氷帝の軍師2
──そのとき、司令部は完全に静まり返っていた。
誰一人として言葉を発せず、ただ巨大スクリーンに映るその男を見つめていた。
氷見 尊。
軍の頂点に立つ存在であり、決して前線には出ないと信じられていた人間。
その彼が、魑魅魍魎に囲まれ、孤立し、しかしなぜか……笑っていた。
俺は、端末オペレーターの端っこにいる新人で、階級もクソもないただの情報兵。
“あの人”の存在なんて、スクリーン越しに何回か見るだけの、遠い雲の上の人だった。
でも、今。
この目で見てる。
「……え?」
わけがわからなかった。
だって、彼の周囲に黒い羽根が咲いて、着物が裂けて、背中から何か……金属みたいな、刃みたいなものが伸びて、額に刻印、目は黒く光って……。
しかも、「変身」って言ったぞ!?
あれは聞き間違いじゃないよな?
口の動きも完璧に「へ・ん・し・ん」だった。
その瞬間、何かが俺の中で弾けた。
「……魔法……青年?」
俺、口に出してた。
完全に無意識。
脳が処理を拒否して、アニメ脳が勝手に言葉をひねり出した。
でも、その場にいた誰かが振り返る。
目が合った。
やばい。
「いや違う、ちが……ちがうんですよ!? アニメとか見すぎたせいで一瞬現実感がバグってですね!?」
「違うんです違うんです違うんです違──」
言い訳の早口が止まらない。
完全にテンパってる。
周囲の視線が刺さる。
恥ずかしい。死にたい。
でも──でもさ、言わずにはいられなかったんだよ。
だって、どう見てもそれは現実の“軍師”じゃなかった。
アニメのラストバトルとかで、「実は俺も戦えるんだよね」って正体を明かすキャラの、それだった。
変身して、圧倒的な力で世界を救って、でも明日は普通に学校通うみたいな、そんな“魔法青年”の姿だった。
──なのに。
その姿はスクリーンの向こう、確かに現実にあった。
魑魅魍魎は一瞬で消滅し、あたり一帯は真空のような静けさに包まれていた。
戦闘後の彼の姿もまた、圧倒的だった。
羽織はなびき、煙の中から現れた彼は、まるで神話の神……いや、悪魔。いや、やっぱ魔法青年……。
頭の中がぐるぐるする。
「ねぇ、今の見た? ほんとに“変身”って言ったよね?」
横にいた別の隊員も、青ざめた顔で俺に耳打ちしてくる。
「え、何? 何? あの人、何者? 軍師じゃなかったの??」
知らんよ! 俺も知りたいよ!
でも一つだけ分かったことがある。
俺たちが今まで信じてた“軍師・氷見 尊”は、ほんの一部でしかなかった。
あの人、絶対ずっと黙ってたけど……最初から、化け物だったんだ。
スクリーンの向こう、彼は羽織を拾いながら、こちらを一瞥した。
見えた気がした。──こっちを見て、笑ったような。
「やっぱり、あれ魔法青年じゃね……」
言いかけて、口を噤んだ。
オタクは、黙ることを覚えた。
……いや、でも帰ったら絶対SNSに書く。
絶対タグつけてバズらせる。