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理想的恋愛主義者減量中  作者: 夜霧ランプ
9/10

振り回される包丁と言う

 折角「自殺しますよのポーズ」の取っているのに、観衆が全然自分の思った反応を返さないので、母親は泣きじゃくりながら、「私以外の女がそんなに恋しいの?! あんな若い女の子に手を出すなんて、最低よ! ロリコン!」と、本来自分の夫に投げるべき言葉を、私に向かって叫んできた。

 私と父親は顔を見合わせ、「なんの話?」「さぁ?」とやり取りをした。

 二人で呆気に取られて、首に包丁をかざしている人を見る。

 数秒間の沈黙があり、その間に、母親は自分だけが取り乱して居る状況に苛立ったらしい。

 包丁を私達の方に向けて、「そうだわ。私だけが死ぬわけに行かない。私がみんなの面倒を看てきたんだから、家族を不幸にするわけに行かない」と言い出した。

 そこまでは、私も父親も、はいはい、と言う風に首を振った。母親は「一家心中よ!」と、叫んで、私と父親に向かって無茶苦茶に包丁を振り回した。

 えー? そう言う発想になるー? と思ってたら、包丁の切っ先が私に届きそうになった。

 母親の動きをじっと見ていた父親が、包丁の握られた手首を片手でパチッと受け止める。そして、母親が握りしめている包丁を指から引きはがした。

「危ないから、よしなさい」と父親は妻に言う。「大体、心中なんて言っても、家族を殺した後に、本人が死ねないパターンが多いんだから」と、すごく冷静に妻を説き伏せる。「そうしたら、君は唯の殺人犯になるんだよ?」

「絶対成功させるわ!」と、母親は宣言する。「みんなで、清らかなまま天国に逝くのよ!」と。

 もう、何言ってんのこいつ。


 父親が母親の話し相手になっている間、私は警察に連絡をして、錯乱した母親を保護してもらった。そして母親はそのまま、精神病院に隔離された。

 隔離病棟に入れられた母親は、「私があの人を止めなきゃ!」「あのまま醜くなるなんて!」と、繰り返し叫んで居たらしい。あまりにうるさいのと、鎮静剤を飲むのを拒絶するので、注射で薬を投与されて眠らされたと言う。

 女性が「あの人」と言うなら、夫の事だろうと思われて、最初は父親が「何か止めなきゃならないようなことをして居た覚えはありますか?」と聞かれたが、父親はさっぱり思いつかない。

 父さんは、下戸なので酒も飲まないし、生産性が無いと言う事からギャンブルもしないし、連続テレビ小説と大河ドラマを見て、水羊羹を食べてほうじ茶を飲むのが好きだった。

「あのまま醜くなるなんて」の台詞から察するに、たぶん母親が言ってる「あの人」と言うのは「減量をしている子供」である、私の事だろうと言うと、担当医は困った顔をした。

 担当医の頭の中で整頓された言葉は私達には説明されたなかったが、素人ながら思うに、母親の頭の中では、私は母親の恋人になっていたのだろうか…。

 そう考えると、毒親を通り越して、おぞましい。

 病院から、父親が運転する車の後部座席に乗って家に帰った。

「なんか、そう言うの、あったよね」と、私は車の中で言った。「源氏物語だっけ。小さい女の子を自分の理想の妻に育て上げるって言う、変態の話」

 父さんは、軽く笑って、「そんなのがあったな」と言ったけど、その言葉に何処か陰りがあるような気がしたのは、気のせいだろうか。


 母親が入院してから、私は父親と一緒に食事を摂るようになった。しかし、メニューは別々だ。私は減量食の他に、焼いた赤身肉とレンジご飯を食っている。

 父さんは、自分で米を洗って炊き、インスタントの味噌汁を用意して、総菜の天ぷらや焼き魚を買ってきて済ませている。

「思ったより、食べてるじゃないか」と、父さんは言っていた。私は、「筋肉付けるためにね」と答えた。

「お前が、単に痩せようとしてるだけだって思わなきゃ、母さんも、取り乱したりなかったかな…」と、父さんが言うので、「いや、こっちも説明したことあったんだけどね」と、80kgに到達する前に母さんに話していたことを思い出しつつ伝えた。

 痩せて皮が余るのは一時的な事で、運動をして筋肉を付ければ、皮膚のたるみは無くなると言う過程の、あれだ。

「なんか知らんけど、太って無いと皮膚がたるんで醜くなると思ってるから、ずっと太らせてたかったんじゃない?」と、私が言うと、「実はな」と、父さんが昔話を始めた。

 それによると、父さんと母さんは見合い結婚で、その結婚は親同士の決めた強制的な物だった。母さんには当時恋人がいて、その男性と言うのが、輪郭を円で描いたようなでっぷりとした巨漢だったのだと言う。

「たぶん、母さんは、太ってる男性が好きなんだ。母さんの父親も、兄弟も、みんな堂々とした…体の大きい人達だったし」

 父さんは、決して、デブとは言わなかった。だが、そう言いたいのだろうと言う事は、何となく分かった。

 やっぱり、私は、母親の「理想の恋人」として、肉を付けられていたのか。首と顔の輪郭が同じ太さになるほどに。


 減量と共に、筋肉作りは上手く行っていた。体重は何度も上がり下がりしながら、62kgくらいで安定し、それ以上減らなくなった代わりに、体のシルエットが変わった。

 肩と腕と胸筋が発達してきて、まだ少し皮膚のたるんでいるウエストも、触ってみるとその下に筋肉がある事が分かるようになった。此処に来るまで、約一年半。みみりんは19歳になっているはずだ。

 私は、CD特典でついてくる、握手会のチケットを眺めながら、その日を待った。

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