1-4*金魚鉢
*この物語はフィクションです。
そして今日。
待ち合わせ場所で、二人は新入りのハヤシカラを待っていた。
瀬古はいつもの冷静さで、火流はドキドキと鼓動を速くしていた。
だが、時間を過ぎてもハヤシカラは現れなかった。
そして、予想外の出来事はもう一つ。
酒蔵にその事で電話をかけようとしたが、繋がらなかった。
あの部下大好き人間が電話に出ない事は、滅多になかった。
しょうがなく警視庁の違う方に電話をかけると、電話向かいの人は丁寧に教えてくれた。
「____林枯歩ですね。……おや、異動されたんですね」
「えぇ、今日から。K区の公園で待っているんですが、時間を過ぎても来ないので」
電話向かいの女は、それは変だなという風にふうんと鼻声を漏らした。
「今朝、彼の出勤は確認されています。しかし午前十時頃、警視庁を一人で発っているようです。その先の動向は分かりません」
「……」
瀬古はぐっと眉間に皺を寄せた。
午前十時というと、今から三時間も前だ。
待っている人物は行方不明。
上司とも連絡がつかない。
____そういう事があって、今の待ちぼうけに至るのだった。
「別行動しますか。とは言っても、あなたはここにいたままでいいので」
「えっと……」
火流は首を傾げた。
「俺がここにいたままで……。俺は待ち合わせ場所にいて、君が林枯君を探してくるってこと? あの、いいの?」
「私は別に構いません。おんなじ場所に留まりすぎて死ぬほどひま……ゴホンゴホン。とりあえず、この辺りから探してきます」
「うん、車に気をつけるんだよ」
「……子どもじゃないんですが」
瀬古を見送ると、火流は今度こそ手持ち無沙汰になった。
自分のはねやすい茶髪を撫でつけながら、天を仰いで、ふとそっかと気づいた。
昨日の東京は大雨だった。一年に一度あるかないかくらいの、警報級のザーザー降り。
そして今日は曇りときた。
今日は髪がはねやすいと思ったが、湿度が高くて当たり前だったのだ。
その時だった。
「……はぁ、……っ、はっ……」
荒い、熱を持った息遣いが聞こえる。
火流はビクッと、瞬発的に背後を振り向いていた。
しかしそこには、木や雑草が無造作にのびた暗い茂みしかなかった。
透明な水で満たされた金魚鉢のように、ネガティブ一色に染まりやすい頭の中が、嫌な未来予想で埋め尽くされるのは瞬時だった。
人、幽霊、幽霊、人、タヌキ、幽霊、でも____。
火流の心臓はばくばく跳ねていた。
もし人だったら____そんなところで____何してるんだろう?
そう思った瞬間、冷たい電流のようなものが背中の後ろを一気に貫いた。
「…………」
火流は涙目だった。180近いガタイのいい男が。
自分の頭を叩いた後、ほんの少しずつ、本当は近づきたくなんかないという風に、ちびちびと茂みに近づいて行った。
近づいて初めて気づいたのは、茂みの奥は意外とひらけていた。
木々に囲まれた、コンクリート舗装された一直線の道。
それはランニングコースだった。
鳥一匹もいない鬱蒼とした林とランニングコースは、曇り空も相まって閑散としていた。
それが逆に、おどろおどろしていた、
「はぁ、はっ……」
____青年は、そこにいた。
体を前にぐにゃんと折り曲げ、顔を真っ赤にして全身で呼吸をしていた。
周りには誰もいない。
火流は彼の紺色のビジネススーツを、一瞬認識することができなかった。
青年は火流より一回りも体躯が小さく、加えて顔も酒蔵のような中性的な童顔で、大人には見えずらい容貌をしていたからだった。
「……」
火流は、茂みから一歩足を踏み出す。
青みがかかった髪、珍しいショートネクタイ。
聞いていた特徴と同じ。
「もしかして、林枯君? 君が」
考えるより先に、言葉が出ていた。
だが、それが良くなかったのかもしれない。
青年はびくっと顔を上げ、火流の姿を捉えた途端、信じられないものを見るように目が丸くなった。
そしてすぐさま、逃げる体制になって走り始めようとした。
「待ッ、待って!」
火流は大股で一歩踏み出した。数秒もしないうちに二人の距離が近まる。
パシッと、筋肉質で厚い手のひらが、細いふっくらした手首を掴んだ。
「っチッ。ボクは!林枯なんて知らないもんっ!」
青年が赤い顔でそう言って、無理矢理手を振り払おうと足をターンした瞬間、艶のあるローファーのつま先がカツッと何かに引っかかった。
____コンクリートは昔に舗装されたもので、あちこちに亀裂やひび割れがあった。
ローファーはひび割れに突っかかったのだった。
体のバランスが下半身から崩れ、青年はガクッと前につんのめりになる。
スローモーションのように頭ごと体が前に傾いていく先に、道脇の木があった。
火流と青年は、目が合った。
青年は、驚きと絶望でいっぱいの瞳をしていた。
ガンッ。
跳ね毛のない丸っこい頭と幹がぶつかり、火花が散る。
紫と黄色の火花は、線香花火のように細い滑らかな弧を描いて、すぐ消えた。
火流は声が出なかった。
結局火花は、火流の幻覚だった。
数秒もかからなかった出来事を、パニックの中必死に処理しようとした脳が見せた視覚演出。
火流はスマホを必死に叩いた。ふすー、ふすー、と眉間に力を入れて涙を堪えながら。
てれてれてれん、てれてれてれん、とぐったり倒れた青年の前で、電話の待機音が鳴る。
電話の向こうから「もしもし」とくぐもった声が聞こえた。
「あぁ、火流さん」
こっち、何もないスよ、と続いた。




