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俺を育てたクソ親父の話をする。

作者: しお。

 








 早速ですが、

 俺のクソ親父の話をしようと思います。





 俺の母親は✕2。つまり、2回離婚しています。

 最初の父親は浮気、2人目の父親はDVで離婚した。男運が本当にない母親でした。そして、母親は今のクソ親父と結婚しました。

 俺が11歳の時です。

 俺はその時、既に父親という存在が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。母親を苦しめるだけのクソッタレ。母親が泣いても苦しんでも「カネハラエ」ってオウムみたいに繰り返す汚い人間。

 だから、また母親が再婚するって聞いた時、絶対認めないって決めました。どんな懐柔をしようと、どんな奴だろうと、父親っていうのは母親を苦しめるもんだと思って。俺が母さんを守ってやる!と意気込んだのです。本当は母親が再婚しないように説得出来れば良かったのですが、母親が嫌がる俺に泣きながら頼んできたせいで、説得できませんでした。だから、これは俺の意地とも言えたのです。。


 そうしてやって来たのがクソ親父でした。


 クソ親父はモヤシよりもモヤシみたいな男でした。スーツだけは一丁前だけど、ガリガリな痩せっぽちで母親の見る目を疑うレベルのブサイクでした。その上、着ている服は働いている工場の化学製品の匂いが染み付いて臭くてたまらない。靴は長らく履き続けられているのか酷くくたびれていました。貧乏人の嫌なあの感じだ、と当時の俺はうっ、と嫌な顔をしてクソ親父の目の前で鼻をつまんでやりました。

 そんなクソ親父を初見で駄目だと判断した俺は、クソ親父と母親の仲を引き裂こうと小学生の浅知恵で色々しました。クソ親父のタンスの下着を隠したり、クソ親父の飯だけ俺が小さい頃に使っていた赤ちゃん用の皿に盛ったり、母親とクソ親父が出かける時には真夏の車の中にくっさいセロリを投げ込んだり‥‥地味に嫌な事をしたのです。

 ところがムカつくことにコイツは俺の渾身の計画をイタズラだと笑って許して、「次は何をするんだ?」とむしろ楽しみにしやがりました。真正のMだったのかは知りませんが。ただその待ち構えている笑顔がウザくて、小学生の俺は約2ヶ月の攻防で計画を諦めざる得なくなりました。

 特にクソ親父は飯だけは異様に上手くて母親より美味い飯を作るのですが、いつもいつもその事実に腹が立って、目の前でアイツの分までいつも全部食べてやると「でかっくなれーよ。明日は唐揚げなー。」とあのウザイ顔で言うのです。崇高な計画を実行中と思っていた小学生の俺には屈辱でした。負け惜しみで手間がかかると唯一当時知っていた「ビーフシチューがいい。」と言ったら、次の日、レストランのビーフシチューが食べられなくなるような酷いビーフシチューを出してきました。沢山食べてしまって、身体測定の体重覧を必死に隠さなきゃいけなくなりました。クソ親父です。しかも、嫌がらせで鍋の半分食べてやったのに「ありがとう。」とか宣うのです。やっぱりクソ親父だ。

 更に俺がクソ親父と母親の仲を引き裂けない他の理由に、そんなガリガリのクソ親父の収入が前の父親達より良かったことがあります。その上、イライラするくらい羽振りもよかったのです。

 結婚して最初に今までの父親は渡してくれなかった母親にとって人生初めての結婚指輪をクソ親父は買いました。それだけじゃなくて毎月服とか食事とか母親が自由に買い物出来る用のお金を渡しました。母親はそのお金で自分と俺の服とたまに行く家族との外食代を賄って時々外出に連れてってくれました。苛立つことにそいつのお金のおかげで俺は良い服とちょっとリッチな外食という贅沢を覚えてしまいました。今まで金を無心する父親のせいでモヤシしか3食でないような質素な生活だったのに、これもあれもクソ親父が毎日夜遅くまで家庭だ妻だ俺だとか宣いながらクソみたいに働いているせいでした。そんな事せずに自分の為に時間を使えばいいのに。だから、母親があの人の為に私も頑張らなきゃ、贅沢出来ている分返さなきゃってキラキラな瞳で張り切ってしまって、仲を引き裂こうにも出来なかったのです。クソッタレめ。


 これらは小学から中学になっても変わりませんでした。だから、俺は路線変更を中学生になって学び、賢くなりました。


 中学生の俺は家事をするようになりました。母親がスーパーにパートに行くようになったので、自分から言い出して、家事をするようになったのです。

 もちろん、親切心で家事をするのではありません。

 中学生、しかも家事を1度もやったことがない男の家事なんて悲惨なものです。食事だって時間がかかる割にメシマズで食えたもんじゃないし、風呂は適当にしか掃除できないから汚い、アイロンなんてしわくちゃになる。そして、その被害をおっかぶるのはクソ親父。母親は血が繋がっているから許してくれますが、俺とクソ親父は一滴も血は繋がってない。血の繋がりのない奴から善意に見せかけた嫌がらせのような食事やら何やら味わい続けたら逃げたくもなるだろうと思ったのです。

 その中学生の猿知恵は当時の俺としては最高の出来に思えました。仲を引き裂くのが無理なら、家庭から逃げたくなるようにしよう。名案でした。

 ですが、奴はしぶとく、その上、勘違い野郎だったのです。

 不味くて俺でも食べられない食事を「美味い、美味い。」と食べ、掃除をしようとする俺に「風呂掃除専用の洗剤見つけた!これで楽に掃除できるよ!」といって無断で買ってきて笑顔を浮かべ、シワだらけのシャツで出社して「これ、息子がアイロンかけてくれたんですよ。」と人前でべらべら笑顔で話して、シャツがきっかけで上司と話が弾んだと母親に話す。

 イライラしました。

 こっちはお前を追い出したくてやりたくもない苦労を毎日していたのに奴には全て裏目に出てしまい。毎日やりすぎて中学を卒業する頃には、クラスで一番の家事スキル持ちになって、家庭科でちやほやされるようになってしまいました。フォンダンショコラを作れる男なんてこの世に要らないだろうに。

 腹が立ったので、ダチに配るバレンタインの義理チョコの失敗作を全部、クソ親父に押し付けました。焼きすぎたフォンダンショコラなんてただのマフィンなのに「美味い美味い」とまたしても笑顔で食べやがった。キレそうになりました。


 そして、高校生になった俺は本当に真の意味で困らせるべく、バイトを始めました。


 高校生の悪知恵は幸運も後から重なって実に有効打だったはずです。今でも思います。

 中学生の3年間、家事をやっていた人間がぱったりと家事を辞めて、夜遅くまでバイトするようになったのですから。3年間も家事をやっていなければ誰だって衰えます。ブランクがあるだけ、何もするにもやっていた頃のようには出来なくなる。クソ親父は久しぶりにする家事に悪戦苦闘していました。ざまぁwwwwと心底思いました。ただ、そこに母親も入って二人並んで台所に立って新婚みたいにキャハハウフフするようになったのは予想外かつ想定外でしたが、まあ、ブランクで戸惑うクソ親父を見るのは爽快でした。‥‥そんなクソ親父の悪戦苦闘ぶりを母親が楽しそうに笑いながら見ていたのは目を瞑るしかありませんでしたが。

 しかし、久しぶりにやるアイロンがけの悲惨さと言えば、失笑ものでした。シワだらけのそれは中1だった俺のレベル!昔はクリーニング屋に負けないくらいの完璧さだったのに、このザマ!精々苦しめ!内心で嘲笑しました。だが、1週間もすれば元通り、悔しかったです。俺が3年かけて磨いたスキルは1週間で挽回されてしまったのですから。

 そんな感じで、家事を辞めてやった後、俺はバイトをして夜遅くに帰ってくることで奴の安眠妨害をし始めました。

 クソ親父はその頃、夜遅く帰ってくることはなく、代わりに早朝に出勤するようになっていました。だから、寝るのが母親より早い。俺はわざとクソ親父が寝て、母親が寝る前に帰ってきて、安眠妨害を妨害した。玄関の開閉音、大の男の足音、深夜に響くシャワーの音、寝るには地味に酷い騒音を響かせたのです。ざまあねえな!と思いました。


 しかし、またしてもこのクソ親父は勘違いを病気のように起こしたのです。


 家事を一切せずにバイトする俺に「家のために頑張ってくれてありがとうな。明日はお前好きなもん作るから。」とニコニコしながらイラつく言葉を投げかけました。るっせー、俺のバイトはお前の嫌がらせが一番の理由だ!決して母親がパートしていたスーパーが潰れて、別の働き口がなかなか見つからなかったからじゃない!クソ親父が年取って収入が減ったからじゃない!

 その証拠に母親がこの前、新しい働き口を見つけてパートを始めても、辞めずにやっていました。嫌がらせです。嫌がらせ!決して、人手がいないから辞めないでってバイト先から引き止められていたからじゃないんです!クソ親父への嫌がらせだ!

 そうして深夜に帰ってくることもあの親父は勘違いして「今日も夜遅くまで若いのによう頑張ってるな。」と逆に褒めて、「俺が寝てても気を使わなくていいからな。」と言ってきやがりました。こんちくしょー、台無しじゃないか。しかも、気を使うなと言われたら、どんなことをしても意味がありません。内心、俺は地団駄を踏むしかありませんでした。

 ところが、その時は来たのです。

 クソ親父が事故で足をやってしまったのです。勤めてる工場の天井が落ちたらしく、運悪いことに巻き込まれたらしいと聞いてました。幸いリハビリで歩けるようになる事が分かりましたが、入院して長らくリハビリすることになりました。母親も父親の介護に負われ日常は大変なものになりました。すると、共働きだった2人とも仕事が出来なくなり、それなのに病院費用で出費がどんどんかさみ、労災だか何だか会社から金は出たものの一気に生活は苦しくなりました。

 その時、チャンスだと俺は思いました。

 俺は自分の通帳をベッドに横たわるクソ親父にニヤニヤしながら早速突きつけました。通帳の中には俺が今までバイトで貯めてきた金が使われず眠っていましたが、全部引き出して渡しました。

「‥‥これ、入院費にしてよ‥‥。」

 びっくりしたクソ親父。いい顔でした。清々しい。恩着せがましく、恩を売るように俺は金を出し、クソ親父に押し付けて、病院から逃げ出しました。

 逃げ出した後、笑いが止まりませんでした。息子の金で治療なんてさぞかし、クソ親父には良心の呵責に苛まれる案件でしょう!そこそこ溜まっていたせいで、半年は楽に入院出来る額がそこにありました。今まで好きなガンプラを1体買っただけで使って無かった金です。この日の為にあったとしか思えない。後日、母親から「お父さん、泣いてたよ。」と聞いた時には思わずガッツポーズしました。クソ親父を泣かすことが初めて成功したのです。せいぜい俺の金で足を治して、さっさと仕事に復帰するがいい。そして、母親を安心させるがいい!!と内心思いました。

 この1件からしばらく俺の機嫌は最高潮に良いものでした。

 そうして、いつまでも良心の呵責に苦しんでいて欲しいから、金の返済は全部断り、悠々と高校生の俺は毎日バイトに行きました。因みに渡した後に貯めだした通帳の中身は今も使っていません。また同じような事があったら、クソ親父に恩を売る為です。決して、親の健康とか安定した生活のためじゃないのです。


 そんな高校生の俺は大成功を収めた後、就職をしました。


 本当は大学に興味がありましたが、仕事に復帰したばかりのクソ親父があまりに俺の将来をウザいぐらい心配して、大学の費用を工面しようとしましたので、さっさと内定を貰い、地元ではそこそこに良い会社に就職しました。

 しかし、分からないことだらけ、ミス連発の使えない新人として就職した俺は毎日、滅入っていました。上司には怒鳴られ、同僚からは嫌味を言われていました。

 毎日、疲れて帰って来ていました。

 クソ親父への嫌がらせをする余裕は当然無く、寝に帰るような日々でした。

 そんなある日、クソ親父が母親が寝た後に話さないかと言ってきました。

 クソ親父が親父になってから、初めて二人きりになった日でした。

「大変じゃないか?」

「新人だからな。出来なくて当たり前だ。」

「2、3年経ったら、絶対ミスしなくなるように今は愚痴りながら努力しな。」

 不覚にも今度は俺が泣かされる番でした。あんな屈辱的なことは2度と味わいたくありません。クソ親父はいつものイライラするあの笑顔で、不甲斐ない俺の話をうんうんずっと聞いてくれたのです。本当にずっと、夜が更けるまで。

 クソ親父に助けられるなんて死んでも嫌だったのに、この時間を作ってくれて有難いだとか思っている自分がいて、さらにイライラしました。気づけば、顔真っ赤にして羞恥に身を震わせ泣いている自分がいました。

 とりあえず俺は次の日からクソ親父にまた助けられないように、心配されないように頑張って出社しました。

 あれから2年、俺は今ではむしろ、贔屓目に見ても頼られる存在になりました。

 ざまあみろ、これが俺の意地。必死に仕事を覚え、人付き合いを積極的にして、職場に居場所も出来ました。クソ親父が俺に付け入る隙は無いも同然。もう俺のことにわざわざ気を遣う必要は無い!残念だったな!息子の心配する良い父親面など2度とさせない。お前はこれから一生、母親か自分の心配だけすればいいんだ!退職金を大学資金にしようとしたこと、絶対に忘れない!退職金は趣味に使えば?俺になんて一生使わせないね!















 ‥‥‥‥さて。

 あれから9年、俺は20歳になりました。

 社会では大人になり、周りは大人の分別だとかあり方だとか煩いですが、俺はまだまだ大人になった気がしません。

 なぜなら、今もクソ親父を認めていません。認められません。

 俺の参観日に毎回絶対来ていても、俺の制服を買うのに自分のボーナスをこっそり当てていても、通学に使うバイクをお下がりだと偽って新品を買ってきても‥‥母親が世界で一番笑顔になれる場所が貴方の隣でも、俺は認めていません。

 クソ親父とは呼べど、絶対父さん、だなんて呼ぶか。

 呼んで欲しくば、100歳まで生きて市長から表彰されるぐらい長生きしろ。ただ難しいだろうから、その長生きに必要なことはやってやるし、やるつもり。これが俺の譲歩だ。

 それまでは絶対によばないからな!悪いところがイビキが煩いぐらいしかない人間を父さんと呼ぶなんて、その時まで金輪際ないから。


 ‥‥クソ親父、何で今、泣いているんですか。


 ほら、母親が困ってるでしょう?この場が一体どういう場か貴方はよく分かっているでしょう。

 この日の為に貴方は一年前から場所を探して、母親は年増な自分でも合うドレスを俺の彼女と探したでしょう。

 二人とも昨日の夜、遠足前の子どもみたいに眠れないって笑いながら楽しみしていたでしょう。そして、今日いざ来てみれば緊張しちゃってガチガチで教会に2人して入ってきて、叔母さんが笑いをこらえるのに必死でしたよ。


 今日は貴方達の未来がずっと笑顔であるように開いた『結婚式』ですよ。


 9年前、未成年で金のかかる俺がいたから挙げられなかった式を貴方達はやっと挙げられたんです。

 俺と彼女が結婚式すれば?って言わなければ、絶対にしなかったんでしょうがね。よかったですね、俺と彼女が居て。特に俺の彼女は俺より出来た人で、今回の結婚式、母親のサポートとか気遣いとか俺じゃあできないことを全部やって貰いました。頭が上がりません。

 ただ母親と意気投合しすぎて、俺とクソ親父だけ置いて、旅行に行くのはどうかと思います。せめて何処に行くかLINEしてください。「どこに行った?」と聞いたらスヌーピーの原画イラストの写真だけ送られた日、クソ親父と2人してどれだけ頭を抱えたことか。スヌーピー美術館とか難易度が高すぎます。アメリカに行ったのかとガチで思いました。


 あっ‥‥今やっと笑いましたね。祝われる側の女性が泣くならともかく、隣の伴侶が苦笑いするくらいの男泣きなんて誰得か分かりませんよ。

 キープスマイリングです。貴方達の笑顔の為にこの式はあるんですから。


 ‥‥ゴホン。


 改めさせて頂きます。

 出会って9年。来年は10年になります。

 俺はその来年。今、俺の隣でツンデレが酷いスピーチと笑いをこらえきれていない彼女と結婚します。周りには早いんじゃないのか?と言われていますが、二人で話し合った結果です。何せ中学生の頃から付き合っているので、これ以上遅いと彼女の実家が怖いです。

 今思えば、彼女との出会いもクソ親父でした。

 クソ親父に嫌がらせする為に家事をしていたあの頃、俺が慣れない家事で手に傷をいっぱいしていたのをからかう同級生に「男のくんしょーだろ!?」と何かと勘違いした彼女が注意したのがきっかけでした。俺は体育館裏で孤独な戦いをしたことなんてないし、そもそも不良じゃない。そう弁明を何回もするのに最初聞いてくれなくて、何回も説得混じりに話すうちに気が合って、付き合い出しました。

 そんな人とこれからの人生歩もうと思います。不安は無いとは言えません。お察し下さい。でも、幸せなので心配はいりません。

 そして、いずれは俺も父親になります。

 その時はクソ親父みたいな父親になろうと思ってます。父親としてまだ認めていませんが、人として、育ての親として手本にしたい人です。尊敬できる人です。

 その証明に貴方の隣にいる人は俺の記憶の中で一番幸せそうです。

 俺も隣にいる最愛の人や、まだ見ぬ自分の子どもを幸せに出来る人間になりたいです。母親も支えられる人になりたいです。そのついでに貴方も支えられたらいいと思ってます。

 今日は二人の為の結婚式です。俺達も祝儀を握ってやってきました。

 来年は俺達の為の結婚式です。手ぶらじゃなんなので二人の笑顔を持ってきて下さい。そして、祝ってくれると有難いです。あと少しはそのガリガリ具合を幸せ太りぐらいにして来て下さい。寿司、奢るので。間違いないで欲しいですが、回る方の100円のヤツです。回らない系の寿司は無理です。


 では、最後に夫婦の息子として挨拶させて頂きます。

 本日は居座り寒波の酷い日にドレスやスーツでやって来て頂いた皆さん、ありがとうございます。外は極寒ですが、式場は皆さんのおかげで暖かくなりました。ただ俺を生暖かい目で見るのは御遠慮下さい。

 本日この日を迎えられたのは皆様が今まで両親を支えて下さったおかげです。今、その旦那は号泣、その妻は泣き笑いしていますが、これからもこんな両親をどうかよろしくお願いします。


 最後に、クソ親父へ。


 俺をここまで育ててくれたのは貴方と貴方の奥さんです。

 これからも嫌がらせを辞める気はありませんが、本当に、本当に感謝しています。これからもどうか末永く二人で仲良くしてください。













依頼者である友人のスピーチ原稿のリクエストが「ほっこりさせない、涙を誘わない、ありのままの自分を出した感じにしたい。」と言うものでなかなか難易度が高すぎました。

本人の強い希望で本文中ではクソ親父表記ですが、友人はいつもはお義父さんの下の名前にさんをつけて呼んでいます。このスピーチ当日も○○さん付けで読んでクソ親父とは一言も言っていません。母親も同様に下の名前にちゃん付けでいつもは呼んでいますが、どちらの名前も個人特定できるような名前なので便宜上なろうでは本文中にあるような表記しました。

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[良い点] ツンデレ息子! 泣きましたよ。 感動ですよ。
[一言] いいツンデレですd('∀'*) 泣かせてもらいました(つД`)
[一言] とってもいいお話。ありがとうございました。
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