女神の過ぎた贈り物 3
二章 先客あり
敷地の西側、国道へつながる氷菓通りのほぼ中央に、横長の構造物がある。エッヂを丸めた長大な方形キューブを、三つ積み重ねたようなデザインのそれは、校内で使われる備品や消耗品、施設関連の機器が置かれている大倉庫だった。
別名、ワンダーパレス。夢と資材がいっぱいだ。
深夜、学園がすっかり寝静まった頃、そのワンダーパレスに人影があった。明かりは路沿いにポツリポツリと立つ外灯くらいで、かなり薄暗い。が、その光までも避けるように、側面に身を隠している。全身黒一色のボディースーツで身を固め、頭部はノーメックス繊維のフードで覆われ、その上にレイセオン社製赤外線暗視装置を付けている。
黒ずくめの人影は、人が居ない事を確認すると裏側のドアに近づき、鍵を取り出して開け、素早く入り込む。音を立てないように閉じると、再び鍵をかけた。
内部を見渡す。一階はトラックの搬入口を兼ねているので、予想していたより物は少ない。
が、奥の方に、雑然と資材が置かれた一角があった。手前に、長さ二メートル、幅一・二メートルくらいのシートに覆われた物がある。
熱によって色分けされた暗視装置のディスプレイに、そこだけはっきりと紅く表示されていた。動力源が生きている。可動状態にあると言う事だ。
黒ずくめの人影は、音を立てないようにシートをはがした。
同時刻、そのすぐ近くに三つの人影があった。その中の一人上都由は、好奇心と道徳心の間で、ワンダーパレスへの路をそーっと歩いていた。
昼間オーウェルが帰ると、小館の提案で〈THORを自主的に見学しよう〉と言う事になった。オーウェルには、無断で近づかないようにと釘を刺されていたが、そこはそれ男の子(異論はあろうが)、好奇心が勝ってしまった。
「やっぱりまずいかな……」
寮の部屋を脱出して、五度目のつぶやきがもれた。一旦は賛成したものの、生来の生真面目さが頭をもたげて来てしまう。
「大丈夫、見るだけだから」
てっきり反対すると思っていたのに、ノリノリで賛成した幸がその都度振り返る。好奇心が道徳心や倫理観たちを追い抜いて、遥かぶっちぎりで優勝してしまったらしい。なんとも奇妙で魅力的な天使的悪魔だか悪魔的天使だかが、幸の姿でそそのかしているように思える。
その先で、すでに表彰台にまで上がってしまっている小館は、声に出さない鼻歌に足音を立てないスキップと言う、特技を通り越して奇行に近い体で先行していた。
三人はそれぞれに、動き易い格好で夜道を進んでいる。由はメジャーリーグのブルゾン(ロサンゼルス・ドジャース、ホーム用)に黒のカーゴパンツ。小館はいつも着ている〇イキのウォームアップジャケットにパンツ。色は上下とも紺。幸はグレーのロングトレーナーに黒のロングスパッツ。一人小さなバックパックを背負っている。
外灯の薄明かり越しに見える幸のシルエットは、とても男のものには見えない。特にバックパックに押し付けられて浮かび上がる辺りに、免疫のない由は、つい目線が惹き付けられてしまう。
我に返りブンブン頭を振って変な気分を追いやる。
前を見ると、向こうの方で小館が声を出さずにケタケタ笑っていやがった。
何か言ってやりたいが、上手い言葉が見付からなくて、口をパクパクさせる。その由に、幸が止めを刺した。
「……エッチ」
思わずよろける由だった。何かが激しく間違っているような気がする。
そうこうする内に、ワンダーパレスの前に着く。つい今しがた、黒ずくめの人影が入って行ったドアの前に来ると、幸はバックパックの中から何種類かの、細長い金具を取り出した。おもむろに鍵穴に差し込む。
「外街!?」
ものの数秒で鍵が開いた。あっけに取られて幸を見る。
「家の鍵を無くした時、知り合いの鍵屋さんに教えてもらったの」
「まずいよ、学校に知られたら……」
「大丈夫、跡は残していないから。それに、校則には鍵開け(ピッキング)禁止なんてないし」
校則には書いてないけど、六法全書には十分書いてあるよ。と、抗議しかけた由の口を小館が塞いだ。
「中で物音がした」
人差し指を口に当てて、妙に真剣な表情だった。目はドアの向こうを見ている。由が何かを言う前に、するっとドアの向こうに消えてしまった。
「聞こえた、外街?」
幸は首を振った。
「目は悪いけど耳はいいんだって、初めて会った時言っていたけど」
「性格はどっちだろうね」
と、ひょこっと小館が首だけ出した。
「わっ!」「!」
「拙者の先祖は公儀隠密だと、落語好きな祖父が言っており申した」
それだけ言うと、また中へ消えて行く。
「落語好きな公儀隠密の子孫って……」
小首をかしげながら幸が続く。
「確かに、耳は恐ろしくいいね」
気を付けないと。とつぶやいて由も後を追った。
シートをはがし、むき出しになったTHORを観察しながら、黒ずくめの人影は思案した。
――協会が、何故こんなものに興味を示す?
その調べていた手が止まった。常人にはわかるはずのない人の気配を察知して身をかがめると、躊躇せずにその場を離れた。退路は事前に確認してある。
足音をまったく立てずに、荷物搬入用エレベータ、そのホール横の階段へ。
その流れる、芸術的と言ってもいい動きが一瞬止まった。新たに進入して来た者たちを黒ずくめの人影は確認した。足の微妙な運びでわかる。素人が混ざっている。
――生徒? あの子は……。
新たな侵入者の中に、妙に気になる顔があった。珍しい事だ、自分が必要以上に他人を気にするなんて。
新たな侵入者たちの正体を知ると、黒ずくめの人影は階段の上へ消えて行った。
「小館?」
由が中に入ると、小館が内部をうかがっていた。マグライトでエレベータ方面を照らしたりしている。
「拙者の気のせいだったようでござそうろう」
「とも限らないみたい」
少し離れたところで幸の声がした。THORのすぐ横で、放り出されたシートを調べている。
「他のクラスの生徒かな」
隣に来て由が言う。なかなか目ざとい者が居るらしい。
「写真部、科学部、メディア部、いや外部の人間の可能性もあるな」
「それじゃ全部だよ」
「やりっぱなしで帰るって言うのは、おかしいわね」
幸が周りを照らす。シートが外されている以外、まったく荒らされた跡がない。
「綺麗過ぎる。第一どうやって?」
幸が何故深く考え込んでいるのか、由にはわからない。
その幸に、小館があっさりきっぱり提案する。
「帰る?」
「そうね」
これまた幸が、さっぱりすっきり同意して、由はとまどった。
「せっかく来たのに?」
「万が一、THORに何かされていたら、と言う事」
〈自主見学〉がばれたら、真っ先に疑われるだろう。下手をすれば、レッドカードだ。
三人が帰ろうとした時、不意に照明が点けられた。ギョッとして、周りをキョロキョロ見回す由。エレベーターホールの横、照明スイッチの前に三〇歳くらいの男が立っていた。
「……君たちは?」
眠気眼の目をこすりながら、一つあくびをすると、緊張感のない声で聞いて来た。男はひょろりと背が高く、白衣を着た肩にダッフルバッグをかけていた。
「す、済みません。すぐに帰ります!」
由は、ガバッと頭を下げて謝った。逃げようとしないところが由らしい。
「僕は教師じゃないよ」
男は、「あはは」と屈託なく笑った。
「新入生?」
「はい」
「なるほど。の・ぞ・き、だね?」
男はニコッと再び笑うと、自分について説明した。名前は路護之。文部科学省からの出向で大和大学に来ている。専門は基礎工学だが、現在はオーウェルの助手をしていると言う事だ。オーウェルがTHORを運びこんだ後、研究を引き継いで、そのまま深夜まで夢中でいじっていたらしい。
由は少しあきれた。
「じゃあ、実験の準備に夢中になって、帰りそびれてしまったんですか」
「面倒だったしね。ダンボールやらシートやら、使えそうな物がたくさん転がっているから、そのまま泊まってしまおうと」
「ははは」と、また路が笑う。
由は脱力した。レッドカードは受けなくて済むらしい。
あからさまに安堵する由を見て、路はひとしきり笑うと、帰ろうとした三人を引き留めた。
「興味あるんだろ?」
ハイタッチする三人。
「はい」
「右に同じ。正確にはやや後方ですが」
「……済みません」
THORの前に立つと、路は専門的なところは省略して何故造られ、どう操作し、どう使うのかに重点を置いて説明した。
「――だから基本的にこのTHORは、搭載された制御系が操作を行ってくれる」
「それじゃあ本当にバイクじゃなくなりますよ」
「そうだね、名前こそ〈Three・Wheel・Off・Road・motorcycle〉だけど、実態はロボットだね」
路はTHORの横にかがむと、足回りを指差した。
「スイングアームって言うより、工作機械のマニピュレーターみたいだろ」
ホイールから伸びる三つの支持部には、制御用の細かな装置が組み込まれ、ケーブルが取り巻いている。
「クローム・モリブデン製のフレームを、モーターとアクチュエーターサスペンションで可動させているんだ」
路は立ち上がると、由を指名した。
「えーと、上都君だったかな、体重は?」
「四八キロです」
その一言に、隣の幸がショックを受けて固まった。小館が横を向いて、肩を震わせている。
「OK、四〇キロ以下は認識しないようになっているんだ。じゃあ、ちょっと跨ってみて」
由は、ステップに足をかけた。ゴツンとした感触が、足の裏に伝わる。まったく沈み込まない。ハンドルを握ってみる。ガングリップ式で少し違和感があった。跨ったことくらいはあるバイクとは、少し違うような気がする。
足はステップに置くだけ。ホイールにモーターが内蔵されているので、シフトチェンジはない。バイクとは似て非なる物。そう言う印象を由は受けた。
「サスペンションが利いてないようですけど」
体重をかけても沈み込まず、ガチッとした乗り心地に眉をしかめる。
「少しの間、動かないでいてくれるかい」
路は、一つの液晶画面に統一されたハンドル前のディスプレイ、その右横のスタータースイッチを押した。インジェクションの付いたバイクの物に似た、動作確認用センサーの赤ランプが点滅して、グリーンに変わる。
途端に車高が浮き上がり、サスに粘りが発生した。思わずグリップを握った由の手に力が入る。
「アクチュエーター・サスに、リニアモーターを使っているんだ」
「油圧を使わないのは、細かく制御するためですか?」
幸の問いに、路が親指を立てる。
「お、技術屋心をくすぐる質問だね」
声を弾ませた路は、少し少年に戻ったように生き生きして見えた。
「上都君、体重を前にかけてみて」
由は身を乗り出すように、ポジションを変えた。体重をかけるのに比例して、サスが沈み込んでゆく。
と、思っていた由は、違和感を覚えた。フロントが沈み込まない。試しにそのまま上下してみる。サスはしっかり反応した。左に寄って見る。おなじように、THORは傾かなかった。でもサスはしっかり利いている。
更に左に寄ると、左前輪が斜め前にアームを伸ばしてバランスを取った。重心の位置によって、サスの強度バランスやホイールのポジショニングを最終的なものにするシステム。その事を聞くと、路はポンポンとシートを叩いた。
「この下に、CPUやメモリの制御系が入っていて、一〇〇〇〇分の一秒単位で計算、調整をするんだ」
最先端技術を尻に敷いていたらしい。由はちょっと居心地が悪くなって、もそもそと動いた。
「これを、オーウェル博士と路さんが御創りになったと」
「ほーほー」言いながら感心していた小館。
「いや、僕は途中からなんだ、データ収集のためにね。ありがとう」
由が降りるとスイッチをオフにする。途端に車高が下がって、元に戻った。
「他のスタッフもパーツごと別々に創ったって聞いたから、トータルで係わったのは、博士とJAXAの佐々本さんくらいかな」
「JAXA? 宇宙屋さんが? 副業にバイク造りですか?」
小館が首をひねる。公益団体も利益追求に走り出したのだろうか。
「違う違う。こいつは元々、火星で使う有人ローバーが原案なんだ。向こうには、道路も整地された場所もないからね」
路は、レンチを取り出してホイールカバーを外した。
「タイヤの中に小型高出力のモーターが入っている、インホイールモーターってやつ。本来車両には向かないけれど、二〇〇キロも三〇〇キロも出すわけじゃないからね」
少しかがんでタイヤを触る。力を入れると、意外な事に少し凹んだ。
「タイヤもグリップ力を最大限に引き出すために、溝を深くして空気圧を目一杯下げている」
その手がホイール部に移動した。
「モーターはフラットトルクだから、アクセルを開け始めてから回転上限まで一定なんだ」
「行き成りアクセルを開けると、スピンしちゃうんじゃありませんか?」
「そうそう。みんなバイクなんて乗らない人種だから、何億円もする機材に突っ込ませたり、大変だったよ」
のん気に笑う路に、沈黙する三人。
「設計したオーウェル博士も製作したスタッフも優秀過ぎて、余りに出来がいいんで、地球で使ってしまおうと言う事になったんだ」
「日本に来られたのは、これのためだったのですね」
何気ない幸の一言に、だが路は少し考えて、「ここだけの話だけど」と切り出した。
「どうもTHORの開発には、〈腑に落ちない点〉が多いんだ」
由は、「え?」と言う顔をした。オーウェルの人となりには、似つかわしくないと思ったからだ。他の二人は、驚きよりも興味の方が勝っているらしく、注目している。
「開発に取り掛かったのは博士が日本に来た直後、しかも三ヶ月でここまで創ってしまった」
「三ヶ月で!?」
「日本の技術者は優秀、で済ますには無理があると、僕には思えてね」
工学には素人の由でもわかる。いくらなんでも、車両一つ開発するのに三ヶ月と言うのは異常な早さだ。今になって、被災地活動用車両の開発が迫られているのだろうか?
幸を見る。「う、うん」と軽く首を振っただけだった。
小館を見る。と、深刻な顔をして考え込んでいた。由が声をかけても返事をしない。いつもと違う、ピリピリした雰囲気。何か知っている事でもあるのだろうか?
妙に思ったのか、先に幸がたずねようとした時、小館がおもむろに口を開いた。
「政府が何かを隠している」
キョトンとする由。
「言くん、それって」「どう言う事かな?」
幸に続いて路までもたずねた。元々知識は豊富なヤツだし頭も良い。ひょっとすると専門家の路さえ気付かなかった事に思い至ったのかも知れない。
小館は由、幸、路を見渡すと、確信を込めて言った。
「UFOの技術かも知れない」
「……」「……」「……」
もはや何も言う事のない、由たちだった。
「気を付けろ、誰も信用するなっ!」と、オープニング曲を口笛で吹きながら、一人芝居を始め出す。
「タバコの煙、貴様だれだっ!?」
「変なDVDばかり見てるでしょ、君は」
更に由を巻き込もうとするが、由は取り合わない。
が。
「ノリが悪いな、そんな事では優秀なクリエーターに成れないぞっ。自分をごまかすな、妙なプライドや思い込みから自由になるんだ! 前に進めなくなるぞ、作品あがらんぞっ!!」
「一体何の話なの!?」
「ふっ、昔の話さ」
やはり巻き込まれるのだった。
「……で、興味に駆られるままいじってたら、帰りそびれてしまったんだ」
路は思わず吹いてしまいながら、締めくくった。
「何かわかりました?」
「いや、今のところは」
その後、幸はシートの事を話してみた。
「おかしいな、きちんとかけて置いたはずなんだけど」
軽く驚くように聞き返して来た。
「一度目が覚めたようなないような……。そうだね、悪戯されないように気を付けるよ。のぞきくらいならいいけどね」
バツが悪くなって笑ってごまかした後、由たちは携帯のアドレスを交換してワンダーパレスを後にした。
――何かある、と言う事だけは確かか。
由たちのやり取りの一部始終を、階段への入り口に身を潜めて聞いていた黒い人影は、今度こそ本当に姿を消した。
そんなこんなで寮生活も数日が経って、幸も小館も実に趣味が多彩な事がわかった。
幸は、由が見かける度に違う事をしている。手芸、読書、ネット、パソコンの自作、機械いじり、ストレッチ体操、瞑想etc……地質調査なんて事もしていた。
「サバイバルゲーム?」
とりたてて急ぐ用事もない日曜を控えた午後、由は幸の趣味の一つに誘われた。サバイバルゲームがどんなものか、やったことはないがなんとなく想像はできる。
「うん、人数が足りなくて。よかったらだけど由ちゃん参加してくれる?」
外見は超絶美少女なわりに幸の趣味はアウトドアが多いらしい。ただ、格闘技やミリタリー関係に興味があるとは思わなかったので由は意外に思い、同時に興味が湧いて参加することにした。
「……ここはどこ?」
場所はてっきり関東近県のサバイバルゲームフィールドだと思っていた由は、厚木から行き成りヘリコプターで現地に連れて行かれて目を白黒させた。すでに機内で装備一式は身に付けさせられていて、追い出されるように降り立つとヘリはそのまま帰ってしまった。
辺りは深い森で、人が手を入れた痕跡がない。どこというより日本かも怪しい雰囲気だった。そこに幸と二人だけ取り残されるように置いて行かれ、由はかなり不安になった。ここでフォックスハントルールでゲームをやるらしい。
フォックスハントとは少数を多数で捕獲するルールで、多数チームは全員を捕獲すれば勝ち。少数チームは逃げ切って多数側だけに設定されたフラッグを奪えば勝ちになる。
由は機内で渡されたコルトM4A1カービンライフルを凝視した。ほとんど金属製で銃口にはライフリングも刻んである。かなり本物っぽく見えるのは気のせいだろうか? マガジンを引き抜いてみた。中には三〇発の実弾のようなものが装填されていた。弾頭こそプラスチック製だが薬莢は金属製だった。
「ねえ外街、サバイバルゲームって普通、BB弾を撃ち出す電動ガンとかガスガンでやるものだと思うんだけど……」
「今日はリアルカウント戦だから模擬弾でやるわ。弾頭はペイント弾だから大丈夫。ゴーグルも着けてるし、急所に当たってもちょっと悶絶するくらいだから」
「も、悶絶って!?」
GPS連動コンピュータのハンドモニターを見ながら衛星通信可能なデジタル無線機を操作していた幸が顔を上げた。
「由ちゃん、ミッションスタート!」
そこからは怒涛の展開だった。
突然多数のごつい外国人兵に由たちは包囲された。幸が強行突破しようとM4を乱射しつつも的確にヒットさせるという神業で包囲に穴を開け脱出に成功するが、由はブッシュに足を取られて転倒。あっさり取り囲まれ、銃口を突きつけられて拉致された。あ、と言う間もなく樹にワイヤーでぐるぐる巻きに縛り付けられる。対戦相手はみな外国人で、英語で話しているので細かくはわからなかったが、ペイント弾で撃たれなかったのは幸に対する囮として使うためらしい。
半数を残して多数チームが幸捕獲に向かうと。すぐに幸が樹やブッシュや地形を巧みに利用しながら神出鬼没の身のこなしで敵を失格させながら由を救出。しかしそこへ異変を察知した残り半分が戻ってきて再びの乱戦になった。
由の弾まで使って敵を失格させる幸。敵は幸の姿を捉えきれずにひたすら乱射。両チーム弾が尽きると白兵戦に突入。もみくちゃにされまくって体力が尽き、大樹の根元に放置された由が最後に見たのは、相手チームのメンバー全員を失格させ、夕日に照らされて一人佇む幸の姿だった。
帰りはどうやって帰ったか気絶していてわからない。二日ほど寝込んだ後、無事登校できたが、二度とサバイバルゲームなんかしないと固く誓う由だった。
小館はお笑い全般。なんて言う事はなく、TV、ラジオ、新聞、ネットのニュースページ。暇さえあれば、何かを見たり聞いたり読んだりしている。
由は小館が平日でもよく校外に行っていることに気が付いた。部活にも入っていない小館が何をしているのか疑問に思ったが、プライベートに立ち入るのを遠慮して黙っていた。それが始めは週に一日~二日だったものが次第に増えて、週末さえ部屋に帰ってこなくなり、由はさすがに心配になって事情を聞いた。
「ただのバイトでござる。行って見るでござるか?」
連れて行かれたのは高尾にある真新しい一棟のビルだった。小館は慣れた様子で半地下への階段を進むと、ドアを開けて入っていった。由も続いて入る。中は意外と広い会議場のようなフロアになっていた。中央に大きめのテーブルが置かれ、それを取り囲むように半円状に机と椅子が並べられている。椅子は年齢も服装もばらばらな人々で九割方埋まっていた。
「何のイベントなの?」
「もうすぐわかるよ。あ、始まった」
司会らしい男のい挨拶もそこそこに、テーブルには大小新旧冊数もさまざまな本が運び込まれてきた。
「本のオークションか……」
「価値のある本を安く仕入れて高値で売る。せどりって言うんだけど、それにはまっちゃってね。ついつい入り浸っちゃって」
小館はそういうと、ニコ顔のまま苦笑した。始めは小遣い稼ぎのつもりで始めたが意外と実入りがよくて、ついつい参加回数が増えてしまったと由に弁解した。
オークションはさくさく進み、小館は数冊の本を出品し、同じくらいの本を落札した。
「それで幾ら位になるの?」
「十万円位かなぁ」
「十万円!?」
由が金額に驚いていると、今日の目玉出品物が運び込まれてきた。大きさが三十センチ位の古ぼけた仏像だった。鉄製らしいが全体にうっすら緑色の錆のような物が浮いていて、頭上に小さいが特徴的な仏頭飾りが付いている。
「本だけじゃないんだ」
すぐに入札が始まり、十万円単位で値段が釣り上がっていく。「あんなものがいったいいくらで取引されるんだろう?」と半信半疑で眺めていた由は、目をまん丸にしてオークションの進行を見守った。
落札金額が三〇〇万円を超えたとき、由たちの入ってきたフロアの入り口の方が騒がしくなった。そうこうするうちに、いかつい男たちが入ってきた。
「警察だ、全員動くな!」
途端に会場は大パニックになった。
右往左往するオークション参加者と警察が入り乱れる中、逸早く席を立った小館と由はトイレに駆け込み、地上すれすれの窓から雑木林に逃げ込んだ。
「ほ、本のオークションじゃなかったの!?」
「古書のオークションがメインだよ。時々仏教画や仏像なんかも出品されてたけど、まさか盗品のオークションもやってたなんてね。危なかったねー」
ばれたら退学ものの騒動なのに、楽しそうに笑う小館に怒る気力も萎えて、由は辺りを見回した。大分林の奥深くに入り込んでしまったらしい。二人は小一時間ほど林をさまようと、やっとの思いで国道に出て寮に戻った。
蓬蓬の体で帰ってきた由は、二度とオークション会場なんて行かないと心に誓った。
大和高校の円形地域の西側、ちょうど方形地域へいたる少し手前に、さすが元は大学と思わせる図書館と博物館があった。
図書館の方はより多く光を取り入れて、かつ直射日光は避けるためにすりガラスを多用した近代建築だった。対して博物館の方は中世ヨーロッパのロマネスク建築で使われた、半円アーチを多用したデザインだった。
と、言えばそれぞれ〈らしい〉施設だが、それらがくっ付いて建てられているところが、珍妙極まりない印象を辺りに振りまいていた。
が、実はそうとも言い切れない。確かに一見、首を傾げたくなるようなデザインになっているものの、〈そういう風〉と思えない事もない。ギリギリ綱渡りのような感性で作られていた。大和高校にはそういう建物があちこちにあって、一種独特な雰囲気をかもし出している。
その博物館の中、太い柱を飾るようにオブジェ化されて展示されたアクリルケースの中に、古代の遺物が収められている。大半は大学に移されたが、オリジナル、レプリカ取り混ぜて並ぶ中に、変わった一角があった。展示物と共に説明文がプレートに書かれている。
恐竜型の埴輪《BC四〇〇〇年頃。メキシコ/アカンバロ》。
見た事のない文字が刻まれた金属板《エクアドル/クエンカ》。
ドクロ型の水晶。
片岩製の弾み車《BC三〇〇〇年頃。エジプト/サッカラ北部》。
レプリカではあるが、本物から複製されたそれらは、他の展示物となんら変わりのないように見える。が、その説明文をよく読むと、皆一様に首を傾げる。恐竜の存在など知られていなかったBC四〇〇〇年に埴輪は作られ、文字のなかった古代南アメリカで金属板に文字が刻まれ、精密工作機などなかったはずの古代マヤで水晶はドクロ型に加工され、BC三〇〇〇年頃に弾み車が製作された。
その他。
四〇万年前のコイン。
二〇〇万年前の金細工。
七〇〇〇万年前の金属管。
中には。
四億年前の鉄製ハンマー。
二十八億年前の人工金属球。などと言う物もあった。
それらはOOPARTS。〈それを生み出した時代や文化レベルに合わない場違いな工芸品〉と言う意味の、〈Out Of Place ARTifatS〉から造語されて呼ばれている。
それらのケースが並ぶ柱の前、ちょうど角でケースがないところに、三人がけのクラシカルな木製ベンチが置かれている。そこに由の姿があった。寮の部屋では落ち着いて本が読めないので、よくここを利用している。
二人とも居ない時は居ないし、たとえいてもそこら辺はわきまえていて、お互いに気を付けている。
では何故本が読めないのかと言うと、由自身が気にしてしまうからだった。由は両親が多忙なせいか、よく一人で居る事が多かった。慣れていないせいあるだろうが、四六時中そばに人が居ると妙に気にしてしまって落ち着かない。で、ガス抜きによくここへ足を運ぶのだ。
これが理由の一つで、もう一つは由の唯一の趣味、読書をするため。ここはほとんど人が来ないので本を読むには絶好の場所だった。
極端な読書好きと言うわけではないが、由は隣の図書館で借りた物や、購買部の書店で手に入れた本をここで読む事が多かった。父親が考古学を研究している事もあって、その方面の物が多い。
中でも興味をそそられるのが、オーパーツ関連の物。オーパーツ(レプリカだが)の前でオーパーツの本を読む。それを由は気に入っていた。見かけの割にじじくさい趣味だと口の悪い小館には言われるが。これで好きな紅茶が飲めれば言う事はないが、当然館内は飲食厳禁だった。
ふと、人の気配を感じて、由は本から顔を上げた。
イラクで発掘されたオーパーツのレプリカが収められたケースの前に、女生徒が立っていた。長身で、今は少数派の黒髪をショートにし、うなじがすっきりと伸びている。ものをしっかり見る意志の強そうな瞳と、太目の眉が印象的だった。
この女生徒を由は知っている。拍桃沙、両親が中国系華僑だと言うクラスメイトだ。
大学もそうだが、大和高校は外国籍の生徒を積極的に受け入れていて、全体で三割近くを占めている。
由は第一印象もあって、入学式のすぐ後で幸に聞いてみた。幸は少しムッとしながらも、過不足なく教えてくれた。驚いた事に、幸はすぐに友達になった数人を通して聞いた、クラスメイト全員の顔、フルネーム、出身、趣味まで覚えてしまっていた。
その桃沙の、一〇代ではまず持つ事が出来ないような、力強い光を宿した瞳がケースの中を見つめている。
「何?」
気付いた素振りはなかったのに声をかけられて、由はドキリとした。
桃沙がゆっくりと振り向く。本人は普通に見ているだけなのだろうが、見られた側は内面を射られたような気がする瞳だ。
「……よく見かけると思って」
思わず立ち上がってしまったものの、気圧されて近づく気になれない。
「まだ五回目よ」
「そうだったかな……」
――と言う事は、入学式の翌日にここを見つけた時から、知っていたと言う事じゃないか。
「シュメール文明を知っている?」
唐突に、桃沙が聞いて来た。
「BC四〇〇〇年頃、南部バビロニアに突然興ったメソポタミア文明の、母体になった文明」
「教科書以外の事」
由は思い出そうと、うつむいた。
「海から来た半人半魚の人々が、正確な測量技術や神殿建設、楔形文字、金属加工技術なんかをもたらしたとされる、それ以前にはまったく痕跡がない謎の文明」
「彼らは何処から来て、どうやってそれらをもたらしたのか、今となっては確かめようがないわね。ただ、彼らはどうしてはるばる来たのかしら?」
桃沙がなぜそんな事を聞くのか、意図がわからない。でも由は、漠然と自分が求めるものに触れるような、抗いがたいものを感じて、何とか答えようとした。
「何らかの理由で、元いた所に居られなくなった。あるいは、人口が増え過ぎたとか」
「それだけ?」
「未知の土地に興味もあったろうし、中にはフロンティアスピリッツにあふれた奴だっていたろうから」
更に、促すように桃沙が聞いて来る。
が、由は困った。何となく、〈考古学以上の事〉を聞かれているような気がしたからだ。
妙なプレッシャーで会話が続かない。女の子相手に限らず、話が巧みな方ではない。こんな時、幸の豊富な知識や小館の独特な話芸が羨ましくなって来る。
「ごめん、話が続かなくて」
本当に困っている内心が表情に出てしまったのか、桃沙が「くすっ」と、笑みを零した。珍しい事だった。クラスに居る時の桃沙は、余り喜怒哀楽を表に出さない。無感動と言う事ではなくて、ちょっとした事では動じない、そんな落ち着いた雰囲気が桃沙にはあった。
すぐにオタオタしてしまう由にとって、何か気になるクラスメイトだった。
「面白いわね、自信があるのかないのか」
内心を見透かされたような気がして、思わず押し黙る。
何だろう、この妙に落ち着かない感じは。
何だろう、この寒気にも似た感じは。
黙ってしまった由を、桃沙が静かに観ている。
「あなたはなぜ、大和高校へきたの?」
またも唐突に、桃沙が問いかけて来た。勉強がどうとか催しがどうとか、そんな事ではない。由の漠然と抱える迷いの核心に、ズバッと切り込んで来る質問だった。
「面白そうだったから」「何かありそうだったから」幾つもうわべだけの答えが頭に浮かんで来る。だがそんな答えを聞いているのではない。その奥の、衝動に近い行動させるものを聞いている。それを由は気付いていた。
「……来たかったから」
気が付くと、そう答えていた。
一瞬だけ、桃沙が微笑んだように思えたのは、気のせいだろうか。
再び会話が止まる。消耗している自分に、由は気が付いた。
この子は魅力的だ、でもその魅力について行くには、ひどくエネルギーを使う。
「考古学、好きなの?」
沈黙に耐え切れなくなって、由が苦し紛れの話題を振った。
「……そうね」
やっとの事で見つけた会話の糸口に、だが桃沙は気のない言葉を返して、展示室から出て行ってしまった。
見送り、しばらくして本を開いたままだった事を思い出し、栞をかける。由は本を閉じると、展示室を出た。何となく体が重い。
いつの間にか館内には、閉館のアナウンスが流れていた。