滴が湧き上がるのを感じた。

「……ママ、パパ。私、頑張ったよ」

 脱衣所。その洗面台の縁に両手を置いて鏡を見つめながら口を開く。その声はたどたどしく、そして僅かに震えていた。

「よく頑張ったって、褒めてくれるかな?

 ……きっと、褒めてくれるよね」

 言い聞かせるように呟く。不安は少しだけだが残っていた。ちゃんと五芒星の小追儺儀礼の呪文を噛まずに唱えられるのかとか、儀式での体の動かし方を間違えないかとか。

「大丈夫。私ならできるよ」

 口に出せば、その言葉がすんなりと胸に落ちた。自信が底から湧き上がってきて、なんとなく大丈夫な気がしてきた。

(……時間がない、早くみそぎを始めよう)


    7


 神殿とは、魔法を扱うにおいて一般庶民が言うところの、信者が礼拝に使う場所として捉えるのではなく、その本質──つまり、神のいる場所として捉える。

 そこは神聖な場所──つまり、現実の世界と夢の世界が混線した世界として扱われるわけで、それを建造する術者も、神聖な状態にされなければならない。

 ここで神聖な状態というのは、何度も繰り返すが現実と夢の混線した状態である。ブッディズムでいうところの結界を意識してくれればわかるだろう。

 さて、建造にあたって術者を聖別しなければならないわけだが、その方法はいくつかある。メジャーなのは沐浴である。


「ん……」


 冷たい水が、少女の小さな体、その柔らかい肌の上を静かに伝っていく。

 弱流の冷水がシャワーヘッドからこぼれ落ちるのを銀の頭髪に受け止めて、呼吸を整える。

 三拍、生殖器から丹田、鳩尾、心臓、喉、眉間を通って頭頂部から何かエネルギーのようなものが抜けていく感覚を想像しながら息を吸い、今度は二拍息を止めて二拍で今度は頭頂部から同じ経路を辿って生殖器へと抜けていくように息を吐く。同時に腹式呼吸になるよう横隔膜を意識して、目を閉じながら心の中を空にしていく。


 もう秋も深まり、そろそろ冬の足音も聞こえてくる頃。そんな時期に冷水で身を清めている少女の体は、寒さによって小刻みに震えていた。

 冷水で身を清めつつ、瞑想によって変性意識状態へと変えていく。魔法に慣れない初期の段階では、このように自身を聖別し、儀式を成立させるのに適した部品へと作り替えていくのだ。

 織田のように熟練すればその必要もなく、変性意識状態へと任意に切り替え、神殿を体内に構築する事で聖別する必要なく呪文を唱えるなどをするだけで奇跡を発現させることが可能となるのだが、未だこの世界に踏み出して一年も経っていない彼女には、そんな事はまだできなかった。

 髪を水滴が伝う。猫っ毛のそれが水を吸って重くなり、そこから滴る水が白い首筋を、肩を、鎖骨を伝ってなだらかな丘陵を下り、柔らかな腹部から魅惑的な、適度に脂肪のついた大腿へと流れていく。雪肌に覆われた脚を小川をつくって流れる水が、小さなあんよの指の隙間、健康そうな桜色の爪を滴ってクリーム色のタイルの上を流れ、排水溝へと進行した。

 イダの頭の中では、しかし自分の肌はそんな真っ白には描かれていなかった。墨で真っ黒に塗りたくられた黒い肌。黒い髪。それらがこの冷水に触れることによって流されていき、徐々に白い肌があらわになっていくのである。

 この墨が全て流れ落ちた時こそ、聖別の完了と意識の遷移が完了するのである。

「……」

 やがて、長い銀の睫毛が、ふるふると震えて、その奥に隠した蒼い瞳を顕にした。そこに映る輝きは、今までのものとは雰囲気が違っていた。

 悲しげで、憂うようで、過去をのみ見ていた瞳には、神々しく、そして氷のように冷たい光が、微睡むような光と共にそこにあった。


    8


 聖別された白いタオルで全身を拭い、事前に用意されていた儀式用に聖別されたローブを裸の上から着込んだ。

 今日は十月三十日。この日没からハロウィンはスタートする。

 この日のために、少女はあらゆる準備を済ませていた。ランタンを作り、神殿を建造し、呪文を覚え、舞を覚え。両親を視たらまず何を話すか、全て考えてきた。

 その足取りは軽くはなかったが、しかし重くもなかった。一歩一歩を、求め続けた次の瞬間のために噛みしめながら、少女は木の廊下を踏み進んでいたのだ。

 ローブはオボログサと呼ばれる植物で織られた。色は薄い青色で、百合の花と鬼灯が刺繍されている。袖口に向かって広くなるベルスリーブの袖口は白く二本のラインに染められ、その合間にはエノク語で祝詞が綴られていた。

 曰く、『忘れないで、忘れさせないで。ナイアスよ、どうか見逃して。レテの川を渡る架け橋よ、ナイアスの目から私たちを霧で隠して』

 足首に巻かれたミスリル製の鈴が、シャリン、と音を鳴らしながら彼女の足を神殿へと運んだ。

 古来、鈴の音は熊除けに用いられていた。魔法における熊は獣の総格、つまり悪魔を象徴視させていたことから、熊除けに用いられる鈴は魔除としての意味を持った。

 軈て、彼女の手が神殿の扉の前に突きつけられた。

「──リ・レティア(再び思い出す)

 青い光が自分の体を包むようにイメージした。そのイメージは変性意識状態のイダの精神を通して現実と夢を行き来し、そのオーラを幻視させた。

 魔法による不思議な現象の全ては幻覚によるものである。それを変性意識状態で能動的に行うことにより、その幻を現実のものへと変換する。──これを、オドをマナに映す作業と呼び、また同時にマナを活性化させる作業と呼ぶ。

 マナというのは、太平洋の島嶼に見られる原始宗教において、神聖な力の根源とされるものである。メラネシア語で力を意味するこれは、活性化させられることで超常の現象を引き起こした。

 ちなみに日本でも古事記にこの存在が登場しており、その一つである『土地褒め』は有名である。


 さて、オーラを纏ったイダは、その扉を押し開け神殿の中へと入っていった。

 神殿は薄暗く、灯りは部屋の床に敷かれた召喚陣の周囲に散りばめられたいくつかのジャック・オー・ランタンの蝋燭の灯火だけだった。そのランタンの中でも、東に面した位置に置かれたそれのそばには、百合の花が三輪添えられている。

 これが、ガブリエルになるのだ。


 部屋に入って、その扉のすぐ右脇に置かれていたチェストの上から、鋼鉄の短剣を取り上げた。部屋の入り口はちょうど西にあり、扉を閉めればガブリエルの肖像画が飾られていた。

 ちなみに、正面にはラファエル、右にはミカエル、左にはウリエルの肖像画が飾られている。

「……」

 乱れそうになる呼吸を整える。僅かに揺れていたオーラが安定し、全身にぴったりと張り付いた。


 ──シャリン。


 足が、陣の中央へ乗った。顔がラファエルの顔を向く。頭の中に、追儺儀礼の祝詞を組立て、再確認し、その短剣を持った手を額に触れさせて桜色の唇を開いた。


「──アテー(汝ら)


 続いて胸に持っていき『マルクト(王国)』と呟く。右肩に触れ『ヴェ・ゲブラー(そして力)』と唱え、左肩に触れて『ヴェ・ゲドゥラー(そして栄光)』と唱える。最後に短剣を胸の前に持っていき『ル・オラーム(永遠に)』と唱えた。

 そうやってイダによる五芒星の地の追儺儀礼は進んでいく。

 『汝らの王国、そして力と栄光よ、永遠なれ』。

 唱え、鋒を空に向けて『アーメン』と唱えた。

 ちなみにこれらの動きをカバラ十字と呼ぶ。

 しかし、追儺儀礼はこれで終わりではない。この追儺儀礼のフルネームは“五芒星の”小追儺儀礼。五芒星、という名前が登場する通り、空中にそれを描くのだ。

 陣の東側の縁まで歩き、地の追儺の五芒星という紋章を短剣で描いた。なんということはない、ただ左下の頂点から書き始めて、真上の点、右下、左上、右上、そして最後に左下の頂点へと戻ってくるように星を描くのである。

 剣先にまで伸びていたオーラが五芒星の軌跡に残る。その中心に鋒を突き立て、『振動』という特殊な発声法で神名を唱えた。

「──ヨッド・へー・ヴァウ・へー」

 宇宙の最果てにその声が届くようなイメージで発生するのがコツだ、というのは、織田の話である。

 それから陣の縁を歩いて南側に面し、ミカエルの像を向いた。そして同じく地の追儺の五芒星を描き、今度は『アドナイ』と唱える。南の次は西。同じく地の追儺の五芒星を描き、『エヘイエー』。北に回って同じく五芒星を描き、『アグラ』と神名を唱える。それが終わればまた東に戻る。この時、剣の鋒は常に五芒星の中心の高さに突きつけられたままで、空中に陣よりも少し広めの円を内側から描いているような図になる。

 この幻想の中で描かれた陣が、神名が、この神殿を聖別してくれるのである。

 円を完成させたイダは、次に陣の中央へと戻った。そしてラファエルの像に向き直り、両手を大きく広げて十字架を模して呪文を続けた。

「── 我が前にラファエル

   我が後ろにガブリエル

   我が右手にミカエル

   我が左手にウリエル

   我が前方には五芒星が燃え上がり

   我が後方には六つの光線を放射する星が輝く」

 直訳すれば、だいたいこんな具合の意味を持つラテン語の呪文を唱えると、先ほど描いていた地の追儺の五芒星が光り輝き、四つの像の中へと吸い込まれていった。

 ……瞬間、神殿の雰囲気がガラリと変わる感覚が肌に伝わった。

「……」

 心臓が、僅かに燻るように震えるような気がした。周囲の気温が少し下がって、耳がキーンとなって、頭が痛くなって、視界が朦朧とする。

 背筋が恐怖になぞられ、膝が笑って立てなくなりそうだ。

 初めての経験ではなかった。これまで何回も儀式魔術の実践はしてきたし、神殿の空気にも耐えられると思っていた。

 しかし、今回は違った。

 さすが四大天使の神殿だということだろう。聖域と化した瞬間に召喚陣が起動し、ガブリエルの畏怖が直接イダの心を蝕んでいくのがわかった。

(今は、儀式に集中しないと……)

 一年に一回のチャンス。これを逃せば、サヨナラをいう日は──両親に会える日は、一年先延ばしになってしまう。

 それだけは、それだけは彼女の心が耐えられないに違いなかった。

「……」

 目の前に配置されたジャック・オー・ランタンに視線を落とす。

 神殿の祭壇に置かれたそれの口の中では、蝋燭の火がゆらゆらと燃えて、煙を吐き出していた。


「お願い、私の両親に会わせて」


    9


 少女の声が、静かな神殿の中に響いた。あの世の果てまで届くように、両親のもとまで届くように祈りを込めて放った願いは、果たして祭壇の上のカボチャの中の蝋燭の火を激しく揺らめかせた。

 死者は空からやってくる。火葬によって肉体は母なる大地に還るが、しかし中の魂は煙と共に天の父の下へと召されるのである。そのため、死者と天空は洋の東西を問わず古代から結び付けられた。

 故に、死者は煙に乗って地上へと帰ってくる。


『大きくなったな、イダ』


 聞き慣れた、力強い声が頭の中に直接響いた。

「!」

 祈りと共に目を閉じて、指を組んで願いを紡いでいた彼女は、その声に驚いて顔を上げる。

「……パパ?」

 煙が人の形を作った様な人影が二つ、目の前に立っている。一人はオールバックにした短い銀髪の男性。もう一人はプラチナブランドの髪を三つ編みにして肩から垂らした女性。

 間違いなく、彼女の両親の姿であった。

「パパ!ママ!」

 堪えきれず、涙が溢れた。煙の方へと足を踏み出して、駆け寄って、今すぐにでも抱きしめたかった。

 ……しかし、それは残念ながら叶わない。呼吸が乱れては、この幻も、直ぐに霧散してしまうことを知っていたから。

「……っ」

 一歩だけ、足を前に出して踏みとどまる。心臓が、横隔膜のあたりがキュッとなって、堪えきれないくらい涙が溢れ出して。

「……っく……ひっ……」

 イダは膝をついた。膝をついて、堪えきれない嗚咽を垂れ流した。それでも呼吸を乱さないよう、必死で頑張った。

 煙が少女の体に覆いかぶさる。

『ごめんね、イダ。あなたを守ってあげられなくて。

 私たちのこと、きっと恨んでるわよね……』

 母親の影が、頭に直接囁きかけた。

「そんなこと……!そんな事ないよ!

 ママもパパも悪くない。悪いのは……悪いのは二人を轢いたあいつらの方だよ!」

 事故の内容は、後から知った。

 運転免許を取りたての若いカップルが、調子に乗って速度違反を犯した。結果、横断歩道を渡る二人の前でブレーキを充分にかけきれず、そのまま衝突。重傷を負った両親は即座に病院へと運び込まれたが、助からなかった。

 しかし、そんなことを知っていても知らなくても、きっと彼女は両親のことを恨んだらしなかっただろう。

 彼女は二人がどれだけこの小さな少女を愛し、慈しんでいたかを、十二分に理解していたのだから。

『ありがとう、イダ』

 長い、父と同じ銀色の髪を、優しく撫でる。

 しかしその体は煙と幻。実体に触れる事はなく、その上を掠めるだけで。

 それが悲しくて、寂しくて、三人の嗚咽が神殿を満たした。

『……ねぇ、イダ。

 ママたちがいなくなって、寂しくなかった?』

 母が、優しい聖母の如き蒼い眼差しで尋ねた。そこにはもう悲しむ顔はなく、寧ろ成長した今の彼女の姿を喜ぶ様な、そんな雰囲気があった。

「寂しくなかったって言えば、嘘になるよ。

 ママたちのことを考えない日は一度だってなかったし、それに、今日のこの瞬間のために、ずっと頑張って勉強してきたんだから」

 それから、イダは二人が死んでから織田に引き取られ、魔女見習いとして師事することになった経緯を話した。

 その顔はとても楽しそうで、一年ぶりの親子の団欒は、永遠に時を止めていつまでも続くかの様に思えた。

 当然、三人ともそれを願った。この時がいつまでも続けばいいのに。ハロウィンが終わらなければいいのに。

 ……しかし、何事にも終わりがある。

 この儀式が続けられるのは、蝋燭の火が消えない間だけ。蝋が溶け落ちてしまえば、それで奇跡は終わりを告げる。

「それでね、師匠ったらおかしいんだよ。お酒に弱いくせに、毎回酔っ払って帰ってきてね?それで私がいつも二日酔いに効く薬を調合して……ママ?」

 気がつくと、それまで笑顔で話していた二人の頬に、一筋の滴が垂れているのに気がついた。よく見てみれば、徐々にその姿は薄れつつある。

『……すまない。そろそろ時間が近づいてきてしまったみたいだ』

 声を震わせて、父親が言う。その表情は少女を悲しませないために取り繕った笑顔で歪められていたが、しかしそうも堪えきれないのか、口元はひどく歪められていた。

「待って、まだ私話したいことがまだまだ沢山あるの!高校生になったらオランダに帰ることとか、将来魔女になってやりたい事とか、まだ沢山……っ!」

 二人が、ひしと抱きしめる。そこに熱はなく、ただ冷たい風と暖かい気持ちが込められているのみだった。

『いいか、イダ。何事にも、始まりと終わりというものがある。形あるものはいずれ壊れてしまうのは、この世の常理だ。わかるな?』

「わからないよ、そんなの!こんな時にそんな話しないでよ!そんな、今そんな話されたら……まるで、もう会えなくなるみたいじゃない!」

『普通は、もう会えないんだよ、イダ』

「っ……!」

 忘れていた涙が、泣き止んでいたはずの涙が、再び溢れた。その反応は今までの年不相応な振る舞いで心配をかけまいと気張っていた天才魔女見習いではなく、年相応の少女のもので。

『だけどね、これだけは覚えておいて』

 優しい口調で、母が頭を撫でた。

『家族の絆は永遠。だって、絆には形なんてないでしょ?一つの箱に押し込められる様な、そんなものじゃない』

「……うん」

 優しく、諭す様な声が脳を震わせる。その波が首筋の骨を伝って、背筋から心臓に流れ込んでくるみたいに。

『ママたちは、ずっとお空で見守ってるわ。あなたが大人になっても、お母さんになっても、おばあちゃんになっても。ずっと』

「……うん」

 心臓が握り潰されそうだった。悲しさと切なさが流れる涙を枯れることを許してくれなかった。

 ボッ、と一際強く蝋燭の火が燃える音が聞こえた。それと同時に、煙が薄くなる速度が速くなって、光の粒子が次々と煙からこぼれ落ちて天に登っていくのが見えた。

『だから、イダも私たちのこと、忘れないでね。

 あなたと会えて、本当に良かった。嬉しかったわ』

『俺も、イダにまた会えて嬉しかった。ありがとうな、俺たちの子供として生まれてきてくれて』

 小さくなっていく声に、心臓が引きちぎれそうになる。

 手を伸ばしても決して触れられない、届かないと知っていながらも、欠片を惜しむ様に手を突き出す。

『サヨナラ、我が愛しい子』

『サヨナラ、俺の愛娘』

「さよ……なら……!サヨナラ!パパ!ママ!私も!私も二人に会えて、楽しかった!嬉しかった!」

 もう二度と戻らない日常だと知っていたから。それをもう一度叶えてくれたから。でも、わがままを思わずにはいられなかった。

「でもきっと!きっとまた会えるよね!私、その日までずっと待ってるから!」

 だから、最後に言葉を言い直した。

 やっぱり、一度しか会えないなんて、自分の心が許してくれなかったから。だから、“サヨナラ”を“またね”に書き換えた。

 その心が、意志が伝わったのか。

 二人の顔は今まで以上の笑顔になって、涙の滴をかき消した。

『そうね。また会おう!』

『あぁ、必ず!』

 天に登る煙が、天井の近くで霧散する。それはしばらくの間天井の下でダマになって、少しでも長く愛娘を見届けたいと願う、二人のわがままのようだった。


    10


 儀式が終わり、神殿の扉が開く。

 一筋の光が部屋に差し込んで、真っ暗になった世界に部屋の明かりが差し込まれた。

「お疲れ、イダ」

 聞き慣れた、師匠の声が耳朶を叩いた。黒いローブを羽織った大きな体が、少女の銀色の小さな体を包み込んで、安らぎを与えた。

 ……もう、涙は出ない。

 また会う約束をしたから。だから、まだもう少し、頑張れる。

「はい、師匠」

 その声には、儀式の前までの思い詰めた硬さはなく、柔らかく、暖かいものへと変わっていた。

「……私、また二人に会う約束をしました」

 しばらく師の胸の中に抱かれていたイダは、ゆっくりと話し始めた。

「二人とも、すっごく寂しがりで……」

「そう。よかったわね」

 髪を撫でる手が、いつもより優しい。彼女がこんなふうにしてくれたのは、いったいいつぶりだっただろう。

 嬉しくて、少し目頭が熱くなるのを感じた。


 その日は、幾分か深く安らかに眠りについた。

 きっと、夕食後に淹れてくれたハニーミルクが効いたのだろう。

 自室のベッドの上ですやすやと寝息を立てる弟子の姿を見て、織田は柔らかな笑みを浮かべて部屋を後にする。

「子供の成長は早いものね、ティスカ」

 日本酒を徳利から注ぎながら、誰などもなく一人呟く。

「発想は柔軟、普通じゃ耐えられないような修行にも耐えてきたし、何より胆力がすごい。

 あの年であれだけ聞き分けのいい子供が、いったいこの国に何人いるかわかるかしら?少なくとも、私は聞いたことがないわ」

 注いだお酒を一口、くいっと呷る。口の中で蒸発していくアルコールの感覚に吐息をついて、お猪口に残る琥珀色の水面に視線を落とした。

「……心配しなくとも、あの子は充分、魔女の世界でやっていけるわ。

 あの学校で名誉講師をしていた私が育てるんだもの、未来は安泰に決まってる。

 毎日講義を寝坊してたアンタとは違って優秀だしね」

 もう一口、呷る。

 思い出していたのは、学生時代の二人だった。同じ魔女育成学校で、講師と生徒という間柄であったにも関わらず悪友として悪戯三昧を働いたあの頃を、彼女の意識は覗き込んでいる。

「……私も、頑張らなくちゃいけないかしらね」

 何を、とは具体的に口にしないまま、もう一口、もう一口と呑んでは注いでを繰り返す。きっと、明日もまた二日酔いで頭が痛いに違いなかった。

「……でも、今日くらいは許して欲しいわ。

 だってこれは、あの子のための祝酒なんだから」

 言って、リビングのテーブルに誂えられた、ユリの花が添えられたジャック・オー・ランタンへ目配せをする。

 蝋燭の火は、まだ消えない。


 こうして、ハロウィンの夜は老けていく。

 また来年、少女が成長する日を、心待ちにして。


    11


 目が覚めると、涼しい風が窓から吹き込んでいた。

 風に煽られた白いカーテンはふわふわとはためいていて、柔らかな朝の光を部屋にもたらしていた。

 その光が柱になって、部屋の埃をダイヤモンドダストのようにキラキラと輝かせていて、とても幻想的だった。

 ……その中に佇む一枚の家族写真も、天使の梯子に晒されて、とても感傷的になる。


「……もう、朝かしら(・・・)


 銀色の肩口まで切りそろえられたミドルヘアーの前髪から覗く蒼い瞳が、眠りから覚めたばかりだからなのか、すこし微睡んでいるようにうるうると揺れていた。

 白い長袖のワイシャツ以外には小学校の制服である黒のプリーツスカートと同色の黒タイツ以外身につけていないその小さな体が、床の上で上体をもそりと持ち上げる。

 どうやら寝落ちしていたらしい事を悟ると、床に投げ捨てられていたデジタル時計を見て──正確には、そこに表示されていた日付を見て、欠伸を一つ、着ていた服を脱ぎ捨てた。


 二千十一年十月廿三日。日曜日。

 また、この時期がやってきた。

 彼女にとって、特別な季節が。

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