第8章:狂乱の果てに残ったもの
両親が福岡を訪ねてきた数日後、実家の集落に住む従兄弟から電話が入った。
声が震えていた。
「叔父さんが、短刀を振り回して叔母さんを追い回した。髪を掴んで引きずって……玄関のドアも壊れてる」
言葉が、頭に入ってこなかった。
私は名古屋にいる長女と、福岡の次女を呼び出した。
三人で船に乗り、対馬へ向かった。
実家に着いたのは、騒ぎの翌日の昼過ぎだった。
玄関のドアはなく、家の中がむき出しになっていた。
奥では父が、酒に酔いつぶれてコタツで眠っていた。
母が声をかけ、無理やり起こすと、父は怒鳴った。
「何しに来た」
私が詰め寄った瞬間、父は目の前にあった重いガラスの灰皿を、私の顔に向かって投げつけてきた。
反射的に腕で防ぎ、直撃は免れたが、強い衝撃が走った。
父は立ち上がり、掴みかかってきた。
そのとき、私の右手が動いた。
父の頬を殴ると、体はコタツの上に倒れた。
起き上がった父は、私を投げようとしたが、その体は驚くほど軽かった。
玄関に置いてあった斧が、一瞬目に入った。
だが、我に返り、私は家を飛び出した。
従兄弟の家で聞いた話は、さらに重かった。
妹たちが自立してから、母は一人でこの暴力を受け続けていたという。
その夜、眠ることはできなかった。
母を守れなかった後悔と、親に手を上げた自責、父への怒りが交錯していた。
翌朝、眠る父を残し、私は福岡へ戻った。
それから間もなく、母は倒れた。
叔父が事故で急死し、通夜の席で母は取り乱し、そのまま入院した。
半年ほどで寝たきりになった。
脳の検査では「アルツハイマー」と診断された。
だが、誰もが思っていた。
長年の暴力による影響ではないのか、と。
久しぶりに会った母は、私を見ても声を出せなかった。
顎を震わせるだけだった。
手足は、ベッドに縛られていた。
病院を出て実家に泊まったが、食べるものは何もなかった。
「お父さんより長生きして、二人で楽しく暮らそう」
かつて交わした言葉が、頭に浮かんだ。
その約束は、もう戻らなかった。
仕事では、大手企業とのATM部品配送の契約を取った。
福岡を拠点に、九州全域を走る仕事だった。
売り上げは伸びたが、波が大きい。
大手案件を優先すれば、地元の顧客を失う。
依頼が少ない日もあり、ライダーを増やすこともできなかった。
そんな中、知らせが入った。
Aが、東京で逮捕されたという。
高利貸しとして、反社の手下をしていたらしい。
釈放後、福岡に戻ったと聞いた。
私は、ある計画を立てた。
友人が諦めていた二百万円を、私が回収し、そのまま借り受けるというものだった。
友人と会長を連れ、Aの事務所を訪ねた。
半グレのような男が控え、重い空気が漂っていた。
Aは百万円の束を開け、そのまま財布に押し込んだ。
「これから中洲に行く」
私は、二百万円を返すよう迫った。
Aは金を出したが、謝罪はなかった。
家庭が壊れ、借金に追われている話をしても、Aは言った。
「自分でしがみついて、勝手に失敗しただけだろ」
私は何も言えなかった。
あの時、会社を畳むことはできなかった。
友人の金を手にし、当面の支払いに目処は立った。
だが、それは一瞬だった。
ほどなく、東京の大手バイク便業者が、福岡進出の挨拶に現れた。
次の波は、すでに目の前まで来ていた。




