第5話 距離感がおかしい
朝、目を覚ますと、詰所の中がやけに騒がしかった。
「おはようございます」
声をかけられて顔を上げると、ミリアがすぐそばに立っている。
近い。思わず一歩引きそうになって、踏みとどまった。
「……おはよう」
そう返すと、彼女はなぜか少し安心したように息をついた。
「昨夜、ちゃんと休めました?」
「まあ……普通に」
それだけのやり取りなのに、
周囲から何本かの視線が飛んでくるのを感じる。
――気のせいだ。
きっと。
朝の巡回準備が始まると、自然と俺の周りに人が集まった。
「今日はどこから回ります?」
「見張り、増やした方がいいですか?」
「補給、昨日と同じでいい?」
質問が、次々と飛んでくる。
「……俺に聞くことじゃないだろ」
そう言うと、全員が一瞬きょとんとした顔をした。
「でも、昨日はそれでうまくいきましたし」
誰かがそう言って、他の者も頷く。
俺は内心で首をかしげながら、
とりあえず目についた点を口にした。
「今日は風向きが逆だ。
巡回は西から始めた方が楽だと思う」
それだけ。
「了解です!」
即座に返事が返ってきて、人が散っていく。
――早い。
決断が。
昨日までは、こんな空気じゃなかったはずだ。
作業の合間、別の隊員が俺に水袋を渡してきた。
「喉乾いてません?」
「……ありがとう」
受け取った瞬間、また視線を感じる。
ミリアが、なぜか少しむっとした顔でこちらを見ていた。
「……?」
理由が分からず首を傾げると、彼女はぷいっと顔を逸らす。
「何でもないです」
本当に、何でもない様子ではなかったが。
昼前、詰所の外で小さなトラブルが起きた。
巡回から戻った二人が、疲労で足を止めている。
俺は様子を見て、声をかけた。
「少し休んだ方がいい。
この後、急な対応が入る可能性がある」
二人は顔を見合わせ、頷いた。
「分かりました」
その直後、警戒線の外で物音がする。
魔物ではなかったが、
不審な人影が近づいていた。
結果的に、休ませた判断は正しかった。
即応できたからだ。
「……すごいな」
誰かが、ぽつりと呟く。
「何が?」
思わず聞き返すと、
その人は少し慌てて首を振った。
「いや……何でも」
何でも、ではないだろう。
夕方、責任者が俺を呼び止めた。
「今日は助かった。
皆が落ち着いて動けている」
「俺は、普通のことをしただけです」
そう答えると、責任者は苦笑した。
「その“普通”ができない現場は多い」
まただ。
また、評価されている。
夜、食事のあと。
焚き火のそばで座っていると、
いつの間にかミリアが隣にいた。
「……近くないか?」
思わずそう言うと、彼女は一瞬きょとんとした。
「そうですか?」
「そうだと思う」
周囲を見ると、
なぜか誰もこちらに近づいてこない。
「……勘違いですよ」
俺は、昼間と同じ言葉を繰り返した。
ミリアは少し考え込むようにしてから、静かに言う。
「でも、私たちはあなたを頼ってます」
胸の奥が、また締めつけられた。
頼られる。
それは、追放されるまで、ほとんどなかった感覚だ。
「……俺は」
何か言おうとして、言葉が出てこない。
ただの通りすがり。
雑用係。
役に立たない人間。
そう思い込んでいたはずなのに。
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
その向こうで、
誰かが小声で言ったのが聞こえた。
「……距離、近くないか?」
「だよな」
心臓が、嫌な音を立てる。
――違う。
これは、誤解だ。
そう思いながらも、
なぜか否定する言葉を、俺は口にできなかった。
この頃から、
俺の周りの距離感は、
少しずつ、確実に――
おかしくなり始めていた。




