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 「――ということでだ、来須上等兵」

 連隊長を、司令室以外で始めて見た。そのことに、素子はいまさらながら気づく。だからといって、彼の人格に新鮮な変化が見られることはない。単純だが重要な原則というものを、彼は尊重しているように思える。誰もが軽く受け止めがちな、それでいて経る必要のある手続きを。

 あまり気は進まない。それでも、素子もそんな風に厳格でいることを望んでいたに違いないのだった。

 (こんな人に議論を吹っかけた、の?)

 無謀な試みだったことを、ひそみ笑いとともに認めた。

 連隊長は、怪訝そうに素子を見やった。だが結局無視して、言いたいことを言い続ける。

 「貴官を、正式にナギナタの一員として承認することとした。歓迎させてもらおう。正直言うと、貴官の年齢で貴官ほど……なんと言えばいいか……そう、タフな奴は見たことがない。私は無為に部下を褒めたりはしないが、それを差し引いても貴官には何かがあると感じた。そういうわけだ」

 連隊長は、堅そうな手のひらを差し出した。

 「有難うございます」

 素子は、その手を握り返す。

 その手を離してから、連隊長は言い始めた。以前までの確執を感じさせず、歯切れ良く破顔している。

 「貴官は言ったはずだな。"戦いながら答えを探す"、と」

 素子は即答した。

 「はい」

 「それもいいだろう。存分にやるがいい。そしてまた、すべきことをもこなせ。防衛という本来の任務をな」

 聞きながら素子は、幸運を感じていた。あの模擬戦闘に勝利できたことの幸運を。

 これからは、生き死にを対象としてその運を試されることになる。素子は、入隊できたことで喜びに溺れるほど、自分に甘くはなれなかった。

 ごく中立的に、連隊長は素子の思考に水をさした。

 「しかし、答えも出せないうちに脱落するのは馬鹿らしい。確信を持って答えるには、時間がかかるだろうが。貴官は、深くものを掘り下げる人間らしいから」

 「忠告に感謝します」

 特に議論に発展させることなく、素子は自然に答えた。

 「ともかく貴官は、現在人数の足りていない第一区五戦隊――つまり、首都五戦隊に配属される予定だ。着任の日までは、せめて大人しくしておけ」

 「私が……今まで何か、軍人にふさわしくないことをしたでしょうか?」

 わずかに憤りを覚えて、素子は言い返した。が、連隊長は素子の感情の機微に気づきもしない。

 「気づいかないか、貴官は?」

 どうやら、皮肉でも悪口でもないらしい。連隊長は真面目な調子で述べていた。

 そして、少しの間黙り込む。言うべきことを逡巡しているようだったが……やがて口を開いた。 

 「自分の姿というのは、見えないものなのだな。だが、気づかないのならばそれでいい」

 珍しく、歯に物の挟まった言い方である。

 (何なの? ちょっと気味が悪い。単に、口論を吹っかけたことを言ってるのかしら?)

 その問いには、彼はもう答えなかった。

 連隊長は、手を額につける。敬礼だった。

 「着任式か……あるいは緊急発進スクランブルの時に会おう。さらばだ」

 虚をつかれ、素子は焦って答礼を返す。その時には、連隊長はその場から立ち去っていた。

 「ふう」

 肺に残っている空気を、素子はすばやく吐き出す。

 すると、首から腰まで背筋が一挙にゆるんだ。頭が急に垂れ下がり、床を視界に納める状態となる。しかし、すぐに眼を閉じた。

 ようやく、ここ数日の緊張が解けたのである。生き返ったような心地がした。

 「結局、上手くいった……」

 素子はそうつぶやいた。

 と、脇に控えていたマリイが近づいてきた。そして声をかけてくる。その声は、どこか弾んでいた。彼女もどうやら、喜んでいるようだった。

 「おめでとう、素子ちゃん」

 素子はつと顔を上げ、返事をする。

 「有難うございます」

 近年、素子はこれほどの解放感を味わったことはなかった。朝から晩まで演習を繰り返す生活は、控えめに言っても相当な体力と精神力を消耗するものだった。

 その長い日々がたった今、報われたといっていい。喜びを感じない方がどうかしていた。

 おかしな話だった。

 本当の意味での戦場――塵ほどの容赦も情けもない、酷い本性を帯びた戦場というものに向かうことが決まったのである。

 いままで、それを恐れていたはずだった。

 (ヘンな人間ね、私も。なんであんなに怖がっていたのかしら。それに、今はこんなに平気でいる)

 例え死地に赴くことになろうと、自分に価値が認められたことに比べれば、たいした値段ではない。

 そういうことに違いない、と素子は納得した。

 「これからは、本当にあなたを全力でサポートします。改めて、よろしくね」

 マリイは手を差し出した。

 そんな彼女を見て、素子は思い出した。彼女が言っていたことを、である。

 ("人は強くなれない"……って言っていた、マリイさんは。でも、そんなことってある? 私は、強くなっていかなければいけないし。それに、現に私は昔に比べれば多少は強くなっているはず。精神も、戦闘の技量も……)

 マリイの気持ちの良い笑顔を眺めつつ、素子は思案した。

 (結局、何が言いたかったのかよく分からなかったけど。でも、そのうち分かる……てこともあるかもしれない)

 少なくとも、この女性から悪意を感じ取ることは全く不可能だった。とすれば、彼女なりに何か意図があって言ったことなのだろう。少しばかり彼女が好きになれた気がして、素子は自然に彼女の手を握り返していた。

 「はい。よろしくお願いします」

 しばし、和やかな空気が流れた。あまりに荒んで毛羽立った心には、それはとても懐かしいものだった。

 手を離してから、マリイは声を上げた。

 「あ、そうだわ。もう一人いるわね」

 「え?」

 「あなたと信頼を持ち合わなければいけない人が、ね」

 

 先ほどの模擬戦闘で、素子が撃破した相手の個室へ向かっているらしい。素子は、マリイの後ろについて歩いていた。 多少、気分が鬱屈の方向へ傾きを増していた。音には出さず、素子はため息をつく。

 (歓迎してくれそう……じゃないわよね、当然) 

 彼、もしくは彼女が、そういい気分でいるはずはなかった。

 その人が実戦に出たことがあるかどうかは知らない。けれども、自分より後に来た人間に負ければ、誰でも面白くなく感じるはずだった。

 それに、素子は今ひとつ不安を抱えていた。

 ナギナタになるには、超能力を保持しているという条件のほかには、あまり何の素質も考慮する必要がない。そして、そういった能力を持っている人間が、ひとしなみに良い性格を持っているとは限らない。特に、槇嶋連隊長という人を見てから、素子はそう感じることが多くなった。ひょっとすると、自分もその好例かもしれない。

 ともかく、あまり険悪な仲になってしまっては、これからの戦いに支障をきたすだろう。そんなことが容易に想像できた。

 それ以上、思慮の猶予は与えられなかった。マリイが立ち止まっている。どうやら、目指す部屋にたどり着いたらしい。

 「さ、ここですね」

 親指で、個室のドアを示してみせる。そして彼女は、それをノックした。

 「こちら、オペレータのマリイです。仁尾上等兵、います?」

 返事があってしかるべき時間が流れる。

 が、何も返答はない。それどころか、罵倒の言葉も、身動きする音すらもなかった。

 どうやら、よほど怒り心頭に発しているらしい。素子は、不安に眼球を揺らした。これは、大変なことになるのかもしれない。

 「おかしいな、伝えてあったはずなんだけど」

 困ったように、マリイは首を捻った。助けを求めるように素子と視線を合わせてくるが、もとより助けが欲しいのはこちらの方だった。

 「いないのかしら……ねえ素子ちゃん、超能力で部屋の中は見えないの?」

 そういう一般人的な発想が頭に侵入してきたのは、素子が小学生の時以来だった。すなわち、能力に覚醒した時以来である。何度試しても、超能力は便利な道具ではなく、常時乗ることを義務付けられた暴れ馬のような物でしかなかった。そんなことを覚えていた。

 「いえ。"揚刃"に乗っているときは、機械が助けてくれるので望みの方向に念波を飛ばせるんですけど。何も付けていないと、能力はとても気まぐれになってしまって。意思では制御出来ないんです」

 意思で制御できるくらいなら、自分がこんな風になることはなかっただろう――と、素子は胸中で付け加えた。

 「そう……なのよね。いや、他の人達に聞いたみたことあるんだけど、やっぱりだめだったのよね」

 素子に頼ることは諦め、マリイは声をいっそう大きく張り上げた。

 「いませんかー!?」

 それと同時に、握りこぶしをドアに叩きつける。しかし、数秒の後にも、あるべき反応はなかった。

 「変ねぇ」 

 いっそう不可解さを感じたらしく、マリイは腕を組んだ。

 そして、何か結果を得られるとは期待していなかったのだろうが――マリイは気まぐれにドアノブを捻った。

 そのことが、状況を打開した。

 鍵はかかっていなかったのである。ドアはすんなりと開いた。 

 「あらまあ……無用心じゃないの」

 中から何か重いものが投擲されるということもない。いたって平和である。

 「入りますよー?」

 マリイが構わず部屋の中に進んでいく。素子も、仕方なくそれに従った。

 入ってすぐに、一番大きな部屋がある。その部屋の隅には、ベッドが一つ置かれていた。それを見て、マリイは得心したようだった。

 「何だ、眠ってたの。千里ちゃん」

 それを聞いて、素子は驚いた。

 ("ちゃん"って……ひょっとして女の子なの?)

 あの操縦の巧みさを考えても、彼女が少女だというのは、素子にはちょっと信じがたかった。もう少し、恐ろしい人間を想像していた。

 もっとも、素子自身も幼くはある。また、今寝ている彼女は、人格だけが恐ろしいということもありうる。

 可能性を比較する時間はさほどなく、素子はそのベッドを覗ける位置に来た。

 やはり、どこからどう見てもそれは少女だった。

 (この子が、あんなふうに戦闘機を?)

 その疑問が沸かないはずもない。

 千里という名の少女は、とても穏やかな表情ですやすやと寝入っていた。素子と同じように、訓練の疲れがたまっているのかもしれない。髪はポニーテールの形を保って胸の上に敷かれている。呼吸とともに、その髪がゆっくりと上下している。髪を解いていないということは、ちょっと横になっている内に本格的に睡眠に突入してしまったのだろう。

 何より印象的なのは、その少女が自分より確実に年下だということだった。ほとんど、高校生か――下手をすると成長の早い中学生にも見える。どこか、他人の愛護を求めるような無邪気さが、全身から発せられていた。

 素子が観察を止めないうちに、マリイは千里の肩に触れた。軽く揺り動かし、再度目覚ましを試みた。

 「千里ちゃん、起きてくださーい。オペレータのマリイよ……」

 「うぅん? むう……」

 はんぶん、寝言じみた意味不明な言葉を放っていた。ちょっとの間、千里は苦しげにもがく。

 だが、やがて瞳を開いた。眠たげに目を擦っていたが、本格的に覚醒したに違いない。不思議そうに、素子とマリイを交互に見比べている。そのまま、ぼんやりとしていたが――ある時、ふと状況を察したらしい。

 「あ、あの。ごめんなさい、マリイさん! 来ることは分かってたんだけど、つい寝過ごしちゃって……えへへへ」

 ちょっと恥じらいを匂わせ、千里は頭を掻いた。ごく普通の、女子学生の態度に見える。素子のように性格を一定の方向に矯正されたということは、窺える限りではないようだった。  

 「いいえ、構わないわよ。あれだけ激しく戦えば、疲れもたまるだろうし」

 「あ、でもドア開けておいたんですー。入れましたでしょ?」

 千里という少女は、ひどく快活に言ってのけた。底抜けに明るい。素子が、ちょっと出合ったことのないタイプだった。

 素子が所在無く立っているうちに、マリイが言った。

 「さ、予定を解消しましょうか」

 マリイは、屈めていた腰を上げる。そして、素子の存在を手のひらで指し示した。

 「紹介しますね。こちらが、新任の来須素子上等兵で――」

 今度は、千里の方に向けて同じようにした。

 「こちらは、同じく上等兵の仁尾千里さん。たしか、まだ高等学校を終えていないのよね?」

 「はい! ぜんぜん行けてないですけど。あははは……」

 瞳にかすかな影を落としつつ、千里が言った。

 模擬戦闘での一応の勝者として、先に話しかけるべきかと考えて、素子は口火を切る。

 「あなたは、もう実戦に参加したことがあるの? 千里さん」

 それは素子が気になっていたことであった。実戦というものの感覚を知っている知り合いを、増やしておきたかったのである。

 すると千里は、月のように丸い瞳をこちらに向けた。ソプラノで言葉を伝えてくる。

 「いいえ。わたしも素子さんと同じです、新任ですー。入隊したのが、少し早かっただけで」

 「ああ、そうだったの……」

 素子は軽い失望を覚えた。だがそれで彼女との用が終わったわけではない。少なくとも、これから彼女とは協力して戦わなければならないのである。いわば、彼女は戦友となるべき少女だった。 

 そんな素子の思考には気づきもしない様子で、千里は続ける。

 「でもわたしの操縦、上手だったですよね、素子さん? わたしは負けちゃったけど……ひょっとして楽勝でした?」

 対抗心も嫉妬も感じられない。少女はただ、純粋な興味に任せて聞いているだけらしかった。

 能力者の性格についての理論に、初めての反例が加えられたこととなった。それを素子は半ば喜び、そして半ばは安堵していた。

 (それはそれとして……楽勝、どころじゃなかったわね。この子の操縦は確かに荒削りだけど、それでもほとんど余裕はなかった)

 ツルの首のように細い千里の鎖骨を、虚ろに眺める。

 (でも、もう少し余裕があってよかった。そう言えるんじゃないの、来須素子?)

 終わったことをつい思い出してしまう。未来のことを案じているならば、それも仕方ないのだが。

 千里が不思議そうに返事を待っているのを見て、素子は気を取り直した。ごく普通の精神状態を装って答える。

 「そんなことは……ない。ぎりぎりとは言わないけど、楽勝ってこともない。それに私は、女子高生の時まだ普通の子達と同じ生活を送っていたもの」

 頭痛が原因とはいえ、実際はぎりぎりの辛勝だった。しかし、実戦では何が理由であろうと敗北は敗北で、それは死と不可分に繋がっている――。

 (また考えている、こんな時まで。止めなさい)

 前髪を払うかのように頭を振り、そして素子は言った。

 「当然、早く始めたあなたの方が伸びるってことがあり得る。と、私は思うわ。千里さん」

 すると、千里は唇を弧状に伸ばした。それは新月を終えたばかりの三日月のようにも見える。ポニーテールが、彼女の体とともに跳ねた。

 「そうですか! よかったあ……それなら一緒に戦えますね、素子さんっ。これから、よろしくおねがいします!」

 小動物のように俊敏に、千里は小ぶりの頭を下げた。

 彼女の無邪気さに毒気を抜かれ、素子はしばし暗雲を晴らす力を得た。こちらも、精一杯彼女に微笑む。

 「よろしく。一緒に頑張りましょう」

 「はいっ!」

 戦いを告げる軍靴の音が、どこからともなく響いてくるのを感じていたが。

 二人は今は、ともに戦う決意として握手を交わした。


 急速な戦場の風は、二機の戦闘機に切り裂かれるが。それは勢いを増しては、再び寄せ返すという有様だった。

 電子回路のように、様々な光跡の飛び交う大都市『首都』。夜闇に輝く大建築物群の上空を、彼女たちはあらん限りの速度で疾駆してゆく。美しく光を放つ羽根のように。与えられた使命を果たす、忠実な兵器を演じるために。

 「こちら第五戦隊、来須! 仁尾上等兵とともに、都庁街上空に到着しました。状況は……」

 無線を用いて、素子は八峠谷基地と交信していた。無論、相手はオペレータのマリイである。

 『そちらのいる位置を把握……二人とも、そろそろ接触するわ! 視覚では見えないように、何らかの光学迷彩を施しているけれど。あなたたちなら問題ないはず』

 声だけで、彼女が焦っていることが窺える。

 それも当然だった。新兵の初陣をサポートすることになるのだから、死なれては困るという気持ちがあるのだろう。

 むしろ、焦っているといえば素子のほうがよほどそうだった。

 『どうやら、いつも通り――偵察型"SNIFFER"みたい。その数は少数……二十に満たないわ』

 本部の大出力レーダーよりの情報が、口頭で伝えられる。間もなく、それがコックピットの画面にも表示された。

 数十キロ先を示す領域に、赤い点がいくつも輝いている。それらはいまだ東方海の上空にいたが、こちらと遜色ないスピードで首都に侵入しようとしていた。

 『二人とも、そろそろ念子管制機構を起動して。敵が来るわ』

 「了解」

 『了解ですっ』

 素子と千里が、ほとんど同時に返答した。

 

 素子が千里と戦ってから、まだ三日と立っていなかった。しかし、共に戦場を駆ける機会が早くも訪れたのである。『首都第五戦隊』の残りの二人は未だ調整中らしく、同行していない。そもそも、儀式も事務手続きもまだ行われていないので、第五戦隊というのは実際はまだ存在していない。ほとんど確実にそういう名前の隊になるという理由だけで、一応彼女らは第五戦隊と名乗っていた。

 まだ命令系統に組み込まれない二人の新兵。それなのに出撃命令が下ったのは、ちょうど軽く殲滅できると考えられる敵の小集団が侵入してきたからだった。

 ようするに、お手並み拝見のよい機会と見做されているのである。誰にということではなく、ナギナタに関係する全員が二人の戦果を見ているはずだった。

 天地開闢以来、比較の対象を見出すことのない圧倒的な戦闘能力。それを持つ空軍集団には、なかなか新兵が加入することはない。それこそ、軍艦のような莫大な値の買い物をするのと同じ頻度なのだ。そう頻繁に加入が行われては、国の財政が破綻する。

 というわけで、素子と千里は適当に戦ってもいられない立場に立たされていた。

 (望むところよ。私の力を見せてあげる)

 素子は吼えた。咆哮の対象は全ての人々である。だが、特に槇島連隊長に向けていた。図らずも、彼の言葉どおり緊急発進することになったのだ。おそらく、彼は特に注目しているに違いない。絶対にへまをしてはならなかった。

 (行くわよ……)

 素子は、壁に収納された二本のコードを、それぞれ両手で引き出した。

 「念子コード接続!」 

 確認の声出しとともに、彼女はそれらのコードを電子兜に挿入する。それに対し、兜は器械的な反応を示した。兜の内側、二つの部分から小さな金属の棒がせり出す。それらは、彼女のこめかみの部分に空けられた、人口の接続孔に進入した。

 とたんに、大脳から念子と念波が洪水のように溢れ出す。機会の制御により、それらは適切な量と指向性を与えられ、行くべき場所へと発散していった。

 たちまち、正確な空間情報が捉えられる。それが、直ちに脳内と画面上に再現された。しかし、やはり画面を眼で見る必要はない。

 戦闘機と自分が一つになる時。彼女は、爽快さを感じるのだが。

 それを差し引いてもなお、今夜は恐れが眼前に漂っているのが分かる。

 (だから何だって言うの。あなたは戦う。例え何が起こったとしても、戦うことだけはして見せる。そう決めたはず)

 勇ましい言葉の数々を想うが――それに反して、素子は身をちぢ込ませた。

 未来予知が始まったのである。その動作が開始された直後は、特に脳の負担が激増する。そのため、素子にとっては頭痛が避けられないのだ。

 やがて痛みと共に、様々な情報が生み出され、そして供給され始めた。

 敵が現れるのが、まず捉えられる。

 敵はたまたま、人間の視角で捉えられる姿をしていない。果たして、それに実体というものがあるのか――そこまで考えて、素子はぞっとした。実体がないとしたら、それは幽霊ではないか。

 実際には、それらの物体は形を持っていた。

 視角では捕らえられないのだが、念波にそのような制約は無効である。

 (何であんな形で飛べるんだか)

 念波によって察知されたそれは、非常に奇妙な形をしている。恐怖心をあおらないために、一般人にその姿が公開されることはないので、素子がそれを見たのは初めてだった。

 アーモンドを縦に二つ重ねたような、明らかに動力を保持する物体。アーモンドの皮の部分は格子状になっている。もし透明でないとしても、その奇妙な飛行物体の向こう側の空間が見通せるだろう。

 格子の中は何もない空間で、まるで牢屋のようにも見える。牢屋の中には、人の変わりに更に丸い球体が浮かんでいる。球体は宝石のように輝いていた。それが何なのかはさっぱり見当がつかないが、感覚的には飛行物体の核にあたる部分ではないかと思える。

 やたら幾何学的で、抽象的な芸術作品のように見えた。とても、それが侵略の尖兵となるべき存在とは思えない。

 (ちょうど30秒後……ね。望むところ)

 脳の震えを抑えるように、素子は奥歯をきつく擦り合わせた。ぎりり、という嫌な音が鳴る。不快な響きも、まだ我慢できた。それが体の震えを抑えてくれるならば。

 強がっていることは否めなかった。強がりでもしなければやっていけない。緊張に押しつぶされそうだった。

 『素子さん、聞こえます?』

 耳のレシーバーから、千里の声が聞こえてきた。

 「聞こえる」

 『なんか、さっきから顎がガチガチってなるんです……素子さんは平気です?』

 「雑談は厳禁よ、千里さん」

 素子は一応、軍規に忠実な釘をさした。しかし、結局はその雑談に応じる。そうでもしないと、気が狂いそうだ。

 「でも、私も似たようなものね」

 『うぅー、素子さんでもそんなになるですか』

 幼い狼のような唸り声を、千里はあげた。妙にそれが愛くるしく聞こえて、素子は苦笑する。

 「けれどね。会敵寸前に雑談していられる神経があるんだから、あなたはどうにでもなるでしょう。きっと、他のナギナタが全滅しても、あなたはひとりで雑談をしているんじゃないかしら」

 『えへへ、そんなことないですっ』

 素子の言葉を純粋な褒め言葉とうけとったようだ。素子にとっては、うらやましい能天気さである。しかし、千里でも内面では緊張しているに違いない。

 言葉の端々が震えているのだ。

 「仕方ないでしょうね……」

 素子は、共感を深めるように呟いた。

 『へ、何か言いました?』

 「いいえ。そんなことより、そろそろ敵が来るわ。それほど強い種の敵ではないようだし……正面から突っ込みましょ、千里さん」

 極めて簡単な作戦計画を、素子は急いで述べた。すでに接敵まで十秒を切っている。肉眼では把握できないが、敵が透明でないならばもう十分見える距離なのだろう。

 千里も、急に焦りを取り戻したようだった。

 『分かりましたっ』

 臨場感あふれる一拍を挟む。そして、素子は声高に叫んだ。

 「突撃っ」

 

 "侵略者"――実際に展開されている人類への攻撃にちなみ、彼らはほとんどそのままの名称を与えられている。

 全ての始まりは、二十年ほど前のある平凡な日だった。従来と比較して、人類は当時平和な道を歩みつつあったのだが。

 命を削って原動力を生み出さねばならない血戦の嚆矢が、再び放たれたのである。

 東方海上のエヴァル島外宇宙科学研究所の大規模観測機が、月面に程近い空間に異常な時空間の歪みを検知した。当初、それは巨大な質量の出現によるとしか考えられなかった。

 事実、その推測は真実ともいえた。しかし、その後何が起きるかを想像しえたものはいなかったろう。

 機械の大群なのか、それともある種の群生物か。まったく見当が付けられなかった。

 外宇宙からの侵略者と思われる集団が、時空間の歪みから出現。月面に拠点を築き、地球に向かって侵攻を始めたのである。とはいえ、進入から実際の侵略が行われるまで、いちおう数年のブランクがあった。その原因は、彼らは大気という障害の存在を知らなかったことだと現在推測されている。

 その言い方が正しいならば――彼らはやがて障害を克服した。その後は、容赦のない暴虐に世界各地が見舞われることとなる。

 奇妙かつ精巧で、美しいとも言える姿をした飛行体の群れが現れた。それらは、神によって使わされた超自然的な使者――すなわち天使のようなものと勘違いされることもあった。しかし実情はまったく別であった。それら飛行体によって、都市への猛爆撃が開始されることとなる。

 飛行体の特筆すべき特徴は、その圧倒的な火力である。

 不気味な侵略者に立ち向かうため、数々の戦闘機が戦場に赴いた。しかし、レーザーや粒子弾、さらには地球の言葉で言えばミサイルともいえるような種種の攻撃を、飛行体は異常とも言える量で吐き出してくるのである。飛行体一機で、既存の戦闘機部隊の一個連隊が、戦場到達と同時に壊滅させられる。そんなことが日常茶飯事と化していた。

 人類側の兵器には、あまりにも防御力や回避力が足りない。それらを身に付けた繊細な兵器を創り出すのが、人類の急務となった。

 やがて、世界の頭脳を司る人々によって数々の思考、提案、研究、開発が行われる。その中でも最有力だったのが、念子管制戦闘機、すなわちPsychiumControlFighter"PCF"だったのである。

 全ての始まりから二十年の歳月が流れた今、地球の平和を護るにはほとんど一条の光のみが残される状態となった。

 その光とは、"航空防衛機制ナギナタ"より他ではありえない。

 徐々に狭まってくるがいまだ潰れてはいない希望に、全人類の期待が集中していた。達成されるか否か分からない、先の見えない希望であったとしても。

 彼女は今、初めてその希望の声に答えたということになる。

 直接に、である。

 『人類は、侵略者に抵抗する苦難の戦いを繰り広げ――』

 それが自分の発する声だという事実には、どこか現実離れしたところがあった。

 そもそも自分の肉声は、莫大な音量以外はそれとほとんど同一の声によって、耳に到達する前にかき消されてしまっている。

 よって、素子が聞くことができたのは、屋内閲兵場に響き渡る、再現された自分の声だけだった。一度、機械を潜り抜けているせいか、ちょっとハードボイルドな声に聞こえる。

 (やりにくい……ったりゃありゃしない)

 小学生いらい封印してきたと思ってきた感情が、霧のように掴み所なく生じてくる。単なるいらいらと、そして自分自身から眼を背けたくなるような羞恥心だった。体を余計なまでに締め付ける軍の正装もまた、神経を逆なでする要因だった。

 (光栄なことと分かってるけど。できれば帰りたいわ)

 引き篭もり、と同級生に罵られた不愉快な思い出が蘇ってきた。小学生か、中学生のころの記憶である。孤独のあまり、素子は人前に出れなくなるほど病んでいた――そういう時期を経験したこともあった。

 が。

 経験とはいっても、何か得るものがあったとはとても思えない。はっきりと思い出すのもいやだった。

 なおさら、逃げ出したくなる。

 しかし、それが適わぬ願いだと素子は重々承知していた。ならば、今は我慢するしかない。観覧席を取り巻く数千の一般市民や報道陣を前に、逃げ出すことが出来るはずもないのだから。

 ここ、八峠谷閲兵場では、稀にしか行われない大規模な式が行われている。

 新兵が始めて達成した戦果――単機あたり十体の敵を殲滅という、熟練の兵にとっては日常的なスコアにすぎないが――を祝うため、というのが儀式の一つの理由である。

 もう一つは、新たに設立された戦隊を激励するという目的だった。第一区第五戦隊、すなわち首都第五戦隊の四人が、この場に召集されている。

 むしろその四人が、この儀式の主役なのである。素子も、その主役の一人というわけだった。

 テニスコートほどの面積にも達しようかという巨大なスクリーンが、会場全体から見渡せる位置に掲げられている。半ば紅みを帯びた自分の顔が、巨大化されてそれに映し出されているのには閉口せざるを得なかった。ともかく、そちらの方を素子は見ないようにする。彼女は、公衆の面前で姿見をチェックする習慣を持っていないのだから。

 『私たちの力で、この地球を平和に導くことを宣言し、着任の挨拶とさせて頂きます』

 手にした原稿の内容を、なんとか読み終える。つかえた箇所もあるが、衆人環視の中でこれ以上流暢に話せるほど、素子は洗練されていなかった。

 その上、文面はマリイにおおよそ考えてもらった代物である。

 『けいれえええぇぇぇいッ!』

 突如、放送から叫び声の指示が下った。

 と同時に、式場のほぼ全員が右手を上げ、手のひらを地面に向けながら額に当てる。ものすごい数の人間が一斉に行っていた。そのため、衣擦れの音が爆撃音のように増幅されて聞こえた。

 素子も、命令に従い敬礼を行う。舞台の壁の上に掲げられた、のしかかってきそうなほど大きいナギナタの紋章旗に向けて。

 (はあ……)

 辟易としながらも、なるべく毅然とした表情を保つ。その後、頃合を見計らって舞台から降り、素子は席に戻った。転んだり、足がつっかかったりするのを防ぐのに、彼女は必死だった。

 (これだけの人を、よく集めたもんね)

 素子は呆れると同時に関心した。それだけナギナタに関係する人間が多いということだろう。

 閲兵場の一階、参列者の席には軍関係の人間がこれでもかというほど召集されている。見たところ、オペレータのマリイなど四人に近しい者、そして槇嶋連隊長や国家中央評議会議長、王族などの重要人物が、最も前列に座っているようだった。

 そして、彼らと舞台との間に四人はぽつねんと座らされているのである。要するに、この場では四人が最重要扱いなのだ。

 『仁尾千里上等兵! 先日の戦闘で、来須上等兵と共闘し、敵偵察機二十機を撃墜っ。それでは、宣誓を願います』

 「はいっ!」

 放送の太く低い声と比べて、千里はやけに可愛い声で返答した。最も、彼女がそうしたくてしているとは思えない。どう考えても地声だった。

 あわあわした危なっかしい動作で、彼女が舞台へ上がっていく。緊張しているらしい。素子はそれを見送った。視線には、同情を含ませざるを得なかった。

 というのも、彼女は女子高の制服と思しきものを着ていたのだ。簡単に言えば、セーラー服にスカート姿である。セーラー服は軍服に近いと言えなくもなかった。だが、それでもどこか大事なところで彼女の認識はぶれているように素子は感じる。

 この儀式は軍の行事でもあるが、同時に一般大衆向けという意味付けもされている。よって、必ずしも軍服を着用する必要はなく、ただふさわしい格好で来いと通達があった。

 そういった私服を調達するための知識は、数年の軍隊勤務中、完全に失われてしまっていた。よって素子は、真っ白い軍の正装以外に着るものがない。

 しかし、セーラー服を着てくることはそもそも思いつかなかった。

 (現役女子高生なわけだし……理に叶ってないとは言わないけど)

 千里の服選びの苦悩を思い、素子はそれらが報われることを祈った。

 

 どこか場違いな雰囲気を漂わせて、千里の宣誓が終わる。しかし、儀式はまだ容赦なくスケジュールを消化し続けていた。

 次の名前が呼ばれる。

 『香坂神名上等兵!』

 呼び声と同時に、軍人が一人椅子から立ち上がった。彼女は、直前の二人とはまた違う服装をしている。

 ドレスだった。

 色はごく淡い青で、しつこい配色ではない。腰の部分に切り返しがなく、胸から裾まで流れるような縫い目が出来ている。上流階級のパーティでも、そのまま出席できそうな格好だった。

 立ち上がったせいで、肩まで達しない薄茶色の短髪が揺れる。それにはどこか、揺ぎ無い自負が宿っているように感じられた。眼差しにもそれと同じ、曇りなき誇りが篭っている。自分ほどこの場にふさわしいものはない、と彼女は無言で告げている。 

 実際に、彼女はこの場にふさわしかったろう。

 『共同撃墜数百五十、単独撃墜数三百っ。では、宣誓を願います』

 実に堂々とした様子で、彼女――香坂神名は舞台へと上った。

 実戦を幾度も潜り抜けると、このくらいでは緊張を感じなくなるのかしら――賞賛が半分、羨みが半分で素子は思った。

 自信に溢れてはいるようだが、一方で彼女は厳格な表情を崩さなかった。人を寄せ付けがたいような雰囲気をふりまいている。それは、戦争の厳しさに由来しているのかもしれない。

 寸刻もたたずに、神名の鋭い眼差しがマイクの向こう側に現れた。

 『御機嫌よう、皆様』

 一言を告げる。そして神名は、優雅にドレスの裾を掴んだ。片足をさりげなく後ろに引き、軽くお辞儀をする。

 『アタクシの名は香坂神名――侵略者を滅ぼす、名誉あるお仕事を賜った者の一人ですわ。アタクシはそのことを幸運だと感じています。この場にアタクシを導いてくださった皆さんに、心よりの感謝を』

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、彼女は高慢さをちらちらとさせていた。それにもかかわらず、どこか聴衆を納得させる気品も兼ね備えている。

 数日前、素子は彼女と始めて顔を合わせた。詳しくは聞かなかったものの、彼女はどこかの大財閥の娘らしい。しかし、かといって箱入り娘のような人格ではない。むしろ、彼女は積極的にナギナタを志願したのだという。

 (ご苦労なことね……)

 嘲る理由もなく、労苦をいたわる気持ちで神名に眼差しを注ぐ。

 五分ほどの宣誓の辞、そして敬礼が終わると、神名は行きと同じ調子で席に戻ってきた。

 特に間をおかずに、放送が更に式を進行させた。

 『次は……共同撃墜数百五十、単独撃墜数三百五十の、二之宮正代戦隊長! 宣誓を願います』

 戦隊の中で、最後に残された人物が、椅子から立ち上がる。最後であるという事実と、戦隊長という地位の特別さが会場にもう一風の新鮮な興味を巻き起こした。興奮したようなざわめきが、聴衆から起こっている。

 先行するどの三人とも異なり、二之宮正代戦隊長は着物を着用していた。桜の花びらを象った模様があしらわれている。

 そして、暗闇を髣髴とさせる長く黒い髪。控えめかつ鮮やかな色彩の上を、冷たい夜が横切っては揺れている。きな臭い戦争とは程遠い、風光明媚なイメージを喚起させる女性である。

 表情をポーカーフェイスと微笑みの半ばに保ち続けていた。それは、多種多様な群集に向けるには最大級の愛想である。

 彼女は、やがて舞台に上った。

 『首都第五戦隊の戦隊長を拝命しました、二之宮正代と申します』

 お見合いにおける自己紹介のように、柔らかな調子で正代は話した。深々とした辞儀の後、彼女は蝶のようにゆっくりと上体を元に戻した。

 軍人には不要としか思えない、植物の茎のようなたおやかさすらにじませている。

 (ひょっとして……? いえ、まさか……)

 そのとき素子は、恐ろしいことを思いついてしまった。

 軍上層部、というより男である槇嶋連隊長のウケが良いために、彼女は隊長になったのではないかという疑惑だった。正代の古風な感じは、連隊長のそれと合致している。連隊長が好色かどうかは、さらに考えてみる余地がありそうだった。その上、そもそも正代は男性全般に好まれそうなタイプの女性といえる。

 (ほんとにそうなら……女を馬鹿にしているとしか思えないわね)

 もし真実ならば、許しがたいことだった。素子は、自分を含めた全女性に対する義憤を感じる。

 しかし、素子の思案は全く無意味であった。そのことが、即座に証明されることとなる。

 『皆様にお守りいただき、また皆様と皆様の地球を防衛するに当たって、我が覚悟をお目にかけましょう』

 正代のその一言には、真に迫ったただならぬ意思が感じられた。

 刹那、彼女は着物の肩口に手を伸ばした。目にも止まらぬ俊敏な動きで、自分の背中から何かを取り出す。先刻までのゆったりとした動きは、嘘のように霧散している。麗しい武人のように、無駄のない動きで腕を前に突出した。

 (あれは!?)

 素子は愕然とした。会場にいる人々も同じ気持ちなのだろうが、それを感じ取る感覚器官が麻痺しているようでもある。

 長大な剣を、正代が片手で易々と掲げ持っている。とんでもない膂力である。剣の刃の部分に光が当たり、反射光を四方に飛ばしていた。

 その剣呑な武器を、正代は着物の背に隠していたらしい。

 『天平の古より、我が家に伝わる秘剣でございます』

 少なくとも法に抵触しているに違いないという事実に、彼女は罪悪感のかけらも見せない。それどころか、観衆の驚きすら理解することを拒んでいるようだ。

 やがて彼女は、剣を持つ右手を背中と共に大きく後ろへ反らした。中腰になり、左手を前方へまっすぐに向ける。

 (一体、何をするつもりなの?)

 正代の行動は、素子の疑問を即座に解消した。

 『イヤァーッ!』

 閲兵場の天井を突き破るかのような、鬼気迫る咆哮。

 それとともに、正代は片足を踏み出した。手にした剣が、雷光のような凄まじい速度と威力を秘めて空間を薙ぎ払う。

 剣閃を終えて、正代はしばし動かなかった。

 変化を期待する群衆に答えるかのように、ふと正代のすぐ前方で何かが宙を飛んだ。

 花束――正確に言えば、花束の散片である。長剣は、飾りとしてそこに備えられていた花束を切り裂いたのだった。

 永遠とも思える沈黙の後、正代は剣を背に戻す。そして、以前のようなゆったりとした調子で、膝を屈める。

 自分で切り裂いた花の残骸を、一つ一つ拾い集めているのである。戦死者の骨を拾うかのような、哀悼さが漂っている。

 彼女は、いとおしげに花を抱いた。

 『この花は、我が家の庭の肥やしといたします。そして、いま一つのお誓いをいたしましょう』

 すっかり穏やかな声音に戻って、正代は囁いた。その花だけでない、誰かの死を悼むように。

 『私の眼の黒いうちは、決してこの花より他に犠牲を出さぬこと。そして、そのために全身全霊をもって任務に当たることを』

 正代の言葉は、たゆたう波のように閲兵場を覆い尽くした。

 花を片手で抱えると、彼女は放送の指示を待たず敬礼を行った。すると、慌てて放送がそれに続く。流石に、この光景に面食らってタイミングが遅れたのだろう。

 『け……敬礼っ!』

 人々が慌てて敬礼を行うのをよそに、素子は唖然として口を半開きにしていた。が、機を逸しそうになっているのに気づき、敬礼を行う。

 (なるほど――)

 素子は感じ入ると共に納得した。

 (こういう人だから戦隊長になってるわけか)

 声には出さず、槇嶋連隊長に謝る。素子は、連隊長に対して初めて素直な気持ちで謝ることができた。

 

 儀式は短くなかったが、結局は夜中になる前に終わりを告げた。

 最後に待っていたのは、戦隊の四人を一箇所に集めることだった。それには目的がある。どうやら報道陣によるインタビューや、写真撮影などが行われるようだった。あまり気乗りはしないものの、逃げ出すわけにもいかない。素子は大人しく、目立たなくしていようと努めた。

 「わっ、テレビカメラっ! 本物ですー!」

 「ええそう。もう少し距離を取ってからお撮りなさい。そのほうがあたくしは細身に写るっているでしょうから、ホッホッホ!」

 「まあ、恥ずかしゅうございますわ」

 「……」

 フラッシュや質問の嵐が吹き狂う中、素子の目論見はそう上手くはいかなかった。千里、神名、正代、彼女ら三人はそこそこ適応しているように見えるが、素子はやはりそつに振る舞うことなど出来ない。彼女は、れっきとしたあがり症なのである。

 不機嫌そうに押し黙っている素子を、インタビューのチャンスと見たのだろう。また、ゆいいつきっちりした軍装の素子を一番の常識人と察したのかもしれない。ともかく、一人の記者が素子にマイクを押し付けてきた。

 「来須さん。あなたのお父様は念子管制技術の開発者、来須博士だそうですね!? それについて何かお話をいただけませんか? 例えば、お父様のかつてのご様子とか」

 素子は、即座に答えられずちょっとうつむいた。

 (そんなこと、何であんたに言わなきゃいけないの……)

 文句を言おうとするが、どう切り出してよいものやら分からなかった。そうきっぱりと撥ね付ける勇気が素子にはなかったのである。

 答えの句を熟考しているように思われたらしい。素子の言葉を聞き取ろうと、多数の記者が一斉にマイクやらボイスレコーダーやらを向ける。針のむしろになったような気分を、素子は味わった。

 返答に窮していると、神名が横から助け舟を出す。

 「あら、記者のみなさん。素子さんよりも、アタクシの出自を尋ねるのが先決なんじゃなくって? アタクシが香坂コングロマリットの社長令嬢であること、知らないとは言わせませんことよ」

 自分が目立とうとしているかのように、神名は言った。実際には素子を助けようとしているのが、よく分かる。神名の眼の下が、普段よりも癇に障ったかのように引きつっていた。

 しかし、神名の言った事実はすでに誰でも知っていることであるので、記者たちは興味の対象を変えようとはしなかった。せいぜい何人かが、申し訳程度に神名に目線を送るのみ。

 「来須さん、ぜひ一言お願いします!」

 「そうですよ、お父様にとっても名誉なことじゃないですか。実の娘さんが、自分の研究を体現しているわけだから、こんな偶然は――」

 素子は、怒りに震えながらも返事をすることが出来ない。

 (お父様は……無責任なんかじゃない。絶対に、何か理由があるだけ。それなのに……!)

 遠まわしに父親の行動が揶揄されていることは、会話の機微を持つ者になら明らかだったろう。そのことに、素子は耐えられなかった。

 いよいよ、何か言わなければならないというときに至ったが――。

 「控えなさいっ!」

 記者たちのざわめきを、突如叱り声がかき消した。弦楽器を奏でたかのような、怜悧な声音。それでいて、思わず肩を飛び上がらせるほどの声量を伴っている。

 一同は、声の主である女性――正代の方に振り向いた。

 「いくら質疑応答の場とはいえ、お亡くなりになった肉親のことをお尋ねするなど無礼千万! あなたがたには想像力というものはないのですか。彼女がお父上のことを受け止めていらっしゃるのに、それを擾乱しようというのですかっ」

 一瞬にして、記者たちの興奮の波が引いていった。入れ替わりに、気まずさが空間を支配し始める。

 誰も正代に答えられないでいるので、彼女はこれぞ好機とばかりにとどめを刺した。

 「答えられぬのなら、私たちはここでお別れするのがよろしいでしょう」

 それ以上何も言わず、正代は記者たちをそっと見つめた。この程度の連中には、眼力を用いるのももったいないとでも言いたげに。

 また真剣を振り回されることを恐れたのかもしれない。

 記者たちは慌てて道を空けたので、正代はそこを通り抜けていく。三人も異論なく彼女に付き従った。

 屋外には、すでにナギナタのヘリコプターがある。彼女らを基地へ帰還させるため、待機しているのだった。そこに向けて歩みながら、素子は同僚に話しかけた。感謝を示す他に、言うことはない。

 「神名さん、正代隊長……あの場を取り繕ってもらって、すいませんでした」

 二人は、特に尊大さを見せるでもない。自らの有する調子を崩さずに、感謝を容れた。

 「何を野暮なことを言うの、素子さん。あたくしたちは、どうせこれから嫌でも助け合うことになるんですわよ。いちいちお礼を言っていたらきりがないとは思いませんこと?」

 短髪を軽やかにはためかせながら、神名が言った。正代がそれに答える。

 「私もそう思います。あなたのお気持ちを大切になさればいいのですよ、きっと。本邦の文化は、はっきりと思いを口に出すことを尊びませんしね」

 舞い散る花びらのような微笑を、正代は素子に送った。 

 「そう、ですね……」

 素子は深く感じ入りながらうなづいた。

 戦隊の中に結束が形成されたこと――それに気づかないものは、この場に居ないだろう。素子はそう思った。

 その時、さっきから黙っていた千里が三人の前に走り出た。顔が、にこにことした感情に彩られている。


 三人はわけがわからず、千里を見やった。

 「?」

 何か我慢が出来かねるとでも言うように、千里は体を一振り震わせた。その上で、急いで言い始める。

 「あのー、みなさんっ。」

 「どうしたの?」

 「そのー、よかったら、もう名前に"さん"を付けるの止めにしましょうよ。っていうのも、その――さんつけてるとなんだか話しにくいですし」

 千里は笑みを押し隠しながら、手を後ろへ回した。だが、左右の足に交互に重心をずらし、体を振り子のように揺らしている。それを見れば、彼女がうきうきした状態でいることはかえって容易にわかった。

 正代がまず口を開く。

 「そう、私はよろしいと思いますわ。しかし……」

 彼女が言い終わらないうちに、神名が横から口を出した。

 「あなたの言いたいことは分かりますわよ。序列関係をぴしっとしろと言うことじゃなくて? 普段から馴れ合っていては、見捨てなければならないときにそうできなくなるかもしれない――そういうことでしょう、正代?」

 「その通りです。理解いただけるなら話は早いのですが。特に私の場合は、皆さんに命を投げ出すことを要求するということが実際にありえます」

 流石に正代は笑顔のままではおらず、穏やかながらも神妙な面持ちになる。だからといって無意味に冷酷になることもない。彼女は告げるべきことを、実際的に告げていた。

 「日常と戦闘――そのつけるべきけじめをつけられるのならば、人間関係から壁を除くことに反対はいたしません。出来ますか、皆さん? 公私混同はお止め下さいませね」

 誰かが返答する間もなく、正代はなぜか苦笑した。

 「ふふ、そのけじめを一番つけ難い立場に居るのが私なのですけれども。しかしその程度の試練は引き受ける用意がございます。みなさんもそうでございましょう。それと蛇足ですが、友情を深めることも、戦闘時の緊密な連携に繋がることがありますゆえ」

 正代は精一杯の歩み寄りをしているのだろう。そこまでしか言えないのは、彼女の立場を考えれば当然のことだ。

 素子はそう考えている。結局、この隊長は良い性質の人なのだ。

 「隊長というのは、面倒な立場なのね。正代」

 「ご同情、謹んでお受けいたします」

 正代が丁寧に頭を下げた。

 「まあ、なんにせよ。アタクシもそうするのが良いと思いますわ。素子さん、あなたはどうお感じ?」

 神名が話しを振ってくる。

 素子は、かすかに首を捻った。どうしても、一瞬の躊躇は避けられなかったのである。

 (この人達は、私に似てる)

 彼女たちは、自分と異質ではない。素子には、そういう印象が特に強かった。

 しかし問題なのは、近しくすべき者への接し方が頭に入ってこないことだった。それを探すのはは、幾重にも重なった遺跡を一つ一つ掘り起こしていく仕事に他ならなかった。

 どうしても打ち解けることの出来ない他人の中で、素子は多感な時期を過ごしてきた。そう、彼女にとって友情とは、古代にのみ存在した束縛なき自由な芸術のようなものだった。時が過ぎることで、その味を忘れてしまうような。

 (あまり、寝付けないかもしれない。今日は……)

 しかして、素子は結局決断したのだった。

 「はい、私も是非。喜んで」

 素子は、えくぼを作ってみせた。余り慣れていなかったが、今はこんなところだろう。それ以上自分に望むつもりも、素子にはなかった。

 「では、そろそろ行きませんこと、素子。今日は女四人でいろんな本音をブチ撒ける、てことになってるんですのよ。それも、夜を徹してね」

 「もとい、戦友四人でございます」

 神名が――そして正代も、千里も、全員が素子の方に振り向いた。その目線は、もはや仲間に向ける包容なものへと熟してきている。

 「はい……いえ、そうね。行きましょう」

 「あぁ、よかった! これで気軽に話せますね、みなさん――あっ!?」

 千里が突然の悲鳴をあげた。

 「どうなさいました、千里?」

 「あのー、やっぱり私は……その……」

 「はい?」

 正代が、小学校の教師のように尋ねた。

 「みなさんは人生の先輩でもあるし……やっぱり、私は別の呼び方で……」

 「どんな呼び方ですの?」

 千里は頬を染めて俯いた。

 「えっと、その……お、お……」

 「お?」

 素子が聞き返した。千里がどうしたいのか、よく分からない。

 当の千里は、ほとんど耳まで真っ赤にしていた。ひょっとすると、先刻舞台に上がったとき以上の火照り具合かもしれない。

 限界まで膨らんだ風船に針を突き刺すように、千里はついに言いたいことをさらけ出した。

 「"お姉さま"て呼ばせてくださいっ!」

 真剣に告白するには、あまりにも滑稽な内容だった。千里は大真面目で言っているようだが。

 「ぷっ」

 我慢できなかったらしく、神名が吹き出した。吹き出すだけでは足りず、さらに本格的で激しい笑いを漏らす。口と下腹を押さえ、体をくの字に曲げていた。どうやら、神名の笑いのツボを直撃したらしい。

 正代と素子にも、ついに発作が伝染した。小刻みに笑いが生ずるのを押さえきれない。

 息も絶え絶えな神名が、必死に二の句を継いだ。

 「ええ、よろしいですわ。お好きにお呼びなさったらいいですわよ、千里」

 「や、やった……私、妹はいるけどお姉さんがいなくて……ずっと憧れてたんです! よろしくお願いします、お姉さまっ!」

 千里は、三人の方へ飛びついてきた。小鳥のように軽やかな動きで、体ごとぶつかってくる。三人で、それをやっと受け止めた。

 あの堅苦しい儀式の場でなく――今この場所から、首都第五戦隊は本当に誕生したのかもしれない。たんなる戦略的な単位ではない。揺り動かされ、また揺り動こうとする一つの集合体として、である。

 (私は、助けられてる……の?)

 目の前に突きつけられた事実を、ひと時でも忘れさせてくれる。そういう細やかな浄化作用を、戦友たちは素子にもたらすのだった。

 

 八峠谷基地、第九会議室――。

 真夜中へと差し掛かるこの時間帯、当直の軍人たちを除いて、基地全体が寝静まっているはずだった。本来ならば、会議室にも自然光はまったく降り注ぐことはないはずだ。

 しかし、常ではありえないことに。人工の光が、天井から室内を照らし出している。[以下、伏線にお使いください]

 

 女子高時代に、素子はまだどこか楽天的なところを残していた。

 それは、ごく普通の人々がごく普通に持っている考え方の一つだった。軍人たちに言わせれば、それはとても甘ったれた、当事者意識のない考え方ということらしい。

 あまり多くの不安を抱かなかったのは、素子のそうした意識のせいでもあった。自分の脳みそに異常が発見されたという時も、抵抗したいという感情はとりわけて沸かなかった――素子は、そのことを覚えている。

 (自分なんかどうなってもいい――とか、そういうこと思っていたのかしら。あの時は、自分が希薄になっていたし。孤立していて……)

 記憶は、その点についてはあまり定かでなかった。

 しかし、一方で鮮明な記憶もある。

 病院には、素子の父親がいた。というよりも、父が素子の脳の異常を医者として調べたのである。後で父自身から、彼は決して医者のようなことをやったのではないと聞いたのだが。

 ともかく、彼女の得意な能力はそこで初めて科学的な手法で調査されたのである。

 (忘れていない、わね)

 その時から、もう三年も経っている。まだ三年しか経っていない、というべきかもしれなかった。そこから生じる誇りと、それを失った苦しみとが、未だに融け去ってはいないのである。

 まだ十九歳でしかない素子は、布団の上でごろりと寝返りを打った。童心に返ったかのように、だらりと動き回る。

 (お父様……)

 

 「これまだ終わらないの、お父様」

 見ることの出来ない父に向けて、素子は不満を表明した。

 「後少しで終わるよ、ちょっと待ちなさい……ほら、終わっただろう。もう立ち上がってもいい」

 許可が出たので、素子はおもむろに寝台から立ち上がった。たったいま、竹輪のような形をした機械の中心を潜り抜けてきたところである。彼女は別にすることがなく、ただ寝ているだけでよかった。退屈なことだけが難点だった。

 素子は、特に立ち上がらないまでも上体を起こした。部屋の中を改めて観察する。いかにも複雑そうな形の機械が、自分が上に寝ているものも含めてかなり置かれている。脳の異常を検査するための部屋だという。

 父は、素子のすぐそばにいた。

 広くない部屋の、更に限定された部分にところ狭しとコンピューターをおき、画面を観察したりキーを叩いたりしている。検査の結果を出しているところだと思われた。

 ほとんど、不安などというものはなかった。

 脳の異常と検診された時は、流石にぞっとしたことは否定できない。しかし、すぐに思い直しもしている。

 不足の事態が起き、自分が病院に寝たきりにでもなるとして――そうなったところで、誰も素子の不在を悲しんでくれるものは居ない。少なくとも、学校には。

 そんな状態で、自分が実在していることに気づくことの方が難しかった。

 素子は、父の言葉を待つのを止める。寝台の上にまた寝そべった。自分がどういう表情をしているのか、それは分かっている。

 父に背を向け、素子は丸まった。

 (こんな顔……お父様に見せたくない)

 悲しかった。

 その時、父が何か言い始める。素子のほうを見てはいないようだ。

 「さて、大体の結果が出た」 

 口調は、別に深刻ではなかった。深刻だったとしても、父なら何とかしてくれると素子は思っている。なので、なおさら拍子抜けだった。少なからず、肩の力が抜ける。

 「先に聞いていい? 悪いところはないの?」

 「まだ許していないぞ……まあいい。簡単に言えば、別に悪いところはない」

 素子は、目立つように眉根を寄せた。

 だからといって、別に自分の病状などどうでもよかった。ただ、父と話したかっただけ。表情を作るのは、あまりうまくもない。

 「簡単っていうのは、なあに?」

 父は、すぐに答えなかった。

 何かを躊躇しているらしい。しかし、どこか普通とは違った。何か特別な根拠を、素子は見つけたわけではない。それでも、何かおかしい。

 躊躇すること、それ自体を躊躇しているような。

 「……どこも悪くないんでしょ」

 素子は再三確認した。  

 「悪くはない。むしろ……」

 そこまで言うと、父は黙り込んだ。膝に肘を付け、顎を抱え込む。何かを熟慮しているようだ。

 父は考えなければいけない。そのことを悟ったので、素子は口を出さなかった。

 (お父様は、賢いんだから。私が何か言っても邪魔なだけ)

 ただ父の正しいことを、彼女は根拠なく信じた。それが当たり前になっていた。そんな風になるのは、ずっとそうし続けたせいだけかもしれない。

 「素子」

 父はわずかに顔をもたげ、何かを言おうとする。喉元まで出掛かっているが、どうにも言い出せないといった様相である。

 「うん」

 糾問にさらされているかのように、父は再び顔を下に背けた。もう何も言わず、頭を抱えている。

 (そんなに、悩むようなこと?)

 素子は不思議だった。

 父はいつでも自信たっぷりなのだ。疑いを持っているようなことを、父はしない。それを知っていただけに、素子は不可解だった。

 と、父はついに続きを口にした。

 「お前は、ある場所で必要とされている」

 「場所?」 

 突然に意味の分からないことを浴びせられ、素子は聞き返す。

 「素子、お前――」

 ごくりと唾を飲み込んでから、

 「お前は――見えないはずのものが、何故か見えるという経験をしたことがあるんじゃないか。それも、かなり頻繁に」 

 その瞬間、素子の背筋に電撃が走った。

 誰も知らないはずの、自分だけで隠し通してきた事実。父がそのことを言っているのだということは、本能的に分かった。

 知られてはいけない。知られたとしても、理解されることのない。そういった事実。それが、初めて素子以外の人間に知られてしまった。

 「え……そ、それ……っ」

 言葉が出てこない。

 まったく何の句も思い浮かばない。

 知られなければ、ただ孤独でいるだけで済んだ。それはまだ耐えられる。そして、誰も知ることなく素子は生きていけるはずだった。

 一番知られてはいけない人に、それが知られてしまった。

 自分がほのめかしたことなど、一度もない。ならば父は、素子の異常な能力を科学的な視点から知ってしまったのだ。素子には思いもよらない方法で。

 であれば、それが勘違いが何かであるはずがない。

 父にも見捨てられる。

 (そんな……そんなっ!)

 気絶をもたらしそうな可能性が、素子の脳裏を横切った。

 「な、何言ってるのお父様。そんなことあるわけっ」

 「隠すな」

 父の大きな片手が、胴を離れた。それは、素子の頭に置かれるはずだったのだろうが――。

 道程の半ばを消化したところで、父の腕はぴたりと止まった。空中で、小刻みに震えながら静止している。 

 素子は、肺が詰まりそうになった。

 「……隠さなくていい。お前の持っているのは、とても特別な才能だ」

 父は、何事もなかったかのように語った。

 「それはな、信じられないくらい稀な才能なんだ。お前を必要とする人々がいる。お前には言ったことがなかったが、父さんはずっとそのことを――」

 またしても、父は口をつぐんだ。

 しかし、今度は再開するのも早い。

 「そういった才能のことを、研究してきた。父さんは医者ではない。ずっと嘘をついていたんだ、私は……」

 父の言葉は、聞こえてはいても意味が取りにくかった。

 素子の頭は真っ白になっていて、言葉を理解するのも一苦労だった。だが素子は、聞くべきことを見出した。唯一つ、必ず聞いておかなければいけないことを。

 「お父様。お父様はどう思っているの?」

 素子は、片足を踏み出した。越えてはならない壁を突き破るようにして、父に詰め寄る。

 彼女の肩が、父の二の腕に触れた。

 「お父様は、どう思っているの? そのことを……!」

 父は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。嘘をつき続けてきたということに、後ろめたさを覚えているのかもしれない。

 結局、父は答えた。

 「父さんはな――そのことを誇りに思っている」

 素子が予想していたのとは全く逆で――父は賞賛の言葉を口にした。

 「お前の力は、皆の役に立つ力だ。いや、それどころじゃない。皆を、社会を護ることの出来る力だ」

 父は、苦しみを祓うかのように力強い調子で告げる。

 「世界を護ることの出来る力だ」

 素子にとり、それはまったく脈絡のない単語だった。

 (世界?)

 素子と父の問題であるのに、どうして突然別のものが押し入ってくるのか。素子には理解できなかった。

 「お前のような人間が、必要とされているんだよ。誰もが必要としている。お前はそれに答えなければならないんだ、素子」

 父は、うっすらと瞳を潤ませている。父がそんな姿を素子に見せたのは、母が亡くなった時以来だった。

 「必要……」

 素子は、思わずかぶりをふりそうになった。

 実際にそうしなかったのには、理由がある。

 (父さまの、ばか……!)

 言いようのないほどの憎悪と、裏切られたことへの失望と。自分のような子供すら騙せない父親の浅はかさ――それへの愛しさ。

 父親は、嘘をついていた。そして、今でもついているのだ

 (最初から、私が父さまに逆らえる訳ないのに……こんな風に言われたら、もっと言うこと聞きたくなっちゃうよ……!)

 そして、何も変化を与えられない自分を、もどかしく感じる。

 無意味に、ただ父親に聞かせるためだけに、素子は言う。

 「私が?」

 

 素子は、のろのろとまぶたをこじ開けた。ほんのわずか、まぶたの筋肉を動かしただけである。

 それだけなのに、頭に居座っている鈍痛が、再び存在を主張し始めた。

 「痛っ!」

 痛みのあまり、神経が萎える。頭を支える力も失せて、彼女は枕に頭を落とす。

 しかし、何か感触が不自然だった。枕にしては、しっかりした形をもっている。少しクセがあり、どこか尖っているようでもあった。

 「え?」

 素子は、痛みも構わず枕を確認する。

 それは枕でなく、人間の乳房だった。軍服を身にまとった、正代の胸である。それを、自分の枕であるかのように勘違いしていたのである。

 痛みに朦朧とした頭でも、それが失礼にあたることくらいは瞬時に分かった。

 「あ、ご、ごめんなさい正代……じゃなくて隊長!」

 声が裏返っている。自分でも、情けないことこの上なかった。

 要するに、自分は正代隊長を枕に眠っていたのだ――素子は恥ずかしさに頬が熱を持つのを感じた。

 「構いませんよ、素子。昨夜の騒ぎでお疲れなのでしょう? もう少し、早く終わらせておいたほうがよかったかもしれませんね。監督不行き届き、隊長としてお詫び申し上げます」

 正代はしごく丁寧に頭を低めた。

 「いや、そんな」

 「よければ、もう少しお眠りになっても構いませんよ。人の重みをこの身で支えるというのは、案外心地よいものですし」

 正代は、ほのかな笑いを漏らす。

 「……もう、十分休ませてもらったわ。隊長」

 素子は、愚かな状態から脱出したことに安堵を覚えた。ほっとため息をつく。

 「お二方は、まだお休み中のようですよ?」

 正代が言った。

 見ると――確かに、神名も千里もぐっすりと寝こけている。千里は、比較的小降りの頭を正代の膝に乗せている。神名は神名で、素子の横で頭を垂れて眠っていた。

 気を利かせて、正代が告げる。

 「兵士さん。なるべく振動の少ない操縦でお願いいたしますね」

 注文することの代償としてか、正代は笑みを余計にサービスしたらしい。

 「はぁっ、了解しました!」

 兵員輸送ヘリのパイロットは、おっかなびっくり答える。ヘリの航行は、乗員に一層快適なものとなった。

  

 蒼く透き通った、宝石のような海原と空。それらはヘリの上からでも楽に見渡せる。本国の近海では見られない、牧歌的な美しさだった。

 前線に輸送されている最中でなければ、そんな風景をもう少し楽しむことができただろう。

 首都第五戦隊の面々は、南方海上にある前線基地への道を辿っていた。基地の所在地は、真丘諸島という火山性の島々である。

 侵略者が出現する以前は、その基地には戦略的な意味は大してなかった。周囲に目立った島も、大陸もないからである。

 しかし現在では、真丘諸島は侵略者の迎撃拠点として重要な役割を担っている。

 侵略者は、大海の中心部に巨大な拠点を築いていた。地球侵略の、まさに橋頭堡となるべき場所である。月から送られた敵の増援は、まず大気圏に突入する。

 宇宙空間におけるまともな戦力を一切持たない人類には、輸送途上に攻撃を加えることはほとんど不可能だった。 

 大気圏突入後も、敵は海上にうごめいていて、とても直接近づくことが出来ない。したがって、各国に配備されたナギナタは、もっぱら自らの国に向かう侵略者を水際で迎撃する戦術を取っていた。

 真丘諸島は、大海中心部と本国を結ぶ直線のちょうど中点に位置している。徐々に勢いを増す侵略者に対抗して、その島々に戦力の重心が移されつつあった。首都第五戦隊も、その戦力のうちの一つだったのである。

 入隊早々、慌しい配置の移動である。

 特に文句を言うつもりも、素子にはなかった。この程度の不条理はまだ生易しいものだということくらい、素子も知っている。ただし、だからといって落ち着いていられると言えば嘘になるだろう。

 かなり激しい戦闘になることが、すでに通達されていた。ほとんど毎週くらいの頻度で、侵略者の大群が押し寄せてくるのだという。あまりに危険なため、素子は従兵のワーリャを置いてこなければならなかった。彼女は捨てられた子犬のような顔をしていたが、どうしようもない。彼女を死線に連れ出すわけには行かないのだ。

 言い換えれば、自分たちは地獄の入り口に片足を突っ込みに行くのだ――素子はそれを、無感動に考えた。言葉はなく、生じたため息を喉元に留めおく。

 「――だから、ゆっくりできるのは、本当に今このヘリの中くらいですわ。まったく落ち着きがないったら、あの連中も……」

 神名の言う"連中"というのが、侵略者を指すのか、軍司令部を指すのか、素子には読みきれなかった。

 「神名、気が乗りませんか?」 

 「いいえ、まさかそんなこと。むしろせいせいしていますわ。侵略者を入れ食いに出来るんですのよ、スコア稼ぎの良いチャンスじゃありませんこと?」

 顎をつんとすまして、神名が言い放った。おそらく本当は、少し気が乗らないのだろう。しかしそれを差し引いても、激戦に赴くことをチャンスと捉える度胸というのは素子が持っていない力だった。

 「ひとつ――」

 素子は、言うまいと思っていたのだが――つい、口が滑ってしまう。神名が聞き返した。

 「なんですの、素子?」

 「その、ひとつ聞いていいかしら」

 「アタクシに答えられることなら、何でも結構ですわ」

 「えっと……神名は、怖くはないの? いえ、神名だけじゃなく、隊長も。なんだか、戦いに向うっていうのに平気そうにしているけど……」

 素子の体を通り越して、正代と神名が眼を合わせた。答えを考え合わせているようである。

 程なく、神名が答えた。大して感懐を込めるでもなく、淡々とした言い様だ。

 「アタクシが好きに言っていいのなら……そうですわね。少なくともアタクシは、人々から必要とされていることを知っていますわ。ですから……」

 細い顎をつまんで、神名は視線を海上に転じた。

 「それでマイナスの感情を散らしていますわね。いくらアタクシとて、別に平気なわけではありませんわ、素子」

 更に、正代が答える。

 「私には、責任があります。それはもちろん、全世界の市民の皆様に対してでもありますが――それと同時に、ここに居るみなさんの命も、私はお預かりしているのです。槇嶋連隊長などと比べさせていただけば、それも微々たる物とは分かりますが」

 正代の言葉には、どこか詩的な旋律が宿っていた。花の蕾に向けて囁くような。

 「これだけ身近に感じる、みなさんの大切なお命ですもの。自分勝手に扱うなどと、露ほども思えはいたしません」

 「……」

 素子は、言うべき答えを見失っていた。 

 (やっぱり……強い)

 自分の卑小さが、否が応にもくっきり浮かんでくる。時間の差があるとはいえ、素子のほうが軟弱であることは確かだった。素子は、胸が切り傷を負ったように痛むのを感じる。

 (私はまだまだ、ね……)

 

 首都第五戦隊が真丘諸島に到着して間もなく、そこへの侵略者の接近が確認された。腰を落ち着けることもできずに、四人のナギナタは再び翔ぶこととなった。

 夕闇に染まる大空を、四機の戦闘機がそろって突き進んで行く。

 前方には敵の大群が居座っている。彼らも、素子たちを包み込むように、散開しながら迫ってきた。

 マリイの声が、戦隊通信に加わった。

 素子は、マリイの支援を受けた初陣が遠い昔の出来事のような気がした。これだけ大規模な力のぶつけ合いは、流石に経験するのがはじめてであるせいだろう。

 『敵は、突撃型"ACCURST"がおよそ五十。少なくないですね……蓄積済みのデータから推察する限り、敵の武装は粒子砲タイプのみです。誘導性能はありませんが、油断だけはしないでください』

 と、千里の声が響いた。

 『大丈夫です、マリイさん。私、精一杯頑張りますっ』

 『私も同感です。みなさんも、死ぬ気の戦いぶりを演じ下さいますよう』 

 『十分、分かっていてよ』

 「了解。行きますっ!」

 素子は、"揚刃"を大きく右方へ旋回させた。他の三人も、それぞれの方向へ驀進していく。

 四機のPCFが一斉に動員されるという、相当に大規模な迎撃計画である。戦隊が創設直後であることを考えても、敵味方の数共に従来の最高レベルに位置していた。

 (負けはしないわ……死にはしない!)

 錐揉み回転を行っている、菱形を保った無数の飛行体――それらに向けて、素子は怒りと弾丸を共に叩き込んだ。

 

 二門の22mm機銃が幾万もの凶声を上げ、狩人のごとく仮借ない力を解放していく。

 傍目に見れば、弾を適当に撒き散らしているかのように見えただろう。しかし、狙いは定まっている。敵の正確な位置は、数秒後までは完全に予知できていた。であれば、敵が占めるはずの空間にむけて機銃を向ければいい。敵を撃沈させられないとすれば、それはひとえに機銃の性能の低さと、敵の装甲の分厚さによる。

 だが、撃墜されて飛行能力を失った飛行体も多い。その合間を縫い、まだ数多くの敵がこちらに殺意を向けている。それらを野放しにしておく趣味はなかった。

 (無駄よ、当たるはずがない)

 三方向から、一挙に青みを帯びた粒子弾が迫ってきた。しかし、避けられることは決まっている。

 (下下南東に針路を!)

 素子が命じると同時に、揚刃は忠実な機動を見せた。回頭し、間一髪のところで敵弾を回避する。粒子弾同士が衝突した。プラズマが、虚しく大気に拡散する。それらは常温の空気に溶かされ、ほんの一瞬で消え薄れていった。 

 動く方向を変えても、なお十以上の敵が素子に追いすがっている。敵は小柄だったが、その火力自体は揚刃を大きく上回っていた。三方向に分かれる粒子砲を、無尽蔵に吐き出しているのである。破壊力は普通の機銃以上で、着弾すれば戦闘機はおろか、巨大な建造物ですら一発で四分五裂することをまぬがれない。

 当然、慎重にもなる。

 予知した状況を丁寧に実現していく。細かい部分でのスピードや速度の調整が、予知によって明らかにされた未来を現世に生み出すのだ。

 託宣のようなそれに基づき、素子は一挙に加速した。

 移動する最中でも、小刻みに機体を上下、左右、錐揉みに揺らす。青い色の光を放つ粒子弾は、最初から何もない空間を狙っただけであるかのように、素子に近づくことはなかった。

 敵もさるもの、である。

 追いすがる敵が胞子のように拡散した。

 その十数体の動きは、完全な連携が取れている。揚刃に追いつき切れないことは承知で、火力による封鎖線を張ってきた。

 「ちっ……!」

 巧妙な敵の動きに、素子は舌打ちした。

 突破可能な入り口が、次々に火線で塞がれていく。突破すべき方向、そしてその最適な軌道はすでに割り出してある。しかし、その手順を実際になぞることのできるのは、自らの調整の妙である。ミスは即死をもたらす――嫌というほど分かりきった事実だった。

 念子管制にも欠点はあるのだ。予知は出来ていても、人間の操舵がそれに追いつききれない側面がある。それをカバーできるのは、唯一操縦者の弛まぬ鍛錬のみ。

 (難しいけど、出来ないってほどじゃない)

 素子は言い聞かせた。

 「無駄って言ってるでしょ……」

 苛ついた呟きを発して、素子は戦闘機の針路を大きく反転させた。

 その間にも、火線が見る見るうちに本数を増やした。揚刃が存在を許される空隙が、縮まりかつ移動していく。その空隙に合わせて、素子は機体を逃がした。

 亜光速の弾丸を完全に見切った上でしか出来ない、曲芸のような動きだった。ナギナタには、そのような状況を耐え抜く技が与えられている。

 蝶ような優雅さを持って、揚刃はぶれなく敵群に振り向いた。

 その途中から機銃を撃ちっぱなしにしてある。必然的に、弾丸で敵を薙ぎ払う形になった。数機の飛行体が、中枢部を砕かれ爆滅する。

 「今っ」

 裂帛の気合を込めて、素子は揚刃を直進させた。敵が数機消えたことにより、封鎖線に突破口が生じたのである。その空隙を、素早く通り抜けた。

 いくつもの粒子弾が揚刃の周囲を掠めていくが、一発として命中しない。

 旋回し、再び敵の群れに向けて突進する。いわゆるヒットアンドアウェイの戦術を取ることで、被弾の確率を最小に抑えるためだった。

 何度も同じことを繰り返し、素子は弾丸を敵に撃ち込んでいった。燃え盛る火の前で、羽虫が飛び回るように。その内に、素子にまとわりついていた飛行体はほとんど全滅した。

 過重労働のせいで、脳の糖分が薄くなっていくのが分かる。戦闘開始から十分と経っていないが、何時間も頭を使い続けた時のような疲労感に襲われていた。

 脳が完全に困憊しきる前に、素子は最後の敵に向かって機銃を乱射しながら突撃する。

 (これで最後!)

 菱形の飛行体に、弾丸が無数の風穴を開けた。最後の敵は、移動能力を完全に失う。

 ほんの一瞬、自由落下に身を任せた後――耳を劈くような爆発を起こし、粉々になった残骸で周りの空気を汚した。

 (終わった……)

 それと同時に、脳内の空間情報を参照する。自分の死角から突っ込んでくる敵が居ないとも限らない。油断は禁物だった。

 しかし、案の定敵は見つからなかった。理屈は簡単だった――念波に死角など存在しない。それだけのことである。過信してよいだけの無謬さが、念波にはあった。

 素子は無線通信を開いた。

 「こちら来須。接触した敵の殲滅を完了」

 『よくやったわ、素子ちゃん。でも、まだ敵がわずかに残っている。他の三人を援護してあげて』

 マリイが、未だ緊張を解かずに指令した。

 「了解」

 指示に従い、可感領域のスケールを拡大する。素子は戦闘空域全体を見渡した。

 戦闘開始時にはあれほどいた侵略者の群れは、数体を残して壊滅している。やや離れたところで、千里、正代、神名の戦闘機が、残兵を袋叩きにしていた。

 念のため、機体をその方向に転じた。助太刀するのに間に合うため、なるべく加速して移動する。

 三機が人間の肉眼で見えるくらいの距離まで、素子は近づいた。丁度その時、飛行体の最後の一体に何かが高速で迫っていく様が確認できる。

 念子誘導レーザーである。

 鮮やかな紅色をした二条の光が、飛行体を追尾した。光は瞬間、目標に追いつく。

 着弾した。

 瞬く間に、激甚の破壊がもたらされる。

 単純な爆風でなく、プラズマ光を含んだ発光性のガスが放出される。飛行体は完膚なきまでに粉々にされ、もはや残骸すら残さず消えてなくなった。

 急いで駆けつける必要がなくなったので、素子は機体の速度を緩めた。それと同時に、肩に入っていた力を抜く。上半身がどっと下に落ち、椅子の背もたれに多くの体重がかかった。

 (終わった……)

 もはや、敵は全滅である。それに対して、こちらの損害は事実上ゼロ。首都第五戦隊が、完全に勝負を制したのである。

 「最後、派手にやったわね」

 戦隊通信を用いて、素子は感想を述べた。念子誘導レーザーは大掛かりな技で、パイロットの精神力の消耗が大きい。敵を追尾するレーザーの軌道を、自分で描かなければいけないからだ。しかし、それだけ命中率も威力も普通の機銃より高い。小型の飛行体に対して使うには、少しもったいないと言える。

 練習として使ったのか、あるいは最後の仕上げとして景気付けに放ったかのいずれかだろう。

 答えはすぐに教示された。

 『えへへ、演習で使ったことはあったけど、実戦ではなかったから、ちょっとやってみたんです。素子姉さま、どうでした?』

 「なるほど……」

 素子は感心した。

 (最後に練習をしてられるほど余裕があった……てこと)

 それだけ千里に余裕があったというのは驚きだった。正代と神名が援護していたせいもあるかもしれない。しかし、それを差し引いても、戦闘時に余裕を持っているというのは普段の千里の様子からは想像しにくかった。自分もそうすればよかったと、素子は少しばかり反省した。

 「ええ、威力も誘導も充分及第だったと思う。見かけよりもすごいのね、千里は」

 『ほへ?』

 気の抜けたタイヤのような音を、千里は発した。続いて、神名もまた賞賛する。

 『お見事ですわ、千里』

 『ありがとうございます!』

 『しかし、お遊びもほどほどになさって下さいね。今回はまさに最後の敵だったわけですから、別に構いませんが』

 『はい、正代姉さま! これからは、敵が残ってるあいだは無駄撃ちしませんですっ』

 『ふふ、千里の物分りが良くてよかったわ。私、大いに助かりますもの』

 正代が満面の笑みを湛えながら――他機のコックピットの内部の様子くらいは、念波で簡単に察知できる――満足そうに言った。

 勝利に酔いながら、基地へ帰投しようと――する丁度そのときに、通信が入った。

 『みんな、油断しないで! 敵がまだいるわ、北北西の方角よ!』

 マリイが、恐怖したように叫んだ。

 『その速度、約マッハ二……!』

 素子は、マリイの発した桁外れの数字に戦慄を覚えた。首筋が、静電気に当てられたように震える。

 「マッハ二、ですって!?」

 『みなさん、直ちに念波の展開を。それだけ素早ければ小回りは聞かないでしょう。一機ずつ散開してください』

 正代が冷静に指示を出した。その内容自体も、理に叶っている。

 彼女以外の三機は、ほとんど突然の自体に驚いているばかりだった。だが、正代の感化を受けて正気に戻る。一斉にその場を離れ、迫り来る物体を包み込むような位置に移動する。

 素子は再び、可感領域を拡大した。

 針のように尖った形をした飛行体が、距離というものの存在を嘲るかのような高速でこちらに迫ってきている。異常なまでのスピードである。

 (こんなの、どうやって相手すれば……)

 およそ三十秒後に、こちらに到達する。

 素子は予知映像を構築した。おそらく、素子以外の三人もちょうど予知を行っているところだろう。

 針状の飛行体は、こちらに突っ込んできたかと思うと、苛烈な攻撃を行ってきていた。針中のいたるところから、傘のようにレーザー光を放出している。レーザー光は面上に張り渡されていて、飛行体そのものが動き回ることで広域を瞬時に薙ぎ払っていた。 

 なかなか厄介な攻撃方法である。避けるにはあらかじめ大きく移動しておく他ないが、それもあれだけのスピードで接近されるとやりにくい。避けきるには、念波による予知だけが頼りだ。

 その時、神名が焦ったようにマリイに尋ねる。

 「マリイさん、そいつのデータはないの!?」

 『……いえ、該当データはありません。どうやら、新種みたい』

 『新種って……?』

 素子は口を挟んだ。

 「つまり、そいつと対峙するのは、ナギナタの中でも私たちが初めてってこと?」

 『当たりよ、素子ちゃん。こちらでも分析するけれど、あなたたちも手だてを考えてくれると嬉しい……って言っている内に、来るわよ!』

 マリイが無線を断ち切る。

 針状の飛行体は、マッハ二からはやや減速してこちらに迫ってきた。小回りを増すための配慮というところだろう。それでも、充分過ぎるほど速い。

 桁外れの移動速度を感知するうちに、素子はふと思いつくことがあった。

 「そうだ……みんな、聞いて!」

 無線の受声部に向かって、素子は怒鳴った。

 「四機で一斉に念子誘導レーザーを使うの! どれだけ動きがすばしこくても、光の速さには追いつけないわ」

 『それは……! アタクシも良いアイディアだと思いますわ、素子』

 『わ、練習しておいてよかったですー!』

 神名と千里が賛意を示した。

 『それで行くしかないようですね』

 一瞬の間を置いてから、正代が号令をかける。

 『首都第五戦隊に告げる。総員、念子誘導レーザー射撃用意っ!』

 この場に異なる戦隊は展開していないが、正代は操典通りに律儀な言葉を用いた。

 四機全員に念波が縦横に張り巡らされ、情報を緊密に伝え合う。正確な射撃タイミングを測り、一斉に発射するためだった。

 『飛行体との接触、残り十秒』

 マリイが、敵の位置を知らせる。戦隊全員の間に、一抹の緊張が走った。何せ、今まで相対したことのない敵を相手にするのだから、当然だった。

 飛行体の放っている物凄い衝撃波のせいで、近傍の大気が分子のように揺れ動く。距離にすれば敵まで数十キロはあるらしかった。だが、もはや接触まで時間はないに等しい。

 その距離が五キロまで縮まった瞬間、更なる無線通信が入った。常ならない剣呑さを帯びた正代の声が、ごく簡潔な命令を伝える。

 『てぇッ!』

 瞬間、紅く輝く八つの光が現世に生み出された。強烈な破壊力を秘めたそれは、彗星のように尾を引いている。惑星の重力に軌道を曲げられたかのように、標的の方向に向けて湾曲した。 

 ついに、目視できるほど近い位置に、針状の飛行体が出現する。といっても、それは一瞬のことだった。

 視界に現れるや否や、八条の光の矢がそれに突き刺さる。

 衝撃のため、飛行体が大きく進路から逸らされるのが確認できた。だが、それ以上は見えない。すぐさま、雲を揺るがすような閃光と爆音が放たれた。

 「やったの……?」

 念子誘導レーザーを撃ったことにより、一段と大きい沈滞感が頭蓋骨の奥を徘徊した。しかし、注意をとぎらせるわけにも行かない。素子は、視界を塞いでくる閃光と煙を注意深く監視した。

 『まだ生きてますっ』

 千里が、焦りを含んだ声で言った。

 幾秒も立たないうちに、視界を塞ぐ物々が切り裂かれた。飛行体が、再び姿を現す。傘上のレーザー光を一際大きく

広げている。一つでも多くの戦闘機を巻き込んで破壊しようという寸法だろう。それはまた、巨大な蜘蛛が獲物に飛びかかろうとする動作にも似ていた。

 『総員、後退! すぐに第二撃の準備をっ』

 正代が取り乱したような声で言った。全員が慌てて散開し、敵の目標をばらけさせる。

 その間にも、念波を緊密に送受し、射撃のタイミングを計った。

 しかし、飛行体の行動はそれを許さない。

 攻撃にかかると見せかけて、物凄いスピードで逃げ始める。超音速の物体が脇を掠めたことで、四機に衝撃波が襲い掛かった。

 それを予知した戦隊員たちは、大きく機体を動かした。しかし、かわし切ることが出来ない。

 衝撃波が機体を揺らした。

 「うっ」

 頭が体ごと激しく揺さぶられ、素子はうめき声をあげた。椅子の設計が良いせいか、五体が受ける衝撃そのものはたいしたことがない。しかし、集中力を乱されるには充分でもあった。

 意識に齟齬が生じ、念子誘導レーザーの発射タイミングを逃してしまう。

 「しまった……」

 素子がつぶやく一瞬の内に、飛行体は戦隊の間を駆け抜けていく。念波がなければ捉えられないほどの素早さである。千里と神名も、振動のせいで発射タイミングを逃したらしい。敵を追尾しているのは、正代の意思したレーザーのみだった。

 だが、誘導の効きが悪い。飛行体とは関係のない、あらぬ方向へ飛んでいってしまっている。ついに誘導性能を発揮する間もなく、レーザーは虚空の彼方へ見えなくなった。

 すると、マリイから通信が入る。敵の行方を報告しているようだ。

 『飛行体、逃走。敵の目的地は、本国の――』

 ためらうように、マリイは言葉をとぎらせた。

 素子は、口蓋から滴る唾をゆっくりと喉に流し込む。

 「どこなんですか!? あいつの進路は……」

 『飛行体の目的地は、本国の首都方面です! 揚刃の速度では……いや、レーザーを使ったとしても、既に誘導が追いつけない距離まで敵は逃げています。もはや、第五戦隊には何も出来ることが』

 それを聴いた瞬間、素子は自分の胃袋が跳ねたように感じた。

 マッハ二十などという、化け物ような速力を持つ敵が首都に侵入すればどうなるか。爆撃はもとより、あの巨大な衝撃波がさらに恐ろしい。それを防ぐためには、首都に残る部隊が奮戦を演じる必要がある。現在は、真丘諸島基地に多数の兵力が出払っている状態であり、首都に残された部隊は少ない。かなりの苦戦になるのではないか――素子は一瞬でそこまで考えた。

 と、正代からの通信が入る。

 『私としたことが、しくじりました……申し訳ありません、皆さん』

 『正代。別に、あなたのせいだけではありませんことよ。アタクシたち皆、射撃すらできなかったのですから』

 『ごめんなさいです……』

 連隊の雰囲気から、意気盛んなものが失われていく。

 『現在、動員できる部隊にあいつの迎撃を要請しています。皆さんが逃したからといって、直ちに首都が危機に陥るということではありませんよ。それに、今まで眼にしたことがない敵でしたから、上手く立ち回れる方がおかしいでしょう』

 マリイが、必死に装った口調で慰めた。

 「しかし、都市があれに狙われたら……」

 素子は、懸念を隠さずに伝える。

 今はそんなことを聞かないで、とでも言うようにマリイはため息をついた。しかし、答えを躊躇いはしない。

 『相当な被害になるのは、確実でしょうね』

 

 『侵略者 首都襲来』

 『市街地広域を盲爆、死者数五桁に達す』

 二日遅れで真丘諸島に届けられた首都新聞には、そういった見出し文が数限りなく乱舞していた。

 あの針状をした飛行体――超音速型"SPEAR"と名づけられた――は、海上での多段的な迎撃作戦をも突破した。その後、ついに首都上空に達したのだという。

 守備部隊により何とか撃破はされたものの、倒すまでに相当な被害が出たらしい。その惨状は、新聞はもとより様々なメディアで既に伝達されていた。

 よって、あの戦闘が終わって一日も経たないうちに、超音速型が首都に侵入したことはこの離島にも伝わっている。しかし、何度確認しても信じられなかったのだ。

 戦争開始以来、ほとんど侵略者の進入をゆるさなかった首都には、どこか神性が漂っていた。決して敵を寄せ付けない不落の都であると、幻想を抱くことが誰にもできたのである。

 しかし、その首都が初めて彼らに侵された。その事実が一般大衆に与える影響は、考えるだに恐ろしい。戦争そのものを戦い抜く士気が低下しかねないのだ。

 それを分かっているのか、連隊長の口調はやや沈みぎみだった。

 『……貴官らが、そう悩む必要はない。あれ以上上手く戦えといっても、それは不可能だったろう』

 スクリーンに映った槇嶋連隊長が、微妙な表情でいった。厳しく接すれば逆効果だと思っているのだろうか。しかし、彼の立場上、誤りを追求しないわけにはいかないらしい。こうして、形ばかりの訓告をしてきているのだから。

 「申し訳ありません。私の失態でございます」

 膝に手を置いて、正代は神妙に頭を下げた。

 途端に、千里が口を出す。

 「そんな、おねえさ……じゃなくて、隊長のせいじゃないです! 私は撃つこともできなかったしっ」

 「そう。責任はアタクシたち全員のものですわ、槇嶋連隊長。ナギナタの名を冠しながら敵を易々と逃した責任、一人で負って良いものではありませんわ」

 神名がきっぱりと言い放つ。連隊長は、特に言い返しもしなかった。むしろ、何か別のことを考えてでも居るように、目線を数秒おきに動かしている。

 (この人がこんなに歯切れが悪いのは、珍しいわね……)

 素子は不思議に思った。あの倣岸な性格からは想像できないような、どこか煮え切らない態度である。

 しかし、素子の心を読んだかのように連隊長は答える。

 『貴官らへの批判は抑えておこう。が、ともかくその話はここまでだ。貴官らも、自分たちに罪があると考えるなら、することはあるはずだ』

 突如、連隊長の口調が鋭くなる。

 『あの針野郎がどれだけ出撃てくるか観察し、対策を練るんだ。まったく抵抗する手段がないということはない。倒せる敵のはずだ。同じ轍を二度踏むことだけはするんじゃないぞ』

 言い切ると、連隊長は敬礼をした。再び強い精神を注入されたかのように、戦隊の面々は背筋をまっすぐに伸ばした。

四人がタイミングをほぼ正確に合わせた、荘厳な答礼を行う。

 連隊長はうなづき――

 『それでは、武運を』

 最後に、彼は片目で鋭い一瞥を投げた。

 素子を睨んでいる。

 いや、それは短すぎて睨んでいるともいえないかもしれない。ただ、見ていることは確実である。

 素子は、小さく衝撃を受けた。

 (あの質問に……私はまだ答えていない。そういうこと?)

 素子は冷や汗がうなじを流れるのを感じた。

 (催促、ですか。連隊長……?)

 素子が何らかの反応を示そうとする前に、連隊長は回線を切断したらしい。壁にかかった広いスクリーンには、もはや像を映さない暗闇だけが残った。

 「連隊長が言う通りかもしれません」

 正代が、独り言のように空気に言葉を囁く。

 「次に出くわした時の対策を練ったほうがよい――私はそう感じました」

 言葉とは裏腹に、自分の失敗を悔やんでいる表情の歪みは消えていなかった。いつもは涼やかな目元に、苦渋の皺が浮かんでいる。今は遠く後に残してきた首都での被害者のことを考えると、素子もまた正代と同じように苦しい気持ちになった。

 どんよりとした空気が、戦隊の四人に降りかかる。気味悪い沈黙もまた、遅れて訪れた。

 (任務を果たせなかった。それどころか――)

 素子は、自分自身を恥じ入った。

 さっきからずっと、胸の動悸が止まらないのである。彼女は、そっと左胸を押さえた。明らかに、その動悸は恐怖に由来するものだった。

 戦いの場からは、既に離れている。ほんの数日後、あるいは数時間後に出撃命令が出されたとしてもおかしくはない戦況であるが、少なくとも今は生き延びている。生きるか死ぬか決めるのは、運と自分の技量しかない。であれば、いま恐れることは意味がない。

  (何回、言い聞かせればいいの)

 SPEARが、レーザーを展開して迫ってきたときの光景。それは、素子には血が凍るように恐ろしい景色だった。次の瞬間に粉みじんに砕かれるかもしれない――そういう脅迫観念が蘇ってくる。予知によって、生き延びるという未来を幻視していたはずであるのに。それでも恐怖を消し去ることができなかった。

 今では、それは記憶の中にしかない。

 (臆病じゃないのよ……来須素子。これじゃ、連隊長の質問にもまだ答えられないわ)

 幾重の保障に護られようと、素子は安心できなかった。

 死を喉もとまで突きつけられたことは――命を危険にさらすことは、あまりに辛すぎる。

 素子は、深く手を押し付けた。早鐘のように脈打つ心臓を、自らの手で包み込むように。

 彼女の苦悩をよそに、話し合いが進展する。

 「しかし、対策とは言っても。あの速さに追いつくなんてことは、とてもできませんわ」

 神名が、首を捻りながらつぶやいた。

 「やはりレーザーで迎撃するほかない、のでしょうか」

 「でもあの針さんは早過ぎるし、一回命中させるだけで精一杯です……」

 四人はそれぞれ、途方に暮れていた。

 「もう少し、別のやり方もあるかもしれないわ。みんな」

 立ち尽くす四人の後ろから、女性の声が響いた。四人は、一斉にそちらを振り向く。

 「ちょっと、見てもらいたいものがあるんです」

 通信室の入り口に立ったマリイが、そう持ちかけた。

 「マリイさん。わざわざ来てくださったんですか」

 「ええ、そうね……」

 マリイは、考え込むように顎に手を当てた。

 「そう気を落とさないで、みんな。情報のない敵に勝つことなんて、もともと不可能なのよ? 」

 と言って、マリイ自身どこか無理に明るさを装っているようなところがあった。自分の支援が足りなかったから、戦隊が負けた――オペレータならば、そう考えるのかもしれない。素子が、兵士としての心を手に入れられないように。あくまで自分を責めてしまうのかもしれない。

 それでも彼女は、やはり大人だということだろう。面に暗さを漂わせることなく、あくまで落ち着いて振る舞っている。

 マリイは電子盤に近寄ると、マイクロディスクを一枚取り出してスロットに挿入した。

 「これを見てくれる?」

 すると、壁のスクリーンに図が映し出された。五人が、それを注視する。

 図には、戦闘機を表す記号がいくつも描かれていた。実在のものでなく、何かの概念を表しているらしい。

 中央の戦闘機だけが赤く塗られ、それを普通の戦闘機がいくつも取り巻いている。所々、英文で何か説明が書かれているが、どう読むのか素子にはさっぱり分からない。

 「すでに、演習で取り扱ったことはあるわよね?」

 マリイが快活に聞くと、真っ先に正代がつぶやいた。

 「"サテライト"ですか」

 「その遠り」

 素子は、その名には聞き覚えがあった。

 サテライトというのは、念子管制戦闘機が備える能力の一つだった。いくつかの無人戦闘機を、念子管制戦闘機の支配下におく能力である。

 パイロットの割り出した空間情報を共有し、運動も連動させる。そのことで、衛星機も、ある程度は親機と同じ回避性能を備えることが出来る。当然、操る衛星機が多ければ多いほど、親機の操縦者が能力を酷使することが求められてしまう。 

 (リスクが大きいから、めったに使わない機能だって聞いたけど……)

 素子も、訓練生時代にそのことについて教授されたことがあるが、改めて思い出したのは今日が初めてだった。

 マリイが説明を続ける。

 「ほんとは色々と使いどころの決まってる機能なんだけど。今回は単純に、衛星機をミサイルキャリアとしてのみ使おうということなの」

 「つまり……?」

 論理の展開についていけず、素子は聞いた。

 神名が解説を加える。

 「つまり、次にあの針が来た時は、親機も衛星機も一緒に念子誘導レーザーをぶっ放す……てことですわね」

 「そうすることで、単純に火力が何倍にもなるの。命中させられれば、一度の邂逅でSPEARを破壊することができるかもしれません」

 マリイは、ようやく仄かに相好を崩した。 

 「衛星機を、レーザー発射装置と考える。そういうことですか?」

 「そういうこと」

 素子の質問に、マリイはごく簡潔に答える。

 "対策"が思いもかけず迅速に見つかったので、戦隊の雰囲気は明らかに改善された。淀んでいた大気が吹き飛ばされたように、戦隊という生き物が再び活力を得たようである。

 「じゃあ、これを使えばいけるですかっ!」

 千里が、床から軽く跳躍した。マリイに詰め寄る。

 「おそらくね、千里ちゃん」

 マリイが、千里の柔らかい髪の毛に触れた。

 「でも、油断はしないで。衛星機の面倒まで見るとなれば、精神にかかる負荷が、急速に大きくなる。それに耐えないといけないのよ」

 全員に向けて、マリイは聞いた。

 「できる?」

 「覚悟はできています。そうでございましょ、皆様?」

 正代が不敵に微笑んだ。

 「言わずもがなですわ」

 神名が、そして千里と素子もうなづいた。

 「ふふ、頼もしいですね。皆様は。では――」

 正代が何か言いかけた時――。

 何も移していなかった壁のスクリーンの上に、映像が紡がれる。五人は、一斉にそちらを振り返った。

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