高1・春
先日採寸してもらったはずの制服は、ずいぶんと大きく感じられた。手の甲を覆うほどのブレザーは肩に違和感を覚えさせる。洗面所の鏡に映る少年の表情が曇っていることも相まって、なおのこと不気味だ。
少年は背をすっと伸ばし、新しいものばかりを身につけて玄関に向かう。
今日から少年――鉱山早苗は高校生になったのだ。
入学式もホームルームもことなきを得て、退屈になってしまった。まだ午後のおやつの時間をもまわっていない。教室にいた生徒たちも見ず知らずの関係ばかりなためか、颯爽と帰っていく。
(家の近くの喫茶店にでも入るか)
そう決めた途端に教室を出て、駐輪場に急く。
額に浮かぶ汗を拭いながら、喫茶店に行った際に頼むメニューを考えていた。
喫茶店では一人だったためすぐに席が空いた。鉱山は頭で考えていた注文を着席したと同時に伝え、待った。
ふと同じ制服の女と目が合った。合っただけで話しかけはしなかった。
鉱山の入学した高校は校則が厳しく、髪の毛の長さのみならずもみあげまで注意を受けるほどだ。それはさておき、女はその校則をきちんと守るタイプなんだろう。髪は肩くらい、前髪もちょうど眉毛が隠れる程度の長さで切り揃えられている。
「あっ」
再度目が合って、逸らす。
クラスで見た顔かどうか記憶にない。
(なんでずっと見てくるんだ? もしかして高校生にもなってフルーツオレはださいとでも? まさかね。……ん、近づいてきた)
チューチュー鳴らしながら飲んでいると、女が鉱山の隣に佇んだ。なんだ、なんだと慌てて目を泳がせていると女に笑われた。
「一年生ですか?」
「はい」
「私も一年生なんです。明後日に部活紹介があるんですが、よかったら今聞いてくださいませんか」
鉱山が浅く頷くと、女は微笑みを崩さぬまま彼の向かい側に座る。
「でもなんで同学年の人が部活紹介を?」
「兄がいまして、どうしても紹介してきてくれと頼まれたんです。なんでも部員が不足しているらしくて。でもなかなか教室で話しかけることができず……。だからありがとう」
女は動作より口が回る質なようだ。伸びた姿勢とコップに添えられた手には品がある。
「あわよくば、クラスの人にも話してもらえると嬉しいんですけど……!」
(急にこの人明るくなったよ。俺、まだ誰とも仲良くなった記憶ないんですすいません。いや、でもそれは周りも同じだったか。なんだ。俺のせいじゃない)
あまりの姿勢の良さに魅せられ、鉱山は体ごと距離を置いた。
「あ。筑紫陽花と言います」
「よろしくお願いします。鉱山です」
さっそく部活紹介がはじまった。筑紫の兄は放送部所属と判明した。
彼女の飲んでいたココアはすっかり空になっていたが、そんなことも気に留めず懸命に喋り続けた。部活に所属しているわけでもないだろうに熱心である。世間で言うところのブラコン、すなわち兄が大好きなんだろうか、と鉱山は少し破顔した。
「――あ、あの。続けてかまいませんか」
心配性らしい筑紫に、構わないという意味合いで頷くと、ふたたび口を開いた。
鉱山の知っている放送部というのは、好きな音楽を好きなだけかけられるという超ハッピーな部活だ。むろん、この学校の放送部とて例外ではない。けれど放送部には大会が存在するのだと筑紫は説明した。
「私の兄はあと少しで全国大会行けそうならしいんです」
「へぇ。上手なんだ」
「はい。去年は県内五位でぎりぎり全国大会には行けなかったんですけど。今年はかなり気合をいれているみたいです」
鉱山は唸った。
高校生活の三年間、彼は熱心に部活を取り組む予定はない。ましてや部活に入ろうという気持ちも僅かしかない。帰宅部になる前の記念として、入部体験しようと思っている程度である。
彼の中学時代には吹奏楽部に入った友人がいた。その者から延々と聞かされた愚痴から、文化部の仮面を被る吹奏楽部など入らなくて心底良かったと思った。
そんな鉱山が〝大会〟という言葉を聞くとどう思うか。
どうやって話を切り上げようかという、目の前の回避行動をとるのみだ。向上心はない。
「筑紫さんは放送部入るの」
「いいえ」
「あ、そうなんだ」
フルーツオレに手を伸ばす。ズズズと音が鳴るまで一気にストローに齧りつき、吸い上げる。何せ話が続かない、そして話を切り上げるタイミングを見失ったためである。
鉱山の態度を見て察したんだろう。筑紫はあたふたと解説しだした。
「これはなぜかというと、ですね。きっと兄は私がいないほうがいいと思いますし、放送部の大会は一度見に行きましたのでせっかくだから違う部に入ろうかと」
否、鉱山の本心―どうやって話を切り上げるか―には気づいていなかった。
しかし彼女の解説により、話は一段落した。鉱山はほっと胸をなで下ろし、ようやく筑紫を真正面から見ることができた。
鞄の中から自転車の鍵を取り出して席を立つ素振りをする。
「悪いけど、そろそろ」
「私も飲み終わりましたし帰ります。聞いてくださってありがとうございます」
執着心のない女である。