1-11*遺書
*この物語はフィクションです。
そう言った瞬間、藍木の喉に詰まっていた何かがすっと消えた。
藍木は息を吐く。
誰にも言えなかった事が、やっと言えた。
「どうしてそう思うんですか」
藍木は俯いて、間を置いてから「遺書です」とはっきり言った。
火流は一瞬分からなかった。
いしょ、遺書。
現場の机に置かれていた、ワープロの遺書。
「あの遺書、私たち関係者や世間に公開されてるのは一部だけなんです。私はその一部しか知らなかったんだけど……でも今朝、風の噂で聞いちゃって、全文。事務所の誰かが、刑事さんから聞いたらしくて。本当かは分からないけど、私、それを聞いて____あぁ、って思いました」
(遺書の、全文……?)と、火流は知らない情報に冷や汗をかいた。
「『ポップちゃん、ほんとうにごめんね』の部分ですか」
その口ぶりは、誰かから聞いた情報を言う感じではなくて、火流は目を見開いた。
バッと林枯を見る。
もう、にこやかには笑ってはいない。まっすぐ、目の前の人と向き合おうとしている、真面目な青年の顔つき。
(でも、何で、知って____)
火流はそこで初めて、ぞくっと背中に鳥肌が立った。
「はい。全文は確か、こんな感じでした」
藍木は間を置きながら少しずつ、遺書の内容を話した。
『人を深く傷付けてしまい、もう死んで償うしかないと気付きました。』これが公開されている部分。
『プロデューサーさんやスタッフさん。ごめんなさい。そしてポップちゃん、ほんとうにごめんね。こんな事に巻き込んでしまって』
____これが、刑事達や一部のスタッフしか知らない、非公開の部分。
「ぽ、ポップちゃんごめんねって……」
火流は驚いていた。
「えぇ。つまりこの遺書を書いたのはライミちゃんで……ごめんねって謝って、償おうとしたんです。自分のした事を」
藍木は息を吸って、更に続けた。
「ライミちゃんは本当にSNSに書き込みをして、ポップちゃんを蹴落としたんです。そして、その償いとして心中を選んだ」
三人を包む空気が、一瞬で冷え込んだものに変わった。
なるほど、と火流はやっと気づいた。
藍木が泣いていたのは____自分の好きだった人が、過去に人を傷つけていたから。そして、人を巻き込んで心中をしたから____ん? と火流は思った。
「えっと? あの、いいですか。俺はあんまり頭が……なので、間違ってるかもしれませんが」
「何ですか? 火流さん」
「ライミさんは罪を償おうとした、って事は、ライミさんが心中を企てたって事ですよね。あの、言い方は悪いけど。なんでポップさんは、それに乗ったんでしょう? 罪を"償われる側"なのに」
「……それは……」
藍木は言葉に詰まった。
そして、それは林枯も。
火流の言った事は正論だった。
捜査一課含め刑事達は、遺書から、ライミが心中を企てた事は捜査が始まってすぐに気づいた。
そして、ライミの"噂"を、実は捜査一課は早々に掴んでいた。藍木が刑事達に言わずとも。
もちろん、"噂"が心中の動機だという事もすぐに気づいた。
だが未だに分からないのが____アドロンクの仮面の存在と、ポップは何を考えて、自分を傷つけた相手と心中をしたのか、という事だ。
ポップはライミと違い、何か後ろめたい過去があるわけではなかった。
表舞台ではクールキャラを演じているが、それ以外では普通に明るい、普通のアイドルの女の子。
それが、何故。
捜査一課は今、捜査に停滞している最中だった。
「えーっと、あの、忘れてください……」
火流は変な空気になったのを、慌てて撤回しようとした。
「えっ、そ、そんな弱腰にならなくても。火流さんの疑問点、合ってますよ。ボクはよく分かんないけど」
「えっ、そう? えへ、あはは……」
火流が照れかけたのを、藍木の「あの」という声が遮った。
「あぇ、どうしました?」
「いえあの、ふと気づいたんですが。そういえば私、ライミちゃん達について知ってる情報は、もう全て言いました」
事情聴取の練習、という前提で三人は今まで話していた。
そして、藍木はライミやポップについて知っている事は全て林枯達に伝えきった。何より、涙も止まって心も冷静になった。
「あの、もう大丈夫そうですか?」
火流は笑顔で訊いた。
「はい。涙も、多分もう出ないと思います。あなた達と話した事で、頭の情報がスッキリした気がするし、あの、ありがとうございました」
藍木は二人に丁寧に頭を下げた。
比べて見れば、さっきまで号泣していた姿とはまるで違う。
藍木は本来こういう人だったんだと火流はどこかホッとしながら、「いえいえ」と答えた。
林枯も「また、何かあったら呼んでくださいね」と言った。
藍木は微笑みながら、4Fへ上がるためにエレベーターへ向かった。二人はそれを見送ろうとした。
「私、本当にライミちゃんの事好きだったんですけどね。最近はちょっと、炎上とかもあって周りにピリピリしてたけど。たかが事務員にも明るく接してくれたから。激レアグッズのカバンとか、ハンカチも十個くらい持ってて____」
エレベーターに乗り込む前、ふと藍木が言った。
未練のあるような言い方でも、その表情はどこか清々しかった。
その時。
「……ハンカチ?」
急に林枯はピタリと振っていた手を止めた。
「えっ、はい」
藍木がごと、とエレベーターに乗り込む。
「ライミちゃんのグッズって、やっぱりオレンジ色が強いんですよね。なら、その激レアハンカチも、オレンジのはずですよね」
林枯の勢いに、藍木は慌てて「は、はい」と答えた。
火流はギョッとして「おいおい、林枯君」と止めかける。
この勢いといい、質問責めする感じといい、林枯と瀬古のどことなく似ている感じはやはり合っているのかもしれない。
「でも、あなたがさっきまで持ってたのは、ライミちゃんのグッズ、とは別じゃないですか?」
林枯が思い出したのは、藍木が握りしめていた、黒い高級そうなハンカチだった。
『上へあがります』と音声が鳴る。
藍木は何を問われているのか分からないまま、答えた。
「えっと、私、朝からずっと泣いてるから、持ってたライミちゃんのグッズハンカチ、三枚とも全部ぐちょぐちょになっちゃって。その時、ハンカチ貸してあげるよって、山滝さんが____」
その瞬間。
林枯はこれでもかというほど、元々大きい瞳を見開いた。
「いつです」
「午後三時とか。二時間前くらいですけど」
藍木がそう言った時、エレベーターのドアが閉まった。藍木の「あの、ありがとうございました!」は途中で途切れてしまったけど、火流や林枯には届いた。
火流は藍木を落ち着かせる事ができ、安堵して少し余韻に浸っていた。
でも火流の横で、「……なるほど」と、林枯が口に手を当て俯いているのに気づくと、すぐに
「林枯君? 大丈夫?」
と心配で林枯の顔を覗き込んだ。
そして、ギョッとした。
林枯は息を張り詰め、小さい体を強張らせて一心不乱に考え込んでいた。
自分の世界に入り込み、火流が入り込む隙なんてどこにもない。
その尋常ではない様子に、火流は本能的にビクッと体を震わせた。




