SSS級ダンジョン、おれだけ激甘設定のイージーモードな件
父さんがリストラされたらしい。
「そんなわけだから、今月からお小遣いは無しね」
いつも通り眠い目を擦りながら、朝食を取っている最中の事だった。
おれと同じちゃぶ台でご飯を食べていた母さんが、なんの脈絡もなく爆弾発言を投下してきたのは。
「え、え、え? リストラ? 父さんが?」
「うん、リストラ。お父さんも昨日突然言われたんだって。だから今月いっぱいまで働くけど、来月からは無職になっちゃうらしいわ」
「ほ、ほんと?」
「ほんとよ。こんな笑えない冗談、朝から言うわけないじゃない」
言って、味噌汁を飲む母さん。
その眉間には深いシワが刻まれていて、母さんが言うように冗談を口にしている感じには全然見えなかった。
「ていうか桃介、あんた、昨日も夜遅くまでゲームしてたでしょ? ダメよー。いくら大学生だからって自堕落に過ごしたら。何もサークルに入ってないんだったら、少しは勉強に励みなさい。でないと就職活動する時に苦労する事になるわよ。あんた、まだ二年生だから実感ないだろうけど、私の時なんて……」
「そ、それより母さん──」
なんだか長い説教が始まりそうな雰囲気になりそうだったので、慌てて話を変える。
というより、今は説教を聞いている場合じゃない。
「父さんはどうしたの? いつもならこの時間は一緒に朝ご飯を食べてるのに……」
「お父さんなら朝早くに出勤したわよ。引き継ぎしなくちゃいけないから、普段より早めに会社に行かなくちゃいけないんだって。リストラされた側だってのに律儀よねー」
「そ、そっか……」
思わず箸が止まる。元々朝はそんなに食欲がある方じゃないけど、今の話を聞いてさらに箸が進まなくなくなってしまった。
いや、父さんの事も気になるけど、それと同じくらいの懸念事項がまだある。
「……あのさ、さっきの話に戻るけど、今月から小遣い無しってどういう事?」
「どうもこうもそのまま意味よ。だってお父さんがリストラされたのよ? 一応蓄えもあるし、失業保険も出るからしばらくは大丈夫だけれど、いつ転職できるかもわからないし、今から節約しないとでしょ? 私も来月からパートに行く予定だけど、それでも生活費とかあんたの学費を考えたらけっこうギリギリなのよねー」
「って事は、父さんが転職できるまでは小遣い一切無し……?」
「それもわからないわ。だってお父さんが転職できたとしても、どれくらいの給料が出るのかわからないもの。もしかしたら今までよりもずっと少なくなるかもしれないし、そうなったら小遣いなんて払えなくなるかもね」
「えー……」
それじゃあ、これから先ずっと小遣いが貰えないかもって事じゃん……。
「しょうがないじゃない。だってお父さんがリストラされたって事実は変わらないし、生活していくのは少しでも切り詰めないといけないんだから。だいたい学費は払うつもりでいるんだから、自分の小遣いやスマホ台くらいは自分でなんとかしなさいよ。あんた、もう大学生なんだから」
「なんとかって、具体的には……?」
「バイトでもなんでもすればいいじゃない」
「バイトって……」
大学に行く以外は家にずっと引きこもってばかりいるおれが?
家族以外とはまともに話せる事もできなくて、今までバイトなんてした事もないコミュ障のこのおれが?
「そういうわけだから、あとは自分でなんとかしなさいよ」
いつの間に食べ終えていたのか、空いた自分の食器を持って流し場に行く母さん。
その背中を見ながら、おれは相変わらず止まったままの自分の箸を見つめつつ、溜め息をこぼした。
バイトって言われても、コミュ障のおれに接客業なんて当然無理だし、それ以前に人付き合い自体がめちゃくちゃ厳しい。
いや、いずれは就職しなくちゃいけないんだから、バイト経験もない大学生がうだうだ言っていても仕方ないって事は重々わかってはいるけれど、それでも人付き合いだけは嫌なのだ。
せめて学生でいられる内は、人付き合いなんて考えなくてもいい、お気楽な生活を送っていたい。
でもだからって、小遣い無しのままというのも正直キツい。
なぜならおれは、生粋のゲーマーだから。
来月にも新作のゲーム……それもずっと待ち望んでいた大作がいよいよ発売されるというのに、今月から小遣いが無くなるとなると、今の所持金だけでは買える見込みはない。
せめて何か売れそうな物があったらよかったのだけど、あいにくと積んだままのゲーム以外は他に売れそうな物なんてなかった。
「でも、積みゲーはなあ。まだプレイしてもいないやつを売るのはさすがに……」
なんてぶつぶつ呟いている時だった。
横にあるテレビから、「三億円」というワードが聞こえてきたのは。
『先週、とある冒険者が◯◯県◆■市のダンジョンにて発見された宝剣ですが、なんと先日、三億円の値段で買い取った方が現れました!』
少し大袈裟なくらいに興奮した様子でニュースを告げる男性リポーター。
そのリポーターの話を聞きながら、
「ダンジョン、か……」
と、おれはオウム返しに呟いた。
ダンジョン。
それは文字通り、RPGなどのファンタジーな世界によく出てくる洞窟や地下神殿……様々なモンスターや罠が出てくる、あのダンジョンだ。
そのダンジョンがある日忽然と日本にだけ出現するようになってから、かれこれ十数年以上の月日が経とうとしていた。
一体何が原因で──どういった経緯でダンジョンが現れるようになったかは、未だにわかっていない。
ただ現時点でわかっているのは、どこからともなく突如として出現するという事と、先述の通り、ダンジョンの中はRPGみたいに色々なモンスターや罠が出てくるという事だけだ。
偉い学者さんによると、ダンジョンの中はこことは別次元の世界──つまり異世界に繋がっているんじゃないかという説もあるけど、真偽の方は十数年以上経った今でも不確かなままだ。
そんなダンジョンではあるけれど、当初は二十程度だったのに対し、今では二百近くまで数を増やしている。
それも、現在進行形で。
そうなってくると、国もすべて管理できるはずもなく、一部のダンジョン以外は出入り自由という事になっている。
もちろんモンスターや罠が当たり前のように存在している場所なので、命の危険に関しては一切保証できないというスタンスではあるけれど、それでもダンジョンに潜る冒険者達は後を絶たない。
というのも、ダンジョンの中には財宝やモンスターの毛皮や角といった、換金所やオークションに出せば大金に化けるかもしれない代物が眠っているからだ。
もっとも、そういう大金になり得るかもしれない物は、大抵の場合最深部か、高ランク(ダンジョンによって難易度がランク付けされている)のダンジョンにしかないので、よほど運がいいか熟練者でもないとなかなか大金なんて手に入らないわけなんだけれども。
それこそ、さっきの三億円も値が付くような代物なんて稀も稀だ。だから朝のニュースでも取り上げられるほど話題になったのだと思う。
でも億万長者を夢見る人にとっては、まさに飛び付きたくなるような話ではある。少なくとも宝くじに頼るよりはよっぽど可能性はあるだろう。その代わり命を引き換えにする覚悟はいるけれど。
とはいえ。
「ダンジョン、かー」
ぼんやりテレビを眺めながらボソッと呟く。今はもう違うニュースに切り替わってしまったけれど、それでもしばらくはテレビから目を離せなかった。
ダンジョン探索。
バイトができない(強迫観念的な意味合いも込めて)おれにしてみれば、唯一自分にもできそうな事ではある。いや、今までダンジョンに潜った事もなければ、運動神経もないヒョロヒョロのゲーオタが何を寝ぼけた事を言っているんだと思われるかもしれないけれど、それでも人と関わりながら仕事をするくらいなら幾分マシだ。
たとえ、それで危険を伴う行為だったとしても。
「よし。さっそく情報収集だ……!」
善は急げとばかりに、さっきまで全然箸が進まなかったご飯を勢いよくかき込む。
「んぐ!? ゲホゲホゲホゲホ!」
「もー。何やってんのよ、あんたは。はい、お茶」
……とりあえず、落ち着いてご飯を食べてからの方がいいかも。
その後、色々と調べてみて。
一口にダンジョンと言っても多種多様にあるという事がよくわかった。
最初はランクについて。
ランクというのはダンジョンごとの難易度分けしたのもの……というのは先述でも説明したけれど、細部を語るならば、一番下からC級、それから順にB級、A級、S級、そして最上位のSSS級と難易度が上がっていく仕組みになっている。
これはあらかじめランク付けしておく事で、自分の力量をちゃんと見極めた上で、ケガや命の危険に関しては完全に自己責任で行ってくださいねという意味合いもある。
中には立ち入り禁止区域もあるみたいで、そういうところは絶対人が入れないような場所……つまり毒ガスだったり肌が焼け爛れるような熱風がダンジョン内に充満している所がほとんどらしい。
もっともランク付けに関しては、あくまで目安でしかないのだとか。
というのも、ランクを指定しているのは国……もっと言うと公務員として雇っている探索班が、途中の階まで調べた結果でしかないからだ。
つまりB級とランク付けされていたダンジョンが、いざ探索班が調べた階以上の所まで潜ってみると、A級並みの難易度だった──というケースが稀にあったりするのである。
じゃあなんで途中までしか調べないのかというと、ダンジョンという特性上、命の保証がまったくできないからだ。
もちろん仕事として行っている限りは、ちゃんと国から保険は下りるけれど、だからと言って好き好んでケガをしたい人なんていないだろうし、まして死んだりしたら元も子もない。
その代わり、すごく給料はいいらしい。まあ命を張ってまでダンジョン内の調査(毒ガスが外まで漏れてきていないか、モンスターがダンジョンから出てくる危険性はないか等)をしているのだから、当然と言えば当然の話ではあるけれど。
逆に、財宝やモンスターの素材を求めてダンジョンに潜る人は一切保険が下りないので──仕事でもないのに、趣味や金銭目的で自分から危険な場所に行く奴なんかに、国から保険なんて下りるわけないだろという話だ──文字通り、命懸けで挑む必要があるのだとか。
ちなみに、ここで言う冒険者とは宝やモンスターを素材を求めてダンジョンを潜る人達の言葉を指し、探索者とはあくまでもダンジョン内の様子を調査する人達の事を指すのだとか。
以上、ネットで見た豆知識でした。
続いて、次はダンジョンの種類。
ダンジョンには大きく分けて洞窟型、地下神殿型、迷宮型、塔型の四つがある。
ここで重要となるのが、ダンジョンの種類によって必要不可欠な道具が出てくる点だ。
たとえば洞窟型や地下神殿型みたいな暗い場所だと灯りが絶対必要になるし、迷宮型や塔型みたいな道が入り組んでいるところは方位磁石が絶対必須となる。
ただここで問題なのが、すべてのダンジョンにおいて電子機器のような現代の代物が全然使えなくなってしまう──つまりスマホやカメラといった精密機械は一体動かなくなってしまうのである。
それも、目には見えない不思議な力によって。
しかも厄介なのが、使用できなくなるの物が精密機械だけじゃなくて、銃やライターといった物ですら、先に述べた不思議な力のせいで使用できなくなってしまうのだ。
まるで、科学の力を拒むように。
まあ中には懐中電灯みたいになぜか不思議な力に影響されない物もあるらしいけれど、そういった物は二十年経った今でも数種類しか判明していない。
とどのつまり、ダンジョンを探索する際は大昔にタイムスリップするくらいの装備と覚悟で行く必要があるというわけだ。
で。
以上の点を踏まえた結果、おれが選んだダンジョンは──
「ここが、黒部地下ダンジョン……」
自宅から自転車を走らせて二十分。
厳重に高いフェンスで囲っている公園ほどの広さの空き地に、おれがこれから入ろうとしているダンジョンがあった。
黒部地下ダンジョン。
黒部市──つまりおれが住んでいる地域内にあるダンジョンで、難易度はA級。タイプは地下神殿型。出来たのは一年前と比較的新しいダンジョンだ。
ネットで見た写真では地下深くまで階段が続いていたけれど、実際は小屋が建てられているので外観はわからないようになっている。そのすぐそばに関所があって警備員の方が周囲に目を光らせていた。きっと子供が遊び半分で入らないようにするためだろう。
しかもA級ともなれば、ケガだけじゃ済まなくなる可能性が高い。
それこそ、命の危険だって。
「…………っ」
思わず生唾を嚥下する。今からここに入るのだと思うと足が竦みそうだった。
本当はもっと初心者向けのダンジョンを選ぶべきだったのかもしれないけれど、B級やC級はここからバスや電車に乗らないといけないくらい遠い場所しかなくて、そうなると余計な出費が嵩むので、少し無謀かもしれないけれど一番近くにあったA級を選んだのだ。
それに、これから自分の小遣いを溜めようと思ったら、低ランクのダンジョンをちょっと潜った程度じゃ月々のスマホ代すら少し怪しい。ましてゲームなんて高額な物、買えるわけもない。
などと三日間じっくりと熟慮した結果、この黒田地下ダンジョンに来たってわけである。
もちろんダンジョン初心者のおれが、難なくA級をクリアできるなんて思っちゃいない。それなりに対策は練ってきたつもりだ。
まずは持ち物。
これはどの掲示板やサイトでも言われていた事だけれど、初心者は必要最低限の荷物だけ用意しろとの話だったので、今回はリュックサックじゃなくてショルダーバッグに入る程度の持ち物にしておいた。
というのも、初心者はいざ危険な場面に遭遇した際に反応が遅れがちになってしまうので、少しでも身軽にしておいた方がいいのだとか。
ただパーティーを組んでいる場合だとまた事情が変わってくる場合もあるけれど、コミュ障のおれが赤の他人と集団行動できるはずもないので、そのへんは当然のようにスルーするとして。
ともあれ、今回のダンジョン探索において、おれが用意したのが──
・ダガーナイフ(腰ベルトに装着中)
・ボトル水筒(二本)
・携帯用救急セット
・懐中電灯(手首ライト)
・方位磁石
・携帯食
・伸縮棒
・煙玉(煙幕)数個
以上である。
コンセプトは「逃げるが勝ち」と言った感じ。
服装も上下ともにジャージと動きやすい格好にしておいた。
初心者な上、運動神経が別段優れているわけでもない自分がA級ダンジョンにいるモンスターと渡り合えるはずもないので、まずは罠とモンスターを避けて行動する事を第一に考えたのだ。
一応それぞれ説明しておくと、ダガーナイフは言わずもがな武器として。伸縮棒と煙玉以外に関してはダンジョンに潜る際の必需品として入れておいた。
で、伸縮棒は念の為ナイフよりも長い武器として選んだというのもあるけれど、罠のような物を見つけた時に直接手で触らずに済むようにと伸縮自在な物を選んだのだ。
ちなみにダガーナイフのような武器をダンジョンまで持ち歩く際は、事前に役所などで許可証を貰わないといけない決まりになっている。
それだけじゃなく、必ず見える位置に武器と許可証を携帯するよう義務付けられており、もしも法を破れば逮捕や罰金の対象になってしまうそうだ。
ダンジョンが出来る前や出来たばかりの頃はもっと厳しかったらしいので、そういう意味では規制が緩くなった頃に探索ができて良かったと言えるかもしれない(その代わり、お巡りさんがパトロールする回数が格段に増えたって話も聞くけれど)。
そして煙玉は、モンスターと対面してしまった際、とっさに逃げるためとして自作しておいた。中身は小麦粉なので人体に害はないし、何より店やネットで買うより安価で済んでいい。
もっとも、水筒と携帯食以外はほとんどネットか地元のスーパーで購入したので、それなりに懐がお寒くなってしまったけれど。
まあそのへんは今後のための出費だと思って甘んじるしかない。
はてさて。
長々とした説明(よくよく考えたら、だれに向かって説明してるんだろうか、おれ……)も終わったところで、さっそくダンジョンに入るとしようか。
「おっと。その前に……」
自転車をそばの空き地に停めたあと、ダンジョンの前に設置してある木箱に近付く。そばには簡易テーブルと小箱に用紙が何十枚と置かれてあった。
これは登山届のようなもので、前もって自分の名前や住所などを書いておく事で、なかなか帰ってこない探索者を心配した身内から警察に連絡がいった際、すぐ探索者の居所を特定してもらうためのものである。
もしも何かしらの事情があってダンジョンから出れなくなった時の最後の命綱ってわけだ。
見ると、おれが自転車を停めた空き地に数台の車があったので、きっと先に黒部地下ダンジョンに潜った人がいるのだろう。
「これでよし、と」
用紙を書き終わり、四つ折りにして木箱の中に。
これで準備は整った。
いよいよ、おれの初ダンジョン探索が始まる……!
「うぅ……。今になって足が震えてきた……って、んん?」
緊張と不安で笑う膝を落ち着かせようとして少し屈んだところで、足元の近くに小さな黄色い花々を見つけた。
でもその花々はだれかに踏まれたのか、地面にもたれかかれるような形でほとんどしなれていた。
「可哀想に……こんなに可愛いのに……」
小学から中学までずっと花係をやっていた身としては(係の中で一番人と接する機会のないやつだったので積極的に選んでた)できたらなんとかしてあげたいところだけど、完全に茎が折れている上にいくつか花びらも散ってしまっているものがほとんどなので、ここから元の状態に復活させるのは、おれみたいな素人ではかなり難しいだろう。
それこそ花屋さんだったらなんとか出来たかもしれないけど、さすがに道端に生えている花くらいで助けを求めるのは憚れるものがある。何より、ぶっちゃけ恥ずかしい。
なんて自分の不甲斐なさに落胆していると、
「あ、まだ元気なやつがあった」
しなれているものばかりの中で、唯一見つけた一輪の元気な花。
その花は他のに比べてまだ新しいのか、幾分小さくはあるけれど、空まで伸びようとしているかのように可愛いらしい黄色い花を咲かせていた。
でもこの花もたまたま踏まれずに済んだだけで、今後も無事とは限らない。どこか他の安全な場所に移さない限りは。
「……………………」
無言で近くの小石を拾って、その元気な一輪の周りを少しずつ掘っていく。決して根を傷付けないよう慎重に。
所詮は雑草に過ぎないだろうけど、それでも一度見てしまった可愛い花を……このままではだれかに踏まれるかもしれない花を放っておく事なんてできなかった。
そうして根本まで掘り起こした花を古屋の横手……関所がある方とは逆の位置に運び、だれかに踏まれる心配のない日当たりのいい場所に移し替えた。
「ここなら大丈夫っと」
パンパンと手に付いた土を払って立ち上がる。
最後に「元気でな」と小さく声を掛けたあと、改めて黒部地下ダンジョンと向き直った。
さあ、所用も済ませたところで──
「いざ、ダンジョンへ……!」
■ ■ ■
地下神殿へと続く階段を淡々と下っていく。次第に薄暗くなっていくのに合わせて、用意しておいた手首式の懐中電灯を点ける。
うん。これ、すごく便利だ。
一般的な懐中電灯と違って手で持つ必要がないし、うっかり落とす心配もない。何より両手が空くのがいい。
本当は頭に付けるタイプにするかどうか迷っていたところだったけれど、やっぱりこっちにしておいて正解だった。これなら頭に付けるタイプと違って、足元に気を付けながら歩けるので、こういった階段を下りる時にとても助かる。
そうしてしばらく下っていくと、次第に通路のような広い空間に出た。
階段を下り終えて、辺りを照らしながら見渡してみる。
周りはすべて石壁で、当然だけれど、窓なんてどこにも見当たらない。案内板のようなものもなく、ただ燭台もない薄暗い空間が前方にどこまでも広がっていた。
それこそ、先は真っ暗で何も見えないくらいに。
「これがダンジョン……」
思わずブルッと身震いする。思っていたよりもずっと静まり返った空間に、肌が粟立ちそうだった。
ただ唯一ホッとしたのが、想像していたよりは暗くもなくて、見るからに危険な雰囲気もしなかった事くらいだろうか。
もしもこれですぐモンスターに出くわすような事態に遭っていたら、早々に逃げていたかもしれない。
「けど、安心するのはまだ早いよね……」
なぜならここはダンジョン──それもA級。
そこまで深く潜るつもりはないけれど……ていうか値打ちのありそうな物を見つけ次第さっさと帰るつもりだけれども、だからと言って無事に済む保証なんてどこにもない。
ましてや、おれみたいな初心者は他の人の倍は気を引き締めないと。
「よ、よし。行こう……!」
いつでもダガーナイフを抜けるよう手を添えつつ、おれは慎重に周りを警戒しながら歩を進めた。
「長いな、この通路……」
時計が使えない(例によってダンジョンの不思議な力によって)ので体感でしかないけれど、もうかれこれ二十分ほど歩いただろうか。
たまに曲がり角がある程度で、今のところ、これと言った変化は見られない。
「いや、変に分かれ道がいっぱいあるよりはいいけれどさ……」
こういう時に地図があったら便利なんだけど、探索省(日本の省庁のひとつ)は興味本位でダンジョンに行く人が増えないためにあえて公表しないという方針だし、一般の探索者が書いた地図は大抵高額で取り引きされているので、おれみたいな金のない学生には手を伸ばせる値段じゃない。
なので、仕方なく無料で読めるけれど、そのかわり詳細は少ないダンジョン紹介サイトを当てにするしかなかった。
その紹介サイトによると、こういう地下神殿型のダンジョンは下へ行く階段が多いみたいだけれど、この黒部地下ダンジョンもけっこうな数の階段があるらしい。
それもダミーというか、罠へと続く階段を含めて。
しかもかなり殺傷力の高い罠らしいので、細心の注意を払う必要があった。いや罠だけじゃなく、モンスターもけっこうヤバい奴ばかりらしいので、そっちも注意しなくちゃいけないんだけれども。
「注意しなくちゃいけない事ばっかりで気が疲れそうだ……」
初心者が一人でA級ダンジョンに挑んでいるんだから、気を張り過ぎるくらいの方がちょうどいいかもしれないけれど。
なんて独り言をこぼしつつ、相変わらず分かれ道ひとつない暗い通路をおそるおそる進む。
と。
──すぅ、はあ。すぅ、はあ……。
「なに、今の……?」
思わずビクッとしつつ、耳を澄ませてみる。
まだ聞こえる。息遣いのようなものが、前方から絶え間なく。
「も、もしかしてモンスター……っ」
とっさにダガーナイフを抜いて構える。ろくに武道も習った事もない、素人の構えで。
ヤバそうな奴だったらすぐに逃げよう……そう思いながらしばらく構えてみるも、荒い息遣いが聞こえるだけでモンスターが現れる気配は一向にない。
「ひょっとして、あっちも警戒している……?」
だとしたら迂闊に出れないな、なんて対応に困っている時だった。
──はぁ、はぁ。み、水……。喉が……っ。
「人の声だ……!」
慌てて前を照らしながら、声のした方へ急ぐ。
まだモンスターが近くにいる危険性も拭えないけれど、それならとっくに声の主を襲っているはずだし、何より水を欲しがっているという事は脱水状態に陥っているのかもしれない。だとしたら早く駆けつけてあげないと命に関わる。
そんな事を考えていたら、今まで及び腰だったのが嘘のように足が勝手に動いていた。
そうして、全力で走っていると──
「いた! 人がいる!」
間違いない。暗がりの中、二十代後半くらいの男の人が、壁にもたれた状態でぐったりしている。よくよく見ると、ケイピングスーツのような丈夫そうな服があちこち破れており、そこから軽傷ながらも痛々しい傷口が血と一緒に露わになっていた。
「だ、大丈夫ですか? これ、よかったら……」
傷口から目を逸らしつつ、水を欲しがっていたみたいなので持参しておいたスポーツドリンク入りの水筒をお兄さんに渡してみる。
するとお兄さんはハッとした顔で水筒を受け取り、ゴクゴクと勢いよく飲み始めた。
それこそ、水筒の中身をすべて飲み干しそうな勢いで。
ややあって。
「いやー、ありがとう。おかげで生き返ったよ」
ほとんど空に近い水筒を受け取りつつ「いえ」と首を横に振る。
「あ、悪い……。ほとんど飲んじゃったけど、大丈夫だった?」
「いえ、あ、はい。ま、まだもう一本あるので」
どもりつつ、ポンポンとショルダーバッグを叩く。念の為に少し大きめのバッグに水筒を二本入れておいて本当によかった。
何より、見た目は筋肉質で屈強そうなお兄さんだけれど、話してみると温和そうな人でホッとした。これならコミュ障なおれでもなんとか会話できそうだ。
「そっか。それにしてもマジで助かったよ。君が来てくれていなかったら、ここで野垂れ死んでいたどこかだった」
「い、いやいやそんな……。でも、どうしてまたこんなところに? こ、この先で何かあったんですか?」
今のところ罠もなければモンスターの気配も感じられない通路で一人憔悴していたという事は、この先の道で傷を負いながら逃げてきたとしか思えない。
というおれの予想は当たっていたようで、
「ああ……。俺も含めて四人のパーティーでこのダンジョンに入ったんだが、途中で散り散りになってしまってね……。俺は荷物持ちだったから、まだ残っていた食料や水でどうにかここまで生き延びれたけど、他の奴は一体どうなったか……」
言って、足を抱えながら項垂れるお兄さん。
荷物持ちと言っていたけれど、その荷物がどこにも無いところを見ると、途中で落としたか、もしくはすべて使い切ってしまったのか……何にしても壮絶な状況下にいたのは想像に難くなかった。
「そ、そうですか……。とても大変な目に遭ってきたんですね……」
「ああ。俺もそれなりに覚悟してきたつもりだったんだが、思っていた以上だった。君もこれから先に進むつまりなら十分に気を付けた方がいい。俺も探索者になってかれこれ五年は経つが、ここは今まで潜ってきたダンジョンの中でも最高難易度だ。こうしてなんとか生きているのが不思議に思えてくるくらいだぜ。さすがはSSS級の事だけはある……」
「そ、そうですか。SSS級ってそこまで……」
…………ん?
今、SSS級って言わなかった?
「え、SSS級!? ここってSSS級なんですか!?」
「おわ!? お、おう。その通りだけど……?」
おれの大声に驚いた顔をしつつ、質問に答えてくれるお兄さん。
「SSS級って……A級の間違いじゃなくて?」
「A級って、それは先月までの話だぞ」
「せ、先月……? でも、この間見たサイトにはA級って……」
そう言うと、お兄さんは「あー」と少し呆れたような声音で相槌を返して、
「もしかしてそれ、個人サイトか? ダメだよ、君。そういうのはちゃんと探索省のホームページを確認しないと。個人サイトは変更前の情報がそのまま掲載されてあったりするから、あんまり信用すると痛い目を見るぞ」
「……じゃあ、本当にここって先月まではA級だったんですか?」
「うん。先月の中旬辺りに再調査が行われてね、A級からSSS級までランクアップしたんだ。何でもやたら多数の死者が報告されるから、改めて調査してみたら、下の階層に行くにつれて罠やモンスターのレベルが桁違いに上がっていてね。それでSSS級認定されたらしい」
「さ、再調査が行われてランクがアップしたダンジョンの話はたまに聞いた事ありますけれど、それでも2ランク……それもA級からSSS級なんて……」
「まあ滅多にない話ではあるな。そもそもSSS級自体かなり珍しい方だし」
聞いた事がある。二百近くあるダンジョンの中でもSSS級は十ヶ所程度しかないと。
「そんなとんでもないものが、まさかこんな近くにあったなんて……」
「あ、ひょっとして君も地元の人? 自分のパーティーも全員地元なんだけどさ、近くにSSS級ダンジョンが見つかったって聞いて、俺達もチャレンジしてみた口なんだよ」
まあ結果はご覧の有り様だけどな、と微苦笑するお兄さん。どうしよう、コミュ障だからなんて応えたらいいのかわからない……。
「ていうか君、ずいぶんと軽装だけど大丈夫? 特殊アイテムは?」
特殊アイテム。
それはダンジョンで手に入る不思議な道具の事だ。
そのどれもが魔法のような力を持っているのだけれど、ほとんどの場合、なぜかダンジョンの外に出てしまうと、たちまち効力を失ってしまう仕様となっている。
こっちだと科学の力は使えないように、外に出ると特殊アイテムが使えなくなってしまう不思議な力でも働いているのかもしれない。
「特殊アイテムも無しに一人だけで探索って……」
「あ、いや、いえ。え、A級って聞いていたんで、ちょっと潜ったらすぐに帰るつもりでいて……」
「あ、そっか。SSS級って知らなかったんだっけ。いやだとしても、その装備はどうかと思うよ。A級に入るならせめて三人くらいはいないと。慣れている奴でも一人だけって言うのは相当キツいと思うぞ?」
「さ、三人ですか……」
コミュ障のおれには仲間を集める事の方が断然キツいんですよ、なんて本当の事は言えなかった。だって恥ずかしいし……。
「まあこんな事、わざわざ言うまでもないか。君も何かしらの事情があって一人でここに来たんだろうし。俺が忠告するのも野暮か」
言いながら、お兄さんはおもむろに「よいしょ」と立ち上がった。
「さて、体力も回復をしたし、俺はそろそろ行くよ。早く外に出て、地下に潜ったままの仲間を助けてもらわないといけないしな。この恩は絶対死ぬまで忘れないって君に誓うよ」
「いやいやそんな……」
「あ、そうだ。これ、恩返しと思って受け取ってくれないか?」
言って、お兄さんが懐から取り出したのは、香水みたいな小瓶だった。
「これは……?」
「これは別のダンジョンに潜った時に手に入れたアイテムでな、傷口に効能があるんだ」
「そ、それって別のダンジョンでも使えるものなんですか?」
「うん。問題なく使えるぞ。使えないのはダンジョンなら離れた時だけだ」
「そ、それなら今、自分で使った方が……」
「大丈夫大丈夫。これくらいの傷、探索者なら日常茶飯事だしな。だから気にせず持って行ってほしい」
「えっと、じゃあ……」
グイグイ勧めてくるお兄さんに、戸惑いつつも小瓶を受け取る。こういう押しの弱いところは、おれの欠点のひとつでもある。
けど、この先に進むのなら、絶対役に立つ代物ではある。どうせありがたく頂戴しておこう。
「そんじゃ、俺はもう行くから。色々世話になった」
「い、いえ。そんなお礼を言われるほどの事は……」
「あはは。ほんと謙虚な子だなあ。そういう奴、嫌いじゃないぜ」
「は、はあ……」
「だからこそ言うが、この先に進むつもりなら、くれぐれも自分の命を粗末に扱うような行動だけはしないでくれよ? 君みたいな子がこんなとこで死ぬのは忍びないからな」
──じゃあ、道中気を付けてな。
そう笑顔でおれに手を振りながら、お兄さんは出口のある方へと去っていった。
「行っちゃった……」
無意識に呟きが漏れた。こうしてまた一人になってみて、改めてここの静けさを実感してしまったせいかもしれない。
なんか、余計心細くなってきたっていうか。
「ここがSSS級ダンジョンだったって知らされたせいもあるんだろうけど……」
てっきりA級だと思っていたのに、まさかのSSS級だったなんて。下調べが甘過ぎたとしか言いようがない。
お兄さんも言っていたけれど、特殊アイテムも無しに一人で高ランクのダンジョンを潜るのはかなり厳しいらしいし、なんなら今すぐにでも退散した方がいいのかも……?
なんて、すっかり逃げ腰になっていた、そんな時だった。
──不意に足音のようなものが、通路の奥から聞こえてきた。
ひょっとすると、途中で散り散りになってしまったという、お兄さんの仲間だろうか?
そう思って耳を澄ませてみるも、だんだんと違うかもしれないという予感の方が強くなってきた。
というのも、足音が妙に重く響いてくるのだ。
それも、おれより一回りは大きそうな感じの。
普通に考えたら、すごく大柄の人の足音と判断するのが妥当なところだけど、それにしては靴を履いて出る音じゃないというか、そのまま裸足で歩いているような感じがする。
仮にもダンジョンのような危ない場所を歩くのに、わざわざ裸足を選ぶ人なんているだろうか。
もちろんどこかで靴が脱げてしまって、仕方なく裸足でいるだけという線もあるけれど──
なんて思考を巡らせていた間にも、足音が着実におれの元へと近付いてくる。
それこそ懐中電灯で照らすだけで、足音の主が判明するくらいの距離にまで。
ど、どうしよう……。モンスターだったら絶対ヤバいし、今からでも全力で入口まで引き返すべき?
いやでも、お兄さんの時みたいに弱っている人だったら大変だし、ちゃんと足音の正体を確認した方がいいのかも……。
「グルル──」
ハッと弾かれるように唸り声がした方を振り返る。
どっち付かずの逡巡ばかり繰り返していた間に、それはいた。
全身赤い体毛に、満月のようにギラついた瞳。
牙はどれも刃物のように鋭く尖っていて、耳はほんの少しの水滴すら聞き逃さないとばかりにピンと真上に立っていた。
それは端的に言えば、赤毛のオオカミと言った感じだった。
しかも二足歩行で、無骨な剣を腰に携えた──
「キラーコボルト……!!」
キラーコボルト。
コボルト種の中でも最上位に位置する、最強のコボルト。
小さい頃に図鑑で見たモンスターが、今、おれの目の前にいる……!
「はっ……はっ……」
呼吸が乱れる。足に力が入らない。いや、すでに立ってすらいない。気が付いた時には、尻餅を付いていた。
まずいまずいヤバいヤバい! 早く逃げないと! 今すぐ立たなきゃ! 立て! 立て! 立て!
そう何度も自分の足に言い聞かせているのに、震えてばかりで一切力が入らない。
もはや、悲鳴を上げる事すら頭から離れている状態だった。
そうこうしている内に、キラーコボルトが一歩一歩おれに近寄ってくる。腰に携えた剣を振り下ろせば、おれの脳天を容易くカチ割れそうな距離にまで。
ああ……おれはここで殺されてしまうんだな……あっけない最期だったな……。
そんな風に自分の死を覚悟して、力強く瞼を閉じた瞬間──
ふわっと、だれかに体を持たれる感触がした。
「ん……?」
思わず瞑目したまま首を傾げる。
あれ? おれ、まだ生きてる?
しかも、だれかに運ばれてる?
色々と不可解な事態に混乱しつつも、少しでも現状を把握しようと薄っすら瞼を開けてみる。
キラーコボルトの顔が目の前にあった。
ていうか、そのキラーコボルトにお姫様抱っこで運ばれていた。
「んんん……?」
ど、どういう事?
なんでおれ、キラーコボルトにお姫様抱っこされてるの?
さっぱりわけがわからないまま、キラーコボルトは無言でおれを運びながら通路の奥へ奥へと歩く。
これまでなかった分かれ道も、迷いのない足取りでぐんぐん進みながら。
そんなこんなしている内に、目の前に扉が見えてきた。
「がう」
「へ? あ、下りてどうぞって事……?」
なんとなく地面に下ろしてくれようとしているような雰囲気だったので、そう訊ねてみると「がうが」と頷かれた。
ていうか、普通に言葉通じるんだ……。
ともあれ、言われた(?)ようにキラーコボルトの腕からゆっくり下りる。
そして改めて正面に向き直って、「あのー」とキラーコボルトに話しかけてみた。
「もしかしてだけど、腰を抜かしたおれを見て、ここまで運んでくれたとか……?」
「がうがう」
またしても首肯された。
「えっと……なんていうか、ご親切にありがとうございました……」
「がうー」
まるで「いいって事よ」と言わんばかりに、気さくに片手を振るキラーコボルト。
あれ、ひょっとしてこのキラーコボルトさん、めちゃくちゃ良い方なのでは……?
「あ、そうだ」
ふと思い立って、ショルダーバッグを開ける。
「これ、お礼です。よかったら……」
「がう?」
差し出した携帯食(パック入りの干し肉)を手に首を傾げるキラーコボルトさん。
あ、そっか。開け方がわからないのか。
慌ててまだ余っていた干し肉を取り出して、真空パックの開け口を切ってからキラーコボルトさんに「はい」と手渡す。
最初こそ訝しげにクンクンと匂いを嗅いでいたキラーコボルトさんだったけれど、食べれる物だと認識してくれたのか、大きな口を開けて干し肉にガブリとかぶり付いた。
「がうがうが〜!」
と、瞳をキラキラしながら干し肉に食らい付くキラーコボルトさん。
どうやら、お気に召してくれたらしい。
そんなこんなですぐに平らげたキラーコボルトさんは、今度は未開封のままだった干し肉のパックを器用に開けて、また喜色満面に食べ始めた。
こんな一心不乱に食べてもらえると、あげた側としてもすごく嬉しい。いつまでも見ていたい気分になってくる。
なんていうか、動物の微笑ましい動画を眺めているような、穏やかな気持ちになってくるな……。
「って、癒されている場合じゃなかった!」
ダンジョンでは時計が使えない。つまりこうしている間にも、どれだけ時間が進んでいるのかもわからないのだ。
食料や水だって無限にあるわけじゃない。ダンジョンに潜っている時間が長ければ長いほど、確実に減っていく。底を付いたら即アウト。ダンジョンから出ないと死を意味する。
そして今回、おれは二日、三日分くらいしか食料を持ってきていない。
ぶっちゃけ一日で帰るつもりだったおれとしては、いつまでも一階層にいるわけにはいかないのだ。
なんとしても、ダンジョンの宝を持ち帰るまでは。
「えっと……それじゃあ、おれはここで……」
「がうがー」
手を振ると、キラーコボルトさんも干し肉を口にしながら手を振り返してくれた。優しい。
そんなわけで、キラーコボルトさんに見送られながら、おれは扉を開けて中へと進んだ。
■ ■ ■
中に入ってみると、さっきまでより広い空間──相変わらず薄暗いままだけれど、感覚的に大型ショッピングモールの一階分くらいはありそうな、だだっ広いところに出た。
警戒しつつ、辺りを懐中電灯で照らす。
一見、特に問題はなさそう。と言っても中が広過ぎるのと、おれが持っている手首ライトだと範囲が狭過ぎて全体を把握しきれないので、安心はできない。
「こわ……」
これだと、いつ暗闇の中からモンスターが出てくるかもわからない。恐怖で足が竦みつつも、細心の注意を払いながら先へと続く通路や扉、階段をしらみ潰しに探す。
でも、なんだろう。この違和感のみたいなのは。
おれ一人だけのはずなのに、別の何かがいるような奇妙な感覚がするというか。
けど、それが具体的にどこにいるかはわからない。そもそも本当にいるのかどうかもわからない。
うーむ。経過し過ぎなのかな? あんまり神経を尖らせ続けるのも
ややあって、どこからともなくカチカチという変な音が聞こえてきた。
「ん……?」
怪訝に眉根を寄せつつ、変な音がした方へと手首ライトを向けた。
巨大なアリがいた。
それも小型犬くらいの大きさのアリが、十匹ほど。
「シャークアント……!?」
これも図鑑の見た事のあるモンスターだ。
名前の由来は、見た目通りサメのような鋭利な歯が多数並んでいるから。
そして『アント』というだけあって、こいつはアリのように群れを作って獲物を捕食する習性がある。
しかもこいつは、かなり獰猛で有名だ。食べれると判断した獲物は執拗に狙ってくる上、歯をカチカチと鳴らしながら他の仲間と連携して襲ってくる。
つまりあの時聞こえた『カチカチ』という音は、今からおれを襲う合図だったわけだ。
「うわあっ! どど、どうし……!?」
遅まきながら自分が狙われていると気づいて、慌ててダガーナイフを抜く。けどこんなの、ナイフ一本でどうにかできる数じゃない。よしんば一匹くらいはどうにかできたとしても、その間に残りのシャークアントに襲われるのが関の山だ。
やっぱここは逃げるべきか!? でも、あちこち歩き回ったせいで扉の位置がわからない! こんな暗闇じゃなかったらすぐ逃げられたのに!
そもそもシャークアントはこれだけなのか!? まだ他にもいるんじゃ──
と。
キラーコボルトさんと遭遇した時と同様、必死に回避策を練っている瞬間の出来事だった。
シャークアントが、一斉に飛びかかってきた。
「うわああああああああああああ!?」
ダガーナイフを構える事すら忘れて、おれは顔の前で腕を組んだ。
それは捕食者にしてみれば絶好のチャンスで、捕食される側としては悪手の極みのような判断だった。
ほんと、おれはバカだ。キラーコボルトさんの時はたまたま良い人(?)と巡り会えたおかげで難を逃れたけれど、本当だったら殺されてもおかしくなかった──たとえ恐怖で足が動かなかったとしても、這いつくばってでも逃げるべきだったんだ。だというのに何にも学習していない。また自分の愚行で死にそうになっている。
やっぱりおれみたいなコミュ障のダメ人間が一人でダンジョンに潜るなんて土台無茶な話だったんだ。それもSSS級なんて、自殺行為も同然。バカにもほどがある。
バカは死んでも治らないっていうけれど、ここで死んだら本当の笑い者だな……なんて、さすがに今度こそ死を覚悟した瞬間──
ゴオウッ! と目の前で炎が迸った。
「うわあ!?」
思わず悲鳴を上げながら尻餅を付く。そしてあっけに取られながら、目の前の出来事をおっかなびっくり確認する。
突如として視界に映った焔。その焔は十匹もいたシャークアントをすべて呑み込み、死体すら残さず灰へと変えていた。
そして焔の勢いはそれだけに収まらず、壁や天井などを駆け巡り、あたかも暗闇なんて最初から無かったかのように周囲を明るく照らした。
さながらそれは炎の照明といった感じで、不思議な事に薪や炭も無しに未だ燃え続けていた。
そして、今さらながらに気付く。
焔を生んだ主が、案外すぐそばにいた事に──
「なっ……!? ど、ドラゴン……!?!?!?」
ドラゴン。
もはや説明不用というか、文字通りの巨大な黒い竜が、さっきまでずっとそうしていたかのようにおれを見下ろしていた。
デカい。兎にも角にもデカい。一般的な二階建てアパートと同じくらいはありそうなほど縦にも横にもデカい。
胴体だけでもこれだけデカいのに、尻尾も長くて太く、背に生えた翼は広げただけで天井に当たりそうなほど立派なものだった。
そんなすごくデカいドラゴンが、今、おれの目の前にいる。
怖い。めちゃくちゃ怖い。当たり前だ。ゾウだって目の前にいたら普通に怖いのに、それよりもデカくてモンスターの中でも超有名で希少種とも呼ばれているファンタジーの代表格のような存在が、おれの眼前に悠々と立っているのだから。
だというのに──
「か、カッコいい……」
威容な存在感を放つドラゴンを前にして、おれは無意識にそんな事を呟いていた。
今この瞬間にも、先ほどの炎で焼き殺されたとしてもおかしくはないというのに。
愚かしいにもほどがあるけれど、子供の頃に図鑑やアニメでよく見ていたドラゴンへの衝撃の方が、恐怖心よりも勝ってしまった。
なんて、あまりにも間の抜けた事を言ってしまったせいだろうか。
それまでずっとおれを睨むように注視していたドラゴンが、興味を失ったように躰を丸めて瞼を閉じてしまった。ちょうどおれからそっぽを向くような形で。
えっと、これって見逃してもらえたって事でいいのかな? 少なくとも敵意はないみたいだけれど……。
そもそも、本当におれをどうこうする気なんてあっだのだろうか。さっきの炎だって、まるでおれを助けようとしていたように思えるし。
まあでも、それはないか。睡眠の妨げになっていたうるさい奴らを単に蹴散らしただけって考えた方が現実的だ。
その理屈で言うなら悲鳴を上げていたおれも大概だったと思うけれど、なにはともあれ、見逃してもらえたのなら、これ以上にありがたい話はない。これ幸いと早々に離脱させてもらうとしよう。
「まさか一階層にこんなドラゴンがいたなんて……やっぱSSS級はおっかいないや。今日のところはこれでやめて早く帰ろ……」
なんて小声で呟きながら、元の扉まで戻ろうとした時だった。
横で丸くなっていたドラゴンが、少しだけ苦しそうに呻いたような気がした。
「…………? 寝言?」
などと小首を傾げつつ横目でドラゴンの様子を窺ってみると、寝てはいるようだけど、やっぱりどこか辛そうに眉間を寄せていた。心なしか、呼吸も乱れているような気もする。
気付けば、おれは扉から離れてドラゴンの周りをしげしげと観察しながら歩いていた。
いや、自分でもバカな事をしているなって思うけれど、どうしても放っておけなくなったのだ。苦しそうにしているドラゴンを見て。
それに、もしシャークアントからおれを守ってくれたのだとしたら。
おれを助けてくれたのだとしたら、ここで見捨てて立ち去ったらあまりにも恩知らずだ。おれが都合よく勝手に解釈しているだけなのかもしれないけど──下手したら命がないかもしれないけれど、それでもこのままにはしておけない。
そうしてしばらくドラゴンの周りを歩いてみて、尻尾の付け根に何が刺さっているのが見えた。
「あれは……短剣……?」
それも日本で見かける類いの武器じゃない。おそらくはネットか何かで海外から購入したか、もしくは。
「特殊アイテム……」
だとしたら、あれに備わっている謎の力のせいでドラゴンが苦しんでいるのかもしれない。
しかもちょうどドラゴンが首を伸ばしても取れない一度に刺さっているので、どうしようもできないでいるのだ。
ごくり、と生唾を飲み込む。今から自分がやろうとしている事に苦笑しながら。
そっと忍び足でドラゴンの尻尾に近寄る。こんなスリリングな緊張感、生まれて初めてだ。ジェットコースターなんて比にもならない。
やがて、尻尾の付け根付近まで来る事ができた。よく見ると深々と短剣が刺さっていて、そこから真っ赤な血がダラダラと流れていた。
「………………よし」
ブルブルと震える体を鼓舞するように一度自分の頬を軽く叩く。それから、短剣の柄をそっと握ろうとして──
ドラゴンが、不意にのっそりと起き上がった。
何をしていると言わんばかりに、紺碧に光る双眸をこっちに向けて。
ひっ、と漏れそうになった悲鳴を必死に喉奥で押し殺す。
今ここでドラゴンを刺激するような真似をしたら、すべておしまいだ。シャークアントの時のように、おれも骨すら残らず焼かれてしまうかもしれない!
「だ、だだ大丈夫だから……!」
つっかえながらも、努めて平静に自分を保ちつつ、静かな声音でドラゴンに話しかける。
「君を助けたいだけなんだ。だから、その短剣を抜かせてくれないかな……。すごく痛いかもだけど……」
ドラゴンは何も言わなかった。身動ぎひとつせず、ジーっとおれを矯めつ眇めつ眺めていた。
も、もしかしておれの反応を観察してる? ちょっとでも妙な動きをしたら、頭からバグっと食われちゃうのかな……?
とかなんとか戦々恐々としている内に、ややあってドラゴンは再び床に伏せて躰を丸めた。
尻尾側だけは、おれの方に向けて。
「あ、ありがとう……」
で、いいんだよね? 許可を頂けたって事でいいんですよね?
と、内心怖々としつつ、再度尻尾の根元まで歩み寄る。
それにしても、よくよく考えたらすごい状況だな、これ。
コミュ障のおれが、ドラゴンに語りかけるなんて。
あまつさえ、そのドラゴンの躰に刺さった短剣を抜こうとしているなんて。
母さんに話したら、絶対冗談だと思われて一笑に付されるんだろうなあとか場違いな事を考えつつ、慎重に短剣の柄を両手で握る。
「えっと、じゃあ、いきます……」
一応、先に一声かけておいた。相変わらずドラゴンからはなんの返事もないけれど、まあ、念には念をというわけで。
一気に引き抜くのはさすがに痛いだろうと思い、ゆっくりと引き抜く事にした。緊張と恐怖で震えた手に力を込めつつ、絶対手をすべらせないよう細心の注意を払いながら、ゆっくりゆっくりと。
やがて、刃の先が見え始めたところで、おれはいっそう神経を使いながら、短剣を完全に引き抜いた。
「うわ……」
短剣を引き抜いたと同時に、ドバドバと溢れるように出てくる鮮血に、思わず顔が引き攣る。
この巨体だから多少の出血は問題ないと思うけど、だからと言ってこのままにしておけるはずもないし、それ以前に見るからに痛々しい。
とはいえ、一体どうしたものか。ミニサイズの救急セットならあるけれど、さすがにこんな大きい尻尾を巻けるだけの包帯なんてないし……。
「あ」
そこで思い出した。そういえば冒険者のお兄さんに傷薬らしき特殊アイテムを貰っていた事を。
さっそくショルダーバッグから取り出した小瓶の蓋を開けて、刺し傷の上から少しずつかけてみる。
するとどういう不思議な力が働いているのかわからないけれど、みるみる内に傷が塞がり、最終的には傷跡も見当たらないくらい綺麗に治ってしまった。
「すご……。これが特殊アイテムの力……」
惜しむらくはその特殊アイテム(それも貴重そうな回復系の)をすべて使い切ってしまった事だけれど、まあそれでドラゴンを助けられたのだから安いものだと思っていよう。
……持って帰って換金所に持っていたら、それなりに値が付いたかもしれないけど。
なんて若干残念に思いつつも、空になった小瓶をバッグに仕舞って、
「じゃあ、おれはこれで……」
と一声かけてから、再び入り口に戻るべく、元来た扉へと歩を進める。
『人の子よ。なぜ我を助けた?』
ん?
あれ? なんか声が聞こえたような気が……?
んなわけないか。ここにはドラゴンしかいないし、ましてモンスターが人の言葉を話せるわけが──
『人の子よ、再度問う。なぜ我を助けた?』
やっぱ喋ってるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?
「ひえ……! 喋っ……ドラゴンが喋っ……!?」
『実際に声を発しているわけではない。人の子にも通じるよう、直接脳内に我の言葉を飛ばしているにすぎぬ』
あ、言われてもみれば、頭に直接響いてくる感じかも……。
『しかしながら、こちらからは一方的にしか言葉を飛ばせぬ。そのため、返答する際は声を出してもらいたい。人の子の言葉はすでに学習済みゆえ』
「え、あ、はい……」
しどろもどろに頷く。
まさかモンスターに話しかけられる日が来るなんて……こんなの図鑑どころかネットですら、見た事も聞いた事もない。
それこそ、アニメとかゲーム以外では。
ともあれ、今は質問に答えないと。
「えっと……。ドラゴン──さんを助けた理由、ですか……?」
『左様。人間達は我らをモンスターと遭遇したら見境なく襲い掛かってくるか、もしくは脱兎のごとく逃げるかのどちらかだ。事実、人の子が来る前に訪れた侵入者達も我を突然襲い、そこにある毒付きの短剣で我を封じてきた』
ドラゴンさんに言われて、床に捨てた短剣に目をやる。
やっぱり、あれのせいでドラゴンさんが弱っていたのか。さっき侵入者がどうのとか言っていたけれど、もしかしたらここまで来る途中で出会ったお兄さんの仲間がやった事なのかもしれない。
『人間は皆、モンスターを恐れるか、それ以外は金になる素材としか見ていない。事実、ここへ侵入してきた人間どもは我の爪や皮を剥がそうと刃を向けてくる者ばかりであった。あの忌々しい短剣を我に刺してきた連中は、先を急いでいたのか、我を封じただけで爪や皮を剥がしこそせなんだが。
翻って、人の子は我を恐れながらも、こうして我を助けた。その真意が掴めぬ。いかような理由で人の子は我を助けた?』
「そ、それは……」
どう説明したらいいんだろう……? 口下手だからうまく喋れる自信がないんだけれど、とりあえず思った事をそのまま話したらいいのかな?
「ど、ドラゴンさんの言っている事は間違ってないと思います。し、正直に言うと、おれもモンスターの素材かダンジョンの宝目当てに来たので……」
『ならば、なおさらなぜ?』
「こ、ここに来る前、モンスターに……キラーコボルトさんに会ったんです。最初は殺されるのかとビクビクしてたんですけれど、そのキラーコボルトさんがたまたま良いモンスターだったのか、ここまで親切に案内してくれて……。
なので、モンスターの中にも良い人がいるのかもと思うようになって。さ、さっきもドラゴンさんがシャークアントから助けてくれたような気がしたので、それで恩を返したいと思ったのかも……」
『つまり、恩を恩で返しただけと?』
「は、はい。あ、いや、やっぱり少し違うかも……」
自分で言っていて違和感に気付く。
確かに恩返ししたいという気持ちはあったけれど、でも、それだけじゃなくて──
「そっか。おれ、ただドラゴンさんをあのままにしたくなかっただけだったんだ……」
だからあの時、考えるより先に体が動いたんだ。
恐怖だとか恩返しだとかそんな事よりも、単純にドラゴンさんを助けたい一心で。
『なるほど』
と。
気付けば自然と心情を吐露していたおれに、ドラゴンさんは納得したように瞑目した。
『あの方が気に入ったのも、今ならば理解できる』
「へ? あの方?」
『そうか。人の子は何も知らぬままここまで訪れたのか』
わけがわからず聞き返したおれに、ドラゴンさんはそれまでずっと尻尾側を向けていたのを、ゆっくり正面へと変えて、
『先ほど、シャークアントから人の子を守ったという話だが、あれは我の意思で助けたわけではない。あの方──このダンジョンの精霊であり、我らの主とも言うべき存在に頼まれていたからにすぎぬ。何かあれば、人の子を守ってほしいと』
「え。じゃあ、もしかしてキラーコボルトさんも?」
こくり、と頷くドラゴンさん。
『このダンジョンにいるモンスターは皆、あの方から人の子を守るよう伝達されている。そのキラーコボルトもまた、人の子を見かけて救いの手を差し伸べたのだろう』
「けど、さっきはシャークアントに襲われかけましたよ?」
『モンスターの中には言葉や感情が伝わらぬ知能の低い輩も多い。先ほどのシャークアントもしかり、奴らは我らにすら牙を剥く事も珍しくはない』
「そうなんですか……」
モンスター同士はみんな仲が良いのかと思っていたけれど、案外そうでもないんだなあ。
「と、ところで、ドラゴンさんの言うあの方ってどんな人なんですか? おれ、会った事も見た事もないし、そもそもなんでそんなに優しくしてくれるのかもわからないんですけれど……」
『精霊ゆえ、人の目に映る事は叶わぬ。会話も不可能だ。何らかの意思表示ならば可能だろうが、そも、あの方はそもそも奥ゆかしき乙女。ご自分から積極的に接する事は苦手な方なのだ』
「乙女って、その精霊さんは女の子なんですか?』
『ダンジョンゆえ、性別というものは存在しない。しかしながら見た目や精神を考慮するのであれば、女人と言っても差し支えはないだろう』
「そう、ですか。でも、そんな奥手な精霊さんがどうしておれなんかの手出けを?」
『あの方は狭い範囲であれば、ダンジョンの外を移動する事ができる。今日も散策中に人の子が踏み荒らされた花の中から、一輪だけ無事だったものを他の場所へ移し替えるところを見たと、あの方から聞かされていた。おそらくはその時に人の子に対して好印象を抱いてのだろう』
あー。そういえば、このダンジョンに入る前に花を別の場所に移し替えたっけ……。
「えっ。でも、そんな事で……?」
『あの方は清らかな心の持ち主を好む。それゆえ、人の子に危険が及ばぬよう手出しはしないように伝達し回ったのだろう。とはいえ容赦なく我らを襲う素振りを見せたら、その際は全力で叩き潰してもよいとも口にされていたが』
「へ、へー……」
いや、怖っ!
ダンジョンの精霊さん、怖っ!!!
もしもおれがちょっとでもモンスターに手を出していたら、今頃おれもシャークアントみたいに焼かれていたかもしれなかったわけで、そう考えたら背筋が凍りそうな気分だ。
たまたま出会ったのがキラーコボルトさんのようなすごく強いモンスターだったから、こっちから何がする前に情けなく腰を抜かしてしまったけれど、あの時も運良く命拾いしただけだったんだなあ……。
『そう怯えずともよい。人の子の話を聞く限り、こちらから襲いこそしなければ、特に無害だという事は十分に把握した。むしろ我を助けるほどの器の持ち主であれば、あの方も気分を良くして陰から色々と尽力してくれるであろう』
「じ、尽力ですか……?」
おれもう、このダンジョンの攻略は諦めようかと思ってたんだけど……。
なんて考えが顔に出ちゃっていたのか、ドラゴンさんが訝しげにおれの方を見て、
『人の子よ、この先に進む気はないのか?』
「あー、まあ……。ちょっと、おれには厳しすぎたかなって」
『なるほど。確かに、その貧弱な体では、この先に進むのは難しかろう。まして人の子だけとなれば、到底不可能に見える』
めちゃくちゃはっきり言うなあ……。言っている事自体は正しいけれども。
『ならば、これを持っていくがよい』
言って、ドラゴンさんはおもむろに自分の躰に口許を近付け、何を思ったのか、唐突に黒い鱗を一枚剥いだ。
面食らうおれに、ドラゴンさんはその鱗をこっちに持って来て、
『これがあれば、人の子でも中階層までならば問題なく進めるだろう』
「え? でもこれ、どう使えば……?」
『その鱗に触れてみるがよい』
言われた通り、ドラゴンさんが咥えたままの鱗に指でちょこんと触れてみる。
すると、
「ピヨー!」
「うわっ!?」
触れた瞬間、鱗から眩い光が迸り、その中から小さな黒いドラゴンが現れた。
驚くおれに、その小さなドラゴンはをパタパタと羽ばたかせながら、おれのそばまで近寄ってきた。
「こ、この小っちゃいドラゴンさんみたいなのは?」
『それは我の分身体だ。力は我より劣るが、中階層までのモンスターであれば我の分身体でもどうとでもなる』
「こ、この子が……?」
「ピヨピヨー!」
なぜか嬉しそうに尻尾を振って、人懐っこくおれの胸に飛び込んでくる小っちゃいドラゴンさん。
どうでもいいけれど、ドラゴンなのに「ピヨ」って鳴くんだ……。
「あ、あの、本当にいいんですか? この子を連れて行っても……」
『何ら問題はない。仮に分身体が何者かの手によって破壊されたところで、我に一切害は及ばぬ』
「そ、そうですか……」
そう相槌を打って、おれの胸に頬を擦り付けている小っちゃいドラゴンさんに目をやる。
見た目は可愛らしい赤ちゃんドラゴンって感じだけど、ドラゴンさんの言っている事が本当なら、心強い助っ人になってくれるのは間違いない。
少なくとも、おれなんかよりはずっと頼りになりそうだ。
「それじゃあ、ありがたく連れて行かせていただきます」
『うむ』
「それで、この子の名前は?」
『我の分身体ゆえ、特に名はない。不便というのであれば、人の子が勝手に名付ければいい』
「お、おれがですか?」
急に言われても、何も思い付かないんだけどなあ。
でも分身体とはいえドラゴンなわけだし、やっぱ威厳のある名前の方がいいのかな?
「あ、良いの思い付いた。黒いドラゴンだから、ブラックドランっていうのはどう?」
「ピヨー……」
なんか、心なしか不満そうな顔をされた……。
自分的には、けっこうカッコいい名前だと思ったんだけどなあ。
「ん〜。それじゃあ安直かもしれないけれど、ピヨちゃんっていうのは?」
「ピヨ〜!」
嬉しそうに翼をパタパタさせる小っちゃいドラゴンさん。
どうやら、お気に召してくれたらしい(めちゃくちゃ単純な名前なのに)。
「じゃあピヨちゃん、これからよろしくね」
「ピヨ!」
そんなわけで。
ピヨちゃんという新しい仲間を加えて、おれはダンジョン探索を継続する事になった。
■ ■ ■
ピヨちゃんを連れて、先へと進むおれ。
現在おれたちは、ドラゴンさんのいたフロアにあった階段を下りて暗い通路を歩いていた。
この間、ビクビクしながら歩くおれとは全然違い、ピヨちゃんは元気よく翼を羽ばたかせて先行してくれていた。実に頼もしい。
「ドラゴンさんの話だと、二階層には大きな宝石が採れる場所があるって聞いたけれど……」
手首ライトで仕切りに辺りを照らしながら、宝石ひとつ見逃がすまいと視線を巡らす。
そんなこんなで、ピヨちゃんと一緒に通路を進んでいると、
「あれ……?」
ここに来て、分かれ道に来てしまった。
「どっちがいいんだろ……。ピヨちゃん、わかる?」
「ピヨー……」
ちょっと困った顔をされてしまった。
このダンジョンのモンスターであるピヨちゃんでさえも、この先はわからないらしい。
「どうしよう。勘で行くしかないのかな……」
なんて、分かれ道を前に逡巡していると、ふとそばの壁に矢印が書いてあるのが見えた。
「あ、こっちの道だけ矢印が書いてある……」
もしかして、ここまで来た冒険者かだれかが、道に迷わないようにマーキングしたものだろうか。
いやでも、冒険者の中にはダンジョンの宝を奪われないようにわざと間違った道にマーキングを入れる人もいるって聞くし……。
「うーん。怪しい……」
と。
矢印に対して猜疑心を向けていると、ぼんやりと記号のようなものが徐々に浮かんできた。
《(´・ω・`)》
「え、なにこれ……?」
顔文字、だよね? なんでそれが突然壁に? 一体全体どういうこっちゃ???
「あっ。もしかして、ドラゴンさんが言っていたダンジョンの精霊さんだったり?」
戸惑いながらそう訊ねてみると、また壁に文字のようなものが浮かんできて、
《(^O^)/》
これ、正解って事でいいのかな?
にしても、妙に感情表現豊かな精霊さんだなあ。ドラゴンさんが何かしらの意思表示はしてくれるかもとは聞いていたけれど、まさか顔文字で接してくると思わなかった。
「けど、どうして顔文字? 普通に文章で書いてくれた方がわかりやすいと思うんですけど」
《(◞‸◟)》
何か、残念そうな顔をされた。
もしかすると顔文字でしか意思表示できない事情があるのかもしれない。ドラゴンさんが言うのには、内気な人みたいだし。
とりあえず、悪意はなさそうだし、ここは素直に従ってみるのもアリかな?
「ピヨちゃん、こっちでいいかな?」
「ピヨピヨ」
ピヨちゃんも異論はなさそうだ。
「えーっと、それじゃあ道案内をお願いしてもいいですか?」
《\\\\٩( 'ω' )و ////》
なんか、めちゃくちゃ気合いが入っていそうな顔文字が返ってきた。
そういうわけで、精霊さんの案内の元、矢印通りに進むおれとピヨちゃん。
そのたびに何度か分かれ道が出てきたりしたけど、そこはまた精霊さんが矢印で道を教えてくれた。すごく便利だ。
「でもなんとなく、おれだけズルい手を使っているみたいで、他の冒険者の方々に申し訳ないような……」
《ヽ(*´∀`)》
独り言のつもりだったのだけど、「気にすんな」みたいな返事がそばの壁に浮かんできた。
励ましてくれてる、のかな?
気に入られているのは確かなようだけど、なんでおれのためにそこまで親切にしてくれるんだろうと不思議に思いながらも、ダンジョンの精霊さんが示す矢印通りにどんどん通路を歩いていると、少しだけ広い空間に出た。
しかも。
「あ、今度は六つも分かれ道がある……」
さっきまでは多くとも三つだけだったのに。いよいよ本格的に迷路じみてきた。
「次はどこに行けばいいのかなっと」
言いながら、ひとつひとつ通路の壁を確認して矢印を探していた、そんな時だった。
──ブゥン、ブゥーン
「……? なんだ、この音?」
例えるなら、古い換気扇から聞こえそうな音とも言うべきか。
そんな謎の音が、いくつかの分かれ道から響いてきた。
「グルルルルルル……」
「ピヨちゃん?」
さっきまで上機嫌におれの前をパタパタ飛んでいたピヨちゃんが、不意に唸り声を上げた。
まるで、何かを警戒するかのように。
《ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘》
精霊さんも「早く逃げろ」と言わんばかりに顔文字で警告してくれている。
よくはわからないけれど、それだけヤバい何かが接近しつつあるのかもしれない。
「ピヨちゃん、ちょっと引き返そうか?」
「ピヨ!」
小っちゃいお手(というより前足?)で挙手するピヨちゃん。
そんなピヨちゃんの承諾をもらったあと、急ぎ足で元来た道まで戻る。
と。
──ブゥンブゥンブゥーン
「音が、増えた……?」
しかも、さっきよりも早いスピードで近付いてきている。
ここまできたらもう、これはモンスターに違いないと直感的に察した。
そうとなったら長居は無用だ。さっさと逃げ──
──ブゥゥゥゥン!
すぐさま逃げようと思った矢先、一番端の通路から一匹のモンスターが飛び出してきた。
「ひっ! じ、ジャイアントビー……!?」
ジャイアントビー。
文字通り巨大なハチの姿をしたモンスターで、大きさだけで言うなら、その辺にいるカラスとほとんど変わらない。
何よりも特徴的なのは、あの尾にある毒針だ。
兎にも角にもデカさが半端ない。病院の注射針が可愛く思えるくらいにデカい。それこそ包丁と変わらないくらいだ。
その上、刺されたらスズメバチ並みの猛毒があるというのだから、本当にシャレにならない。
そんなヤバすぎるにもほどかあるジャイアントビーが、獲物を見つけたとばかりにデカい針をおれに向けて飛来してくる。
まずい! 予想以上に速い! ハチってこんなに速く飛べるものなの!?
こんな事なら、もっと早くに逃げればよかった! そう思わず反省してしまうくらい、今から逃げても間に合わない距離まで肉薄されていた。
「うわあああああ!?」
反射的に顔を腕で守る。こんな事をしても無駄だと頭ではわかっていても、今は顔を守る事しかできなかった。
正直、今度こそ本当に死んじゃうかもと、胸中で覚悟した直後──
ゴォォォォォ──!!
と、目の前で炎が迸っていた。
それはなんとビックリ、ピヨちゃんの口から吐き出されたもので、その炎は激しくジャイアントビーを包み込み、最後には消し炭しか残らなかった。
「ぴ、ピヨちゃん? 今の、ピヨちゃんが……?」
唖然としながら質問するおれに、えっへんと自慢するように胸を張るピヨちゃん。
「す、すごいよピヨちゃん! 偉い偉い!」
「ピヨピヨ〜」
ご褒美にめちゃくちゃ頭を撫で撫ですると、ピヨちゃんは嬉しそうに目を細めた。可愛い。
それにしても、見た目はこんなに可愛いのにあんなすごい事ができるなんて。やっぱりあのドラゴンさんの分身体だけの事はある。
「って、和んでる場合じゃなかった! 早くここから逃げなきゃ!」
「ピヨー!」
せやな、とばかりに一鳴きするピヨちゃんを伴いつつ、おれはさっさと今いる場所から離脱した。
と。
まるで危険から脱したみたいな言い方をしてしまったけれど、実を言うと本場はここからだった。
「うわあああ! いっぱい来てるぅぅぅ!?」
「ピヨ〜!」
ピヨちゃんと一緒にダンジョン内を駆けるおれ。
その後ろには、何十匹というジャイアントビーがひしめき合うように群を成して迫ってきていた。
なんとか一匹のジャイアントビーを撃退したおれとピヨちゃん(ほとんどピヨちゃんのおかげだけど)ではあったけれど、あのあとすぐにジャイアントビーの大群が追いかけてきたのだ。
「ひょえ!? また来てる近くまで来てる〜っ!」
「ピヨ!」
攻撃しかけてきた先頭のジャイアントビーを、すかさずピヨちゃんが炎で撃墜する。
でもすぐまた後列のジャイアントビーがやって来るので、正直イタチごっこの状態に陥っていた。
正直、もう何回同じやり取りをしたかも覚えていないくらいだ。
ひとまず、ジャイアントビーに追い付かれない程度には離れているし、逃げている間にも精霊さんが床に矢印(舗装道路の蛍光標識みたいな感じ)で道を教えてくれているから迷う心配はないけれど、何せ階段までの距離があり過ぎる。
《\\\٩(๑`^´๑)۶////》
《(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾》
《ᕦ(ò_óˇ)ᕤ》
こうして懸命に走っている間に、精霊さんが顔文字で応援してくれているみたいだけれど、状況的にはかなりキツい。
というより、すでに全身が悲鳴を上げている。体中バキバキだ。元々引きこもりみたいなものだったおれにしてみれば、こんな長距離走、いつ限界が来てもおかしくない状態だった。
「はあはあ! いつまで追いかけてくるんだよ、こいつらはああああ!!」
このままだと、こっちの体力の方が先に限界が来てしまう。そうなったらもうお終いだ。文字通り、あの針でハチの巣にされてしまう。
「ピヨピヨピヨー!!」
ピヨちゃんがまた炎で牽制してくれる。けどやっぱり決定打にはなっていない。
ジャイアントビーには、恐怖心っていうのが微塵もないのか!?
「ケフンケフンっ。ピ、ピヨ……」
「ピヨちゃん!?」
ここにきて、ピヨちゃんの飛ぶスピードが見る見る内に落ちてきた。
というより、苦しそうに咳をしている。もしかして炎を吐き出し過ぎちゃったとか!?
「大丈夫ピヨちゃん!?」
慌てて走りながらピヨちゃんを抱き止める。するとピヨちゃんが相変わらず「ケフンケフン」と咳をしながら、
「ピヨ……」
と苦しそうにおれを見上げた。
いくらドラゴンと言ったって、あれだけ炎を吐いたら疲れないはずもない。一匹ずつならピヨちゃんでも全然問題ない相手だけれど、あんな大勢のジャイアントビーを捌き切れるはずもなかったのだ。
どうしよう、おれのせいだ。
おれがピヨちゃんに頼りすぎたせいで、こんな辛い目に遭わせてしまった。自分が情けない……!
「あっ──!?」
死にものぐるいで逃げている最中に関わらず、自己嫌悪になんて陥っていたのが悪かったのか、途中で石か何かに蹴躓いてしまった。
「いてっ!」
ピヨちゃんを下敷きにしないよう、とっさに横になって素人ながら受け身を取る。
幸い、ピヨちゃんにケガはなかったようだけれど、そこで止まってしまったのが致命的だった。
早く体勢を立て直そうと、ピヨちゃんを抱きながら上半身を起こした時には、すでに三、四匹のジャイアントビーがおれのすぐ眼前まで迫っていた。
「うわああああああああああああっ!?!?」
絶叫を上げながら、せめてピヨちゃんだけは守ろうとジャイアントビーに背中を向ける。
ごめんピヨちゃん。おれの判断が遅かったせいで、君をこんな事に巻き込んでしまった。
いや、それ以前にちゃんと体を鍛えてからダンジョンに挑んでいれば、ピヨちゃんにあんな負担をかけずに済んだのだ。
精霊さんにもあれだけ協力してもらえたのに、結局こんな中途半端なところで終わってしまうなんて。ほんと、おれってバカだ。
ああ──こんな死ぬ前に、ちゃんと母さんに今日まで育ててくれた事を感謝しとけばよかったなあ、なんて。
ピヨちゃんを抱きしめながら最期の後悔を頭に過ぎらせていた、そんな瞬間だった。
「がうがー!!」
どこかで聞き覚えのある声。
その声が聞こえたと同時に、何かを勢いよく斬り下ろす風切り音がおれの耳朶を打った。
一体何事かと、ジャイアントビーのいた場所におそるおそる目を向ける。
すぐ目の前で死骸と化している一匹のジャイアントビー。その横には、見覚えのある赤い体毛が。
もしかして、もしかして──!
「き、キラーコボルトさああああああんっ!!」
「「「がうがうがー!」」」
なんとそこには、ダンジョンの入り口付近で出会ったモンスター、もとい干し肉を美味しく食べていたキラーコボルトさんが、おれの目の前に立ってジャイアントビーと対峙していた。
しかも一人だけじゃない。仲間と一緒に来てくれたのか、同じ姿をしたキラーコボルトさんが他に二人もいた。
ひょっとして、おれを助けるためにあれから駆け付けてくれたのだろうか。今日会ったばかりのおれに対して……まして、同じ種族でもない人間のためにここまでしてくれるとは、なんて良いモンスターなんだろう!
などと感激に胸を熱くするおれをよそに、キラーコボルトさん達が襲いかかってくるジャイアントビーを次々に斬り伏せていく。
一人は、力任せにジャイアントビーを頭から真っ二つにして。
もう一人は、流線を描くような無駄のない動作でジャイアントビーを袈裟斬りにして。
そして最後の一人は、おれを守るようにそばに立ちながら、強襲してくるジャイアントビー達を一匹も漏らさず横に両断していた。
「すご……っ!」
思わずそんな感嘆の声が漏れる。
コボルト種の中でも最強種であるキラーコボルトは剣捌きに優れていると図鑑で読んだ事はあるけれど、まさかここまでとは思わなかった。
そんなキラーコボルトさんが「がうがう」とおれに対して後方を指差してきた。
あくまでも想像でしかないけれど、今の内に退けって事なのかな?
ともあれ、確かにこのチャンスを逃す手はない。すぐに立ち上がって、ピヨちゃんを抱きしめたまま階段へと急ぐ。
その間にもジャイアントビーに何度か襲われそうになったけれど、飛びかかったくる度にキラーコボルトさんが撃退してくれたので、おれやピヨちゃんが針で刺される事はなかった。
こうしておれは、キラーコボルトさんに守られながら、無事に黒部地下ダンジョンを脱出する事が出来たのであった。
■ ■ ■
後日談。
結局、なんの宝もゲットできずに黒部地下ダンジョンを後にしたおれではあったけれども。
実のところ、まったくの無収穫というわけでもなかった。
「合計七点で、十二万円の査定になるね」
おれの住んでいる町にある、とある換金所。
そこに持ち込んだ品を鑑定してくれた渋めのおじさん店長が、笑顔のまま平然と言ってのけた。
「じゅ、十二万、ですか……?」
「うん。え、不満だった?」
「い、いえいえ!」
慌てて首を振る。
「た、ただ、なんでそんなに高いのかなって……」
「ああ。このシャークアントの牙はそこまで貴重というわけじゃないから、牙六つで二万ってところなんだけど、この短剣がいいね。これ、ドラゴンキラーの一種だよ」
「ど、ドラゴンキラー……」
「うん。ドラゴンキラーの中でも弱体化させるタイプの代物だね。もっと希少なやつだと、ドラゴンそのものを屠る物もあるんだけど、これでも十分珍しい方だよ。一人だけでダンジョンに潜ったんでしょ? よくこんなの手に入ったねー。A級ダンジョンにでも行ったの?」
「あはは……」
本当はそのA級に行くつもりが、実はSSS級ダンジョンだったなんて、きっと信じてくれないだろうなあ。
ここで種明かしというか、なぜおれがドラゴンキラーとシャークアントの牙を持っていたのかというと。
ピヨちゃんと一緒に下層を目指す前に、ドラゴンキラーとちょっとだけ灰の中に残っていたシャークアントの牙をちゃっかり回収しておいたのである。
ひょっとすると、あとで換金できるかもしれないと思って。
ちなみに、ドラゴンさんに一言断ってから持って行こうとしたら、
『その短剣は我を封じてきた忌々しい代物ゆえ、むしろ目の前から失せてくれた方がありがたい。シャークアントに至っては、すでに死骸と化したもの。せめて一部だけでも活用できるのであれば、シャークアントも本望であろう』
と、断るまでもなく快く了承してくれた。
余談ではあるけれど、黒部地下ダンジョンから逃げるように出た際、当然ながらドラゴンさんがいた空間にも立ち寄るわけで、帰る前に挨拶だけでもしていこうと思ったら、
『そうか。よもやジャイアントビーがそこまで繁殖しているとは思わなんだ。我の分身体だけでも中階層までなら事足りると思っていたが、こちらの浅慮であった。人の子に詫びよう』
とドラゴンさんに謝られてしまったので、恐れ多いやら申しわけないやらで、むしろこっちの方がペコペコと平身低頭で謝ってしまった。
それと、ここでなぜ一階層にあんな強そうなドラゴンさんがいたのに最初はA級指定されていたのかという疑問に答えておくと、実はだいぶ遠回りながらドラゴンさんがいる空間とは別に下の階層に行ける道があったらしく、探索省のホームページではそっちのルートから行く事を推奨されていた。
つまり、わざわざドラゴンさんを相手取るくらいなら、たとえ遠回りでも比較的安全なルートに行くだろうという意味でのA級だったらしい。
まあその後、さらに下層でもっとヤバいモンスターや罠が見つかったので、急遽再調査が行われてSSS級認定されたわけだけれど、何にせよ、探索省のホームページを確認するのってすごく大事なんだなと肝に命じる機会となった。
「でもあの時のお兄さんは、わざわざドラゴンさんのいるルートを選んだって事になるんだよなあ。すげぇなあ」
ドラゴンさんが言うには先を急いでいたって話だけれど、最下層まで潜るつもりでなるべく時間を稼ぎたかったのだろうか。
なんて詮無い事を考えながら、おれは家に帰るべく自転車を走らせていた。
春間近の気持ちのいい風が体を吹き抜ける。財布も予想外に潤沢になり、気分はまさに揚々と言った感じだった。
まあ換金しに行く時は色々と面倒な手続きがあったりして、ちょっと億劫ではあったけれども。
何はともあれ、これなら来月出る新作ゲームはもちろん、スマホ代も当面心配はないだろう。
もちろん小遣いは貰えなくなってしまったので、急な出費が重なりでもしたら、いつまで保ってくれるかどうかはわからないけれど。
「………………」
なんとなく、腰に巻き付けてあるショルダーバッグに目を向ける。
実を言うとこの中にはまだ、換金すれば相当な値になるであろう代物が残っていた。
「いやいやいや。さすがにピヨちゃんを売っちゃダメでしょ。ないないない」
一瞬頭を過ぎりそうになった非道な考えを頭を振って排除する。
そうなのだ。
ぶっちゃけ、このバッグの中にドラゴンさんの鱗に戻った状態のピヨちゃんがいるのである。
というのも、ドラゴンさんにピヨちゃんを返そうとした際、
『そのまま連れて行くがよい』
「えっ。いやでも、ピヨちゃんを外に連れて行ったらみんなになんて言われるか……」
『心配せずとも、外界に連れていったところでまた鱗に戻るだけだ。どういった原理かは知らぬが』
「ほ、本当にいいんですか?」
『無論。どこかのダンジョンに潜る際はまた我の分身体として役立ってくれるだろう。要らぬというのであれば、捨てるなり金に換えるなりすればよい』
なんて言われても、捨てるなんて以ての外だし、金に換える気にもならなかった。
だって、おれにとってピヨちゃんは──
「大事な仲間だし、ね」
言って、自転車を漕ぎながら空いた手でショルダーバッグに触れる。
こうして鱗に戻った状態のピヨちゃんを連れていく必要なんてなかったけれど、どうしても一緒に散歩がしたくて、こうしてショルダーバッグの中に入れて持ってきたのである。
鱗に戻った状態で外の空気なんて感じてくれているかどうかはわからないけれど。
「またピヨちゃんに会おうと思ったら、ダンジョンに潜らないといけないのかー」
春の風を感じつつ、まるで離れ離れになった恋人を想うがごとく嘆息を吐く。
あれだけ怖い思いをしたあとだと、さすがに早々とダンジョンに再チャレンジする気にはならない。
行くとしたら金が無くなった時なんだろうけれど、またダンジョンに行くかどうかはわからない。というより正直なところ、怖いという気持ちの方が強いくらいだ。
ダンジョンといえば。
「そういえば、別れ際になんか精霊さんが寂しそうにしてたなあ」
それはダンジョンを出る直前、ここまで安全なルートを案内してくれた精霊さんにお礼を言った際、
《ヽ(;▽;)ノシ》
と少し悲しそうな顔文字で見送ってくれたっけ。
もしかするとあれは、また来てほしいという気持ちの表れだったのだろうか。
「ダンジョン、かあ……」
■ ■ ■
一か月後。
「結局、また来ちゃった……」
目の前に広がるのは、初めて挑戦した時と何も変わらない薄暗い通路──ダンジョン特有の怪しさと気味悪さが渦巻く死線への入口。
今おれは、再び黒部地下ダンジョンの入口そばまで来ていた。
別段、懐が心許なくなったわけじゃない。欲しかったゲームを購入したり、他にもスマホ代やら課金代やらで色々使ったけれど、まだ八万近くも残っている。すぐに金が必要なわけじゃない。
それなのにこうして再び黒部地下ダンジョンを訪れたのにはわけがある。
それは──
「久しぶりぃ! ピヨちゃん!」
「ピヨー!」
階段を下りきったと同時に、ショルダーバッグからモゾモゾしながら飛び出してきたピヨちゃんを、笑顔と共に抱き寄せた。
「ずっと会いたかったよぉ、ピヨちゃ〜ん!」
「ピヨピヨ〜!」
腕の中で抱かれながら、嬉しそうにおれの胸に頬を擦り付けてくるピヨちゃん。
おれがダンジョンに再び来た理由。
それは、ピヨちゃんにどうしても会いたくなったからだ。
とはいえ、わざわざSSS級である黒部地下ダンジョンに来る必要はない。ドラゴンさんが言うには他のダンジョンでもピヨちゃんに会えるらしいけれど、どうしても黒部地下ダンジョンでないとダメな理由があったのだ。
だって、ここには──
「あ、キラーコボルトさんと精霊さんもお久しぶりです!」
「がうがう!」
《╰(*´︶`*)╯♡》
ピヨちゃんがバッグから出てきたと同時に、おれを出迎えてくれたキラーコボルトさんと精霊さんにも挨拶をする。
そう──ここにはピヨちゃんだけじゃなくて、キラーコボルトさんや精霊さん、それからあとで挨拶をしに行く予定のドラゴンさんにも会うために訪れたのだ。
あれからずっと気掛かりだったのだ。
色々な人……ていうかモンスターに助けてもらったのにも関わらず、結局中途半端なところで終わってしまった事が。
だからこうして、またチャレンジしに来たのだ。
再び、ピヨちゃん達と一緒にダンジョンに挑戦するために。
ピヨちゃん達がいなかったら、コミュ障のおれがこうやってダンジョンに来ようとは思わなかった。
ピヨちゃんに助けてもらいながら、二階層という半端な地点で終わってしまった悔しさを味わう事もなかっただろう。
だから、こうしてまたダンジョンに挑んだのだ。
今度こそピヨちゃん達と一緒に、ダンジョンに潜ったぞと胸を張れる所まで行くために。
きっとこのみんなとなら、絶対大丈夫だ。
だってこんなに頼りになる仲間なんて他にいないのだから。
「よし、みんな行こうか!」
「ピヨ〜!」
「がうが〜!」
《☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆》
目指すは目標の中階層。
そこに何が待っているかはわからないけれど──そもそも無事に辿り着くかどうかもわからないけれども。
それでも、おれは進む。
このダンジョンで出会った、大事な仲間達と一瞬に──!!