18
エリスは、恐怖も痛みも忘れていた。
今は、自分の正体を知られた事に、動揺している。
しかし、こんな一介の普通の市民が、私たちの存在など、知ることなどない。
ただ、その考えが、エリスの心を支えていた。
「痛い!」
倉田が、エリスの耳を引っ張った事で、彼女は我に返った。
「コスプレじゃないのか!?」
最初は驚いていたが、次第に笑みを浮かべ「なるほど」を連呼する。
「君は、人間じゃないのか。
だとすると・・・そうか」
「何、言ってるの?私は、人間よ」
下手な嘘をついた。
彼女の、最低限の抵抗だった。
「人間じゃないとしたら、私は、何なの?」
「世界には、未確認生命体がそんざいしている。
所謂“UMA”だ。
その中には、新型霊長類と見なされている生物が、数多く存在している。
イエティ、ヨーウィー、モノス、スカンクエイプ・・・」
「成程、私は、そのUMAだと」
「そうなるだろうな。
でも、そこに君を位置づけると、かなり矛盾が生じる。
人間型のUMAは、容姿、行動、思考が人間のそれと、かけ離れている。
イエティの様に毛むくじゃらでなければ、スカンクエイプの様に悪臭を放たない」
「そりゃあ、どうも」
「しかし、この矛盾をクリアする存在が、一例だけ存在している。
“アウラ”だ」
エリスは狼狽した。
アウラ―――それは、かつて北欧に定住していた獣人の一族の名前だった。
20世紀中盤、第二次世界大戦が終結してしばらくの時期。
高山植物の調査に赴き、遭難した生物学者が、獣人の若者に助けられたのだ。
帰還した後、彼はアウラの存在を、学会に提出した。
だが、学会は学者の提出したデータを、ねつ造と結論付けた。
現に、この頃生き残っていた獣人は、エリスの様に人間と大差ない容姿、行動、思考を持っていたし、学者が提出した生体データは、完全に人間と同じだっのだ。
旧ソ連やインドなどでの報告例のある、動物に育てられた人間説も浮上したが、学会は「人間を介抱し、コミュニケーションを取る能力が、果たして野生児に内包されているのか、否、そんなわけがない」と結論付けた。
生物学者は学会を追放され、アウラは1960年代に、人間社会への適応に成功し消滅、全ては都市伝説として、闇に葬られたはずだった。
(その話を、覚えてたのね)
だが、妖怪や魔術師が構成する社会 幻想世界では、妖術が使える獣人は、妖怪として分類される。
だからエリスは、妖怪と妖怪のハーフとなる訳である。
倉田は、改めてエリスに迫った。
「君は、獣人って訳だ。
それなら、説明がつく」
もう、逃げられない。
彼女は開き直って、真実を告げた。
「そうよ、私は獣人よ。
だったら、どうする?
私を、研究機関にでも渡す?」
「いや、そんな勿体無いことはしないさ。
世界で初めて、獣人を抱いた男・・・良い響きだ」
こいつ、これが目的で!
倉田の目が、獲物を捕らえたかの様に、濁り輝く。
エリスは、言う。
「それ以上近づいたら、逮捕しますよ」
「ほう、罪状は?」
「強制わいせつ。
私の胸を掴む、あなたの手こそ、証拠ですよ」
だが、彼の反応は変わらない。
むしろ、凶暴になった。
胸を掴む手の力が、強くなった。
「っ!」
倉田は、痛がるエリスの耳元で、囁いた。
「ああ、逮捕してみろよ。
そうしたら、お前の正体を、世間に公表してやる。
丁度、今日はイベントで、報道陣も詰めかけている。
そいつらに話してやってもいいんだ」
「なっ!?」
「自分の置かれている立場をわきまえて話せ。
お前は、俺に抱かれりゃ、それでいいんだよ!
なめるなよ!」
「冗談じゃ―――ひあっ!」
刹那、彼の口が頭頂に移動し、そのまま彼女の獣耳を含む。
嫌な刺激が、体を包む。
エリスは、逃げ出そうと両手を振り、抵抗する。
だが、彼は胸を掴んでいた左手を、首へ移動させた。
「動くなや!」
息のできない苦しみ。
頭から伝わる嫌悪感。
エリスの精神状態は、もう限界だった。
目をつぶり、右手の中指を噛む。
彼女にできるのは、それだけだった。
倉田の口が、頭から離れた。
すると
「確か獣人は、耳と尻尾を持っているらしいな。
耳は確認できたとして、尻尾はどうかな?」
と耳で囁きながら、その手をスカートへと伸ばした。
指から、血が流れ出す。
(嫌・・・やめて・・・誰か助けてよ!)
心の中で叫んだ。
「何をしているんだ!」
男の声。
目を開けると、銃を構えた大介がいた。
「ダイスケ!」
倉田が狼狽する隙をついて、エリスが大介の元へ。
「よお、刑事さん。
物騒なものを出して」
「エリスに何をしていた?」
大介は、腕にしがみつくエリスが震えていることに気付く。
「ちょっとした、スキンシップさ」
「女の子の首を絞めることが、お前のスキンシップか?」
「首を絞める?
そんなことをしていないよな?エリス君」
彼女は、答えられそうにない。
(こんなに震えて・・・)
「していないよな?」
倉田の圧力。
これは、尋常じゃない。
大介は、倉田からエリスを離すことを最優先させた。
銃をしまい、彼女から離れるように言った。
「全く、君たちは滅茶苦茶だ。
警視庁に厳重抗議させてもらうよ。
エリス!また会おう!」
そう吐き捨てて、彼は去った。
(滅茶苦茶なのは、お前だよ。
それに、トクハンは警察庁直属だ。
お門違いの警視庁に抗議しても、何にもなんないよ)
「・・・もう、いなくなったよ」
姿が見えなくなったことを確認すると、大介は優しく告げ、ハンカチでエリスの指を止血した。
「どうして、ここに?」
「財布を取りに行ったのに、なかなか帰ってこなかったから、心配してね」
すると、エリスは大粒の涙を流し、かすれた声で訴えた。
「怖かった・・・怖かったよぉ!ダイスケ!」
そんなエリスを、大介は優しく抱きしめた。
それしか、できなかった。




