57
どれくらい寝たのだろう?
エリスが目を覚ますと、電車がホームに滑り込んでいた。
「イ・・・トウ?」
伊東駅到着。
まだ眠る大介を置いて、ホームを眺めていた。
ふと、ある人物に目が向かう。
ジーンズにTシャツとラフな男は、大きなボストンバッグを抱え、野球帽を深く被っていた。
(一人旅かしら?)
それにしては、周囲を見回している。すごい警戒ぶりだ。
だが、帽子からかすかに見えた眼つきに、エリスは固まった。
大介を慌てて起こす。
「ダイスケ!ダイスケ!」
「どうした?」
目をこすりながら聞く大介に、エリスは耳元で話しかける。
「駅のホームに、クラタがいる」
「はあ?」
「間違いない。あの眼つきは、東京駅でのそれと全く同じだもの」
大介は、さりげなくその男を見た。
背格好は倉田に似ているが、それ以外で彼という確証は無かった。
「だとして、西伊豆に住居を構える倉田がどうして?本社のある三島に向かうなら、修善寺を走るローカル線に乗ればいいのに」
「もしかして、新聞の記事を見て、逃げ出したのかも」
「そんな事って・・・」
「前にアヤから教えてもらったけど、日本の新聞の原稿締切が、大体午前1時前後。そこから新聞が刷られて配達されるんだから、深夜の段階で知ることは可能じゃないかしら」
大介はそれを聞き納得する。
「確かに。以前、夜更かしをしたときに、新聞が午前3時の段階で郵便受けに入っていて、驚いた記憶がある」
「多分、マスコミが集中する西伊豆と中伊豆を避けて、この駅まで来たってのが大筋みたいだけど」
辺りを見回していた男は、発車ベルが鳴ると、慌てるように電車に乗り込んだ。
ドアが閉まり、ミュージックホーンを鳴らして電車は伊東を後にする。
大介はエリスに待機するように言うと、男の乗った方向へ向かった。
顔を確認したいが、彼が乗ったのは先頭の展望車。しかも、一番前の席ときた。
見えるのは開けたワイドビューのみ。
(くっ!傍に行けばわかるが、面が割れている。どうすれば・・・)
その時、一か八か、ある作戦を思いつき、一度、席に戻った。
「トンネル?」
「ああ。倉田は展望車に乗っているんだけど、あの巨大ガラスに顔が写るはずだ」
「暗闇に映るそれを見て、判断するって訳ね」
「それで、申し訳ないんだけど」
大介が両手を合わせ頭を下げたのを見て、全てを察した。
「いいわ。ドラキュリーナの状態を引き出すわ。その代わり、条件」
「?」
「判別できなくても、文句は言わないこと。アタミに着くまで眠らせること。OK?」
「OK。この先の宇佐美駅を出ると、すぐトンネルだ。そこで」
エリスは頷いた。
電車は宇佐美を出発。この先に長いトンネルがある。それを超えると網代に到着する。
2人は気付かれないように、展望車のドアへと近づく。自動じゃないのが有難い。
死角になるポイントから男を見る。帽子はかぶったままだ。
ワイドビューにトンネルが近づく。
エリスは目をつぶり、神経を集中させた。
3、2、1、トンネル突入!
轟音と暗闇の中で、エリスの紅い目は窓ガラスに映った男の顔を、しっかりと捉えた。
「どう?」
「間違いない。奴はクラタだ!」
「ありがとう」
再び目をつぶり、獣人の状態へ戻る。
席に戻り窓側席を占拠すると、すぐに寝息を立てて眠ってしまった。
電車はトンネル内で減速。網代駅に停車
その姿を確認すると、デッキへ出て、父親に電話する。
「親父?
聞いてくれ。倉田は、その豪邸にも、本社にもいない!」
隼たちは、ラセツの護送の真っ最中。
カローラ スパシオを改造した対妖怪犯罪用捜査車両が、県警の覆面パトカーに挟まれる形で、事件現場となった浄蓮の滝を通過する。
既に観光客がちらほらといる中、クレーン付きのレッカー車が、青いビニールにくるまれた高級車の残骸を持ち上げている。
「熱海行の伊豆急普通電車?確かか?」
隼はスパシオの助手席で話す。
運転は宮地。ラセツの脇は、神間と寺崎が固める。
―――間違いない。エリスが確認したんだ。
大介はエリスの推理を話した。
「成程。察しの良い奴だ」
「それにしても、倉田は何処に向かっているんでしょうか?」と神間
「熱海から東京方面か、静岡方面か・・・」
―――もしかしたら、岡田の家か、彩京物産沼津支社に。
すると、隼は言った。
「それなんだが・・・さっき、沼津警察署から連絡が入った。岡田椋太郎が昨夜から行方不明だそうだ。先程、父親が警察に捜索願を出した」
―――まさか!?
「最悪、既に敵の手に。そっちも、警戒してくれ」
―――分かった。
隼はケータイを切ると、市川警部に連絡を入れる。
熱海駅に捜査員を送るように頼んだ。それも、報道陣に感付かれないように。
一方、静岡市葵区にある駿河新聞本社にいた市川も、情報を送った。
―――タレコミは、本社コンピューターにメールで送られてきたそうです。
「送り主、分かりました?」
―――それは、まだ・・・ただ、文章や情報の正確さから、送り主は会社経営に携わる人物の可能性が高いとの事です
「会社経営?」
―――新聞社は目下、湯煙国際観光と親しい企業の関係者とみているそうですが。
「そうですか・・・」
―――あ、それと、マスコミは水面下で、倉田のしてきた悪事に、既にたどり着いています。
「早いですね」
―――伊豆で取材している記者に、市民が次々と証言しているそうです。もう、彼らの口を封じる者はいない。それが分かっての事でしょう。
県警本部は捜査の混乱を恐れ、報道協定を結びました。倉田が逮捕されれば、彼の悪事が。
「分かりました」
連絡を終え、隼はため息をついた。
「晒し上げ、か。あまりいい響きじゃないな」
するとラセツは言う。
「それだけの所業を、奴はしてきたんだ。自業自得というものだ」
「黙れ!」と寺崎
隼は前を見たまま言った。
「彼を止める大人が、親じゃなくても先生、近所のおじさんでもいい、悪いことは悪い、やっちゃいけないことはいけないと、彼に教えられる大人が1人でもいたら、こんな事件は起きなかったのかもな。
親は子に怒らなくなり、いじめをしても教師すら見て見ぬふりで、テレビをつけると誰かが不祥事で頭を下げる。
最近の大人は、子供にとって都合が良くて、カッコ悪い人間なのかもしれない。
無論、俺の考えが見当違いで、子育てに失敗したかどうかも分からない、父親の戯言かもしれないが」
「そんなことありませんよ」
そう言ったのは宮地だった。
「大介君は、警部譲りの良い子ですよ」
「ありがとう」
「それより・・・」
彼女の言いたいことに、隼は気付く。
「襲撃か?」
「分かりません。変な音が聞こえるんです」
無論、宮地以外には車の走行音しか聞こえない。
ラセツは、目を閉じ、黙ったまま。
「妖怪か?」
「恐らく。この甲高い声・・・今は止んでいますが、木霊が方向や距離を司るときに発する声と似ています」
「止んだということは、気付かれたか?」
「避難ポイントBに移動して、立て直しましょう」
隼は前後を走る車両に連絡し、現在走る道を逸れて、森林を走る一本道をひた走る。
やがて、両端に果樹園の様な農園が現れ、その先の丘には小さな西洋の城が。
修善寺郊外にある、中伊豆ロイヤルシャトー。富士山を望むここは、自家製ワインだけでなく各国のワインが味わえるワイナリーと、瀟洒なホテルを有するリゾート施設。
この駐車場に、別の覆面パトカーを用意していた。
先程までお供していたパトカーを出発させ、別のパトカーと組んで、再び出発。
その様子を、ワイナリーの影から女の子が、不気味な笑みを浮かべながら見ていた。
伊豆急行「アルファリゾート21」は間もなく熱海に到着しようとしていた。
大介はエリスを起こし、臨戦態勢に入った。
熱海駅には、捜査員が配置されているそうだが、彼がどう動くか分からない。
電車は来宮駅を出発。3分後には終点熱海だ。乗客たちは降りる準備を始め、ドアに並び始める。
減速、コンクリートのプラットフォームが現れた。
10時40分、JR熱海駅到着。
倉田はゆっくりと展望席から出てくると、一直線に改札へ向かう。
(他の電車に乗り換えない?バスを使う気か?)
熱海からなら沼津や三島、箱根方面にバスが出ている。
改札を出て駅前広場に出た。倉田はバスやタクシーに目もくれず、右手に広がる2本の商店街へと歩く。
駅前に展開する仲見世通り商店街と平和通り商店街は、熱海の玄関口の顔として、情緒あふれる趣を残す。バラエティーや2時間サスペンスなどテレビでも度々登場する。
そんな観光客が多い仲見世通り商店街へ。エリスと大介も後を追う。
大介は手帳を見せ、駅にいた熱海署の刑事たちに協力を仰いだ。
熱海署の刑事は平和通り商店街へ向かった。万が一路地へ逃げ込んでも逮捕できるようにである。
「なんか変」
エリスは、大介に言った。
「どうしたんだ?急に」
「だってそうでしょ。伊東駅であれだけ警戒していたのに、それより人の多い商店街では涼しい顔よ」
「人ごみの中で、姿を隠せるとでも思ってるんだろ?」
「それを差し引いても、あの冷静さは、何かあるわ」
物産店や食事処を目移りさせながら、気付かれないよう尾行する。
倉田は路地を右折。人気のない道を直進し、平和通り商店街へ出た。店先には干物や饅頭と、観光客向けの土産が並び、先程よりも、もっと大勢の人が。
「厄介なことになったわね。見失わなければいいけど」
「大丈夫さ。熱海署の刑事が張り込んでいるんだ」
その時、路地から人影が。
季節外れのフード付きパーカーを羽織ったそいつは、大介を掴むと軽々と体を持ち上げ、通路中央へと投げ捨てる。
「――――っつ」
「ダイスケ!!」
それに気づいた熱海署の刑事たちが、その人物に近づく。
「警察だ。大人しくしろ!」
そう言いながら手錠を取り出した刑事。だが、彼には右腕から展開されたアッパーが入る。その衝撃は、店の反対側にある干物店まで飛ばされるほど。刑事の体が棚に直撃、店先に並んだ海産物が宙を舞う。
さらに呆気にとられた刑事が次々と倒される。商店街はパニックと化した。
「これだけの力・・・間違いない。こいつは、ゴーレム!」
エリスはフードの隙間から、泥で出来たのっぺらぼうな顔面を確認する。
ゴーレムに倒され伸びる刑事たち。まだ残っていた1人が拳銃を取り出した。
「銃は意味ない!もっと被害が大きくなるだけだ!」
大介が叫びながら起き上がる。
「大丈夫?」
「ああ、少し腰を打ったがな」と、その部分をさすりながら。
エリスは辺りを見回す。土産物屋に置かれていた木刀。
迷わず店先へ走り、木刀の一本を引き抜いた
「借りるわよ!皆、どいて!」
木刀を両手に握り、アーケード中央に設置されているベンチを台に飛び上がると、ゴーレム目掛けて振り下ろす。
「やあああああっ!」
彼女の気配に気づいた時にはもう遅い。振り下ろされた刃は、泥人形を服もろども両断し、アーケードに泥が盛られた。
着地したエリスは片手で木刀を振り、泥を払うと、大介の方を向いた。
「皆、大丈夫?」と大介
「何人かは、気絶してるみたいだ」
残った刑事たちは、仲間を解放している。
しかし、本命は倉田!
「彼は?」
2人が見回すと、路地に身を隠していた彼が、商店街を一目散に走り去っていた。
「待て!」
「逃がすか!」
後を追うエリスたち。
商店街を出ると、丁度来たタクシーに乗り、走り去る。
「どうする?」
そこへ、これもグッドタイミングに、熱海署のパトカーがやってきた。
制服警官から拝借すると、タクシーの後を追う。
丘陵地に立つ温泉街は、カーブやアップダウンが細い道で絶え間なく展開しているため、ハンドルさばきが結構タイトだ。
エリスも悪戦苦闘するも、タクシーは見逃さなかった。
2台は海岸へ一直線に走る道へ出た。熱海銀座と呼ばれるその通りは、1980年代後半の雰囲気を残すメインストリート。
タクシーはそこで停車。その反対車線には、ワインレッドの光岡 ラ・セードが。
「野郎。ここに自家用車を回していたのか!」
「でも、誰がココに?」
すると、またしてもゴーレムが飛び出してきた。
パトカーのボンネットに飛び乗ると、拳でフロントガラスを叩き割る。
たまらず急停車し、車外へ。
一拍違いで、パトカーの屋根がひしゃげる。ジャンプしたゴーレム、その自重で屋根がつぶれた。
すかさず銃を構えた大介だったが、ゴーレムはV字型パトランプを引きはがすと、ブーメランにして投げてきた。
「わおっ!」
パトランプを避けた2人。頭上にある鉄骨製の看板を大破させた。
「畜生!」
CZ75が火を噴く。だが―――。
ゴーレムは、パトカーのドアをもぎ取ると、盾にして銃弾を交わす。
「クソッ!普通の銃弾じゃ無理か。聖弾はあやめの車の中だし・・・。
そうだ!エリス、木刀は?」
「置いてきたわよ、そんなの」
「えーっ!どうして?」
「こんな事になるとは思わなか・・・うわっ!」
話し合いの中で、盾にしていたドアが飛んできた。こちらは閉店した商店のシャッターに突き刺さる。
「どうする・・・どうすればいい!!」
「せめて、アヤがいれば・・・」
残りのドアをゴーレムが引き千切り、2人目掛けて振り上げた。
もうダメだ。そう思った時!
「氷花、弓」
ヒュンと空気を裂く音、瞬きも許さない瞬間、氷の矢がゴーレムの額を貫く。
動きを止め崩れる泥人形は、ボンネットを潰し、土へと還った。
2人が背後を見ると、赤いシングルランプの載ったパールホワイトのZ33を背に、氷の弓を持つあやめの姿が。
「あやめ!」
「間に合ったわね」
弓を水へと戻しながら、あやめは歩み寄る。
「話は熱海署からの緊急入電で聞いたわ。それより、倉田は?」
「しまった!」
周囲を見回しても、ラ・セードはいなかった。
「逃げられたか!」
「すぐに検問を敷いた方がいいわね。湯河原や箱根に逃げたことも想定して、神奈川県警にも連絡するわ」
それにしても、問題はゴーレムだ。
父親を身代わりにして難を逃れた彼は、一体どこに?
あやめは、さっきまで不審なデロリアンに尾行されていたことを話した。
「振り切るために、サイレン鳴らして、ここまで緊急走行して来たけどね」
「いいのかよ・・・」
「何せ、緊急事態、だからね。
それに、もしあの車に乗っているのが渡部だったら」
「おいおい、冗談は弓矢だけにしてくれよ。
大体、どうやってゴーレムを?渡部は熱海にはいないんだぜ?」
「もし、あらかじめ熱海に来てゴーレムを作り、何らかの方法で時間差で作動するようにセットしていたら?」
「馬鹿な」
「忘れたの?熱川駅の列車内に、浄蓮の滝のゴーレム。
ガバラ基本書を無視したゴーレムが、今この伊豆で展開しているのよ。この仮説が当たっても不思議じゃあないわ」
するとエリス。
「仮にそうだとして、クラタは・・・まさか、2人は」
あやめは頷いた。
「そう。2人はつながっていると考えた方がいいかもね」
「伊東駅と熱海の商店街。対照的な態度の違いの説明はできるわね。クラタは、ゴーレムが現れると知っていたのよ」
「待てよ。渡部は、倉田達と縁を切りたがっているって―――」
「2つの可能性があるわ。
元々仲が良かったか、それとも、倉田が渡部を利用しているか」
大介は黙った。
「兎に角、小林リョウ殺害の動機になったかもしれない熱海大火災を調べましょう。何か出てくるかもしれないわ」
その時、あやめのケータイが鳴った。
主は、声優の堀井初。
「もしもし・・・篠乃木里菜からの手紙!?」




