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エクストリーム・オーパーツ  作者: MIRAILIVE05
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女神の過ぎた贈り物 4

  三章  ファール・アウト



 正門である御中門の前にある国道。それを挟んで少し南へ上ったところに、建設中のマンションがあった。山奥を切り開いたこの辺りでは、大和高校を除いて最も高い建築物だ。

 その屋上に立っていた長身の女が、のぞいていたレーザー距離計内臓の双眼鏡を目から外した。視線の先に、大和高校の敷地が俯瞰ふかんして見える。御中門付近では運動系の部員がランニングに出かけたり、外出許可を取った生徒たちのざわめきが聞こえて来る。

 女は厳しい視線を向けたまま、先日のやり取りを思い出していた。


 スポーツ用品の総合メーカー、KIMUJU(金州)社。そのオフィスがある新村シンチョン駅を出た辺りで何者かにつけられている事に、ペク熙淑ヒスンは気付いていた。道を変え、路地に誘出だすと、そいつは無抵抗で白に従った。外見は特徴のないサラリーマン風の男だった。

 男は〈〉と名乗った。「下の名前は何だ?」と、問う白に、〈キム〉の下の〈水〉だと男が答えた。それで白には男の正体がわかった。男は北の諜報員だった。

「日本に行け、だと?」

 人がまばらな公園でベンチに腰掛けると、水はそれだけを言い、視線も合わせずに封筒を差し出した。

「断る。私はもう、あの国とは何の関係もない」

「〈あなた〉は、そうかも知れない」

 水は、十分含みを持たせて言った。

「無駄だ。この国に来た時、私は全てをあの国に置いて来た」

「だが白少尉、いや元偵察局偵察部一二五部隊白熙淑少尉。あなたには二つ、持って来たものがある」

 水を見る、形の良い白の目が急に険しくなった。

「部下と、ある事件に関する疑問」

 公園を眺めていた水が、初めて白を見た。

第一七期白頭ペクトウ山調査隊消滅事件」

「貴様……」

「元部下の安全と、あなたが何としてでも知りたい真相」

 水は再び公園を眺めた。遠くで子供たちが遊んでいる。

「やってくれますね」

 白は、水をにらんで動かない。

 やがて水が立ち去ったベンチには、命令を伝える封筒だけが残されていた。


 幼い頃を白は思い出していた。一人、また一人と貧困ゆえに倒れていった兄弟や幼馴染たち。やがて両親も過労と栄養失調で働けなくなると、一人取り残された白は食うために軍人になった。

 辛かったが充実した訓練の日々。仲間や部下ができ、才能を認められ、とんとん拍子で白は階級を上げていった。そんな時だった、妙な命令を受けたのは。

 白頭山。中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯にあるこの山は朝鮮民族発祥の地と信じられており、主席を配した〈あの一族〉も抗日ゲリラの拠点としていたと言われている。

 ころころと変わる気象や険しい道のりを超えてたどり着いた白と部下達は、山頂付近に亀裂のように口をあけた洞窟を発見した。命令は、その奥深くにある〈民族に関わる秘宝を調査せよ〉と言うものだった。

 限られた装備の中、クレパスや断崖絶壁を越え洞窟を進み、地下水湖に白の部隊はたどり着いた。周囲を調査して、これ以上進むには水中活動の装備が必要なことがわかった。しかし、なんの成果も挙げずに帰還することはできなかった。

 意を決して白は、装備のないまま水中に潜った。1分……2分……、これ以上は息が続かない。引き返そうとしたとき、白は湖底に埋もれるようにして存在するものを発見した。

 いったん引き返し、再度部下数人と白は潜った。湖底に堆積する砂を慎重にどけ、顔を出した人工物のような部分に触れようとしたとき、それは起こった。

 ぶれる様な周辺一帯に起こった振動、耳鳴り、唐突に視界が閉ざされ意識が遠のいた。複数の意識と混ざり合い溶け合い、だがなくなろうとする自我をかろうじてつなぎ止めながらどこかへ吸い込まれるような落ち込んでいくような感覚。だがすぐさま何かに引きも出される。そして限界を超えて本当のブラックアウト。覚えているのはそこまでだった。

 後の事はわからない。気が付くと、残っていた安に助け出された後だった。共に潜った部下達は帰って来なかった。

 意識を取り戻すと、ろくに動けない体をおして白は湖底に潜ろうとした。消えた部下の中には、最近結婚した夫もいたのだ。しかし、安の必死の説得の元、一二五部隊は白頭山を脱出したのだった。

 しかし、一二五部隊に追い討ちが掛かる。残った隊員に待っていたのは任務失敗による粛清だった。

 そこからは更なる地獄だった。昨日まで見方だったものたちから追われ、その包囲網を破り、国境沿いの運河を越えたとき、一二五部隊は三分の一以下にまでなっていた。

 白は軽く瞳を閉じた。やるべき事、やらざる終えない事、それによって起こる全てを知ってなお、意志は固まっている。それでも残る、一抹いちまつの後ろめたさ。民間人を巻き込む、この作戦への。その思いが、美しい顔立ちの濃い眉と眉の間に現れてしまっていた。

アン

「は、少尉」

 後ろに控えていた元部下の返答に、白は苦い笑いを浮かべる。

「私たちはもう軍人ではない。それでも今回は指揮を取らねばならないが、白で構わん」

「そんな」

「最も、作戦中はコードネームを使うことになるがな」

「は」

「あれが運び込まれたのを、確認しているな」

「は。THORの所在は、〈彼女〉が把握しています」

 THORに使われている新技術、特にモーターが故国のエネルギー問題を飛躍的に改善する。自分や元部下たちが、暗殺者から狙われなくて済むようにもなる。何としてでも成功させねばならない。

 そしてもう一つ、白には知らねばならない事があるのだ、どうしても。

「白チーフ、あの」

 ――〈チーフ〉か、なるほど。無難な呼称だ。

「本当にあのような物一台で、あの国のエネルギー事情が解決するのでしょうか? 今回の事も、亡命した我々を使おうとしている。おかしな事ばかりです」

 安は少しためらった後、続けた。

「特にあの国が推す、〈協会アソシエイツ〉と称するところからの情報と人材の提供。不透明な要素が多過ぎると思えてなりません」

 安の疑問は、そのまま白の疑問でもあった。

「だが、それでもやらねばならない。我々と、あの国で飢える三〇〇〇万人のために」

 白は、自分の心に生じるものを振り払うように、元部下たちに向き直った。

「安、彼女を呼んでくれ」

 やがて現れたのは、力強い瞳が印象的な、まだ一〇代の少女だった。


 持ち込んだスタンドライトの光で照らした中、THORの前に横座りして、実に嬉しそうにノートパソコンをセッティングし始めた幸。それを後ろで見ていた由は、目を丸くしていた。再び入り込んだワンダーパレス。気は進まなかったものの、由はまたも付き合ってしまった。押しに弱い自分の性格がちょっと恨めしい。

 とは言え、興味がないわけではない。むしろ路の話を聞いてそれは増していた。

 幸の膝元にはDVD―Rやらサブのノートパソコン、ケーブル、予備バッテリー、その他もろもろが置かれている。いづれも最新、いづれもハイエンドクラスの物ばかり。中には製品化される前の物や、明らかに特注品らしいものも混じっている。

 幸は唯の高校生ではとても手に入らないようなこれらを、一体何処から調達して来るのだろう?

 おまけにピッキングや、建物潜入の技術まで身に着けている。この風変わりな友人に、でも由は強い魅力を感じていた。自分の知らないものを見ているような。予感、なのか。

「路さんが言ってた、〈腑に落ちないところ〉って言うのにそそられるの」

 純粋な好奇心による二回目の出撃。ただし今回の幸は〈のぞき〉で終わらすつもりはないらしい。

 オーウェルや路は大学に用事があって、今日来ない事は確認済みだ。

「プログラムが怪しいと思うの」

 DVDからセキュリティを無効にする、〈それ用ソフト〉を読み出し、プログラムファイルをコピーする準備をしながら、幸が話しかけて来る。

「ちょ、ちょっとそれって――」

 ハッキングじゃないの! と、言おうとした由に、幸が明るく答える。

「あ、悪戯とかじゃないから。私、そう言うのしないし。博士や路さんを困らせるものね」

「そうじゃなくって」

 そこで幸が振り向いた。くすっ、と笑う。得も言われぬ、妖しく蟲惑的な笑みに惹き込まれそうになった。

 いつもの素直で日の光のような雰囲気とは違う、異世界に誘い込む魔女のような、それでいて根本は同じような。この新しい友人は、知ってか知らずか由の心の深い部分を刺激する。

「由ちゃんも興味あるでしょ?」

 図星を指されて押し黙ってしまう由。自分の心の動揺を見通してでもいるのだろうか。

 そう。

 この友人と居ると、無意味に制限している常識を押しのけて、本心が開放される。眠っていたものが呼び起こされる。いけない、危ない、怖いと思いつつも喜びの方が勝る。この感じは、とても気持ちがいい。

 もう一人、やはりくっ付いて来た小館はとっくに手伝っていた。口笛を吹くパフォーマンスをしながら、ケーブルをTHORのコネクターにつないでいる。この二人に付き合っていると、いつか人生における一方通行の峠道に突き進んで戻れなくなる。そう思いながらも、妙に嬉しくて付き合ってしまう由だった。

「あ、リナックス使ってる」

 肩越しにのぞき込むと、パソコンに疎い由にはわからない単語をつぶやきながら、幸が次々とウィンドウを開いてチェックしていた。二台のノートパソコンの内、十九インチ画面のバカでっかい方に数字と記号、アルファベットで構成されたプログラムが、幸のスクロールするスピードに合わせて流れ飛んで行く。

「わかるの、って言うか見えるのっ!?」

「うん、一応得意分野だから」

 画面を流れるプログラムを理解し、由と会話し、もう一台のノートパソコンも操っている。キーを叩くスピードも尋常じゃない。

「外街って……、何者?」

「ふふふ」

 背筋の内側をなでるような、一瞬の笑み。

「なぞの多い方が、魅力的かな」

 だがすぐに明るく答えられ、本気とも冗談とも判断がつかずに、またも由は黙ってしまう。今自分の心に薄くわき上がるものは、幸に対する魅力なのか、恐怖なのか、喜びなのか。

「キザに指を一本立てて、チッチッチッ」

 自分の内心に沈みかけた由を、その時小館が引き戻した。

「今のを称して、美人の至言と言うのじゃ若者よ」

 こっちはこっちで尋常ではないような気がする。


「今からですか?」

 学校事務員の竹内は、名刺と、きっちり白いスーツを着こなして、やや癖のあるイントネーションの日本語を話す美女を見比べた。


【NGO(文化保護団体)

 Intelligence ESteam

 アジア支局 副局長

 金聖里キムソンリ            】


 通称ISEアイスと呼ばれる、国際的に名の通ったNGOだ。校内にある博物館関係の行事で、何度か関係者を案内した事がある。

「急に明日、本国に戻ることになってしっまって。ただその前に、こちらには高等学校では有数の博物館があるとうかがって来ました。夜遅いとは思いますが、お願いします」

 もう午後八時を回っていた。通常なら断るところだが、世界的なNGOの頼みではそうも出来ない。消灯まで一時間弱、どうしようか躊躇ちゅうちょしていたところ、同僚から声がかけられた。役職はないが、一応自分が責任者と言う事になっている。

「購買部へ搬入? 明日じゃなかったか」

 同僚が向こうの窓口で、運送業者の男と話している。

「明日、東京の仕事が入ってしまったんで今日に。すぐ終わるって言ってます」

「ああ、新道路交通法か。わかった通してくれ」

 再び名刺に目を向ける。

「済みません、立て込んでしまって。わかりました、一時間くらいなら」

 竹内は了承した。何より、美人の頼みは断りづらい。

「ありがとうございます」

 金聖里=白熙淑は礼を言うと、竹内に案内されて博物館へ向かった。


「う?」

 突然パンツのポケットを押さえて、小館が呻く。何事かとたずねる幸にそーっと耳打ちして、出入り口に消え去った。

 何故か紅くなった幸に、不思議に思った由が聞いた。

かわやへビックな用事が出来たって……」

「厠って何?」

「御トイレッ」

 THORに蓄積されていたデータは予想したより遥かに大きなサイズのファイルだったため、ダウンロードがなかな終わらず、その間、由と幸は趣味の話をしていた。

「由ちゃん、考古学が好きなんだね」

 その中で、由が考古学に詳しい事を知ると、幸はいつになく嬉しげだった。

「家にその手の本がたくさんあるから、何となく読んでいる内に面白くなってね」

「たとえば?」

 横から、覗き込むようにたずねて来る。すると、長い艶やかな黒髪がさらっと零れた。逆光気味に照らされた首すじが、淡く光っている。

 ――なんて絵になるんだろう。何で絵になるんだろう?

「最近はバクダット周辺の。古ければ古いほど面白いね、シュメールとか」

「じゃあ、古代の。宝物とか興味ある?」

 目を輝かせて幸が聞いて来る。こう言う時は真っ直ぐな、普通に高校生に見える。

「たとえば、シヌー文明の黄金細工とか? コロンビアだったかな」

「あ、由ちゃんマニアック」

 本気で喜ぶ幸を見ていると、由も嬉しくなってしまう。考古学の話で喜ばれたのは、初めてだった。

「外街も、かなり好きみたいだね」

「相性ぴったりね、私たち。ちょっと運命的」

 ――何でそのタイミングで、ほほを染めるの。

 内心で突っ込みを入れつつも、うろたえてしまう由。どうしても、とびきりの美少女にしか見えない。まあ運命かどうかは別として、同じ趣味の友人がいるのはかなり嬉しい。

〈趣味は考古学〉、なんて言うと、〈じじくさい〉で片付けられてしまう事が多い。多すぎるっ。九九・九パーセントだ、ちくしょう!

 それはさておき、由には宝物よりも興味をかき立てられる物があった。マニアック過ぎるかも、と前置きして由は話した。

「オーパーツって知ってる? それに一番、興味があるんだ」

 幸からの反応が突然消えた。いや、その気配さえもがなくなったように思えた。

 妙に思って振り向き、凍りつく。幸のまとう雰囲気が、今まで感じたどれとも違う事に気付いたからだ。そこに、奥の見えない人型の影が出現したようだった。肌を刺すような緊張感、全身の産毛がちりちりとあわ立つ。見えないそれが空間を満たして行き、由の内と外を同時に包み込んで行く。それは、幸の形をした別の何かのように、由には見えた。

 ――誰なの?

 それほどまでに、幸は異質の存在と化していた。微笑みの形はそのままに、だが瞳には熱く冴えた光をたたえさせ、全身からほとばしる何かが由の心の奥にまで入り込んで来る。その実体化したような圧力に、体が小刻みに震えた。

「まずいでおじゃる、車がこっちへくるでおじゃるぞよ」

 戻って来た小館が、慌てて駆け寄って来る。

「こんな時間に?」

 由はG○SHOCKで確認した、もう夜の九時近い。幸を見ると、いち早く撤収に取りかかっていた。その姿は、もういつもの幸のように見える。

「外街?」

「え、何?」

 初めて気が付いたように幸が振り返る。その余りの変化にポカンと見つめてしまった。

「な、何でもない、気にしないで」

 由の狼狽を違う意味にとらえた幸は、恥ずかしそうにうつむいた。

「そ、そうじゃなくって!」

「由ちゃん急ご」

 やさしい声で促す幸に、訂正する気力を失って、由は従った。


 白は、博物館を案内しようとした竹内を圧搾麻酔銃で眠らせると、トイレに運び込んだ。素早く安たちと同じ運送会社の作業服に着替え、レシーバー型の無線機を身に着けた。帽子をかぶって見えないようにする。

 博物館前まで乗って来た盗難車は捨てて、ワンダーパレスに向かった。搬入口のシャッター前に、後ろを向けてトラックが停められている。

 気付いた安が近づいて来た。

「所定の位置についたか」

「は。が、問題が」

 安は、閉まったままのシャッターに一度視線を送ると続けた。

「学生と思われる者が三人、THORのそばにいます。〈処置〉、しますか?」

「それはやめた方がいいわ」

 同じ作業服を身に着けた長身の少女が、流暢りゅうちょうなハングル語で止めた。帽子を目深にかぶり、花粉症用の大きなゴーグルとマスクで顔を隠している。

「素人が作戦に口を――」

 安が手を上げかける。だが、少女は引かなかった。

「THORは第二種知的財産に指定されているわ。死傷者を出せば、〈彼ら〉が動く」

「彼ら?」

 気になった白がたずねる。資料にはなかった情報だ。

「陸上保安局、特殊犯罪抑止課。通称、〈SDT〉が」

 日本の唯一にして最高の財産である、科学技術や発明などの知的財産を守るために、近年創設された、警察、海上保安庁に次ぐ、第三の逮捕権を持つ組織。正式名称、Special Defense Team。ただしその活動は、他との重複を避けるため、文部科学省が申請し法務省が許可した、国家知的財産技術((一種))、及び物品((二種))の捜査、検挙に限られる。

「警察など!」

「警察ではないわ。彼らは知的財産に絡む犯罪専門の特殊部隊よ。例え、元偵察部隊の精鋭だったあなたたちでも、この人数と装備では対処するのは不可能よ」

 少女の言葉が、元隊員たちの間に不穏な空気を生じさせた。

「貴様、なぜそれを知っている!」

 安が声を荒げ、つかみかかろうとしたその腕を、白が止めた。

「わかった、アドバイスに従おう」

 白はつかんだ手を離すと、安に向き直った。

「今は自重しろ、作戦の遂行が第一だ」


 急いで撤収に取りか方ものの間に合わず、突然シャッターが開放され、三人は身構えた。

「君たち、学生?」

 女性の声が掛かる。見ると、運送会社の作業服を着ていた。今の時代、女性の力仕事は珍しくない。

 由はほっとした。ただ、イントネーションが微妙におかしい事に気付く。

「はい」

「その〈THOR〉を移動するように、学校から言われているの」

 幸は、ダウンロードが終了したノートパソコンを片付けながら、由と作業員のやり取りを聞いていた。小館は右手をポケットに突っ込みながら、ケーブルの片づけを手伝っている。

「オーウェル博士や路さんは居ないようですけど?」

「お二人なら、届け先に」

「あの。済みませんが、ぼくたちがいたことは内緒に……」

 女性は微笑むと、了承してくれた。目だけが笑っていないと思えたのは、気のせいだろうか?

 後ろで幸と小館が、エラーせずにダウンロード出来たかどうかを話しながら、機材をまとめている。

 小館がしまい方を聞く振りをしながら、幸に携帯を見せた。路からの返信メールに素早く目を通すと、一瞬幸の顔色が変わった。

「ミヤコ、ちょっとマチを手伝って」

 そう言って立ち上がると由に近づき、幸の方は押しやる。

「小館?」

 そうして自分は、「はばかり、憚り」と言いながら、開いたシャッターの方へ歩いて行った。

「はばかり?」

 小館はシャッター前で一旦立ち止まると、行き成りダッシュで駆け出した。

 何ごとかと見ていた由をよそに、作業服数人が同時に動いた。服の内側に手を突っ込み、黒い特殊スチールの塊を取り出す。この場合、模造品のわけはない。

 まさか、と成り行きを見守っていた由は、細く柔らかな手に引っ張られた、幸だ。

「由ちゃん乗って!」

 訳のわからないまま慌ててTHORに飛び乗ると、幸はスロットルを全開にした。ホイールをスピンさせながら、強烈なスタートダッシュ。振り落とされそうになった由は、必死に幸にしがみつく。

「な、なんなのっ!?」「わからないけど、どこかの工作部隊みたいっ!」

 モーター特有のフラットトルクがものを言って、あっという間にその場を離れた。

「向こうはだめっ」

 搬入口を見た由が叫ぶ。素早く工作員たちが固めていた。幸はTHORを、反対方向にあるジグザグ階段に飛び込ませた。激しい上下動を覚悟して一層強くしがみついた由は、スルスル登って行くTHORに改めて驚いた。

「由ちゃん苦し……」

「ご、ごめんっ」

 後ろから幸を、おもいっきり抱きしめるようにしがみついていた腕をゆるめる。

「タンッ」

 その時、空気を切り裂く音と共に、リヤカウルを銃弾がかすめて行った。由が背中の産毛を逆立たせながら下を見ると、工作員の一人が銃を構えていた。工作員は再度構え直して、THORに狙いを定めた。

「撃つのはまずいわっ」

 長身の少女が止めに入る。

「仕方ないだろう、時間がない」

「止めればいいのね」

 ハングル語で言う白に、ハングル語で答えて、長身の少女は背中に隠していた一丁の銃を取り出した。上下連発式の、紅いショットガンだった。長身の少女は、反対側へ駆け出した。

 明らかに狙って撃ったとわかると、幸はTHORを階段から三階のフロアに乗り込ませた。中は立体的に、自動で荷物を出し入れするピッキングマシンと呼ばれる機械装置が、フロアのほとんどを占めていた。

 格子状に組まれたスチール製支柱の間に、荷物の入ったラックが整然と収められている。搬入リフター用のレールを挟んで二棟がワンセット、計三列あった。左の列が若干短い。その列を左に回り込むように進めば、反対側に荷物用のエレベータがあるはずだ。

 が、オープン型のジグザグ階段横にある、人間用のエレベータから、工作員が一人追いついて来た。そのまま回り込むと、モロに背中をさらしてしまう。とっさに幸はピッキングマシンの搬入リフター、そのレールの並ぶ方にハンドルを切った。

 それを知って由が青くなる。

 荷物が収められたラックとラックの間は、一・五メートルくらいある。だが、レールの間は八〇センチほど、しかも床より五〇センチは高く設置されていて、間は谷になっている。

「外街、つっかえるっ」

「大丈夫っ!」

 THORは手前の段差で飛び上がると、二つある前輪をレールの外側に乗せた。自動的に姿勢を保とうとして、一つしかない後輪の制御アームを目いっぱい伸ばした。

 その間、何発も銃弾が飛んで来たが、ストックされた荷物と、幸の微妙なアクセルワークでかわして行った。そのまま、角ばったS字状に設置された軌道レールを、THORが走り抜けて行く。

 レールの終わり、荷物を積み降ろしするスタッカークレーンの脇を通り抜けると、荷物搬入用の大型エレベータのあるホールだ。

「待ってる時間なんてっ!」

「非常階段があるのっ!」

 だが、そこにも銃を持った工作員二人が現れるところだった。一人は長身の少女。

 幸はアクセルを全開にした。フラットトルクで爆発したように加速し、工作員に突っ込んで行く。

 THORは置きっ放しになっていた荷物で弾みをつけ、逃げようとした工作員の一人をなぎ倒しざま、壁を駆け上がった。

 そのままアーチ状のエレベーターホールを、三六〇度ロールターンで一回転、横滑りで着地した。

 唖然として一瞬動きを止めた長身の少女が、紅いショットガンを連射した。散弾が雨のように降り注ぐ。

 由と幸は、思わず身を硬くした。

 しかし。すさまじい衝撃があったものの、二人は絶命しなかった。

 二人とも手足に多少当たったが、ほとんどをフロントカウルが防いでくれた。運よく着地した時、フロントが向いたのだ。

 ――ゴムスタン弾!?

 幸は内心、別の意味で驚きの声を上げた。プロなら甘過ぎる。いや、別のプロなのか?

 紅いショットガンが脳裏に引っかかった。その長身の少女が、弾を装填しようとしている。いくらスタン弾でも、まともに食らえばたまったものではない。

 長身の少女に、ノートパソコンの入ったキャリングケースが投げつけられた。たまらずショットガンを弾き飛ばされてしまう。

 そのすきに、幸は再びスロットルを開けてTHORを非常階段に飛び込ませた。

「ゆ、由ちゃん凄いっ」

 だが返事はない。あまりにたくさんの事があって、由はフリーズ状態になっていた。青い顔で呆然としている。咄嗟にキャリングケースを投げつけて危機を脱した事も、理解していない。

 下からも、フロアの反対側からも、工作員が迫って来ている。

 幸はアクセルを開けると、再び加速した。

 最上階へ。


 いつも持ち歩いているダッフルバックを肩にかけた路は、ワンダーパレスの手前、総合校舎の一つに身を隠すと、状況を確認した。時折り銃声が聞こえる。

 この学校の生徒が事件に巻き込まれている。その生徒の一人からメールが届き、路は駆けつけた。

 自分が想定した中で、最悪の事態だった。内心の動揺を押さえ込みつつ、ワンダーパレスの裏側へ回る。

 ――複数、上に移動しているな。

 シャッター前に運送会社の作業服を着た男が一人いた。ただの運送業者にしては目つきが鋭過ぎる。男は辺りを見張っていた、退路確保のためだろう。

 路は一旦総合校舎の奥に引っ込むと、ダッフルバックを下ろした。

 予想外に重量のある音をさせたバックのジッパーを開け、手を突っ込む。

「路さん」

 右手をバックに突っ込んだまま、ガバッと路が振り向いた。

 しかし、そこに見知った顔を認めてバックを戻す。

「小館君無事か。一緒じゃなかったんだな」

 メールを受け取った時、一緒に行動していると予想していたからだ。

「警察はまだですかっ、ミヤコとマチがTHORで上にっ!」

「襲った連中は?」

「作業服が十二人、銃を持っていましたっ!」

「一〇分で〈人〉が来る。君は離れた場所で、〈彼ら〉が到着次第、状況を説明してあげてくれ。誰かは見ればわかる」

 そう言うと、路はダッフルバックの中からレシーバーを取り出して頭に被ると、続いて、黒く無骨で寸詰まりな道具を引き出した」

「路さん!?」

 ヘッケラーコッホ、MP5KA5。対テロ特殊部隊が使用する、最も一般的なサブマシンガンだ。その特徴は、ローラー・ロッキング・システムによるクローズ・ボルトで射撃出来る事にあり、高い命中精度を誇る。

 路はマガジンを装てんすると、セーフティ・スイッチを外し、アクションボルトを引いた。

「これも仕事の内なんだ」

 言葉を失っていた小館が、やっとの事で口を開く。

「文部科学省からのって――」

「職員さ、特殊部門だけどね」

 レシーバーをONにする。

「周波数は一五五キロヘルツ。開けとくように言っておいてくれ」

 駆け出そうとした路に、小館は自分の携帯を投げた。

「二人とつながっています」

「わかった。君は非難しろっ」

 携帯をキャッチすると、路は向かった。

 自分の仕事場へ。


 最上階。ジグザグ階段からゆっくりと、二人の工作員が現れた。どちらも女だった。一人は二〇代後半で均整の取れた長身、白だ。もう一人は更に長身で、大きなマスクとゴーグルで顔を覆っている。

 二人の工作員は慎重に辺りを見回した。最上階は天井が低く、荷物用のエレベータもない。小口の備品や文具などが、身長ほどのスチール棚に保管されていた。

 その棚が、二列四〇台ほどあり、真ん中辺りにTHORは身をひそめていた。

「――来た」

 由は自覚なくつぶやいた。背筋を冷えた空気がなで、心臓は急かされたように動きを加速させる。

 知らず、体の隅々に力が入る。無意識に触れていた幸の肩口から、熱く、だが静かなものが逆に流れ込んで来て、由は手を離した。

 由のもらしたつぶやきに、だが幸は何も言わなかった。

「紅いショットガン、まさか。ありえない、何で彼女が……」

 幸もまた、つぶやいていたのだ。由には聞き取れないくらい、小さな声で。

「外街?」

 由の声で、集中力を欠いていた事に気付いた幸は、その形のいい細い眉をしかめた。小声で自分を叱咤しったすると、再び二人の工作員に集中する。

「今のところ、向こうに殺す(その)気はないみたい」

「でも、いつまでも手加減はしてくれないね……」

「時間をかせがないと」

 答える幸の後ろで、由が奥の方を見る。もう何度も見ていた。行き止まりになっているのはわかっている。それでも逃げる方法はないのか。

 頭をずらすと、棚と棚の向こう。縦長の明り取り用窓から、外が見える。そこに、総合校舎の屋上が見えた。


 路は一階の工作員を倒し、二階に駆け上がった。

 エレベーターホールに一人、旧チェコスロバキア製の傑作銃、CZ75を構えていた工作員が気付いた。九ミリ×十九ミリ弾が路を襲う。

 路は間一髪で階下に伏せた。銃撃の勢いが弱まると、腕だけ突き出してMP5を連射する。

 少し頭を上げて、路はフロアをのぞいた。工作員の姿がない。

 いや、居る。近くに。エレベータ横の壁に張り付いている。互いに死角となって、身動きが取れなくなってしまった。

 焦りが路のこめかみを伝い、のど元に流れ落ちた。応援が来るには、まだ時間が掛かる。かと言って動かなければ、THORが奪われてしまう。何より、二人の高校生が命を落とすかもも知れない。

「また、〈ブル親父〉にどやされるな……」

 路は持っていたMP5を、工作員が隠れているところへ滑らせた。

 一瞬湧いた疑念が、工作員の注意力を鈍らせる。MP5へ向けた視線を、非常階段へ戻す。銃をポイントした路が立っていた。

 引鉄を引く。それきり工作員は、二度と注意しなくなった。

 生死の確認をする間もなく、ジグザグ階段の方から同じ作業服を着た工作員が駆けつけて来る。三人、同時に撃って来た。路は一人を、常用しているコルトパイソンの357マグナム・FMJフル・メタル・ジャケット弾で黙らせると、MP5に飛びついた。

 フルオートでばらまく九ミリパラベラム弾。工作員たちが倒れたのを確認すると、路はジグザグ階段に近づいた。

 まだ六人、残っている。


 かすかに下の階から聞こえて来る銃声に、由と幸は気付いた。

 女工作員たちも、下を気にしている。やや小柄な方、白が階下にハングル語で叫んだ。

「か、韓国って友好国じゃないの? 最先端技術を狙った、企業工作員!?」

「う、うん。動きに統制が取れてる。特殊部隊か、それに近い非合法部隊だと思う」

 なぜ、幸がそんな事を知っているのか、この状況下で由は気付かなかった。

「と、特殊部隊!?」

 その時白が、声をかけて来た。

「そこに居るのはわかっている。THORを渡せば危害は加えない」

「本当かな……」

 幸の耳元でささやくように由は言った。出来れば白の言うとおりにしてしまいたい。

「たぶん、嘘」

 幸は断定した。

 肩に触れた由の手に、緊張感が伝わって来る。だがそれは、由のような恐怖から来る力みとは違う、奮い立つ勇気のようなもの。あるいは興奮。

「渡した瞬間に、ドン。ね」

 動くなら、階下に問題が生じた今しかない。冷たい汗が、首筋を濡らす。由は、意を決して言った。

「外街、後ろの窓から校舎の屋上が見える」

「由ちゃん?」

 思わず振り返る幸。確かに、かろうじて屋上の一部が見える。

「十メートルくらい」

 肩越しに伝わっていた由の震えが、小さくなっていた。幸は一つまばたきをすると、微笑を浮かべた。

 冷たく澄んでいながら、たぎる熱さを感じさせる笑み。

 由は思った。

 ――なぜぼくはここにいて、こんな事をしているのだろう?

 でも確かに、この風変わりだが魅力的な友人と要ると、熱い何かを呼び覚まされる。由にとって幸は、その心の内に根を下ろす存在になっていた。

 今は、それほど怖さは感じない。

 頭の中が、ひどく静かだ。

 幸は小さく、だがはっきりとうなづいた。

 由はそっと、肩を押すように力を込めた。自分でそうしながら、誰かと共に押し出すように。

「わかったわ、今出て行くから撃たないで」

 幸はTHORを動かして、姿をさらした。そのままゆっくりと、THORを白たちの方へ進める。

「そこでいい、降りろ」

 ――もう少し……。

 二人は同時に、同じ事を思った。まだ白たちの所まで、五メートル近くある。向こうの校舎までジャンプするには、このフロア分の長さが必要だ。

「降りろと言っているっ」

 いら立って銃を構える。

「そんな物向けられたままじゃ、降りられないわ」

 白が、銃を下ろした。

 由がしがみつく。幸はスロットルを全開にした、バックで! スピンターンしざま、窓へ向かって疾走する。

 白たちが再び銃を構えた時には、もう遅かった。銃弾が数発撃ち込まれたが、近くの棚に当たっただけだった。

 THORが窓を突き破る。

「! !! !!! 」

 飛び出した瞬間、由は声にならない叫び声を上げていた。

 数瞬の浮遊感。

 外灯の明かりに浮かび上がる黒い屋上が、スローモーションのように迫って来る。

 全身がバラバラになるような衝撃と、THORのサスペンションを兼ねた制御アームの破壊された音が重なり、辺りに響き渡った。

 二人が屋上に投げ出される。

 意識が遠のく。が由は、きしむ体をすぐに起こした。飛び出して来た窓を振り返る。

 驚愕に見開かれた瞳を残し、白たちは姿を消した。

 幸は!?

「外街!」

 着地の衝撃で、THORのバッテリータンクに胸をぶつけた幸は、激しく咳き込みつつも身を起こした。

「だ、大丈夫」

 ほっとして由は、再び倒れこんだ。仰向けに。星空は、人の事などお構いなしに、澄み切っていた。

「ミヤコォ、マチィ!」

 小館が、息を切らせて屋上に駆け込んで来た。

 そして路が。その手には不似合いな、無骨そのもののMP5KA5が握られていた。

 路は、慣れた感じで二人の体を診ると、重傷がない事を確認した。

「あそこからジャンプしたのか……」

 ほっと息をつくと、ワンダーパレスの窓と大破したTHORを交互に見て、唖然とした声でつぶやいた。

「路さん」

 由の視線がMP5に注がれる。

 だが路はそれには答えず、応援が間に合わなくて死傷者もろとも、工作員たちには逃げられてしまったと告げた。

 とりあえずは、助かったらしい。歓喜がわき上がって来るのもつかの間、視界の隅に映ったTHORの惨状を見て、由は気が滅入った。

 ――オーウェル博士に、どう謝ろう……。

 白々しいほど遠くから、サイレンの音が聞こえて来た。


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