20:れくねひとくょちぐ
*フィクションです
それから少し間を置いて、火流はまた「あの」と口を開く。
「あの、怒らないで聞いてくれない?俺はよく分かんないけど、知りたくて」と前置きする。
無意識なのか、女の子がするみたいに、あざとく人差し指同士をちょんちょんとくっつけては離す。
(何なの、あんた)
その仕草を見て、林枯は内心、途方もなく辟易とした気持ちになった。
火流は確か、あと数年で三十路になるはずだ。それであって多分未婚。
それなのに。
火流の言動はいちいち幼くくよくよなよなよしていて、正直、林枯はそれが好きでなかった。
興味も好意もないが、もっとしゃんとしろよと火流を見ていると衝動的に言いたくなる。
(せっかく、いい体格に恵まれてるんだから)
「君も、誰かに認められたいの?」
途中から、耳鳴りが林枯の片方の耳を貫いた。
ただそれでも、その言葉はちゃんと耳奥まで届いた。
固まった林枯を火流は二度見すると、せわしく目を左右に動かす。
いかにもおろおろと話しかけてくる。
「あ、お、俺、余計な」
「余計だよ」
思った数倍低い、一音一音を刻みつけるような声。
火流の喉がひくっと動いた。
顔全体がこわばり、怯えともつかない顔になる。
林枯はいつのまにか立ち上がっていた。
瀬古が二人を振り向く。
「何?まさか、あなた、ボクとあのホラ吹きを一緒にしてるの」
そう訊きながら、林枯の口角は引き攣って片方だけ上がっている。
「何も知らないくせに。あんた、ボクが……」
そこまで言った瞬間。
つかつかと、瀬古が歩み寄ってくるのが見えるとともに、下ろされた右腕が上がるのが見えた。
林枯は、その行動の先を知っていた。
『おまえ、ひとつのしあわせをこわしといて』
カンと、だるま落としみたいな音が耳の奥で響いて、林枯が目を見開いた途端。
世界の全てが、まばゆく白く発光した。
(見え____……)
バチンと、鞭が空を切るような音とともに、右頬に鋭い衝撃を感じた。
その勢いのままよろめいて、めまいがして尻もちをついてへたり込む。
少ししてから、頬に痺れるほどの熱が集まってきた。
林枯は目を見開いたまま、永い時間動かなかった。
やっと顔を上げると、そこには、火流を庇うように瀬古が神妙な顔つきで立っていた。
「……はぁ?」
林枯は瞬きしないまま、瀬古を見やる。
瀬古はそれに臆さずそのままでいて、少し経ってからやっと口を開いた。
「……今、確信した」そのまま続ける。「おまえみたいな悪人、大っ嫌いだ」
捜専のオフィスは重い雰囲気に包まれ、誰も喋れるようではなかった。
林枯はあからさまに眉間に皺を寄せ、拳に力をこめる。
(……)
誰にも見えないよう振り返ると歯を食いしばって、ぐぐぐっと立ち上がった。
そして、体の向きを変える。
「ボク、以外に言ったら、引かれますよ。それ」
それだけ吐き捨てると、入り口のドアを開き、振り返らずに廊下へ出る。
そこには誰もおらず閑散としていて、心中事件が終わった時を思い出させた。
火山の中でマグマがグツグツ燻っているように、頭の奥では熱い塊が堂々と居座っていた。
さっきの火流の言葉が、勝手に脳内で再生される。
『君も、誰かに認められたいの?』
それと同時に。
顔を寄せてきて、一緒にパソコンを覗いている。
「うん。うん」と多分よくわかってないのに相槌を打つ。
八の字に眉を下げて、瞳を柔らかく細める。
『すごいね、林枯君』
その呑気な笑みを思い浮かべると、林枯はギリっと奥歯を噛み締めた。
頬の皮膚も、それとともにきしりと痛む。
顔を上げると、ちょうどその場所の蛍光灯が一箇所壊れていた。
歩みを止めず、林枯はオフィスから離れていく。
(証明してやるよ、誰が正しいか)
静かな廊下に、ローファーの足音がくっきりと反響していた。




