急に借金が出来たお!
楽屋を裏口から出ると、ひときわ大柄な男が待ち構えていた。
「あーんもう! お姫様ったらー! 初ライブはどうだったかしらーん☆」
「マダム! どうしてここに来たんでゲスか? お店は?」
「ちょっとくらいなら空けても大丈夫よ☆ 繁盛してないし☆ 迎えに来ちゃった☆」
「おお……。特殊部隊ゴリラの生き残りよ……死んでしまうとは情けない」
「いや死んだのお前でゲスよ」
心に受けたショックというのは、時間をかけて傷が深まっていく。画咲は緑の人と分かれてから、なにか厳しい現実に戻された気がして、気力を削がれはじめていた。
「なーにー? 浮かない顔して」
「歴史的惨敗デゲス! おいブタ! 貴重な経験を喜ぶデゲス!」
「そんなー! こういうのが好きな人だって混ざってたはずよー?」
「そういうマーケティングだったんでゲスか……」
「オイラもう自信ない…。緑の人と添い遂げて普通の家庭を築く……」
「お前はまったく! このくらいのこと、なんデゲス!!」
「そうよ、諦めないで☆ 今日はそういう客人たちだったのよ☆」
「……もう、やりたくないお…」
「マダム。コイツ反射的に冗談っぽいことを返すデゲスが、案外落ち込んでるでゲス…」
「ぽっちゃりちゃん………がんばった。今日はそれを讃えましょう。なにしろ。着替えなきゃね…」
三人はマダムの館に戻ってきた。道中、足取りの重かった画咲にいたたまれないマダムと、こうなることが分かっていたクラフも、どう声をかけたものかと遠い目をしていた。
チリンチリン
店に入るとレジの手前にある丸テーブルにクラフと画咲をつかせ、マダムは仕切り直しとばかりに手をパンっと叩いて、画咲に向き直った。
「いつまで浮かない顔してるの? 戦いはこれから☆ お紅茶でも飲みましょう☆」
「もう……………ヤダお………」
巻き込まれたとはいえ画咲にここまで付き合ったのは、クラフにも考えがあったからだ。しかしなにか感情的になりつつあってそれが、表情に出始めていた。
このままではクラフが怒りを振りかざす。それがマダムに伝わったのかもしれない。
「……ほ…本気の度合いが強いからこそ、ショックも大きいのよ! それが……頑張った証拠よね☆」
「もう、帰りたいお…全て忘れて、寝たいお…」
怒りは増していく一方だったが、マダムがこの場を必死に平定しようとする姿勢に、クラフは持ちこたえることができた。
「マダム…今日のコイツには慰めも毒でゲス。本当に、もう帰ったほうがいいと思うんでゲス」
「………残念…でも仕方ないわ…。もう、会うか……わからないけど…でも……いいえ。今日はもう何も考えずにお帰りなさい」
マダムは女性の心の優しさを本当に持っている人なのだとクラフは実感した。とても悲しそうな目をして、それが人のことを思う眼だったからだ。
「そうするでゲス……衣装の……お会計でゲスが…いくらでゲスか」
「衣装のことなら、いいのよ」
「ええ?」
「おひねりAPで払うって言ってたものを私が了承したんですもの。おひねりがないなら、お代だって、いらないわ?」
「そ、そういうわけにはいかないデゲス!」
「そのとおりだボケェ!!」
それは突如。空気の震えるような衝撃。
響いたのは、どすの利いた……女性の声!?
クラフは後ろに倒れ、ドミノのように押されて画咲も尻もちをついた、あの大男マダムですらも床に倒れ込んだ程である。
「痛たたたた……な、なんでゲス!」
「ひ、ひいい!! 違うの! これは違うの!…この子たちは悪くないの!」
「ったりメェだ! 悪いのはお前に決まってる!!」
見上げると、倒れ込んだマダムにまたがって立つ女性らしいシルエット。
出るところは出ていて、引っ込むところもちょうどよく、ボディラインのわかりやすいTシャツにデニムと、長めのポニーテール。力強く立ちはだかり、ランプの灯りの揺らめきの中に浮かぶ、怒りに満ちた表情で、みなが強直した。
「また知らねぇうちに、ひょいと出のガキたぶらかして!!」
「じ、人生の迷子だったし…ね☆」
努めて『☆』を付けてはいるが、マダムは滝のような汗をかいていた。それくらい、お代をタダにしようとしていたことが、マダムのしてくれた優しさが、この女性の前でバレてはいけないマズイことなのだとクラフは知った。
「店番はサボるわ、何度言っても服を与えてまわるわ!! いくらすると思ってんだ!! ああッ!?」
「お、お金なら払うでゲス!! 悪いのは俺達なんでゲスゥ!」
「いやいやいや、うちの連れが悪い事したな! コイツが一番悪い。そして! 次に悪いのが……お前たちだ!!! 金はもらうのは! 当たり前だ!」
「ゲ、ゲスゥウウ!!」
「おねがい゛! かわいそうよぉ゛~!!」
「可哀想なのは衣装だろーが! おい、太っちょ、うちの衣装を何だと思ってんだ!!」
その怒号に対して、画咲には、抵抗する元気も、怯える気力もなかった。
「……払いますお。気に入らないなら、殴るのも…どぞ…」
「このッ……クソガキッ!!」
女は画咲に拳を振りかざす。
「やめてぇええ!!!!」
そして女は、振り上げた拳を力強く自分の足におろした。
「ああくそ!! ……払うってーなら客として扱ってやる。はやく会計済ませて帰んな!」
「わ、わかったでゲス…! い、いくらでゲスか」
「おめーじゃねぇんだよ、デゲスやろう! 聞いてるのか太っちょ!」
「払うでゲス! 払うでゲス!!」
「払うお。オイラが、払う」
「は~~あ~~。大丈夫なんだろーなー。ったく」
「払うお! 絶対に!」
「その衣装はうちでも上物に入るんだ。払えりゃいいとは言ったが、無駄にしやがったら、承知しねぇぞ!!」
「無駄になんか、しない……ちゃんと、着ようと思って買ったんだお……」
「…………ふん」
女はレジに立つと、何やら書類をガサガサとめくり始めた。
「おいおいおい。伝票……伝票がねーぞ?」
「し、知らないわ…そんなの…」
目のやり場に困っているマダム。そしてまたも空気の震える大声。
「おい左近寺!! また伝票隠しやがったな!!」
「さ、左近寺って……誰でゲ…………えええええええええええ!!」
「マダム、左近寺さんって言うんでゲスか!!」
「へ。まーたマダムって呼ばせてたのかよ。こいつぁな、左近寺ってーのさ」
「いや!! その名で呼ばないで……!!」
マダムは床に倒れ込んだまま両手で顔を覆って、おいおいと泣き始めてしまった。
女はズカズカと歩いてきて、マダムのポケットというポケットに手を乱暴に突っ込むと、お尻のポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
カサカサと紙を広げながらレジに戻り、女はタバコに火をつけて一度大きく吸う。
吐き出した煙が女の見ている伝票にぶつかり拡散すると、しなやかに電卓を叩きだした。
「そーさな。………お代は25万7000APだ。モモバン出しな」
「ゲ……ス…」
「うそよ! そ、そんな大金…やめてあげてぇ!! あたし払うから!! この子達の衣装ぅうう!!」
マダムは這いずりながら女の足元にすがると、必死に懇願した。
女は微動だにせず、タバコをくゆらせる。
「どーした太っちょ。お会計だぞ」
「ま、前金なら俺が! 支払いの残りは後で払うでゲスから!!」
「あーたーしーの客は、この太っちょだ! すっこんでろ!!」
「もってないお……ごめん、ゴリラとクラフ……オイラが払うけど…でも…そんな大金……持ってないんだお」
「金はないけど売り物を着ました、パツパツに成りました。僕が払います、でも持ってないです? 次はやっぱり衣装返しますとか言わねーよなぁ!?」
「……て………す…」
「なんだあ、聞こえねぇな」
「は、働いて……返しますお……AP貯めるので……ちょっとの間、待っていて、ほしいですお!!」
画咲は尻餅をついていた姿勢からそれを正して土下座した。
「この衣装ください!! でも、支払い待ってくださいお…!!」
「へえ! バイトで月7万APの給与が平均のこの学園で!? 25万7000APをお前は稼げるんだな!? 一ヶ月で!」
「い、一ヶ月で…ゲスか……」
「いいやクラフ…ひと月も待ってもらえるんだ。てっきり明日・明後日と言われるものかと思っていたさ。でもこのデカパイ、案外チャンスをくれているお」
「デ、デカ…パ……! 栄養あるもん食って育ちゃあ、誰でもこんくらいになんだよ!!」
「無理でゲス…! 学園内にそんな短期間で稼ぐ仕事!!」
「あるぜ~? ここはバックヤードだ。色んな仕事が舞い込んでくるのさ」
・・・・・・
女は何処かに電話した。
「おう、あたしだ。急だけどひとり頼むわ。どんくさいやつだけど。ああ。よろしく頼むぜぇ」
ピッ
「てなわけでよ。話は付けといてやったから。明日から馬車ウマのように頑張れや」
「わかりましたお。一ヶ月後に必ず…」