葉桜を眺めながら
歩道ですれ違いざま肩がぶつかる。外国人の観光客はなにやら、一言謝るような言葉を述べて先を急いでいった。
汗を袖で拭う。まだ四月なのになんて暑いんだと思う。
今日は日曜日で一日寝て過ごそうと思っていた矢先、メールで近所の駄菓子屋に呼び出された。
急な呼び出しに反感を覚えたが、悲しいかな暇だったので誘いに乗った。しかしこれほど天気がいいとは、デニムの上着を羽織ってきたのを後悔していた。
「おい木下」
駄菓子屋前の曲がり角でスマホをのぞき込む男に声をかける。
「遅くないか?、家そこだろ」
そいつはすまし顔で文句を口にする。スマホから目を離さずに答えるのも気に食わないが、いつものことなので気にはならない。
「昨日は夜更かししてて、起きたのはさっきだからな。それより涼しそうな服だな、それ。」
木下は半そでのTシャツに薄い素材のハーフパンツという、今日の日和に適した装いをしている。腹が立つので嫌味っぽく言ったが、本人は「そうだろ」と自慢気なので「そんなことはどうでもいいんだが」と話題を変える。
「昨日の夜の話なんだがな、コンビニに行った帰りに変なものを見たんだ。」
駄菓子屋の暖簾をくぐりながら話をする。店内は意外に涼しいので一息ついて話を続ける。
「昨日の夜の話なんだが、コンビニの帰り道で変なものを見てな。」
木下は駄菓子を漁っている。
「最初は普通に人影かと思ったんだがな、どうも大きすぎる。たぶん2メートルと50はあったんじゃないかな。そんで黒い影に包まれてる感じでさ。それが道の向こうでずっと立ってるんだ、少なくとも10分は仁王立ちしてたなあ。」
木下は相変わらず駄菓子を真剣に選別してる。
「さすがに怖くて回り道して帰ったんだが、あれは妖怪の類いに違いないね。」
「ロバート・ワドラーって名前聞いたことないか?」
木下は意外にも話を聞いていたらしい。
「ああ、『もっとも身長の高い人間』だろ。死亡時の身長は270センチ以上だったとか。ちょうどさっき調べたんだ。」
「そうだ。だから俺はお前が見た妖怪らしき人影が、背が高いだけの人間の可能性もあるだろうと言いたかったんだが、その様子だとまだ何かあるな?」
「もちろん、今回は妖怪だと決めつけるとっておきの要素があるんだ。」
「暗かったからぼんやりとしか見えなかったが、なんと、無かったんだよそいつには。」
我ながら臭いセリフ回しだと思うが、木下は特に気にしてない様子なので続ける。
「そいつにはな『頭』が無かったんだよ。」
渾身の間と抑揚のある言い回しで、怪談話にオチをつける。
木下はちょうどお会計を済ませたところらしい。駄菓子屋のお婆ちゃんがお釣りを渡している。
「おい、人の話を聞くか聞いている振りをしろ。」
木下には人としての常識が不十分らしい。
「聞かなくてもいいのか」
「俺が話をして満足なら問題ないだろ」
俺も続けて会計を済ます。チューイングガムとチューブのゼリーとチョコで250円のお支払である。
「珍しいのか?頭がないのは。」
木下が、俺の会計が済んだのを見計らって聞いてきた。
「珍しいんだな、これが。頭がどこかわからない奴は多いが。」
そうなのだ、古今東西さまざまな妖怪を見てきたが、頭が無いのは初めてであった。
「だいたい京都に来てから、妖怪を見ること自体少ない気がしてたからなぁ。」
「そうなのか?むしろあんな田舎町よりはいそうなもんだがな。あ、もうかき氷やってんですか?」
「意外だろ?俺も驚いてるところだ。まあ、出会わないに越したことはないんだが。お婆ちゃん俺もブルーハワイ一つ貰えます?だから久々に怖かった訳なんだ。しかも見たことないタイプなんだよな」
「頭がないのがか?」
「いや何て言うかさ、害を及ぼす奴等はこう、底意地の悪さが滲み出てるんだよ、顔にさ。」
思い返してみても、昨晩みたアレはもっと浮世離れしたもののような気がした。
「そりゃあ顔が無いからな。」
「そりゃそうだ。でもなんだか気になるんだよなアレのことが。」
確かにアレには何かしら惹き付けるものがあった、それは二メートル越す真っ黒な見た目よりも、もっと根本的なモノである気がした。
「俺が言うのもなんだが、気を付けた方がいいと思うぞ。」
「どうしたんだ?お前が人の心配か?キモいぞ。」
「多分だがお前が惹かれるのは、ソレがあっちの世にとても近いモノだからじゃないか?お前はどうも、そういうモノに魅力を感じるタイプだろう。」
木下には珍しく、大変真面目な顔で話している。その眼差しの先には氷を削るお爺さんを捉えている。
「この氷はのぉ、鈴鹿の山から流れてきたのをなぁ」
お爺さんは、かき氷のこだわりを繰り返し復唱するロボットになってしまっていた。
木下が言うことはあながち外れていない気がする。なんだかアレを見てるとき、暗闇を見ているような不安を感じて、同時に暗闇の底の深さに魅了されていたような気分だった。
「まあ、そうかもな。」
どっち付かずの返答だが、それ以上何か言ってくる様子はない。
「あいよ。」
二人とも、どうもと言って駄菓子屋を後にする。
「お前、こっちに来ても見えるままなんだな。」
木下がかき氷をかき混ぜながら呟く。
「さっきも言ったが、こっちに来てからはめっきり見なくなってたんだ。でも昨日の出来事からすると、やっぱり変わってないみたいだな。」
「そうか。」
それきり会話は途絶えてそのまま分かれた。木下は多分、自分が新しい環境に慣れているか心配で様子を見に来たのだろう。
人相も愛想も悪いが、相変わらず人柄だけはいい奴である。
ちょうどそんなことを考えている時だった。住宅街の細い路地に、何やら黒いものが落ちていることに気がついた。
どうせ何かのゴミだろうと近寄ったが、これがカラスであって、まだ息があるようなので困ってしまった。
もちろん放っておくのが普通だが、木下の優しさを意識してか、自分も善い行いをしなければと考えてしまった。カラスを助けるのが善い行いかは分からないが、命を、それこそ道に捨てておくのは可哀想な事だ。
「おい、暴れると」
当然、体に触ろうものなら決死の抵抗をされたが、家も近かったので抱き抱えて連れ帰った。ただ、暴れはするが鳴き声はあげないのであるから変なカラスであった。
暴れるのを覚悟で風呂場へ放ったが、どうしたものか床に寝たまま羽を休めているだけでやはり鳴き声一つ出さない。
それを見ていると、今度は自分も冷静になってきて、これからどうしたものかと急に不安になってしまう。
なんの知識もなしに保護して死んでしまったらどうしようかとか、衛生的に大丈夫なのかと悩み出せばキリがない。
仕方ないので、とりあえずはネットに頼ることにした。
「なるほどな、怪我をしている以上保護しても問題はないのか。」 しかしながらこのカラス毛並みも綺麗で外傷も無いようなのになぜ飛べないのだろうか?
「取り敢えずは水とエサをやるか」
調べたことを思い出しながら冷蔵庫から豚肉を出す。
カラスがいる風呂場へ行き、豚肉を新聞の上に置き様子を見るが、どうしてか興味を示さない。しばらく眺めていたがどうにも動きが無いので、もう一度調べ直そうとリビングへ戻った。
「問題はいつまで置いておくかだよなぁ。拾った責任はとらないと。」
そう言い風呂場に戻ると、豚肉が消えている。
「食ったのか?」
カラスに聞いても仕方ない。まあ恐らく食べたのだろう。
食べられるところを見られるのが嫌だったのか、どうだとしてもエサを食う元気があるなら、特に何かしなくても大丈夫だろう。
通販の段ボールと新聞で工作したゲージをベランダに置くと、カラスも勝手にひょいひょいと跳ねてゲージに収まった。気に入った様子だ。
「6時過ぎか。」
何だかんだで貴重な休日は潰れてしまったようだ。
思い出した。まだ昼飯すら食べてなかった。
それにしてもこのカラスは鳴かないのか鳴けないのか、かなり奇妙なカラスだが、静かならそれに越したことはない。
だんだん自分の中でこのカラスは、人間で例えるなら良家の生まれで品のある令嬢なのではないかと思えてくる。時折首を傾げるのもやけに様になっているのだ。
こいつは助けた恩に何か金に成るようなものを届けてくれるのではと、都合のいい妄想に耽っていたが、腹がなったので晩飯をコンビニに買いに行くことにする。
「おいカラス、よそ様のベランダにだけは入ってくれるな」
鳥の言葉は分からないので、出来るだけ気持ちを込めて注意しておき部屋を出た。
俺が昨晩見たアレに襲われたのは、コンビニからの帰り道であった。